「西東教授、」
私の視界は光を捕らえていない。何故か?そりゃあ私が教授に思い切り抱きしめられているから。………違う、違う違う。都合の良すぎる記憶の改竄だ。改めまして、では何故か?そりゃあ、私が教授に飛び掛かって、その背に顔を埋めているから、だ。
「えらく大胆だな、俺はお前がこんなに大胆な女だとは知らなかった。ほら、お前って、いつもこそこそしてるじゃねえか」
失礼な事をさらりと言ってのける。私の視界は黒のままだけれど、彼が笑っているのだけははっきりと見えた。言葉から滲み出ているそれは、見たくなくても見えてしまう。
「とにかく離せよ。このままじゃあろくに話もできねえ」
「いやです」
「あん?」
「教授なんて、生徒との不祥事がどうちゃらこうちゃらで、この仕事クビになっちゃえばいいんです」
「『この仕事クビになっちゃえばいいんです』───くくくっ、とんでもねえ事言いやがる」
「よく言いますよね、本当は何にも困らないくせに」
否定の言葉は返ってこない。暫くぴたりと額をくっつけたままでいると、伸びてきた西東教授の手が私の頭をしっかりと掴んで、ぐいと一気に引きはがされた。その勢いに首がどうにかなってしまいそうだったので、自然、回した腕も剥がれてしまう。
「あ」
「阿呆か、さっさと離れろ」
怒られるのと同時にばんっと思い切り頭を叩かれた。加減というものを知らないのだろう……結構、いやかなり痛い。自らの頭を摩りながら軽く睨んでやったが、教授は私の方など見てもおらずにそのまま先へ進んでいたので、慌てて腕を掴んだ。教授の足が止まる。
「こ、この……不感症!人でなし!」
「もう一発シバかれてえのかお前は」
「お、お前って言わないで下さい!偉そうに、しないで下さい!え、あ、いや、偉いん、だけど……え、えっと……お、同い年の癖に!か、構って欲しいのがわからないのか!」
「『構って欲しいのがわからないのか』、か……」
少しでも気を引くために必死になりながら、教授に対して言えるだけの言葉を探して吐き出すと、教授は少し顔をしかめて、無言のまま私の額に手をやった。またシバかれるのかと身構えていると、唇に、ぬるい、感触。
「………へ?」
「『へ?』──ふん」
額に置かれていた掌が移動して、髪をぐりぐりと掻き混ぜられる。教授の意味不明な行動に何も出来ないまま赤面していると、次の瞬間その手で思い切り床に頭を押し込められた。
「う、わっ……!」
突然かけられた負荷にがくんと膝が折れ、バランスを崩してしまう。両手両膝を床に打ち付け、我ながらみっともない体制になってしまった。
「余裕ねえなあ。構って欲しいんだろう。キスくらいでテンパってんじゃねえよ、中学生じゃあるまいし」
頭上でくくくと嫌らしく笑う様子からは、隠す気など更々ないような彼の性格の悪さが滲み出ている。
「出直してこい糞餓鬼」
西東教授はそう言って、ふん、と鼻で笑ってから、何事も無かったかのようにすたすたと立ち去っていった。後を追うために立ち上がろうとしたが、床に打ち付けた膝に痛みが走って、そのまま立てずに座りこんでしまう。
……どうやらまだ、追い付けそうにない。