「秋の匂いがします」
隣で歩く彼女は上を向きながらくんくんと空気を嗅いだ。季節にそぐわない白い肌に視線が捕まる、残暑の厳しい9月上旬。すぐに意識を起こして、彼女の視線を追い掛けた。
「……僕にはわからん」
「ほら、蝉が五月蝿くありませんし、最近は夜に虫が鳴いてます」
そう言った彼女の額には、じわりと汗が浮かんでいる。夏の暑さがまだまだ尾を引いているのは確かだ。
「でもまあ、確かに暑いですよね……これじゃあ迂闊にいちゃいちゃもできません」
「突然何を言い出すんだよお前は」
「何を言ってるのかと問いたいのは私の方ですよ阿良々木先輩。物事に突然なんて事はありません。現に私はいつだってあんなことやこんなことを妄想しているんですからね」
「……ああそうかよ」
僕の前に回りこんでにかりと笑いながら自信たっぷりにそう言った彼女に、返すべき最良の言葉が浮かばなかったので適当に受け流すことにする。なまえちゃん、喋らなければ大人しそうなのだけれど。
「ほれ」
後ろ向きに歩みを進めながら、彼女が突然僕の手を握った。それから僕の右肩にくっつくように移動し、躊躇いなどなさ気に指を絡めてくる。
「恋人繋ぎ、ってやつですね」
「………え、」
情けない声が漏れた。それは彼女に聞こえたかもしれないし、もしかしたら聞こえていないかもしれない。そんなことはどちらでもよかったのだけれど。
「でもまあ……失敗でした」
そう言って絡めた指をすぐに解き、僕の顔の前で左手をぐーぱーと動かした。
「手を繋ぐにはまだ少し暑かったです」
「…………」
「私、汗でべたべたするのは好きじゃありません。先輩はそういう……汗と汗が混じり合う感じの、好きそうですよね」
「お前、僕にとんでもない先入観を抱いていないか」
「そうでもないと思いますよ。先輩の噂はよく耳にします、主に神原さん辺りから」
「なんだって」
僕は、簡単に想像がついてしまうような不名誉な噂の存在を知ることになった。
「だって先輩、今、私の手を掴んで離さなかったじゃないですか」
「不可抗力だ」
「意味わかりません」
「僕は後輩の好意を無下に扱うような酷い先輩じゃないからな」
「……とりあえず恋人繋ぎはお預けです。もう少し秋らしくなって、それでも阿良々木先輩がまた求めてくれるのなら、その時はまぁ……そうですね、ついでにべろちゅーくらいまでなら考えておいてあげます」
「生意気な」
悪戯に笑みを向けるなまえちゃんの頭を軽く叩いてやると、仕返しに腹を思い切り殴られ、僕は暫くその場に疼くまることになるのであった。