ブラッディマリッジ


「えー……産めよ増やせよってことは、つまり主の祝福を受けているという事で、あー……」
狭い礼拝堂の中に、低い声がこだまする。
朝の礼拝に訪れた人は、皆押し殺した笑い声を必死にこらえ、神妙な顔をしている。
壁にかかった十字架を背に、神父が難しい顔をしてあさっての方に目をやっていた。
「あー……つまり、しっかり食ってしっかり働いて家族みんな健康にしてろ、……ってことです」
「それ母ちゃん同じこと言ってた!」
最前列で唯一顔を上げて聞いていた子供が、はつらつとした声で言う。
とうとうこらえきれなくなった人達があちこちで噴き出した。
厳粛な空気で行われるべき礼拝が、あっという間に笑い声でいっぱいになる。
説教台にたっていた神父は、ぽりぽりと頭をかいた。怒っているようでもないが、恥じ入っているようでもない。
ただ、ちょっと困ったように眉根を寄せているのが、縦にひょろ長い身長のせいで余計に面白く見えるのだろう。人々の笑い声はやむ様子がない。
光に透けるような金色の髪をした神父は、笑いもしないまま、子供と目を合わせた。笑っていた子供が、叱られるのかと唇を引き結ぶ。
「そりゃな、お前の母さんが主の教えに従う善き人だからだ。こうやって礼拝にも来て、ちゃんと務めを果たしてる。大事に思うからお前にもちゃんと教えを施してる」
子供はぱちぱちと瞬きをした。
「母さんのいう事、ちゃんときけよ、坊主。元気でいろ」
神父はそういうと、ゆっくり顔を上げた。
声に出して笑っていた人たちが、なぜかほのぼのとほほ笑んでいた。祈りをささげている人もいる。
首を傾げながら、これ幸いと、神父はいう。
「えー……それでは、今日は祈りの493番」
神父が賛美歌を歌い、本日の朝の礼拝は終わる。
説教台に手をついたまま、神父がそっと息を吸った。顎を少しあげ、とまる。
音があふれ出るように、歌が始まった。少年のように高くも澄んでもいない。低く、けれど伸びて人の胸を打つ。
目を細め、息をするように紡がれた音はゆっくりと人々に触れ、朝日に溶けた。




「神父さまー!またねー」
母親に手を引かれて去っていく。手を振りかえしてやりながら、静雄はほっと息をついた。
(……やっと終わった)
この協会を任されてから二年。神父にあるまじき説教の下手さで、その時間はほぼ拷問だ。同じ理由で結婚式、葬式の講釈もできることなら誰かに替わってほしい。懺悔室で人の懺悔を聞くのも苦手だ。後悔するくらいなら初めからするな!と言ってしまいたくなる。
(悔い改めよ、って宗教でそりゃねぇよな……)
神父にあるまじきことを考えながら見送りに手をふっていると、横をすり抜けていった子供が「神父様、もうちょっとうまくしゃべれよな!」と言って走っていった。まったく余計なお世話だ。何度やってもうまくならないので、もう遺伝子的に説教ができないのだと諦めつつある。
「転ぶんじゃねぇぞー」
子犬のような後姿にのんびり声をかけてやった。
協会は坂の上にあるため、帰り道は下り坂だ。
林ともいえないような少しの木々に囲まれ、古い教会は建っている。
帰ってゆく人並の中に、消えていく小さな背中を見つめていた時だ、ふと視界がぶれるのを感じた。どくどくと、耳元で血液の流れる音がする。額に手を当て、小さく舌を打った。
「神父様?」
気づいた女性が不思議そうに声をかけてくるのに、「なんともないです」と断って、静雄は顔を上げる。
平和な場所、平和な時間。今の静雄にはそれなりに居心地がいい。できることならば、手放したくないと思う程度には。これで人前で話す機会さえなければ、最良なのだが。
(まあ、でも、なにも説教の出来でココ任されたわけじゃねぇしな)
静雄は気を取り直すと、山のようにある務めを果たしに門から踵を返した。

静雄の配属された街は、世界の片隅にあるようなちっぽけな田舎だ。夏の暑さも冬の寒さも厳しいせいで、毎年一定数の死者がでる。
善良な人々は真面目に働くが、稼ぎはなけなしのものだ。だが逆にいえば、そこは神の教えが深く根付いた場所だと言えた。過酷な環境にこそ神は必要だ。無縁仏のために祈りをささげ、家のない人に神の家からパンを分け与える。
街の中心に行けばモーテルや不良のたむろする路地、浮浪者の寝泊りする道があり、そういう人たちに施しや説教を与えるのも静雄の仕事だった。
務めは何も終わっていないようなのに、気が付けば一日は飛ぶように過ぎていく。
静雄が遠くの村にいるトムに手紙を書き終わった時には、もう日が沈みそうになっていた。
静雄は薄い色つきの眼鏡をかけている。青にすかしたような不思議な色合いで、よく子供たちに「それかけてると、世界が青く見えるの?」と尋ねられる。ねだられてはかけさせてやっているせいで、耳にかける場所が少し鍍金が剥げていた。
(これもどうせなら純銀に変えてぇところだけどな)
そう思うものの、あいにくと先立つものがない。
ほんの少し眼鏡をずらして、外の様子を確認した静雄は、小さく舌打ちをした。手紙に時間をかけすぎた。
トムは静雄の先輩で、恩人で、恩師だ。
トムがいなければ静雄は今神父などしていなかっただろう。頼りにできる人などその人しかいなかったから、つい手紙では書かなくてもいい悩み事などを書き連ねては「こんなもんトムさんの耳に入れられるか」と書き直す。

結局今回封筒にはいった手紙は、便箋が二枚。くしゃくしゃに丸めてゴミになった便箋が一二枚だった。
堂にたいていた香を始末しようと、静雄は席を立った。礼拝堂の後ろにあるその場所は、務めを果たすのに使う小部屋のようなものだ。懺悔室へも礼拝堂へも、ほんの数十歩でついてしまう。もうさすがに、残っている人はいないだろう。そう思い、礼拝堂の扉を開けて、静雄は動きを止めた。

礼拝堂は、強い夕陽に上半分が切り取られたような橙色だった。その反動のように、夕陽の当たらない場所は、闇を流し込んだように真っ暗だ。特に、説教台の傍の闇は濃く、上半分を夕陽に切り取られ、十字架の下半分は夜に溶けたようになっている。
十字架の足元。
そこに、一人の男が立っていた。男が、マントを揺らしながらゆっくりと振り返った。

「―――やぁ」

白い頬、夜を切り取った髪、身にまとうのも深い夜と同じ色の外套だ。
男は、静雄と目が合うと、ゆっくりとその目を細めた。血のように、赤い目。
「久しぶりだねぇ、シズちゃん」
静雄の血が、一瞬にして沸騰する。
細胞という細胞が沸き立ち、震えた。低く、低く静雄は唸り声を上げる。
「臨也ァ……」
臨也、と呼ばれた男は、薄い唇を横に引いた。とたん、小さな八重歯が口端から覗く。人のものにしては少しばかり長いように見えるそれは、どこか子供めいていて可愛らしい。
「そんなに怖い顔しなくてもいいじゃない。せっかく会いに来てあげたんだからさぁ」
「自分から殺されに来てくれたってか?そいつは殊勝なこったなぁ、ノミ蟲野郎」
「ちょっと、その呼び方やめてって言ってるでしょ?」
臨也が嫌そうに顔をしかめた。
ノミ蟲、こう呼ばれることを臨也はことのほか嫌う。ある一定の事実を表しているからだ。
知らぬ間に忍び寄り、血を吸う、虫けら。
我ながら良い呼び名を思いついたもんだと思う。
「それにさぁ」
臨也は、黒い外套で鼻を覆い、恨みがましげに静雄を睨んだ。
「そろそろ俺が来ることわかってて焚いたんでしょ?この香。くっさい。鼻が曲がりそう」
「魔除けだからな」
「……シズちゃんからもおんなじ臭いするんだけど」
当然だ。このごろ毎晩、衣類にたきこめて眠っている。
臨也が、忌々しげに笑った。
「そういうの、無駄な抵抗って言うの知ってる?ばっかじゃないの。拒んで辛いのは自分でしょ」
どく、と耳元で脈打つ音がした。……血がはやる。
静雄のこめかみに青筋が浮いた。
瞳孔が開いたように、静雄の目が見開かれ、口元は笑っているのか威嚇しているのか、それすらもわからないほど凶悪にゆがんだ。静雄の手が、礼拝堂にならぶ椅子の一つにかかった。それは当然床に固定されていて、人が七人ほど座れる横に長い木の長椅子だ。それが、ミシミシと音を立てて、床から引っぺがされ、静雄の肩に担ぎあげられた。
それをみていた臨也が、目を細め、唇をゆがめる。
「俺の事待ってたんなら、もっとわかりやすく歓迎して欲しいなぁ」
「これ以上ねぇほど、わかりやすい出迎えだろうがッ!死ね!臨也ァァァ!」
すさまじい音を立てて、椅子が臨也のいた地面にめり込んだ。臨也は体重を感じさせない動作で後ろに飛びのき、やれやれと首を振る。
「神父さんが神の家で暴れていいわけ?」
「っるせぇ、ノミ蟲のくせして説教垂れてんじゃねぇ!」
静雄が説教台の床を思い切り右足で踏み抜くと、勢いよく細長い隠し箱が飛び出す。蓋のないその箱に、銀色に光る棒のようなものが見えた。
精緻な銀細工が施された銀色の延べ棒は、二つに分かれていたらしい。床にたたきつけるように二つをジョイントさせると静雄の背丈ほどある長い棒になった。名前は忘れてしまったが、立派な武器である。
「はは、全く物騒な神父だね!」
「殺す!」
「やっぱり君には似合わないんだよ、神に仕えるなんてさ」
「うるせぇ黙れっつってんのが聞こえねぇのか!」
殺す!と聖職者らしからぬ言葉を連呼し、静雄は長い棒を振り回す。臨也がひょういひょいと軽々避けるせいで、やみくもに振っているように見えるが、静雄のそれはなんとか棒術と呼べる範囲のものだ。ただ、かなり大雑把で乱暴ではあったが。
臨也の顔に疲れは見えない。ただ礼拝堂が破壊されていくだけにみえた殺し合いだったが、変化は、徐々に起きていた。
静雄が、腕を振り上げ、礼拝用の椅子を叩き割る。その瞬間、
「……っ」
ぐら、と静雄の頭が揺れた。
足を踏ん張り、体勢を崩さないように立て直したが、とてもきかない。持っていた銀の棒にすがるようにして立っている。
静雄の攻撃をよけた臨也が、丁度説教台の真ん前に飛び降りた。
その顔に、にやぁ、と嫌な笑みが浮かんだ。
「おやおやぁ?」
「……っ、くそっ」
「はは、ツラそうだねぇ!シズちゃん」
とうとうずるずると座り込んだ静雄に、臨也はゆっくりと近づいた。細く黒い脚が、物の散乱する床をひとつ、ひとつ、近づいてくる。
「あーあ、こんなにちらかして」
鼻歌でも歌いだしそうな臨也を、かすんだ眼で睨み付けながら、静雄はじっとその機会をうかがう。臨也が静雄の顔を覗きこもうと、腰をかがめた瞬間だ。銀色の棒が臨也の頭を強襲する。下手をすれば、頭を粉々にするような、強烈な一突きだった。
けれどそれは、臨也の頬をかすめただけで終わる。じゅぅ、と肉の焦げるような嫌な臭いを嗅いだのと同じに、静雄の手を臨也のつま先が蹴り上げた。武器を取り落せば、臨也の靴底がそれを思い切り蹴りつけた。


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