その日は嵐だった。
春というぼんやりとした季節が、鮮やかな夏に替わっていく、その一瞬だけの狭間の季節。
嵐は桜を打ち、若葉を深い緑に変える手伝いをするのだと、誰かが言っていた。
静雄はほんの2月前に同じような姿勢を取らされたことに気が付いて、感心した。
やっぱり、この親子は似ている。
静雄の腹の上に載っているのは、子供より少しばかり大きい。そして肉感がある。女性の尻と太ももだった。
臨也の部屋は青と黒で統一されていたが、母親は白と黒のモノトーンでまとめている。しんぷるになりすぎないよう工夫された部屋は、もちろん寝台も美しかった。顔をそらせば柱の見事な彫細工が見える。天蓋から垂れた薄絹は雲を伸ばしたように白い。

静雄は白いシーツに埋もれるようにして横たわっていた。いつか臨也にされたように、今はその母親がそうしている。違うところがあるとすれば、静雄の胸元が大きくはだけられているという事だ。
ちぎるようにはがれた黒のネクタイが、ベッドのわきに落ちている。
柔らかいその絨毯の上を、視線を這わせていけば、外に出る扉に行き当たる。つい三十分ほど前、静雄もそこから入ったのだ。今は、臨也と執事がそこにいる。

「入室を許した覚えはないわよ」

母親が、よく通る声で言う。臨也に似て、白くとがった顎と、つんとあがった目じり、耳に書けた黒髪は肩で切りそろえられていて、さらりと滑り落ちる。
彼女はパーティー返りなのか、真っ赤なドレスを着ていた。右肩から肩紐が落ち、下着のレースがあらわになっていた。
扉の前で、執事に抑えられている臨也は、ぴくりともしない。微動だにしないで、ただ静雄とその腹にまたがる母親を見ていた。
見開かれた目が、無表情の中でやけに光ってみえる。
母親が、ゆっくりと笑った。

「悪い子ね、臨也。お母さんはボディーガードさんとお話をしてるの」

赤い口紅が引かれていて、人を食ったみたいだ。ぼーっと見ていたら、襟首をひっつかまれ、ひきずりあげられる。
赤い唇が、ぱっくりと口を開いた。食われる。そう思うほど濃厚に口づけられた。
びく、と肩が震えて、その瞬間解放される。
後ろでに手をついて、無造作に口元拭った。恨みがましく睨み付ければ、彼女は花のように艶やかに笑う。
母親は、執事にいった。
「子供はもう、眠る時間ではなくて」
執事はうなづくと、口早に臨也を促した。臨也の細い腕をつかむ手が、震えている。
そりゃあ、常識ある人にこの状況はつらかろう。静雄は思ったが、次の瞬間にかき消された。
ふっと、部屋の気温が下がったのかと思う。それくらい、臨也のまなざしは一瞬で冷えた。
見開かれた目は穴を穿ったように暗く、底がないように見える。
臨也の白い顔は青ざめて、小さな唇は引き結ばれている。
沈黙が、部屋を支配した。臨也の沈黙が。

「かえせ」

空気が、震撼する。ざわざわと、臨也の命令に部屋の空気が揺れた。母親はふっと、鼻で笑う。ああ、コイツら同類だ。なぜか妙な感慨を静雄に抱かせる。

「彼を金で買っているのは私。私が買って、あなたに貸してあげていたの。勘違いしないで」

臨也が、ゆっくりと目を眇める。
にじむように黒くなった目が、磨き上げたオニキスのように光をはじく。何物も受付ないように、冷たく輝くふたつぶの石。
「臨也様、ゆきましょう」
執事が再度、しっかりと臨也を促した。臨也は執事の手をはらって、自分の足で自室に引き返す。しん、と静まり返る部屋。今度の沈黙は、ただのっぺりとしている。
しばらくどちらも動かなかった。

「………満足ですか」

口火を切ったのは静雄からだ。
母親は臨也がいたあたりを眺めていた顔を、静雄に向けた。血の気が失せていた頬に、ゆっくりと血が上っていく。
「ええ、上出来だわ」
「そうですか。……そろそろ降りませんか?」
「あら、失礼」
母親はころりと笑って、静雄の上からのいた。
着衣の乱れは、肩紐が肩からずり落ちていた以外にはない。そっとそれを直し、寝台から降りた彼女は、椅子に掛けてあったガウンを羽織った。
静雄も、胸元のぼたんを一つ一つはめていく。
ふとなじんだ香がすると思って顔を上げれば、彼女が煙草を吸っていた。
視線に気づいた彼女が、黙ったままの静雄に何を思ったのか、苦笑した。

「ひどい母親だと思う?」
「……わかりません」
「相変わらず、正直ねあなた」

煙草をくわえて、腕を組む。上から下に、静雄をじろじろ眺めまわした。
「それで、俺はなんでこんな劇に付き合わされたんですか」
「つきあわせた、じゃないわ。つきあっているのよ」
進行形?
疑問が顔に出たのだろう、彼女は喉で笑う。
「あの子、この家にあまり関心がないみたいなの。お金にも、家督にも。とくに家督のほうはとんとだめ。むしろない方がいいと思ってる節があるわ」
困るのよ、と彼女はいう。
「本気になってもらわないと、困るの。この家を継ぐのは、生半なことではつとまらない」
「はあ」
「だからね、あなたがその理由になるのよ」
「は……あ?」
「あのこ、私からあなたを奪い返しに来るわ」
「……」
静雄は完全に沈黙した。
雇い主だから口には出さないが。……ださないが。
「んなわけねぇだろ、って顔してるわね」
「……子供は飽きっぽいもんです」
「あの子は違うわ」
この家を継ぐ、ましてや奪いかえすとなれば、この女性を越えなければならない。つまり、どれだけ長い目で見ても十年二十年かかる。
それくらいのことは静雄でもわかる。
この女性は、それすら笑い飛ばした。
「運命の人。簡単に手放すほどおばかさんじゃないの」
「うんめ……」
「だって私とあの人の子供だもの」

あのひと。

「……旦那さんですか」
「そうよ。熱愛中なの」
「十年前に亡くなったって聞いてますけど」
「そうよ?」
彼女はころりと笑う。
「臨也には、この家を継いでもらいます」
「なんで…妹じゃだめなんですか」
「あの人との約束なの」

長男は妹を守り家を継ぎ、妹は幸せな結婚をして私のウェディングドレスをきせる。
呪い歌のように、かのじょはうたった。

「素敵でしょう?」
「それに付き合わされる子供たちが可哀そうです」
「嫌なら私から逃げて見せればいいわ。私は私のしたいようにする」
それほど旦那との約束が大事か。
彼女は静雄の目に、そんな非難を読み取ったのだろう。ほんの少し困ったように眉根を寄せて、それでも苦笑した。
「どうしてもね、叶えずにはいられないの。だって、運命の人との約束だもの」
臨也に譲るまでは家を守り続けること、会社を守り続けること、この人は体を張ってやっている。
毎夜夜会に出かけるのも会合に出かけるのもほかの男の場所に出かけるのも、すべて仕事のため。
静雄は思った。
情婦どころか、この人はもしかしたらずっと妻なんじゃないかと。
彼女はしばらくして、時計を見た。
「そろそろいいわ」
「……?」
彼女は煙草の煙を、天井に向けて吐いた。
「今の話をしてはダメ。匂わすのもだめ。貴方は私に抱かれて、愛人の一人になった、そう思わせたままでいなさい」
鬼のような言葉だった。
彼女は煙草を灰皿ににじると、静雄の傍まで来た。
かぱりと、真っ赤な唇が開く。首筋を、がぶりと食われた。顔を離して、彼女はささやく。
「その上で、あの子に会ってきなさい」
少女のように純粋な目をしていった。

「とどめを、さしてきて」


****


臨也はベッドの中にいた。
部屋に入ると、こんもりと小山になった布団が身じろいだので、多分起きているのだろう。
静雄はなんと声をかけていいか迷って、結局何も言わずに足を勧めた。
ベッドのそばまで来て、静雄はそっとふくらみに手を伸ばす。

「いざ……」

真っ黒い影が飛び出したように見えた。静雄の心臓の真上に、銀色に光る刃先。
静雄は目を瞠った。
臨也が、どこから手に入れたのか小さな銀色のナイフを振りかざしたのだ。
静雄の胸にほんの少し埋まったところで、何かを削るような小さな音を立てて止まっていた。
静雄の顔からゆっくりと驚きが薄れていくのを睨みあげる、臨也の顔は真っ赤だった。目はギラギラと底光し、小さな唇はかみしめられ、ナイフを構える腕は込められた力が大きすぎて震えている。
臨也は肩で息をしていた。静雄が手を伸ばして、ナイフをもった臨也の手をそっと握りこむ。
臨也がびく、と大きく震え、ゆっくりと、震えを止めていく。
静雄は迷いに迷って、

「……俺が中学の頃、家の車が事故ってよ。両親が死んだ」
小さく呟いた。
「弟は、生きてる。ずっと目をさまさねぇんだ。医者はもう、二度とさまさねぇって言ってるけどそんなのわかんねぇだろ」
「………」
「生かすために、金が要る」

臨也が、ナイフをはらう。静雄は逆らわず、臨也の手を離した。
臨也はしばらく沈黙していたけれど、だらりとたれた手からナイフをおとした。
布団の上に落ちたそれを、横目で見て「あいつに使うつもりで買ったんだ。むかし」小さな声でぽつりとつぶやいた。

ふと、臨也は静雄をとった母親にではなく、母親をとった静雄を憎んでいるのではないかと思った。もしくは、臨也がそうだと思っている、複数の男に。いくら謗ろうとも、母親を求めているのかもしれない。だってまだ十二歳だ。
静雄は臨也がとても哀れになった。静雄が両親を亡くしたのは、臨也と同じくらいだった。もしかしたら、自分は今日、あの母親のいいなりになることで臨也の親を殺したのかもしれないと思った。誰でもない、静雄が母親の相手なのだと思うことによって。
静雄はあの芝居のことを口にしようかと思った。けれど、それを躊躇わせる。しょっちゅうキレては暴力をふるうボディーガードを、気前よく雇ってくれる金持ちは少ない。幽の存在が、静雄の唇を縫い付けた。
しばらくして、臨也が顔を上げる。

「シズちゃん」

静雄を見上げた顔に、笑顔と見て取れるものはひとつもなかった。憤然としていて、悔しがっている。
「シズちゃんは、俺のものじゃないんだね。あの女のものでもない。……弟のなんだ」
「臨也、」
「そんなものいらない」

俺のものじゃないシズちゃんなんて、いらない。

静雄はなにも言えなかった。
そしてその日から、静雄は臨也の子守の任を解かれたのだった。



top/next




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -