【染まる】


空が燃えている。
ごうごうと、燃え盛る赤色が空を染め、雲を焼いていた。照り返した緋色が窓やカーテン、教室までもを赤く染めている。
それは平和島静雄も例外ではない。
金色の髪が銅金色にそまっている。机に突っ伏した顔が、濃い影にうまく隠れていて、ここからでは見えない。
臨也は廊下を隔てた窓のそばにたち、教室の中を見つめていた。あたりには誰もいない。逢魔ヶ刻を迎えた校舎は、人気がない。生徒をのみこんでしまったようだ。
どこからか合唱部の歌がながれてくる。
飲み込まれたのは生徒ではなく、自分のほうかもしれない。現にこうして、一歩も動けずに棒切れのように突っ立ったっているのだから。
「臨也」
ふいに声がして、臨也は顔を上げた。
濃い影とオレンジ色を流し込んだ廊下。その先に門田が立っていた。
斜め掛けのバックをひっかけている。下校するところなのだろう。
「何してんだ、そんなところにつったって」
「別に」
臨也はゆっくりと腕を組んで、壁にもたれた。
「なんでもないよ」
「なんでもないってお前、結構前からそこに立ってなかったか?」
「…どっかからみてたの」
門田の口調が断定的だったので、臨也は慎重に聞いた。門田は臨也の窺うような目に戸惑った顔をして、向かいの校舎を指差した。
「美術室からちらっとみえたんだよ」
「美術室?」
「ダチの課題が終わらなくてな」
「またお人よしやってきたんだ?」
臨也は口をゆがめた。門田が肩をすくめて、視線を走らせる。教室の中の静雄を見つけて、ぎょっとした顔をした。
「しずお?」
寝ているのを見て取って、声がささやき声までトーンダウンした。臨也は腕を組んだまま、静雄に視線をやった。
「そうだよ」
「そうだよって、お前…」
門田が何か言いたげに顔をゆがませた。臨也は肩をすくめた。
「たまたま行き逢ったらさ、シズちゃんが寝てるんだもん。びっくりしちゃった。こんなに近くによっても目を覚まさないなんてさ」
「それでずっとこうしてるってわけか?」
「どう動いたら起きるかわからないからねえ。めったにない機会だから味わっておこうかと思って。あとでからかいのネタになるかもしれないし」
「………」
顔を上げると、門田と目が合う。「それで?」その目が呆れていた。
「こーんな穴あくほどみてたって、シズちゃんは気づきもしないでのんきに寝ている。滑稽だろ?」
「お前な…」
「眠れるチンパンジーの鼻先でバナナを振ってる気分だよ」
臨也は教室に目を走らせると、ゆっくりと目を細めた。
空の色が目に染みた。橙色と黒だけの世界は、化け物をも染め上げて世界の一部に抱き込んでいた。
小さい舌打ちが漏れる。門田が、そっと身じろいだ。一歩近づく気配がする。
気づいて、我に返る。
臨也は壁から背を離した。
「臨也」
門田に背を向けて歩き出しながら、臨也は後ろ手にひらひらと手を振った。
「君も早く帰ることを勧めるよ。最終下校時刻はとうに過ぎてる」

***

燃え尽きた空が徐々に端から焦げていく。
平和島静雄の金髪はゆっくりと橙色から金色に色をおとしていく。地毛のまつ毛も頬の産毛すら橙色に染まるのは、もともとの色が薄いからだ。呼吸をするたびにゆっくり上下する肩と、頭を伸せた手は、大型の肉食獣が前足を重ねて眠っているように見える。
そのくせ、眉間にしわもなく、あの鋭い眼光がなければ、寝顔は意外なくらいあどけない。
門田は静雄の隣の席に腰を落ち着けていた。机に置いた鞄の上に頬杖をついて、静雄の寝顔をみつめている。一向に目覚める様子はない。
みるみるうちに陰る空が、空気すらも冷やしたようだった。初夏とはいえ、日が落ちて風が出ればわずかに寒い。
その前に起こしてやるべきか、門田はほんの少し悩んだ。しかしその前に、静雄のまつ毛がわずかに震え、そっと目が開いた。
「お、起きたか」
静雄は寝ぼけ眼をしばたいた。
「かどた?」
門田は無言で手を上げてみせる。静雄はしばらく目をしばたいていたけれど、ふと鼻の頭にしわをよせ、何か嫌そうな顔をした。
「どうした?」
「……いや」
静雄は犬がするみたいに首を振った。
「なんでもねぇ」
少し鼻声だ。
「…そうか」
寒いのだろうか。そういえば少し冷えてきたなと、門田は静雄をみていた。静雄は寝起きが弱いのか、まだ半分眠ったような顔をしている。
「眠そうだな」
「…五限目から記憶ねぇ」
それは、五限目からぶっ通しで放っておかれたということだろうか。
「体調わるいのか?」
静雄はこくんと頷いた。
「鼻かぜだと思う」
門田はちょっとだけ沈黙した。
静雄は緊張も警戒もない様子で、長い手足は普段の数倍だらりとしていた。首の裏をかく指まで動きがのろい。眠そうな目がしばたき、次第に目がはっきりしてくる。
――たった五分だ。それだけで門田は静雄のことをそれだけ知った。けれど遠くから、穴が開くほど見つめていたってわかりえないことだ。
産毛のひかり方も、目の目覚め方も、髪が光をどんなふうにはじくかも。
門田はそのことに優越感を見出したわけではなかった。ただ、それを臨也にいうと、あの目がぞっとする光を帯びる気がしただけだ。
ふと、静雄が顔を上げた。
すんすん、と鼻を鳴らすのに、門田は首をかしげる。静雄は、今度は振り返らなかった。
窓のほうに顔を向けて、低いうなり声を上げた。
「あのやろう…」
ぴく、と門田の耳がそばだった。
「あんなところに」
門田が首を伸ばしてみると、校庭は見事に半分が陰に、半分が赤紅に染まっている。かろうじて影のかからない校門のところに、小さな影がある。臨也だ。門田にはそうと判別できないけれど、静雄の様子を見ていれば一目瞭然だった。
「道理で臭いがすると思ったぜ」
静雄がうめくようにそういうのと、その影が肩越しに振り返るのが同時だった。ぶわ、と静雄の背中が二倍に膨らんだように感じた。首の裏の産毛が逆立っている。
その瞬間に、校門は大きな影に飲み込まれて、見えなくなる。教室も夜に沈みつつある。静雄が不機嫌なまま、小さく舌を打った。
「よくわかるもんだ」
門田が呆れて言うと、静雄は少しばつが悪そうな顔をした。
「…臭いがしやがんだよ」
振り返った顔に、ふと不愉快な色がよぎる。
「さっき、目が覚めたときもちょっとだけしたと思ったんだが…まさか近くにいやがったのかアイツ」
とても、お前の寝姿をながめていたとは言えない空気だ。門田は懸命にも口をつぐんだ。
少し、あきれてもいた。
静雄は不機嫌そうに鼻を鳴らして、臨也が去ったであろう校門のほうをにらんでいる。
もう何の手出しもしてこない人間に、よくもまあそこまで警戒できるものだと思う。あんなに見つめられていたのに、気づきもしなかったくせに。
門田はため息をついて立ち上がると、静雄のそばに寄った。気づいた静雄が、戸惑ったように門田を見上げた。普段は見降ろされてばかりの静雄が、不思議そうに見上げてくる。門田は手を伸ばして静雄の髪に触れた。
ぴり、と静雄の肩が緊張する。

(なるほど、このあたりが俺のパーソナルスペースなのか)

門田はすぐに手をひっこめて、「寝癖ついてるぞ」といった。静雄はびっくりした様子で門田を見上げていたけれど、すぐにばつが悪そうな顔で髪の毛を撫でつけた。
「そんな跳ねてんのか」
「腕が当たってたとこがな」
静雄は髪の毛を引っ張ったりつまんでみたりしている。
それを眺めながら、今のが臨也ならどうだっただろうと考えてみた。
考えるまでもない。問答無用で殴り飛ばされている。何よりまず、その周辺によることさえ許されないだろう。
けれど門田は、それに優越感を覚えることなどない。
静雄は、臭いさえ届けば臨也がどの距離にいようとも、変わらず同じだけ警戒するし、同じだけ拒絶するだろう。
つまり臨也に対してだけ、パーソナルスペースはないのと同じだった。どこにいたって知覚するし、同じだけ拒絶する。喧嘩中、吐息を通わせるほど近くにいたこともある。あのときの静雄は緊張なんてしなかったからだ。それはそっくり同じことを、臨也にだっていえる気がした。
お互いがお互いに、同じ分だけ反応する。
門田はそれを、可哀そうだとも、ましてやうらやましいとも思わない。
唯一絶対、そんな関係は決して穏やかではない。門田は同じ労力と時間を使うなら、なるべく相手は穏やかにやさしく、大事にしてやれるのがいい。同じ相手から返されるなら、穏やかで優しいものがいい。
この二人のように、癒着するほどくっついては弾かれて離れる、そんなせわしないのは御免だった。
けれど。
「…かどた?」
じっと見降ろす門田に気づいて、静雄が首をかしげる。門田は小さく笑った。
許された近さで、臨也には見えないものをみて、教えてやった。

「静雄、口のはし、涎のあとがのこってるぞ」




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