――まあ結局、俺も若かったってことだよね。

と臨也はぼんやり思った。
静雄はどれほど手をつくそうとも、臨也のものにはならなかった。
意に沿わないことには決して、曲がらず、挫けず、折れない。
それが平和島静雄が平和島静雄たる所以だ。
結局、高校の3年を費やしてもなお、静雄に自分の存在を深く根付かせるまでに至らなかった。
静雄のなかでの絶対的な【天敵】の地位を根付かせたのは、その後の出来事だ。射すくめる視線と、問答無用の暴力の発現。
そのための代償は大きく、臨也は根城を新宿へと移すことにしたのだ。

ポケットの中で携帯が震えて、顔を上げた。
目の前に車がとまり、臨也は意識を切り替える。車は何の変哲もない紺の普通乗用車である。
臨也の口元に素早く笑みが浮かぶ。

「やあ、すいませんね。お手数をおかけしまして」

車の後部座席に滑るように乗り込むと、臨也は隣に座る男に声をかけた。
男は大したことはないというように臨也と同じ種類の笑みを浮かべた。
運転しているのは男の部下だろう、まだ若さの残る横顔が、臨也を観察するたびに少しだけこわばっている。
その業界の人間らしく、身なりには気を使っている。取引相手の男も運転手も、体にあったきちんとしたスーツを着ていた。
「昨日は連絡がつかずに焦りました」
「失礼しました。すこし、立て込んでいたものでね」
仕事柄人の表情をみるのがクセなのだろう。臨也は何度か男に事務所にこないかと誘われた事を思い出した。
「それで、ご入用の情報の件ですが」
臨也は営業スマイルを浮かべたまま、コートのポケットから取り出したひとつのメモリを男の前にちらつかせた。
「この中に入っています。例の組織との関係を示すメールのやりとりのデーターです」
男の顔に、緊張とは別の期待が浮かび上がる。
その反吐が出そうな醜い顔を見ながら、臨也は小首を傾げた。
「ええ、携帯のアドレスも識別IDも間違いなく本人のものですよ」
臨也は口元をほころばせた。
少女のように柔らかそうな唇は、こうつむぐ。

――聖辺ルリのね。

窓のそとでは雨が叩きつけるような激しさを増している。
中天をさすはずの太陽は姿を見せず、街は薄闇にみちていた。



***



無事に取引を終えた臨也は、降ろされた六本木の駅の地下道を歩いていた。
すぐ後ろに人の集まる飲食エリアがあるのに、ほのかに緑いろの照明をあびて、通路はいよいよ不気味である。
足音は一つ分、――とくに尾行はないらしい。
確認すると、臨也はエレベーターで地上まで上がり、またタクシーを拾う。注意深くバックミラーを見ていたけれど、やはり追跡する車はなかった。
「いいのかなぁ…そんなので。まあこっちは楽だけど」
臨也は、携帯を開いていくつかの掲示板を確認した。
そこでちらほらと見かける噂話に、口元をゆがめた。
社運をかけている、というあの男の話は嘘ではない。漏洩にみせかけた情報の意図的な開示は、噂話として真実味を帯びて人々の間をめぐりはじめている。

そのときもう一つの携帯が震え、メールの受信を知らせる。ポケットから取り出し、メールの内容を確認した臨也は、満足そうに息をついた。

「なにかいいことでもあったんですか?お客さん」

声をかけられて、臨也は顔を上げた。
タクシーの運転手が、善良そうな笑顔でこちらをみている。
「いやね、なにか嬉しそうに笑っておられたから」
「嬉しそう、でしたか?」
臨也はすこし本気で驚いたのだけれど、さすがと言うべきか否か、表情は苦笑のそれである。
「みられてたなんて、恥ずかしいな」
臨也はいう。

「でも、全然大したことじゃないんです。ちょっと、意中の人からのメールで、――今からあいたいって」

笑顔はさながら好青年のそれだ。
運転手はわかいっていいねぇ、とオヤジ臭い発言をして好奇心に口を開いたが、それよりも先に目的地に着くのが速かった。
臨也は聳え立つビルを窓越しに見上げた。
窓ガラスを叩く雨脚はこちらではすこし弱いらしい。
雨の激しさで、ビルの上のほうは霞が買っていてよく見えない。臨也はポケットから財布を取り出して支払いを済ませる。

「しかし、お兄さんの意中の方っていうのは、また随分高嶺の花なんですなあ」

後部座席のドアを開く直前に、運転手がいう。
その目は、臨也の後ろにそびえるビル、――マンションに注がれている。
黒い大理石で出来たような洗練されたフォルムの建物である。漏れ出る玄関の明かりが、みるからに高級なマンションであることをしめしていた。
臨也は苦笑しながら言う。
「そうなんですよ。だから中々、つれなくて」
「男は押しですよ、がんばって」
無責任な応援を残して、タクシーは走り出す。
臨也はエントランスに駆け込むと、濡れた髪をかきあげて、玄関のドアロックのキーを押す。すると備え付けのスピーカーから擦れた電子音がしたかとおもうと、――目の前の液晶に人の顔があらわれた。

「やあ、こんにちは。直接会うのは初めましてかな?」

その人物は眉毛一つ動かすことなく、じいっと臨也をみつめている。臨也は液晶に向かって微笑んで、手を振って見せた。

「折原臨也です。――あけてもらえるかな、幽くん」

液晶にうつった白く細い顔は、暫く臨也をみつめていたけれど、一言も発することなく通信を切られた。臨也の目の前で、ロックが解除され、重たそうなガラスの扉が左右に開いていく。




「どーもー」

黒いアルミ製の扉が開いた先に、平和島幽の白い顔があった。
無言で身を引き迎え入れる幽に、臨也は営業スマイルを浮かべながら、「お邪魔しまーす」と返事をした。
幽の家は内面をあらわしたように、広いのに物が少ない。
必要最低限の家具と、装飾の少ない内装。昼間だと言うのに天気のせいか室内は薄暗く、窓際にあるルームライトだけがオレンジ色の光を放っていた。その様はさきほど通り抜けた六本木の地下道を思い起こさせる。
だが、情報によると洗濯物を室内に干してしまうような一面もあるとのことだった。多分、臨也がくるのでこんな隙のない顔をしているのだろう。
臨也は目を細めてそれらを観察していると、幽はいつの間にとりだしてきたのか、スポーツタオルを差し出してきた。

「どうぞ」
「……うわぁびっくり。きみのお兄さんなら絶対考えられない気遣いだよね、これ」
「部屋をぬらされたら困るからです」

幽の答えに、臨也はなるほどと笑いながら、有難くタオルを拝借した。
「それで」
黒い革張りのソファに腰を落ち着ける。
頭を拭きながら、臨也は幽を見上げた。
「情報屋の折原臨也に何の御用かな?こんなところにまで呼び出したんだ。もちろんそれなりの用件があるんだろ」
「これは」
幽の声に、臨也は口を噤む。

「これは、あなたの仕業ですか?」

幽の手には、最新型の携帯電話がある。その画面に映されていたのは、掲示板だ。さきほど臨也が眺めていたそれである。
臨也は口端を吊り上げて、笑った。
「仕業?面白い言い方をするね。その掲示板で聖辺ルリの麻薬常習、暴力団との関係の疑惑を広めたという意味でなら、もちろん俺じゃない。その掲示板に出入りすらしてない」
幽は静かに「いいえ」といった。
「彼女の疑惑についてだけじゃない。この麻薬騒動すべてが、貴方の仕組んだ事なんですか」
「…まさか」
臨也は足を組んで頬杖をついた。
「俺は情報屋だよ?騒動を起したって何のメリットもない。それにたかが一介の自由業者が、いまや芸能界を牛耳る『ジャックランタン・ジャパン』に喧嘩を売るようなまね、できるわけないだろう?」
たかが一介の自由業者は、そういって国民的アイドルを見上げた。しかし、幽はぴくりとも表情を動かさない。
「…では、この件に関してなにかしっていることは」
「そりゃあもちろん」
「彼女が今回検挙された麻薬組織と、まるで関わりがない。疑惑は全てでっちあげだと、証明できる情報はおもちですか」
臨也はひっそりと笑った。

「あるよ」
「それを売って下さい。金額に糸目はつけません」

言い方はあまりに即物的だった。
幽がではない、相手を――臨也を、その程度のものと貶めるやり方に、臨也はむしろ感心したように言った。
「やっぱり君、お兄さんとは異常性が正反対なんだね」
その口調は、まるで詰るようだ。
「シズちゃんならきっと、はなさねぇと殺す、とかいって無理やり俺から情報を搾り取ろうとするだろうね。その前にまず、騒動の首謀者だと疑った時点で戦闘開始なんだろうけど」
返事のない幽に、臨也は首を傾げる。
幽は青白い頬に無表情だけを宿して暫く黙っていた。やがて、
「それで、おいくら必要ですか。用意するのにも時間が必要なので早く決めていただきたいんですが」
くつ、と臨也の喉が鳴る。
「そう慌てないでほしいね。それに俺はまだ売るなんて一言もいってない」
幽がわずかに顎を引いたのに、臨也はいよいよ口元の笑みを深めた。
「少しは俺のことを聞いてるだろう?俺が情報屋なんて営んでるのは、半分以上が趣味なんだ。クズのような情報を大金で売ることもあるし、国家機密をただでくれてやることもある」
「……」
「基準は単純明快。面白いかどうか。それがすべてだよ」
臨也は歌うようにそういって、微笑みながら首を傾げた。

「さて、ここで君に情報を売ってしまうのは果たして事態をどのように転がしてしまうのか。面白くなるのか、それともつまらなくなるのか、ねえどうおもう?」
「……」

黙り込む幽に、何が面白いのか肩を揺らして、臨也が笑う。
「まあお察しのとおり、答えなんて出てるんだけどね。…君はなかなか興味深い。観察させてもらうよ」
幽は表情をかえなかったが、指先をにぎりこんだ。
立ち上がった臨也は「タオルありがとう」と礼をいい、玄関に向かう。

臨也はまったく囀る鳥だった。
初めから、取引などするつもりはないのだった。
けれど幽の側を通り抜けると、ふと思いついたように足を止める。

「そうそう。これは親切のお礼に教えてあげよう」

幽は横目で、臨也を見た。
「彼女の疑惑について噂を流しているのは、君たちの業界の人間だ」
臨也はひとつ、芸能プロダクションの名前を口にする。
「色々と後ろぐらい会社だったけどね。どうしても成功させたい映画の話があるらしい」
そういえば、聖辺ルリにも映画会社から依頼がきていなかったかい、と臨也は首を傾げる。
幽はそれには答えず、首を振った。
「そんなことで…、もし謂れのない噂を広めたのが彼らだとわかれば、全て棒に振るのも同じでしょう」
「うん。だから彼らはそれを噂や疑惑で終わらせるつもりはないよ」
臨也の赤い目が、楽しそうに歪んだ。幽の背中がこわばる。
「彼らは聖辺ルリと麻薬組織との関係を示す情報を警察に提出する。同時にマスコミ各社にその情報を一斉に送信するはずだ」
「そんな情報があるはずありません。彼女は今回の件に本当に関わりがないのに」
「そうだね」
臨也は小首を傾げて笑った。

「でも、重要なのはそういう情報があること、そしてその情報の信憑性が『本当か嘘かに関らず』高いと言うことだよ」

幽は顎を引いて、臨也をじっとみた。もしかしたら、睨んでいるのかもしれなかった。
「あなたは……」
「君が彼女を救いたければ、俺の持っている情報をどうにかして奪うしかないんだよ。わかるね?」
たのしみだなぁ、と臨也は笑う。

「君は愛する人が謂れのない罪で非難と罵りを受けるのに、どんな顔で俺に向かってくるのかな。お芝居ではなく君の顔が歪むところが見てみたいんだ。君でも泣いたりするのかな?とても楽しみだよ、平和島幽」

その年にしては老いも衰えも感じさせない艶やかな肌と唇が、照明に照らされて淡い光を放つ。

この男はもう何年も前からそうなのだ。
少女のような肌は、老いだけでなく、この世の何者にも決して隙をみせない。
天使のような顔は、妖しくひかる赤い眼のせいで禍々しく見えた。

幽がゆっくりと息を呑んだ。



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