最悪の朝だ。


「おはよう!」
「……はあ、おはようございます」


お手をどうぞ、とでも言うように差し出された手に視線を落とし、もう一度それを相手の顔へ戻す。朝日を浴びてきらきらと輝く笑顔がやたらと眩しい。


「……なんで、」
「え?」
「なんで家知ってんの」
「え、だって独眼竜の家は何回か来たことあるし…」


目と鼻の先だって聞いてたから…と頬を引っかくのは、一昨日まで話したこともメールをしたことも、ましてや目が合ったことすらも一切何もなかったはずの赤の他人。ちょっとしたことから妙に惚れ込まれてしまったらしく、今に至る。

それにしても家まで来るとはな……。思わず遠い目になった。今ばかりは、猿飛佐助と多少なりとも交流のある政宗の従兄妹である自分の境遇を恨む他ない。
げんなりしながら突っ立っていると、家の中からお母さんが「何やってるの? 虫が入ってくるから早く閉めなさい!」と顔を出す。げっと血の気が引いたのも束の間、早くも一番恐れていた事態が起こった。


「あらっやだ弘! 彼氏? 彼氏なの?」
「はァ!? 違っ……ああもうめんどくさいな…! お母さん出てくるとややこしくなるから引っ込んでて! 行ってきま、」
「初めまして、お義母さん! 弘さんにはいつもお世話になっています」
「ちょっと!アンタの母さんじゃない!お世話もしてない!」


これ以上お母さんが余計な誤解をする前に…!と慌てて猿飛佐助の首根っこを掴み、バタン!と騒々しくドアを閉めた。ご近所の皆さま朝からすみませんんん…!

将来は俺のお義母さんになるかもしれないのに…とか何とか図々しくも呟く猿飛佐助は不満げに口を尖らす。お話なんかしなくていいです、あとあと撤回するのめんどくさくなるんだから…!
あとお義母さんってなんだ! 私は認めないからな!


「弘ちゃん?」
「…そもそも迎えなんて頼んだ覚えないんですけど」
「え? 駄目?」
「駄目、ってか……」


きょとん、と無垢な目をこちらに向ける猿飛佐助に居た堪れなくなり、そのままずるずると視線を逸らした。深々と溜め息を落とす。ああ、やりにくい。

当人に、私を困らせようとしているつもりはないんだと思う。少なくともそれはこの二日間「猿飛佐助」という人物を見たことにより感じたことで、私が思っていた以上に彼自身は純粋で素朴な人柄だということも痛いほどに理解した。…ただちょっと、色々とぶっ飛んでいるだけで。
普段は暴走しがちな真田のストッパー代わりとして達観してみせているものの、やっぱり根は普通の男子高生だ。勿論、いちいち一直線で危なっかしい真田から目が離せないのはわかるし、そもそも彼の人柄そのものからして面倒見がいいというのもあるんだろうけれど。


「……ごめん、迷惑だったかな」
「…………」


しゅん、と犬みたいに耳と尻尾が項垂れたのを私は確と見た。見てしまった。途端にばつが悪くなり、噤んだ口をのろのろと開く。
…そう、多分本人は良かれと思ってわざわざ迎えに来てくれたのだ。私だってそれを責めたいわけじゃない。


「…悪気は、ないんでしょう。それくらいはわかるよ」
「……うん」
「嫌なわけじゃないの。でもいきなりこんなことされても戸惑うし、自分の与り知らないうちに自宅の場所を知られてるっていうのは、ちょっと怖い…かな」
「………うん」


一体、何が彼を焦らせているのか。私が知る由はない。
ごめん、と気恥ずかしそうに睫毛を伏せた猿飛佐助に言い様のない不安を覚えながらも、未だに佇む彼の肩を叩く。ほら遅刻するよ、と苦笑を浮かべると彼もそれに答えるように小さく笑った。




・・・




微妙な距離を間に挟んだまま登校した私たちを待っていたのは、それはそれは陰湿な嫌がらせであった。
校内シューズを隠されるのは勿論のこと、教室の机にはマジックによる罵倒の言葉の羅列、中に入れてあった教科書類も全て消え失せ、挙げ句の果てにはご丁寧にもロッカーまで執拗に荒らされている。完璧な犯行だった。

……とは言え、おおよその検討はつく。ばれないように隣の人物を盗み見た。
恐らく、昨日のアレを誰かに見られていたんだろう。途中からとてもじゃないが外部の視線なんか気にしていられなくなってしまったし、知らないところで目撃されていてもおかしくはない。ない、けれど。


「……うわ、」


正直、想像以上だった。カッターか何か鋭利なもので幾重にも渡って傷付けられ、所々ぱくりと裂けてしまっている体育ジャージに触れるは良いが、思わず表情が引き攣る。ここまでするか、普通。

ところが意気消沈して黙りこくった私を一目見た猿飛佐助は、ちょっと待ってて!と一声掛けるや否や何処かへ走り去って行ってしまった。何だアイツ…とそれを見送り、どうにか縫合できやしないかと切り口をしげしげと眺める。
……厳しいな、新しいものを買うしかないか。嘆息したところで、再び彼はダッシュで戻ってきた。

それも、両手に私の校内シューズや教科書を目一杯に抱えて。


「な…に、どうしたのこれ…」
「もう気にしなくて大丈夫だからね!」
「え、いやだから何で…」
「机は空き教室のと取り替えればいいから……あっあとロッカーの中も気にしなくていいよ! 明日までには直ってる筈だから」
「は?」


はいどうぞ! と差し出されたシューズに怖ず怖ずと足を入れつつ、どさどさとロッカーの上へ置かれた教科書に瞠目した。何でこいつが持ってくるの…? 大体これ何処にあったわけ…? ロッカーの中が明日までには戻ってるって何…?
しかし呆然とする私を余所に猿飛佐助は、ボロボロになってしまったジャージを手に取る。原形は留めているのだけど、縦に横に何度も切り付けられたそれは少し痛々しい。その切り口に少し触れたり摘んだりすると彼は、うんと一つ頷き私に向き直った。


「今日体育ないよね?」
「…な、ないけど」
「じゃあちょっと一日貸してよ。明日また持ってくるから」
「は!?」


何で!?と問い質す間もなく、猿飛佐助は自分の鞄からバッと取り出した袋にぱたぱたと軽く纏めたジャージを放り込んでしまう。それから心配するな、とでも言うように手の甲で私の頬を一撫ですると、彼は颯爽と自分の教室へ消えた。
当事者のわりに何が何だかわからない私は、ぽかんと立ち尽くす他ない。


「えらく献身的だな」
「…用意周到すぎて、犯人あいつなんじゃないかって気がしてきた」


一部始終を目撃していたらしい政宗が皮肉を飛ばしたが、朝から訳のわからんことばかりに巻き込まれている私からすれば、何ら大したことのない程度のものだった。




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