近所の小さな神社だが、それでも溢れ返るほどの人々が集まっていた。がやがやとした喧騒の中を、繋がれた右手だけを頼りにすり抜けていく。…それにしても、よくぞこんな人混みをするすると通り抜けられるものだ。びっくりするくらい器用な男だと改めて思わされる。


「…人、すごいね」
「ほーんと。みんな暇だねえ」
「はは……暇って言うか、やっぱり楽しみなんだろうね…っとと、」
「大丈夫? こっちおいで」


人にぶつかってつんのめる私を心配そうに覗き込んだ佐助は、少し空間に余裕のある場所まで誘導してくれた。ちらりとこちらに傾いた彼の腕時計の時間から考えて、まだまだ往来は途絶えそうにない。
時折すれ違う人の中には、プラスチックのパックに収められた焼きそばやお好み焼きを抱えている人も見掛ける。それだけでなくとも漂ってくる香ばしいソースの匂いが鼻孔を擽るのだから、私たちの胃袋もいそいそと物を入れる準備を始めていた。


「一番近場なところで買う?」
「んー……あ、豚玉」
「じゃ、それにしよ」


これだけの人混みだというのに、私たちは特別苦労することなく互いの声を拾えていた。まあ、つまりはそれだけの近距離だということ。とは言え、寧ろ逸れるかもしれないようなこの状況の中では、この上ない安心感を伴った。


「すんませーん、豚玉ひと…つ…」
「おう、ちと待っとくれ! ……って」
「…長曾我部? 何でアンタここに…」


バイトバイト、と剽軽に笑いながら答えたのは、我らが生徒会男子副会長の長曾我部元親その人であった。確かにバイトそのものは校則違反には当たらない。実際に役員の佐助や前田だってアルバイターである。二人してぽかんと彼の頭に巻かれたタオルを見つめれば、長曾我部はそんなにまじまじ見んなよと苦笑を浮かべた。


「にしても、んだよオメーら。俺らが汗だくになって働いてるっつーのに仲良くデートなんざ…、っていってえな! ッテメ、何しやがんだこちとらサンダルなんだよ! 踏むな!」
「下衆が、口を動かす間があれば数を捌かぬか」
「っええええ毛利!? まさかの!?」
「……む、」


こちらに気付いた毛利が、なにゆえ貴様らがここにいるのだ、と無表情に尋ねてくる。…いや、是非ともそのままそっくりお返ししたい。一体何がどうひっくり返ってアンタが鉄板の前に立っているんだ。その額のタオル、笑っちゃうくらい似合ってないぞ(それに比べて長曾我部の似合いっぷりといったら……本職の人みたいだ)。


「これ毛利ん家の家業だからよ、俺ァ家が近ェから毎年手伝ってんだ」
「え、毛利の家って豚玉作ってんの?」
「いや? 定食屋」
「アンタ今"家業"って言わなかったっけ……」


言っていることが全く支離滅裂な長曾我部がカッハッハと笑うのを尻目に、毛利の方へと視線を滑らす。案の定むすっとしたままの彼は、メニューの内に豚玉があるだけのことよ、とぶっきらぼうに呟いた。へえ…毛利って定食屋の跡取り息子なんだ。


「俺ら毎年屋台出してっからよ。確か今年で五年目だったか?」
「へえ……」
「じゃあ中学生の時から?」
「まァな」


ほらよ、と手渡されたパック。どうやらいつの間に焼き上がっていたらしい。お礼を告げてからお金を渡すと、長曾我部がこいつん家の定食屋にも来てやってくれな!と手を振った。…って、何で本人じゃなくて長曾我部が宣伝するんだ。


「…なんか、意外な人物に会ったな」
「まさか毛利が定食屋の息子だとは……」
「あれ? そっち?」


しかしその後、別の屋台で何故か豚玉を焼き捌いていた片倉先生と遭遇し、雰囲気からして断り切れずにまた一パック買う羽目になってしまった。……だけどあの「俺の焼いた豚玉が食えねえってのか、あ゙ァ!?」と言わんばかりのド迫力では、どんな断りの言葉とて無力と化すだろう。ていうか何であの人、あんなに殺気立ちながら屋台なんかやってんの……。
鋭い監視の目を背中に感じながら、すごすごとその場を立ち去る。まあ、最初に一つしか買わなかったから、余計に買わないで済んだんだけど。


「あーあ、なんか豚玉だけで腹いっぱいになりそう」
「まさかこんなところで片倉先生に会うなんてね…」
「……でも弘の初恋って片倉センセなんでしょ?」
「っな、…何処で聞いたのそれ!?」


真田の旦那だけど、と真顔で答えた佐助にサッと血の気が引く。真田から昔の話を聞いた際の、政宗のニヤついた顔を思い出して思わず青ざめた。そうだ、あのあと政宗がバラしたんだ…!絶対そう…!
一番知られたくなかった相手の耳に入っていたことを初めて悟った私は、当然ながら狼狽える。そんな私を冷ややかな目で見下ろすのは佐助。…珍しく立場が逆転していた。


「ふーん……やっぱ本当なんだ」
「っあ、いや違っ、…くは、ないけど……でもだって、小さい頃の話だし、」
「へえ? 俺様は“小さい頃”から一途に弘のことだけ想ってたけど? 弘に気付いてもらうために髪だけは絶対は染めなかったし、弱虫って言われたくないから体鍛えたりしてさ。…なのに当の弘はすーっかり綺麗に忘れちゃってるし? 俺様ってホンッと、報われないよねえ」
「っし、知らな……っあーもうお腹空いた! 早く食べよう!」
「あ…ちょっと、冗談だってば!」


バッと背を向けた私へ、慌てた声と共に引き止めるような手が伸びてくる。やめてよもー自分から逸れようとすんのはさー、と口を尖らせた佐助は、どうやら言うほど私の初恋の件を気にしていないらしい。そっと内心で息をついた。


「けどこんな人混みじゃ、食べ歩きなんかしてたらそのまま人の波に呑まれて逸れそうそうだし…おっと、」
「っわ、ぷ…」


言ったそばから私を見失いかけたらしい佐助。ぐいと強めに腕を引かれて、ぴたりと彼の横に付く。それからまた人混みの間に隙間を見つけたらしい佐助は、臆することなくずいずいと私を引っ張っていった。


「この辺でいいかな、わりとここで食ってる人もいるみたいだし」
「…そうだね」
「……なんか随分と揉みくちゃになってない? 大丈夫?」
「…大丈夫」


甲斐甲斐しく私の髪の毛に指を通して乱れを直してくれる佐助だが、これも大半は彼のせいである。何せ彼は上手いこと人混みをすり抜けていくけれど、後に続く私はそんな術に長けているわけではない。絶えず変わる人の波にぶつかり、ケロッとしている佐助とは違って随分と疲弊してしまっていた。


「ね、あーんしたげる」
「えー…」
「…………」
「……わかりましたお願いします」
「わーい」


普通は逆なんじゃないの、とも思うが面倒なので黙っておく。ここでねだられても厄介だ。大人しく好きにさせておこう…。


「弘が片倉センセを嫌いになる、弘が片倉センセを嫌いになる、弘が片倉センセを嫌いになる……はい、あーん?」
「えっ何それ催眠術?」




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