少しだけ時計の針を気にしながら、テキパキと用意を済ませていく。服は前日から決めていたものに腕を通し、滅多にしない化粧はナチュラルメイク。髪の毛も軽く結わえた。爪の手入れすら昨日の時点で済ませておいてある辺り、我ながら気合いが入り過ぎて気持ち悪い。

でも何もしないことを考えると、やっぱり綺麗に着飾りたい気もするもので。


―――ピンポーン


ちょうど用意が済んだところで、タイミングよくインターホンの電子音が響く。うん、流石。軽い足取りで玄関まで向かい、逸る気持ちを抑えながらドアノブに手をかけた。


「はよー」
「相変わらず時間通りね」
「そお?」


ま、遅れたら勿体ないしねえ、と満足そうに笑う佐助。本当は何十分も前から家の前をうろうろしていたこと、知っているんだとは言ってやらない。


「行こっか」
「ん。――あ、今日のリップ可愛いね、弘に合ってる」
「…そう?ありがと」
「えへへー」


アンタは女子か、と思ったが敢えてそれを飲み込み、素直に御礼を告げる。子供みたいに無邪気に笑った佐助は満足げに頬を染めた。……何だかなあ、かわいいのはどっちなんだか。
それからいつものように、いつの間にか手を繋いでいた佐助。しかし普段より口数も少なく、足取りもどこか重い。そのくせ甘え方はいつも通りか若しくはそれ以上で、妙にちぐはぐな感じがした。


「……ねえ、どうかした?」
「え、何が?」


きょとんと瞬きをして笑った彼は、一見いつもと変わらない様子を装っている。……けどやっぱり、何かが変だ。怪訝な表情で見つめていると、早く行こうよとばかりに佐助がくいと私の掌を引く。急かすようなその態度、ますます怪しい。疑心が確信へと変わった。


「…ねえ、佐助」
「ん、なに」
「……ちょっと失礼」
「え…っわ、」


ぐいと彼の胸倉を引き寄せて、互いの額を合わせてみれば案の定、じわり、と俄かに私より高い体温。…ああ、やっぱり。ゆっくり離しながら睨み上げると、佐助はばつの悪そうな表情で視線を彷徨わせる。この様子だとどうやら自覚はあったようだ。


「え、と……ごめん」
「…はあ、」


とりあえず来て、と。再び玄関のドアを開けて、今度は佐助も一緒に中に入る。あまり力の篭っていない腕を強引に引き、靴を脱ぐように告げた。現状を把握しきれていない佐助が不安げな視線を寄越すが、ほら早く、と急かす。


「あ、あのさ弘…」
「階段上がって」
「う…は、はい…」


問答無用な私の言い方にたじろぐ佐助。繋いだままの手を引いて、半ば引きずるように階段を上った。

先程出たばっかりの自分の部屋。…まさか、こんなに早く戻ってくることになるとは思わなかったけれど。
何となく目を合わせられないまま、借りてきた猫のように大人しくなっている佐助の肩を押して無理矢理に座らせる。ここに連れ込まれた時点で諦め半分だったらしい佐助は、私程度の力でも呆気なくベッドに腰を落としてしまった。ぽかんとこちらを見上げる熱っぽい飴色が、ほんの少し後ろめたい。


「あ、あの…」
「病人と街を歩く趣味はありません。今日はもう、このまま寝ること」
「え」


必要そうなもの持ってくるから、と彼に背を向ける。何かを言いかけた佐助の、声になり切らなかった吐息だけが、それを虚しく追い掛けて来た。




◇ ◇ ◇





体温計と冷えピタ、それから濡らしたタオルを持って再びドアを開ける。私の言った通りにベッドへ横になった佐助は、ぼんやりと天井を仰いでいた。
熱を測ってみれば、やはりそれは平熱を上回る数値を叩き出している。電子体温計は実際の体温より少し高く表示されるらしいけれど、それを差し引いても相当な熱だ。あちこち連れ回す前に気付いてよかった……と内心で胸を撫で下ろす。


「佐助、おでこ出して」
「ん……ありが、と…」
「朝ご飯は食べてきた?」
「…ちょっとだけ、」
「後でお粥持ってきてあげる、そしたら薬飲んで」


すっかり冷えきった冷えピタを、ニキビの一つもない佐助の真っさらな額に貼付けた。余程冷たかったのか、ややあって詰めていたらしい大きな溜め息がそっと落とされる。


「…あの、弘、」
「なに」
「……ごめん」
「………」


果たしてそれは、一体何に対しての謝罪なんだろうか。予定がパァになったことに対してか、私のベッドを使っていることに対してか、それとも看病をしてもらうことに対してか。何れにせよ、謝る要素はあるだろう。

けれどそれよりも何よりも、私が言いたいのは。


「……どうして、無理してまで来たの」


彼の額に張り付いていた前髪を指で払ってやり、枕元に肘をつく。別に怒ってるわけじゃない。どちらかと言えばそれは、「呆れ」に近かった。

しんどかったろう、つらかったろう。一つ連絡を入れてくれさえすれば、看病くらい行ったというのに。それなのに彼は律儀に時間になる前から私の家の付近をうろついて、更に拗らせるような真似なんかして。
そんなの、本当は気付いてたのにのんびり準備なんかしていた私がバカみたいじゃないか。


「…俺ら今年、受験じゃん」
「……ん」
「だから今のうちに、弘との時間、作っときたくて…」
「…………」
「…ごめんね。弘に心配かけるつもりは、なかったんだけど」


ごろりとこちらに寝返りを打った佐助は、観念したように力無く笑った。私の掌を求めて緩慢に伸ばされた指先。握り返したそれは普段よりか幾分、熱が篭っている。…なんで最初に手を繋いだ時、気付かなかったんだろう。いつも繋いでいる手なのに。


「……ばかじゃないの、」
「うん」
「アンタ、ホントばか」
「…ん、知ってる」


俺様、弘馬鹿なんだよ、と。熱のせいかとろりとした目を細めて、また彼は無邪気に笑った。そんな彼の素振りに妙な悔しさが込み上げてきて、思わず眉根を寄せて語勢を荒げる。


「ッ…私だってね!普段は言わないけど、佐助馬鹿なの!アンタが幾ら隠そうとしたって、わかるんだからね!」
「……へへ、ありがと」


へらへら笑ってる場合か、この阿呆。病人じゃなかったらうっかりぶん殴っててもおかしくないところだぞ。
緩みかけた涙腺は見ない振りをして、繋いだ手にぎゅっと力を込めた。


「……佐助が、元気じゃなきゃ意味ないから」
「うん、」
「だから、早く治して」
「……うん」


添い寝サービスは出来ないけど、手を繋ぐくらいはしてあげる。だからしっかり眠って、早く元気になって。
そんな気持ちを込めながら頬を撫でると、安心したようにうとうとと佐助は目を瞑る。すぐに聞こえてきた寝息はひどくあどけなくて、そんな無防備さがほんの少し胸を締め付けた。




紙一重な微熱 彼の場合

(ほんっと、ばかだよねえ…)




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