議案書の作成に思いの外手こずってしまい、昨夜は床に入るのが遅くなってしまった。にも関わらず、普段とそう変わらない睡眠時間を摂った私。当然、佐助が迎えに来てくれる時間までに用意を済ますことができずに今に至る。鳴らされたインターホン越しに「ごめんちょっと待ってて!」と叫んだことはまだ記憶に新しい。
大慌てで鞄を引っつかみ、バタバタと騒々しく玄関へ向かった。佐助がインターホンを鳴らしてから疾うに五分以上は経過している。ああもう、どうせなら中で待っててもらえばよかった…!


「っごめん佐す…け、って何やってんの…」
「おはようねぼすけ姉貴」
「ねぼすけは余計……ってそうじゃなくて、こんなところで何してるのアンタ」
「え?何も」


ローファーにきちんと踵を押し込む前にドアを開け放つ。が、予想と反してそこにあったのは、待たせてしまっていた佐助とこちらに背中を向けて突っ立つ我が愚弟、成実の睨み合う姿だった。
素っ頓狂な私の問い掛けに成実はケロッとした笑顔でこちらに振り向く。……おい何もないわけないだろう、その一言で佐助の表情が歪んだぞ。

へらへらにこにこと私へ愛想を振り撒く成実は、何でも自他共に認める重度のシスコンだとか。…まあ、普段から「俺姉貴第一だから」とか何とか豪語している辺り、そんなような気はしていたけれど。
それはさておき、これは一体どういう状況なのだろうか。成実の肩越しに見える佐助の表情を見れば、何もないなんてことはないことくらいはわかる。けれど今尋ねてみたところで有耶無耶にされるだけ。…また後でこっそり佐助から聞いてみよう。


「……そ、なら良いけど」
「あっところで姉貴、学校行く前に何か俺にすることあるんじゃねーの?」
「は?」


何のこっちゃと顔を顰めていると、身振り手振りをつけながら成実は「ほら!これから一日離れる可愛い弟に!ここにさ!チュッと!」なんてどこか焦ったように自分の頬を指す。それって要するに、行ってきますのキスみたいな……って、アホか。
成実の向こうに立つ佐助の表情が、見る見るうちに曇っていく。挙げ句の果てには隠しきれない殺気の渦。それでも一言も発しないのはやはり成実に何か言われでもしたのか、ひたすらじっと黙りこくってこちらを睨みつけていた。

……あーあもう、本当に仕方のない奴。

自分の頬を指差したままの成実にシッシッと手を振り、あからさまに佐助の方へ視線を外した。依然として物凄い形相で成実の背中を睨みつけている彼の名前を、出来る限り優しい声で呼ぶ。ゆっくりと私へ視線を移す佐助に、思わず苦笑が零れた。


「おいで、」


カモン!と言わんばかりに両手を広げてみせると、佐助はたっぷり五秒掛けてぱちくりと瞬きをした。けれどすぐに意味を解したか、花が開くように表情を綻ばせた彼が、小走りで寄って来るなりふわりと抱きすくめてくる。ぎゅうと背中に回った腕が少し切ない。


「ごめんね待たせて」
「んんん……弘、ちゃん」


するりするりと頬擦り、時折耳にかかる鼻息に肩が震えた。くすぐったい。日の光を緩やかに返す彼の髪に手を伸ばせば、柔らかいそれは引っ掛かることなく私の指に絡まってくる。相変わらず髪質いいなあ…。
二、三度梳いて手を離せば、小さく「もっと」と耳元で聞こえた。…うわ、なんか今の声エロかった。ぶるりと背筋を震わせながらまた髪を撫でつつ、仕返しとばかりにに耳の縁を撫でてやったりする。くすぐったかったのか、ぎゅうと抱きすくめる力が強くなった。可愛いなあ、ホント犬みたい。


「…………オイ、姉貴」
「…ああ、忘れてた」


不意に、成実の不機嫌な声が穏やかな陽気を裂いた。はっとして佐助の腕の中で首を回せば、今度は成実の方ががさっきの佐助のような形相でこちらを睨んでいる。
少しばつが悪く思いながら、佐助に離れるように促す。しかし佐助は頑としてその腕を緩めず、ぎゅうと私の首筋に顔を埋めるばかり。そんな様子が更に成実の神経を逆撫でしたらしく、より一層眉間に皺を寄せた。


「……意味わかんねえ」
「はあ…」
「何で俺じゃないんだよ」
「は?いや寧ろ何でアンタ?」
「今まで俺が、姉貴に変な虫つかねえように苦労してきた意味は一体何だったんだよ!」
「え、な、何それ…」


大体何だそいつ!派手な頭しやがって!とずびしっと音がしそうなくらいの勢いで佐助を指差す成実は、よほど佐助が気に入らないらしい。いや、アンタが気に入らなくたって私の彼氏なんですけど……。


「誰がそんな腑抜けた甘ったれヘタレなんざ彼氏として認めるか!お前じゃ一生姉貴に釣り合わねえ!!」
「…!!」
「ちょ……っこら成実!!」
「せいぜい頑張るこったな!このヘタレ!!」


そうして小学生のような罵倒を佐助へ散々浴びせたかと思うと、成実は逃げるように走り去ってしまった。ちなみに成実は公立高校の私と違い、一駅向こうの私立高校に通う一年坊主である。

過ぎ去った嵐にポカンと立ち尽くす私。はっとして身動き一つしなくなった佐助の顔を強引に剥がして見上げれば、彼は妙に虚ろな表情のまま固まっていた。


「さ、佐助……」
「……弘ちゃん…やっぱり、本当は俺のこと嫌なんでしょ。本当はうざいって思ってるんじゃないの」
「は?」


……余程「ヘタレ」が響いたのだろうか、普段よりネガティブである。よくわからないがこっちの方がよっぽどうざい。

何を言われたんだか知らないが、今にも泣きそうに表情を強張らせてぎりりと唇を噛み締める姿は何とも痛ましい。まったく、可愛いというかいじらしいというか……。
軽く肩を落として、よしよしと佐助の頭をそっと撫でる。一瞬びくんと震えたけれど、後はされるがまま。


「…成実に何て言われたの」
「………言いたくない」
「私がヘタレ嫌いだって?」
「……………言いたく、ないってば」
「ふうん。じゃあ佐助は私の言葉より、成実が言うことの方を信じるんだ」
「っそんなんじゃねえけど…!」


勢いよく首を振りつつ、また佐助は私の首へ顔を埋めようとする。こら逃げるな。ぐいと肩を押してそれを阻止すると、ちょうど視線がかち合った。


「…ヘタレは射程圏外かもしれないけど」
「っ、」
「でも佐助だから」
「……へ」


甘ったれだとかヘタレだとか、そういうの全部纏めて佐助が好きなんだけどなあ…と。今までのことを思って苦笑が漏れた。

しかし当の佐助は、ぼんやりとこちらを凝視したまま。あまりにも微動だにしないので流石に心配になり小首を傾げると、突如彼の目にうるりと涙の膜が張った。……え、嘘!?泣く!?
やばい泣かせた…!と彼の涙に指を伸ばしたが、その手は彼の手によって回収されてしまう。困惑する私を余所に佐助は私の手をぎゅうときつく握りしめ、遂にぼろりと大粒の涙を零した。


「〜〜っ弘ぢゃあああぁぁ…!!」
「あー…はいはい」


……どうやら感極まったらしい佐助は、そのまま涙声と共に全力でしがみついてくる。ああ……何だよもう………。
こちらもホッと肩の力が抜けて、とりあえず首筋をくすぐってくる彼の髪の毛に指を絡ませたのだった。




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