朝、まず学校ではなく駅方面に向かった。
理由は当然、待ち合わせ。


「おはよう」
「…はよ」
「やっぱ、しんどい?」
「んー…流石に」


ここまで体力落ちるとは思わなかったなあ…と苦笑を浮かべるのは、晴れて正式に私の彼氏というポジションに収まった猿飛佐助。…改め、佐助。今までも事実上はそんなようなものだったけど、今日からは名実共に、だ。

待合室の椅子に座り込んでいた佐助の顔色はあまり良いものではない。何せ昨日まで殆ど食事を摂っていなかったようだし、運動不足も深刻だ。胃袋も小さくなっているらしく、実際に昨日私が作った夕飯も殆ど食べないまま彼は箸を置いてしまっている。そして隙あり!とばかりに横から佐助のおかずを掻っ攫っていく真田と、彼らが下宿する道場の持ち主である武田さん。二人が目一杯ご飯を掻き込むその姿を、佐助は心底悔しそうに眺めていた。
その額に滲んだ汗を眺め、しばらくは無理をさせないようにしよう、とこっそり決意する。彼自身も「ちょっとずつ鍛え直す」とは言っていたけれど、やっぱりすぐに体力を戻すことは難しいはずだ。


「まだ時間あるから、ゆっくり行こう」
「うん」


声を掛けるとのろのろ立ち上がる佐助、不意にちょこんと縋るように掌が握られる。不思議に思いながら差し出すと、彼は至極嬉しそうに自らの手を重ねた。……なんだ、繋ぎたかったのか。
くすぐったい気持ちのまま、学校までの道のりをのんびり歩く。こうなることをあらかじめ予測してか、早めに家を出ようというのは昨日のうちに彼が提案していたのだけど、どうやら正解だったかもしれない。ちらほらと見慣れた制服姿が通り掛かるのを尻目に、私たちは私たちのペースで学校へ向かった。


「…うあ、ちょっと、休憩」
「ん」


途中、へこたれた声の佐助に答えて足を止める。道端のガードレールの支柱に腰を預けると緩く目を閉じた彼へ、少しでも楽になるようにと深呼吸を促した。当人曰く貧血みたいなものらしい。少し休めばマシになるようだけど、その表情は見るからに辛そうだ。
何かしてあげられることはないかと考えあぐねつつ、もたれ掛かってくる体を支えてあげながら背中を摩る。と、閉じていた彼の瞼が持ち上がっているのに気が付いた。どうかしたんだろうか、と小首を傾げて覗き込む。目が合うと、佐助はへらっと気の抜けたような顔で笑った。


「……ね、弘ちゃん」
「なに」
「ちょっと」
「? …え、わっ」


そして次の瞬間には引き寄せられて、彼の腕の中へ。その鮮やかな手つきは昨日も身を持って体験したばかりだ。
ぎゅうと肩に押し付けられた顔に、突如として心臓が騒ぎ始める。き、昨日は平気だったくせに…!幾ら弱っているとは言え、やはり相手は男。距離を取ろうと思っても、まるで赤子の手を捻るかのように軽々と押さえ込まれてしまった。体全体で感じる彼の呼吸に眩暈を起こしかけ、思わず目を瞑る。


「っさ、すけ…」
「あー…ちょっと、充電、さして」


舌足らずで、たどたどしい声。いつもならもっとはっきり喋る筈なのに、まるでとっておきの殺し文句でも言うみたいに、甘い。ぶるりと震えた背筋をごまかせたかどうかはわからないが、羞恥で赤く染まってしまった耳までは隠せない。


「…も、これ以上、だめ」
「えー」
「だってこんな…っ道端で…!」


切実な、悲鳴のような声で懇願すれば、ぶちぶちと文句を呟きながらもようやく彼は解放してくれる。…うう、でも駄目だ。抱きしめられた感触が、肩に腕に背中に腰に、まだ全部残ってる。


「弘ちゃんの体温、落ち着くんだ」
「た、たいおん…?」


……体温、ねえ。とくべつ高くも低くもないような、至って普通の体温だけど。つい変な表情で佐助の顔を見るが、彼はくすくすと楽しげに笑うばかり。悠長に私の前髪なんかを梳く手を一瞥して、私とはまるで真逆の態度に肩を竦めた。本当に余裕、っていうか。


「…佐助は、」
「うん?」
「…私が何人目、なの」
「……は?」


ふと、佐助の手が止まる。途端に固くなった彼の表情。飴色が怪訝そうに細められ、何とも言い難い感情を乗せながら私を見つめてくる。それはどちらかと言うと、絶望の色に近い。


「…それ、他に彼女がいるとか、思ってんの」
「や、そうじゃなくて……今までに何人くらい彼女とか、いたのかなって」
「ああ……」


不満げに尖っていた唇が元に戻って、そのまま緩く引き結ばれた。空いた手で1、2…とゆっくり数えていく。ところが三本目をぴこぴこと動かしたきり、彼ははたと頭を傾げた。…多すぎて思い出せないのか、そもそも存在しないのか。まあ前者だろうと高を括ったのだが、最終的に佐助はあっけらかんと口を開いた。


「んー……二人か三人くらいかなあ」
「っえ、うそ」
「嘘じゃないってぇ」


何を期待してたの?と悪戯っぽく笑う佐助にちょっとだけドギマギしながら、アンタのことだから二桁は堅いと思ってた、と憎まれ口を叩いてそっぽを向く。付き合う前、というかちゃんと知り合う前に聞いていた物騒な噂なんかをふと思い出して、ますます肩身が狭い。…じゃあ、あれは嘘?


「だってさ、実際に弘ちゃんと付き合うようになったとき、何の経験もないような男じゃ頼りないっしょ?」
「…なにそれ」
「言っただろー?ガキの頃から好きだったって」


まるで、最初から私と付き合うつもりでいたような言い方。目を白黒させていると、彼はまた綺麗に笑った。その甘ったるい視線に思わず息が詰まり、直視できなくなる。せっかく落ち着いたと思ったのに、また頬から耳から全身が火照っていく感覚。


「…やっと、隣に立てた」


緩く、指同士が絡む。その慈しむような手つきに堪らなくなって、握られていない方の手を口元へ遣った。先程とは打って変わり満足そうに笑う彼から視線を落とす。…恥ずかしい。けど、振り払えない。応えるようにその手を握り返す自分が、ひどく浅ましいものに思えた。


「弘ちゃんは?俺様が初彼氏?」
「…一人、いたかな」
「え」


茶化したような調子で尋ねてきた佐助に、別にごまかすような話でもないので素直に答える。すると予想外の出来事でも起こったみたいに短く悲鳴をあげた彼は、そのまま表情を消して沈黙した。…何、その反応。そりゃあ私にだって彼氏の一人や二人くらい……って、いや。二人もいなかったけど。


「っだ、誰!?何処のどいつ!?」
「中学の後輩だけど……でも言ったところで知らないって」
「調べるから!!」
「調べて何すんの!?」


必死の形相で詰め寄ってくる佐助に危機感を感じて口を割ることはしなかったが、それくらいのことでここまで真剣になる彼がおかしくて少し笑った。当然「笑い事じゃない!」と彼は拗ねるわけだけど。
…そんなこと気にしなくたって私の中の一番は揺るがないのに、ほんと可愛い奴。




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