「………はあ」


机に頬杖を衝きながら、盛大な溜め息を落とす。ここ最近、私は一度もあの夕日色を見掛けていない。一緒に住んでいるらしい真田の話だと、どうやら彼はもう一週間ほど自室に篭りっぱなしようだ。


「(私が原因、だよなあ…)」


思い当たるのはあの、猿飛佐助の自慰を目撃してしまった日のこと。実際あれから彼は学校へ姿を見せておらず、メールも返って来なければ電話も繋がらないという、もう全くの音信不通状態だそうだ。これには彼のクラスメイトや担任も相当心配しているようで、移動教室のときにちらほらと彼の名前を聞く。頼みの綱である真田でさえもうずっと顔すら見ていないのだから、どうしようもないんだとか。


「("最低"、か……)」


じりじりと胸を焦がすのはきっと、ただの罪悪感だけではない。後悔と、それから自己嫌悪。時が経って冷静になった今だからこそ、自分が突き付けた言葉の残酷さに気付く。
思えば、彼は至って真摯だった。私の気を引くためなのか何なのか、何かするたびに私の顔色を窺っていたように思う。いつも一直線に私へぶつかってきて、そうして無邪気に笑っていた。その距離感が恥ずかしくて、でもどこかくすぐったくて。周囲から茶化されるたびに何かとごまかしてきたけれど、彼のそんなところは嫌いじゃなかった。


「……はあ」


もう一度、溜め息。比べるわけではないが、私自身このところ調子が悪い。それもそのはず、何をしていても必ず頭の何処かで猿飛佐助のことを考えているのだ。…例えば、今みたいに。


「……随分と考え込んでるみてェだな」


朗々とした先生の声と、チョークが黒板に打ち付けられる音だけが響く教室。そしてこの静寂の世界を壊すように飛び込んできた声は、隣でニヤニヤと笑っているであろう隻眼の従兄のものだ。
見透かされたことにばつの悪い表情を作りながら、私は頼りない視線をゆっくりと政宗に合わせる。…案の定、ニヤニヤと腹の立つ顔だ。


「…まあ、」
「Huh,…確か一週間だったか?そりゃあ心配だよなァ、溜め息も出るよなァ」
「……何なのアンタ」


ひそひそと憎まれ口の応酬。相変わらず政宗の皮肉はタチが悪い。渋い表情でじとりと見遣ると彼は喉でくつくつと笑う。何が可笑しいんだか。噛み合わない調子に、こっちはこっちで肩を竦めた。


「で、どうすんだよお前は」
「……どうしろっての」


自分のせいで不登校に片足を突っ込んでいるかもしれないような相手に、今さら何を言えるというんだ。思わず苦虫を噛みつぶしたような顔で視線を伏せた私に、今度は政宗が大きく溜め息をつく。


「そりゃあ、な……お前の気持ちがわからない訳でもねェ。詰まるところ、何て言やァいいのかわかんねェんだろ」
「…………」
「…だからお前は、今まで猿に甘え過ぎてたっつーんだよ」
「……何?」


くるり、と政宗がペンを指で回した。青いシャーペンがその手の中で鮮やかに翻る。再びこちらを向いた政宗の表情はいつになく真剣で、私は息を飲まざるを得なかった。


「そんだけ今までアイツに何も伝えてこなかったんだろ。だから言いたいことも言えねェことも、全部取り留めのないままお前の中で燻ってやがる」
「っ…」


図星、かもしれない。否、まさにその通りだった。
私はいつも受け身ばっかりで、猿飛佐助が何かしらモーションを仕掛けてくるのをじっと待っていることしかしなかった。私から何かすれば、それはもう心を許してしまっているような気がして。違う、そんなんじゃない、と何度自分に言い聞かせていただろうか。自分から彼に何かを働き掛けたことなんて、一度でもあった試しはない。

ハッ、と。突如いやに頭が冷えた。もしかして私は、「彼が私を想ってくれている」という事実をずっと利用して過ごしていただけなんじゃ、ないのか。


「お前が一番伝えてェことは何だ。今お前が声を大にして猿に言ってやりてェことは何なんだ。…要はそこだろ」
「……私、は、」


改めて気が付いた自分の身勝手さに、どんどんと血の気が下りていく。言いたいこと、伝えたいこと。それはきっと、探せば探しただけあるんだとは思う。尤もそれは、本人を目前にして話すだけの勇気が私にあれば、という話だけど。


「コラーそこの伊達二人ー、あんまりうるさいと当てちまうぞー」


黒板に向かっていた先生が私と政宗を名指す。潜めていたつもりだったけど、いつの間にか声が大きくなっていたようだ。すんません、と政宗が適当に謝る。私はと言えばフリーズしたまま、漠然とした不安と戦っていた。
――どうしよう、私、本当に最低だ。猿飛佐助に言えた義理じゃない。

放心状態のまま、申し訳程度に板書を写していると、不意に隣から紙屑が放られる。犯人は勿論、政宗。


「(開け)」
「…?」


口パクで伝えられたたったの三文字に困惑しながら、丸められた紙を恐る恐る開く。くしゃくしゃと縮れたノートの切れ端の間から小さな文字が現れて、思わず目を眇めた。走り書きしたような、政宗の汚い字。


―――焦ったってどうしようもねえ、言葉なんざ用意したところでどうせ意味もねえよ。だったら変に取り繕うとしないで、真っさらのままで猿の野郎に会って来い。あいつはお前を待ってる。


「あいつはお前を待ってる」。その最後の一言が妙に鮮明に見えて、脳髄を揺さぶった。…本当に、猿飛佐助は待っているんだろうか。私なんかを。
震える手で、紙の余白に書き込む。「何でそんなことが言い切れるの」と、些か震えた文字。政宗に放って返せば、彼はちらりとそれを一瞥する。頬杖をついたまま荒っぽく何か書き込んで、もう一度私に寄越した。覗き込むと、そこにはさっきよりももっと汚い字で。


―――男は単純だからな、そんなもんさ。


……なんだそりゃ、と思わず肩を落とした。何の根拠もない、ただの勘や傾向。呆然としていると、また新しく紙が放られる。同じように広げると、また汚い走り書き。


―――つべこべ考えず行ってこい、そう毎日ウジウジされてりゃこっちまでテンション下がんだよ。いい加減背筋伸ばせ!あとさっきパンツ見えてたぞ黒のレース。まな板のクセに


バッ!と思わずスカートを押さえた。もう遅いけど。…ぱ、パンツ見えてたぞとか、アンタ小学生か!誰がまな板か!一生紅白帽子被ってろ!……何で言ってくんないのよバカ!変態!
一人で青くなったり赤くなったりしているうちに、間抜けな残響を引きずってチャイムが鳴った。先生がおざなりな挨拶をして教室を出ていったのを横目に、政宗へ振りかぶる。当然それは、簡単に片手で受け止められてしまうわけで。


「あっぶねーな何すんだ」
「何すんだじゃないでしょ何なのアンタ…!人が真剣に悩んでるってのに…!」
「るせーな好きで見た訳じゃねえよお前が見せてきたんだろ」
「見せてない!!」
「でも元気出たろ」
「っ出…てもいない!!」




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