「書き終わったら職員室へ提出しに来い」
「うへぇ……」
「……おい、弘」
「ヒッ…はい!」


放課後。例の反省文をようやく二枚ほど埋めたところだが、敵はまだあと三枚も立ちはだかっている。うんうんと唸りながら机に齧り付いていると、それまで教壇で私の提出を待ち構えていた片倉先生が徐に立ち上がった。どうやら職員会議があるらしい。


「途中で帰ろうなんざ企てやがったら、もう五枚追加するからな」
「しませんよそんな恐れ知らずなこと…」
「いいだろう」


そうして不敵な笑みを残し、片倉先生は教室を後にした。
途端どっと疲れが湧いて来て、椅子の浅いところへ座り背中を背もたれに預ける。ぐでっと脚を伸ばして息をついた。


「(あーもー…面倒くさっ)」


そもそも私が遅刻せざるを得なくなったのは猿飛佐助のせいだと思う。そりゃ確かに最初から時間はギリギリだったかもしれないけど、結局アイツは渡すものだけ渡して自分は先に電車へ乗ってしまったのだ。
死に物狂いで走ってきたのに駅へ着いたのと同時刻に電車が発車したあの絶望感、忘れるものか。

机の横に掛かる、袋に入ったままの体育ジャージ。今日も体育はなかったけれど、置いてくるのも面倒でそのまま持ってきてしまった。
改めて見てみるが余程彼は腕が良いらしく、端から見れば縫合したかどうかなんてわからない。話を聞く限りでは慣れっこのようだったけど、それにしたってどうすればそんな主婦も羨むようなテクニックが身につくのやら。


「(…そういやアイツ、今日はあれきり見てないな)」


朝のあれ以降奴の姿を見掛けていないが、流石に学校へ来ていないことはないと思う。これで学校休んでたりなんかしたらマジでぶん殴るぞアイツ。
また一つ溜め息をついて、再びシャーペンを握った。今のところ三枚目の四行目まで埋まっている。現在時刻は四時半。そろそろ夕方は寒くなるし、あまり帰りは遅くなりたくない。しょうがない、頑張るかあ…。

しかし、もう一度机に向かい始めた私を次に襲ったのは睡魔。眠気の第一波、二波辺りを越えればもう何も怖くないのだけれど、その越えるまでが苦行なのだ。
斯くして私も、段々と朧げになっていく意識とミミズになっていく文字に「あー駄目だ」と思った途端、綺麗に意識を持って行かれてしまった。




・・・




すっと自然に目が覚める。寝ぼけた目の前にでろんと広がる原稿用紙に、本気で状況判断に困った私はとりあえず辺りを見回した。夕暮れ時の教室、校庭から微かに聞こえる運動部の掛け声、そして手元の原稿用紙。ああそうだ、居残りで書かされてたんだっけ。
時計を見上げるが、どうやら一時間も眠っていなかったらしい。だからまだこんなに外も明るいんだ。

原稿用紙へ視線を戻せば、力尽きた最後の方は文章も支離滅裂だし筆圧は申し訳程度だし、文字だってまるで現在は使用されていない古代文字で書かれたような古文書レベルで解読不可能だ。何書いたんだこれ……書けないなら無理して書かなきゃよかったのに、数十分前の自分……。
しかしながら、少し眠ったら頭もリセットされたらしい。沈没する前のミミズ文字部分も含め、何とか続きも書けそうだ。

さあて書くかあ、と腕をぎゅうと伸ばした時だった。


「……ん?」


伸ばしてのっぺらになった肩から、何かがぱさりと床に落ちる。何だ? と拾い上げればそれは誰かのカーディガン。一瞬自分のものなんじゃないかと焦ったが、自分は自分でちゃんと着用している。
え、誰の?かすがとか?でもあの娘は今日部活だし……。


「……!?!!?!?」


危うくガタン、と音をたてかけた。
何気なく視線を移した隣の席には、今まで本気で気付かなかった“者”が、そこに座っていたのだ。


「(な、んで……猿飛、佐助が…)」


ここにいるんだ。

机の上で丸く組んだ腕の中に鼻を埋め、すよすよとあどけない寝息をたてる男は一切目覚める気配がない。私も目が覚めてから結構もぞもぞと動いてたけど、それでも彼は起きなかったようだ。
ああもう…びっくりした。思い出したようにバクバクと激しい拍動を繰り返す心臓の辺りをそっと押さえながら、詰めていた息をようやく吐く。外に聞こえてるんじゃないかと思うほどの鼓動。心底、猿飛佐助が眠っていてよかったと思う。

とりあえず、このカーディガンは丁重にお返しすることにした。彼が起きないように考慮しながら、カーディガンを丸まったワイシャツの背中へそっと掛ける。……何してるんだろう、私。何故か羞恥心が押し寄せてくる。
眠りこけている猿飛佐助から目を逸らし、改めて手元の原稿用紙と睨み合った。シャーペンを握り直して、文字のぐちゃぐちゃになっている部分をちょっとずつ消しながら新しく書き加えていく。この分ならどうにか書き進められそうだ。

カツカツゴシゴシと静かな音が教室に響く。意外にも順調に進み、一気に五枚目にまで漕ぎ着けた。もう文法とか構成とか細かいことは知らん、小論文じゃないんだから別にいいよね。
書き上がった原稿用紙をトントンと揃え時間を確認する。もうすぐ六時だ。職員会議もいい加減終わっている頃だろう。提出しに行こうと、席を立った瞬間だった。


―――ガタン!!

「!?」


思わぬ音が、教室どころか廊下にまで反響した。

どんなドジだよと自分で自分の首を絞めたくなったが、どうやら立ち上がる際に踵を椅子の脚へ引っ掛けてしまったらしい。
やばいやばいやばい…!と青ざめながら猿飛佐助を注視すれば案の定、小さく呻いて身じろぎをする。一度は渋った瞼がゆるりと持ち上がり、まだ眠たそうに目を擦りながら私を見上げた。


「ん……おわった?」
「…っ」


びしりと石像の如く固まる私にお構いなく、猿飛佐助は寝起き故かいつもの三割増しでへにゃへにゃした顔のまま笑う。心臓がぎゅうと軋んだ気がしたが、今は見なかったことにした。


「……何でアンタ、ここに、」
「弘ちゃん待ってた」
「……頼んでない」
「だってそれ、俺のせいみたいなもんでしょ?」


ごめんね、と両の眉尻を下げて笑う猿飛佐助。遅刻の元凶にもなった彼にぶつける筈の言葉は、それこそたくさん用意していたつもりなのに。……そんな顔を見てしまったら、何も言えなくなるじゃないか。ああ、調子が狂う。
ふと彼は、自分の肩に掛けられているものに気が付いたらしい。ちょっと触れて考えて、微かに表情を歪めた。


「……弘ちゃん」
「な、なんでしょう」
「やっぱ好き、大好き」


ピッシャァァァン! と再び衝撃が走った。気がした。
今まで見てきた中で一番無垢な目なんじゃないだろうか、と思ってしまうほど綺麗で純粋なその飴色。見ているこちらの方が苦しくなるような笑顔を浮かべ、薄らと頬を染めながら自分のカーディガンへ大事そうに触れる。

その妙な艶っぽさに、今度こそ心臓がギクリと跳ねた。




紙一重な印象

(……いや、ないないない、違うって)


―――――
111202
修正120624




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