そして翌朝。

やはり迎えにやって来た猿飛佐助は、昨日の袋をはい! とこちらへ突き出した。恐る恐る受け取り中を覗いてみると、何とジャージの傷が一切無くなっている。
一瞬、別のものかと思って名前を確認したが、以前と変わらず少しほつれた糸で「伊達」と私の名字が刺繍されていた。ぽかんと猿飛佐助を見上げるが、奴は相変わらずへらりと笑うだけ。


「……あの、これ」
「一応目立たないように全部縫い合わせといたから。でもジャージだし、体育とかで使ってる内に解れてきちゃうかもしれないんだけど……そしたらまた言ってよ」
「は…えっ!? 縫い…!?」
「真田の旦那もよくジャージ破るんだよ。それに比べたらお安い御用! ってね」


嘘!? 縫った!? 仰天して裏返してみると、確かに表には殆ど見えなかった糸が幾重にも渡って縫い付けられている。ほ、本当に縫ったんだ……。


「…………」
「じゃ、電車間に合わなくなる前に行こっか」
「っあ……あの、」
「ん? なーに?」


何事もなかったようにその場を離れようとする猿飛佐助へ、かなりぎこちなくではあるが声を掛ける。無邪気に振り返る男を直視することはできなかったが、本人は特別気にしてはいないようだった。


「……ありが、とう…」
「!」


視線の落ち着く場所が見当たらず、つい俯いたまま礼を告げた。昨日言い損ねた分と、今日のジャージの分である。
しかしそれから先、口にしようとした言葉は喉につかえてしまった。

どうしてここまでしてくれるの、なんて尋ねるだけ無駄だ。数日前のことを忘れてなどいない。忘れるわけもない。
「待ってるから」なんて言いつつも猿飛佐助はどこか焦っているような気すらするし、かと言って私の方は焦ったところで彼に合わせた答えを出せるとは思えない。

ねえ、私たち、お互いのこと何も知らないんだよ。それなのに、どうして貴方はそんなに真っ直ぐな目で私のことが「好き」だなんて言えるの。
そう素直に問えたらどんなに楽だろう。気恥ずかしくなって、ぎゅ、とジャージの袋を抱きしめた。


「……う、ぁ…えと…っ」
「…?」
「ど、…っどどどどう致しまして!!」


不意に、相手が何かもごもご呟いたような気がしてふと視線を上げれば、猿飛佐助は慌てた様子のままバッと手で顔を覆う。むちゃくちゃに吃った返事の後、オリンピックの短距離世界記録保持者もびっくりする勢いで我が家の敷地を飛び出し、脇目も振らず駅の方へと駆けて行ってしまった。
残された私はと言えば、ジャージを抱えてぼんやり突っ立つ他なかった。




・・・




「それで今日遅刻したのか?」
「そう…」


校舎の上、晴天の下。いつものようにかすがと屋上で弁当を広げる昼休み。げっそりとした調子で卵焼きを啣える私に、かすがは苦笑でもって答えた。

結局あれから置き去りにされた私は電車を一本乗り逃し、体育ジャージという予定外の荷物を抱えながらヒイヒイで登校した。しかし運悪く――本当に運悪く、私が乗った電車はギリギリで本鈴に間に合わない電車だったのである。
フラフラで学校へ辿り着いた私を迎えたのは虚しく鳴り響く本鈴と、びしりと着こなしたスーツに「生活指導」と墨で書かれた白い腕章を留め、正門に仁王立ちでどっしりと構える片倉先生。一瞬で理由無しの遅刻と見做された私は遅刻ペナルティとして反省文を余儀なくされ、その場で四百字詰めの原稿用紙を五枚も手渡されたのだった。


「最悪……反省文なんて何書きゃいいの」
「佐助に書かせたらどうだ、お前のためなら喜んで取り掛かるんじゃないのか」
「…かすが楽しんでるでしょう」


じとりと睨めばかすがは「すまない」と苦笑を浮かべる。ちくしょう、他人事だと思って…!
……そりゃあ、何とも間抜けで理由とも呼べないような理由だ。そんなことは自分が一番よくわかっている。どうにもやる瀬なくなり、長く溜め息をついた。


「そういえばロッカーはどうだったんだ、荒らされてたんだろう」
「あー、うん。それがさ、本当に元通りっていうか……問題なく使えるくらいには直ってたんだよね」


猿飛佐助に「気にしなくていいよ」と言われたあのロッカーは、多少中に入れていたものの場所は変わっていたにしても、ひっくり返されていた物がちゃんと仕舞い直されていた。つまり一晩にして元通り。
中の仕切だってベコベコのボコボコにされていたのに元通り……というか、新品である。今見ても、とても前日荒らされていたようには思えない。


「誰がやってくれたんだろう……校用技師の人にでもお願いしたのかな、アイツ」
「……さあな」
「? …まあ、結局何事もなかった状態に戻ってる訳だから良いんだけどね」


心なしか、かすがの顔色が一瞬悪くなったような気がしたのだが、敢えて触れないことにした。具合が悪いとしたらちゃんと言う筈だしな…どうしたんだろ。
彼女の様子を見守りつつ、さっき購買で買った野菜ジュースにストローを差しながらふと今日のことを思い出す。そうだ、一番報告しなきゃいけないことがあった。


「あと今日、いきなり知らない女の子に会釈された」
「……はァ?」
「それも一回じゃなくて複数回。それまで普通に歩いてたのに、私と擦れ違うってところで急に居住まい整えて、こんにちは! って」
「…それは、また……」
「なんていうか、こう……伊達の本家行った時みたいなんだよね、雰囲気が」


“伊達の本家”というのは無論、政宗の家である。跡取りの従妹となると、必然的にあちらでの扱いは手厚くなる訳で。幾らこっちが止めてくれと言っても擦れ違う人達は皆、へこへこと頭を下げていくのだ。それもバッと勢いよく体を九十度に曲げて。


「でも本当に一回も話したことないような娘たちなんだよね……何でだろ。よく集団で廊下を闊歩してるような、ちょっと派手な人達なんだけど」
「…………」
「……かすが?」


不意に黙ったかすがの目線が、ずるずると手元の弁当に注がれる(私もいつも意識してはいるけれど、かすがの弁当はそれ以上に色合いが綺麗だ)。彼女はううんと小さく唸り、大きく息を一つだけ吐いて片手を頭に添えた。
…………頭痛?


「…まあ、知らない方が幸せか」
「へ?」
「いや、何でもない」
「……???」


それから始終、かすがの顔色は悪かった。




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