「政宗様!!」


数年振りの屋台泣かせっぷりは健在で、下らない言い掛かりをつけては勝負に明け暮れていると、少し遠くから罵声にも聞こえるような、しかし確実に聞いたことのある声を耳が捉えた。途端、二人で竦み上がる。やばい、この声を聞いていい思いをしたことなんか一度もない。
金魚を掬う手を止めて恐る恐る振り返れば、如何とも形容し難い怒気――否、殺気を立ち上らせながらずんずんとこちらへ向かってくる影が一つ。その形相のあまりの恐ろしさに、道行く人々が一様に道を開けていく。まるでVIPの如く優遇された“彼”の登場に、私と政宗の頬を決して暑さのせいだけではない汗が滑り落ちた。


「へ、…Hey…小十ろ、」
「また貴方は余所の屋台に迷惑をかけていらっしゃったのか…! 以前も申し上げた筈でしょう、無闇に屋台を潰すことの無きようにと!」
「あ、あの、片倉先せ、」
「テメェもだ弘!!」
「ッはいィィ!」


どうやらあの豚玉は全て、無理矢理に売り切ったらしい。片倉先生の額に浮かぶ太い青筋が、言いようのない彼の怒りを表している。この分じゃきっと、家に帰っても病人の鬼庭さんに容赦なく殺気を浴びせるんだろうな……。
そんな片倉先生の後ろで、右手に綿飴を持っておろおろと先生を見上げるいつきちゃんの姿が見え隠れした。あれ、いつの間に……ていうか佐助は?


「いつきの面倒を見るようにと彼女の親御から言われていた筈です、それを投げ出して自分だけ娯楽とは何事ですか!」
「わ…わかった、わかった。少し落ち着け、小十郎」
「これが落ち着いていられますか! 猿飛がいたからいいものを、万が一いつきを一人にしてしまった場合にはどうなっていたか……いつきの両親に顔向けが出来ませぬぞ!」
「せ、先生…その佐助は今…」
「テメェは黙ってろ弘!!」
「ッはいィィ!」


理不尽だ。理不尽すぎる。しかし完全に怒り心頭である片倉先生に、もはや何の弁解も通じない。少しばかりうんざりした表情の政宗が、All right!と半ば自棄といった様子で両手を顔の前に出した。


「わかったよ、元と言えば弘に余計なこと言った俺が悪かった。…猿の野郎にも子守させちまったようだしな」
「……アンタ、余計なこと言った自覚あったの」
「いつものこったろうが」


掬った金魚を泳がせていた皿を店のおじさんに返した政宗は、いつき、と片倉先生の後ろに見え隠れする三つ編みを呼んだ。片倉先生の逆鱗を目の当たりにして震え上がるいつきちゃんが、恐る恐る政宗の方を振り返る。


「…Ah〜…お前、何かまだ回りたい屋台とか、あんのか」


言いづらそうに視線をうろうろと泳がせながら、政宗はいつきちゃんに尋ねる。その様子に一度は目をぱちくりと瞬きしたものの、いつきちゃんは小さく笑って手に持った綿飴を目線の高さに持ち上げた。


「……まだ兄ちゃんから、わたあめ買って貰ってないべ」
「Ah? …お前もうあるじゃねえか」
「青い兄ちゃんからはまだ買って貰ってねえだ」
「……んじゃ、行くか」


通りすがり様にいつきちゃんの頭を撫でた政宗。またぽかんと瞬きしたいつきちゃんは嬉しそうにはにかむと、通り過ぎていく政宗の背中に突進していく。痛ェ!だの何だのと言いつつも遠ざかって行く二人の後ろ姿に、兄妹みたいだなあなんて在り来りな感想を抱いた。


「全く……本当に、いつまで経っても子供のようなお方だ」
「…片倉先生はこの後どうされるんですか?」
「いつきは政宗様が送って行かれるだろうからな、俺は先に帰らせていただく」


少し過保護が過ぎる片倉先生のことだから二人を追い掛けるものだと思っていたけれど、どうやら違うらしい。まあ確かに政宗だって高校生活も三年目、お守りがいなきゃ帰れないなんてこともないだろう。


「じゃあ先生、お気を付けて」
「ああ。……お前も、あまり遅くなるなよ」
「はい」


颯爽と歩き去る片倉先生に、少しだけ頭を下げた。そうして政宗達とは反対の方向へと向かう先生の背中を見送って、今自分が一人だということを思い出す。


「…おじさん、これお返しします」
「何だ、持って行かないのかい?」
「そんなにいっぱい、きっと飼えないから」


それでも持って帰れ、と小さなビニール袋に小さな金魚を二匹だけ入れると、おじさんは笑顔でそれを手渡してくる。何となくそれを無下にする気にもならなくて、曖昧な礼をして受け取った。

ぼんやりと歩きながら、あの目の覚めるような橙を探す。佐助、怒ってるかな。せっかく一緒に来たのに放り出してしまったんだから、やっぱり機嫌を損ねてしまったかもしれない。
ふと足を止めると、さっきまであんなに輝いて見えたお祭りの風景が、突如として味気のない色に姿を変える。私の存在を尻目に、楽しげに通り過ぎていく人々が急に妬ましく見えてしまい、慌てて視線を伏せて歩き出した。……どうかしてる。内心で己を叱咤した。

そんな折、不意に後ろからガッと無作法に腕を掴まれる。その荒っぽさに背筋がひやりと凍りついた。しかし予想とは裏腹に、腕を掴んでいたのは探していた張本人。


「ったく…やっと見つけた!」
「…っさ、佐助……」


必死の形相が、心底安心したように緩んでいく。人気のない露店の裏手までそのまま腕を引っ張られ、一度は力任せに抱きしめられた。びっくりしたまま固まっていると、苛立ったような素振りで今度は引き離される。


「何で一人で歩いてるんだよ……びっくりした」
「あ…ご、ごめ、」
「…あーあ、弘はどっか行っちゃうし、急遽子守する羽目になるし。いつきちゃんと二人でふて腐れてたら片倉センセにいつきちゃん連れてかれるしさ……もう良いことなし」
「……ごめん、なさい」


佐助にしては珍しく文句たらたらだ。より申し訳なくなって、少し俯きながら素直に謝る。そっと私の前髪梳く佐助の指先は優しいけれど、今彼が何を考えているのかはわからない。


「はあ……まあね、寂しかったけど」
「……?」
「弘も寂しかったみたいだし? まあいっかなあって」
「…へ、」


ねえ?と意地悪く頭を傾げて微笑んだ佐助に、途端にぴしりと全身が固まる。……寂しい。そっか、私は寂しかったんだ。
あれ、金魚?と私の手元を覗き込んでくる佐助をぼんやりと眺めて、視界で揺れた橙に思わず手を伸ばした。私の手に気付いた佐助がこちらへ視線を寄越す前に、そのまま彼の首の後ろへ腕を回す。


「ひ、弘…? あの、」
「……うん」
「え?」
「…うん。寂しかった、かも」


わたわたと慌てながらも、抱き着いた私へ答えるように腕を回す佐助。くぐもった賑やかさに耳を傾けながら、微かに汗ばんだ髪に頬擦りをする。……すごく、探してくれたんだろうな。


「ごめんね、勝手に離れて」
「……ホントだよ」


すっげえ心配した、と言ってもう一度私の肩に鼻面を押し付けた佐助は、存在を確かめるかのようにぎゅっと腕に力を込める。耳を掠めた彼の髪の毛がくすぐったい。


「ま、でも……子守も悪くないかな、ってね」
「? どうして?」
「へへ、ないしょー」


無邪気に笑った佐助は、先程と打って変わって楽しそう。釣られて笑った私は手始めに、じゃあ私もわたあめが欲しいな、とねだってみた。




続・紙一重な真夏

(夏の夜は、まだ冷めない)


―――――
120309




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