けっきょく昨日はあれからあまり会話はなく、ぼんやりしたまま会計を済ませた。送ってあげられなくてごめん、と何故か謝る猿飛佐助に平気だからと告げて、私はそのまま店を出た。

けど、正直びっくりした。いきなりあんな強引に手を引かれたこともそうだし、初対面でああやって一緒にお茶をするなんてことも思いもしなかった。そもそもどうして名前なんか知ってたんだろう。
……本当はもっと問い詰めるつもりだったのに、急にあんな大人しくなるからこちらも調子が狂ってしまった。碌に言葉も出てこず、曖昧に時間を潰すだけに留まってしまったのである。


「(…でも、思ってたより悪い人じゃないのかも)」


ローファーから校内シューズに履き代えながら、ふと思った。

噂から得たイメージではもっとチャラチャラしてて自分が一番格好よくないと気が済まなくて、あまつさえ元々の顔立ちも綺麗だから上手くそれを利用して立ち回っているような、そういう典型的なナルシストタイプ。けれど実際は、予想以上にフツーの人だ。ああして向こうから歩み寄ってきてくれかったら、きっと誤解した印象を抱いたままだったろう。
……そう、「歩み寄る」。その感覚が一番近いかもしれない。今まで遠目で見ていた路傍の野良猫が気まぐれで近寄ってきたような、そんな感じ。ところがその猫が野良のわりに綺麗で毛並みの良い猫だったせいか、ちょっとだけ気になってしまった、というのが本音かもしれない。またいつか話す機会があればいいな、なんて悠長なことを考えている自分もいた。

まあ相手が相手だし、あんなミラクルはきっともう起きないだろう。偶然あの場に居合わせただけだし、何度も言うようだけど本当に昨日が初対面だ。あれで劇的に関係が変わったとも言い難い。けれどもたったの一時間程度でこれだけ印象が変わったんだから、それだけ彼は魅力的な人柄だったのかもしれない。なるほど、近付きたがる人が多いのも頷けるかも。
そう一人で納得してから一日、私は何ら特別なことのない平凡な日常を送った。




・・・




授業が終われば、何かよっぽどのことがない限り私は直ぐさま帰途につく。そしてそれは今日も例外ではなく、いつも通り鞄だけ提げて昇降口まで下りた。
私と同じく真っすぐ家に帰る人、友達と遊んでいく人、慌てて部活に向かう人、時間を気にしながらバイトに急ぐ人。吹き抜けの昇降口に賑やかな声が響く。

しかし、いざ靴を履き代えようと下駄箱へ手をついたとき、私の前に立ちはだかった人がいた。顔を上げて、思わず目が丸くなる。


「……昨日ぶり、だね」
「…そ、そうですね」


そう。猿飛佐助、だった。妙に固い表情でこちらをじっと見つめる彼の真一文字に引き結ばれた唇が、空気をいっそう重たいものにする。
……何だろう、この雰囲気。自然と瞬きが多くなるのが自分でもわかった。


「あの…やっぱり私、何か、」
「俺、あれから一日考えたんだけど」


――― え、スルー?
あまりの唐突さに自分でも眉間に皺が寄るのがわかったが、猿飛佐助は見て見ぬ振りでもしているのかそれを気にしたふうではない。……しかもこういうときに限って下駄箱には他に誰も現れない。嫌な予感だけが肌を滑った。


「女々しい自分が嫌だったから、本当は昨日で区切りを付けようと思ったんだ。なのに弘ちゃん、あんなこと言うから……」
「な、何を……?」


区切りって何? とか、“あんなこと”ってわたし何か言ったっけ? とか尋ねる余裕もない。手に汗を感じつつ、彼の言葉を一字一句聞き逃さぬよう神経を研ぎ澄ます。
食い入るように見つめる私に、猿飛佐助の視線が一瞬だけ揺らいで、拳をつくっていた手がぎゅっと更に握り込まれた。

彼が口を開いた瞬間、ほんの僅かだけ周囲の音が消える。


「…っす、すき、」


掠れた声で紡がれた、たった二文字。いや、噛んだのも入れたら三文字。
頭が真っ白になる、というのはまさにこのことなんだろう。


「い、言っちゃった……」
「……は…え? いや、あの、」
「その、っだから、好き、なんだ」


一瞬、聞き間違えか…? と耳を疑ったが、どうやらそうでもないらしい。しかも罰ゲームだとか冗談だとか、そんな感じの一切しない声音だ。が、それが余計に恐ろしくて顔を直視することができない。

いや、だって、あの猿飛佐助が「好き」って。果たして彼の言う「好き」と、私の考える「好き」という言葉の意味は同じなのだろうか。そんな疑惑すら浮かぶ。
校内シューズを脱ぎかけという間抜けな格好のまま、私は困惑していた。

そんな中、猿飛佐助が慎重に一歩こちらへと踏み出した。当然間隔は狭くなるし、そのぶん恐怖も高まる。じり、と私も一歩下がった。


「あの、こういうのちょっと、よくわかんないって言うか……」
「今すぐ返事、だなんて言わないから。じっくり考えて、答え、ちょうだい?」
「いやあの、『ゆっくり考えて』とか言うわりにだいぶ強引っていうか、何か焦って……ってちょっと、近い近い近い!! 近いったら!!」


言い訳を重ねようとした私に、もはや逃げ場はなかった。追い詰められてべたりと下駄箱に張り付いた背中。両脇には猿飛佐助の腕。だから言ってることとやってることが矛盾してるんだってば!! あとなんか息荒い!!
「絶体絶命」という言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消える。間近まで猿飛佐助の顔が迫っているのがわかった。

懸命に顔を背ける私の努力も虚しく、奴の妙に熱い吐息が耳へとかかり、ぞっと背筋を寒気が駆け降りる。ぴったりと寄せられた体は見た目以上に分厚くて、一筋縄では押し返せそうにない。
……え、いや、いやいやいやちょっと、嘘でしょ!?


「っや、ちょっと…ほんとに、やめ、」
「……弘、ちゃん……弘ちゃ、ッぶ!?」
「ぬァにをしておるか佐助ェェエエエ!!!」


―――そこへ響いたのは、救世主の雄叫びだった。


「っさ、真田…」
「弘殿! 大事ないか!」


振り向いた先で拳を構えたまま、真っ赤な顔で荒い呼吸を繰り返していたのはうちのクラスの真田。すぐ傍にいた筈の猿飛佐助は、今や無惨にも床へ転がっている。
た、助かった……。思わず耳を押さえてへたり込む。もし真田が来てくれていなかったら今ごろ私はどうなって……、…いや、考えたくもない。

私の様子を見て慌てたらしい真田が、心配そうに声を掛けてくれる。事の顛末を簡単に話して聞かせれば、案の定彼は耳まで真っ赤にしてしまった。


「昨夜から妙に呆けた顔をしてはおったが、よもや斯様な理由であったとは…!こっこのような場所で!なな何と、はれっ破廉恥な!!」
「…真田、声裏返ってる」




紙一重な性格

(ナルシスト→普通の人→変態)

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111106
修正111120/120624




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