翌朝、大体いつもの時間通りに鳴ったチャイムにほっとしながら、玄関の重いドアを開けた。朝日を背に立つ佐助の表情を窺おうと視線を傾ければ、怖ず怖ずと彼もこちらを見る。


「おはよう」
「……おは、よ」


ぎこちなく返ってきた挨拶に苦笑を浮かべる。自己嫌悪してるのかな。まあ、それもあるだろう。
私だってあれから周りの視線を浴びまくって恥ずかしい思いをしたのだ。暫くはそのまま反省していてもらおうと、ツンとした素振りでそれ以上こちらからは彼に何も話しかけずに歩きだす。しゅんとして私の半歩後ろをついてくる佐助。いつもなら私の鞄を持ちたがるけれど、今日はそんな余裕すらないらしい。


「…あの……弘、ちゃん」
「何」
「……弘ちゃん」


恐る恐るといったような、そんな小さな声を耳が捉えた。ちょっと返事がつっけんどんすぎたかな、と後悔していたところでもう一度名前が呼ばれる。


「だから、何……って、うわ」


しかし名前を呼んだきり沈黙した佐助を訝しく思い、ようやくそこで振り返ってすぐに「しまった」と思った。それこそ迷子になった幼子ようにぼたぼたと、とても指では拭いきれない大粒の涙を零す佐助がそこに突っ立っていたのである。


「え、ちょ…佐助!?」
「っごめ…なさ、…」


とても男子高校生とは思えないような嗚咽を漏らしながら佐助は、ぎょっとして立ちすくんだ私によろよろしながら近付くと、そのままひしとしがみついてくる。あたふたしながら背中をさするが、一向に彼は泣くのを止めない。…ま、参ったな。


「だめ、やだ、ごめん……きらわ、ないで…」
「…き、嫌うなんてそんな、」
「だって弘ちゃん、先に行っちゃうし…!」
「あ、いや……ごめん」


…それは確かにやり過ぎました。縋り付いてくる彼の頭を慰めるように撫でながら、自身の大人げなさを思い返してばつが悪くなる。ごめんなさい、ごめんなさい、佐助のか細い謝罪が胸に響いた。

そこでやっと、愛想を尽かされそうで不安になっていたのは私だけではなかったのだと気が付く。だから昨日も彼は寒いのを我慢して昇降口で待っていたし、毛利や長曾我部に捕まってしまった私に嫉妬してあんな事に及んでしまったのだ。
…なんて私は現金なんだろう。背中へ回る必死な腕に、昨日感じた恐怖もどこかに吹っ飛んでしまった。


「……大丈夫、嫌ってもいないし怒ってもいないよ。ごめんね、反省してもらおうと思ってやり過ぎちゃった」
「はんせ、い…」
「佐助は昨日からずっと後悔してたのにね、ごめん」
「……んん」


まだ鼻をぐずぐずいわせながら、甘えるように頬擦りする佐助。どこの子どもだ、と内心では肩を竦めつつも、縋り付いてくる腕が心地好くて愛おしい。ああ、あとでちゃんと涙拭いてあげないとな。時折耳に触れる濡れた頬に、一つ苦笑を零した。


「……俺、決めたんだ」
「?」


落ち着くまでこのままでいてあげようと暫く髪を梳いていると、もぞもぞと動き始めた佐助が鼻声のまま耳元でぼそりと呟く。素直に一旦、間隔をとって見上げれば涙でぐずぐずになった顔と真っ赤な目。とても綺麗な顔だとは言い難かったが、その真剣な表情に見合うよう私もぴんと背筋を伸ばした。


「俺、生徒会の役員に立候補する」
「…………へ?」


しかし思いもよらない一言に、緊張していた空気が一気に弾ける。生徒会?あんなに毛利のこと毛嫌いしていたくせに?一瞬にして呆けた私の表情に焦りの色を浮かべた佐助は、居心地悪そうに小さく頬を掻いた。


「あの……俺、昨日あれから色々と考えたんだけど」
「……?」
「弘ちゃん、自分の時間とか俺といれる時間も少なくなるくらい生徒会のこと頑張ってるのに、俺が我が儘ばっか言ってたら迷惑だよなって…思って……」
「…………」
「だから、ほら、『虎穴に入らずんば虎児を得ず』じゃないけど……俺も生徒会入っちゃえば弘ちゃんと一緒に、いれるかもしれないし」
「…………」
「それに人数集まってないみたいだったから、だったらやろうかなって……」
「……っふ、」


あたふたとジェスチャーしたり視線を泳がせたり、照れのせいなのか語尾が小さくなっていって聞き取りにくかったり。懸命さが伝わってくるわりには、どうにも表情の綻びが止まない。…成る程なあ、そうきたか。
ゆるゆると上がる口角を隠しきれない私に佐助はむすっとしながらも、さっきの言葉を撤回する様子はない。それどころか何処か心配そうに、眦を下げる。


「……ここ、痛くない?」
「うん?…痛いも何もそんなに強く噛んでないでしょ」
「そうだけど……」


昨日、自分が噛んだところを撫でる佐助。くすぐったさに身を竦めたが、彼の指先はひどく優しいものだった。間合いを詰めて、ぽすりと私の肩へ額を落とす。足を引いてしまう必要はないのでそのまま受け止めれば、佐助は甘えたように唸った。


「だって俺…また嫉妬して、あんなことしたら……」
「あれは私も無神経だったよ。…今度から気をつける」
「…弘ちゃんは、俺がどんだけ弘ちゃんのこと好きか知らないからそんなことが言えんの。頼むからわかってくれよ……アンタが思ってるよりずうっと、俺はアンタが好きなんだよ」


再び顔を上げた佐助。少しだけ悪戯っぽい光の宿った飴色に射竦められながら、私は思わず目を丸くした。言葉の途中で声の調子を変えた佐助に本気の色を見つつ、ほんの僅か早くなった鼓動を感じる。それは私のものであり……彼自身のものでもある。


「……顔、真っ赤ですけど」
「ううううるさい!わかってるよ!!」


ほら学校行こう…!と赤くなった顔を必死に隠しながら足早に私の手を引いた佐助。自分で言って照れてどうするんだ。意外とウブな彼に苦笑を零して、でも私だって何か照れ臭くて。繋いだ手をこちらからも握り返すと、小走りで彼の隣に並んだ。


「……あ」
「今度はなに?」
「鞄、貸して」


不意に足を緩めたかと思えば、佐助は上体をこちらに向き直る。持つから、と伸びてきた手には既に彼自身の鞄が。いつもならその言葉に甘えて渡してしまうけれど、今日は何となくそれが寂しく思えた。


「……いい、自分で持ってる」
「え」
「だって、両手が空いてても佐助とは片手しか繋げないでしょう」


だからこっちの手だけ、ちゃんと繋いでてくれればそれで十分。繋いだ手を少し持ち上げてそう笑って見せれば、佐助は幾度か瞬きした後ふて腐れたように唇を尖らせて「もう、勝手にしなよ」とぼやいた。
学校に着いたら、この手は一番最初に毛利と長曾我部に見せつけてやろう。




紙一重な危機

(乗り越えてしまえばこちらのもの!)


―――――
111220




prevtext top | next




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -