カツンカツンと湿っぽい階段を上り、重厚な扉を押し開ける。途端、流れ込んできた寒気に二人して短く悲鳴をあげて、やっとの思いで外へ出た。いつもかすがと二人でお昼を過ごす静かな屋上は人影一つなく、ひどく閑散としている。万が一を想定して辺りを囲っているフェンスが、風に揺られてかしゃかしゃと音をたてた。
くるりと振り返れば、少しだけ浮足立ったようにも見える佐助がぼんやりと空を仰いでいる。遮るものがない空は抜けるように青く、殊に今日は山際を微かに雲が縁取っているくらいだ。


「うぅ…さむ」
「いつもこんなとこで食べてんの?冬とかどうしてるのさ」
「冬は、流石に教室で…」


へえ、とか何とか興味なさそうな返事を寄越して、隅の方へ腰を下ろす佐助。私もその傍で膝を折ろうとして、またぶるりと背筋が震えた。未だ衣更え期間だからと油断していたけれど、今日はめっぽう寒い。ブレザー着てくれば良かったな…。後悔したところで後の祭り、剥き出しの膝には空っ風が容赦なく吹き付けていく。


「…あ、待った」
「……?」
「今日寒いから、弘ちゃんは下にこれ敷いて」


そう言って自分の着ていたカーディガンを脱いだと思うと、佐助は自分の隣にそれを広げ始めた。私がぽかんと瞬きを繰り返しているのも気にせず、一心に。…いや、いやいやいや。普通に考えて私より佐助の方がずっと寒々しいだろう、それは。


「…大丈夫だよ、ブランケットあるし」
「ダーメ!女の子は体冷やしちゃいけないの」
「大袈裟だなあ…」


傍らへゆっくりしゃがみ込み、ぱたぱたと己のカーディガンを床に広げる彼の手をじっと眺める。自分の膝の上で頬杖を衝いて、くすぐったいような照れ臭いような不思議な気持ちを持て余した。


「……ねえ」
「うん?」
「何でそこまでしてくれるの…って訊いたら、野暮かな」


ぽろ、と零れた疑問。止まってしまった彼の手から視線を持ち上げれば、佐助は目を丸くしてこちらを見つめている。ぱちりぱちりと音の付きそうなほどゆっくり瞬きをする目の前の男は、私の問いに対する答えを必死に探しているらしい。


「…や、だって…さ」


もごもごと口籠もって、瞬きの回数を増やす佐助。ぽり、と人差し指で小さく頬を引っ掻きながら淡く頬を染める。


「……そりゃ、大事な女の子だし」


観念したように開かれた口からは、こっちが恥ずかしくなるような答えが飛び出す。直視していられなくなって視線を落とせば、皺が伸ばされて平べったくなったカーディガンの上に投げ出されている掌が視界に入り込んだ。


「…そっか」
「うん、そう」
「……ふふ、そっか」
「もう、何?急に」


突如としてくすくす笑い出した私に、佐助の怪訝そうな視線が向けられる。自分で尋ねておいておかしいけれど、やっぱりちょっと恥ずかしい。赤らむ顔を袖で隠しながら、また小さく喉で笑った。


「なんか、嬉しいの」
「……どうしたのほんと」
「さあ、わかんない」


けど、嬉しい。変な弘ちゃん、と子どもみたいに笑う彼に改めて実感した。ああ、うん。やっぱり好きだ。

流石に寒々しいので、ブランケットは広げて二人の膝に掛けた。かじかんだ手で弁当の包みを開く。弁当は私が佐助のを、佐助が私のをずっと持ったままだったので、今日は互いに作り合って持ち寄った。今朝手渡された弁当の蓋を開け、その鮮やかな色合いに思わず、おお…と感嘆の声をあげる。


「実を言うとさ、真田の旦那とおかず同じなんだわ……肉多かったらごめん」
「そう?言うほどでもないよ」
「もうさあ、いつも『肉が足りん!』って怒って帰ってくんの。でも肉ばっか入ってる弁当なんて手間じゃん?弁当の中身だっていちいち変えてらんないから、そうなると自動的に俺のも肉ばっかになるし……。ったくさあ、作る側の気持ちも考えて欲しいもんだよ……って、ごめん…なんか愚痴っぽくなっちゃった」
「いいって、平気」


饒舌になった佐助に、つい苦笑を零した。基本的には、人間関係は角の立たないように当たり障りなく、な彼がここまで文句たらたらなのだ。付き合いが長いぶん、余程仲も良いらしい。


「弘ちゃん」
「うん?」
「あー」
「……何」


卵焼きを箸で挟んだところで、ふと名前を呼ばれた。大口を開けてスタンバイする佐助を一瞥して、思わず目が据わる。


「俺様ちょっと疲れちゃった、食べさして?」
「……はあ」
「ほらぁ、この場合彼女が彼氏にしてあげることって言ったら一つだろー?」


どうやら佐助は私から食べさせてもらうという、所謂「あーん」を御所望らしい。

…そりゃ、確かにそうだ。別に佐助が間違ったことを言っているわけではない。確かに私達は昨日から付き合うことになって、確かに彼氏彼女という関係で。こういうイベントだっていずれは通過することになるだろうと、何となくわかってもいた。
そう、わかっている。…わかってはいる、けれど。


「…なぁに動揺してんの」
「なっ……わ、悪いか…!」
「いや…悪くはないけど、」


可愛いなあって、なんて本当にとろけるような笑みを浮かべられてしまっては、もう固まるしか他ない。な、何なんだその大事で大事で仕方ないってものを見るような目は…!お母さん騙されませんからね…!
視線の泳いでしまう自分を情けないとは思うが、いざ直面してみると狼狽が隠せない。だって、「あーん」なんて弟にもしたことないんですけど…!

しどろもどろで佐助から視線を外し、手元の卵焼きへと視線を注ぐ。ああもう、私もこの卵焼きに包まれたチーズみたいに卵にくるまれてしまいたい…。


「ねー、俺様もうお腹ぺこぺこ」
「…っ」


まるで餌を欲しがる池の中の鯉のようにぱくぱくと口を動かす彼にいっそう動揺する。彼の視線の先は、正しく私の手元。
一気に緊張は高まるが、彼はと言えばひたすらに私が動くのをじっと待っている。その様子にぐっと私の中で何かが疼き、クラッシュが加速した。

……そう、そうだ。私が一つ「あーん」をすれば良いだけの話。きっとこれを乗り越えれば私も何か吹っ切れるはず。いつまでも受け身ばかりの私では駄目なんだ、全ては自分の成長の為…!


「……Ok,行くぜ…!!」
「えっあれ今何か独眼竜の旦那が見えた気がすっぐへぶほ」


気合いを入れてから、勢いをつけて一気に口の中へ押し込む。その前に佐助が何か言っていたような気がしないこともなかったが、よく聞こえないうちにそのまま卵焼きで封じてしまった。


「っげほ……苦し、」
「え、あ…っご、ごめん」
「んん、へーきへーき」


だって弘ちゃんこういうの初めてだったんでしょ、と淡く微笑んだ佐助は、ちろりと唇を舐める。けほけほと噎せながら卵焼きを咀嚼する彼に、ようやく私も冷静さを取り戻した。おろおろし始める私に、本当に大丈夫だってば、と肩を竦めた佐助。大丈夫なわけあるか!と更に青ざめたが、彼は至極爽やかに笑う。


「未来の嫁さんの照れ隠しだと思ったら、これくらい……ね?」
「………!?」


状況の把握後、思わず伸びた拳は綺麗に佐助の顔面へと吸い込まれていった。




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