通された室内は割合とシンプルで、必要最低限の物しか置かれていなかった。持ち主とあまり合っていないような…と思わないこともなかったが、この家の荘厳な佇まいからすれば頷ける。あまり派手では、確かに雰囲気を失ってしまうのかもしれない。


「…ご飯とか、ちゃんと食べてるの」
「ん、まあ、ちょっとだけ」


彼はあまり食欲がないようだった。食べると胃が痛むから、と言って殆ど食事も摂っていないらしい。…多分、ストレスだろう。
部屋の真ん中に置かれたローテーブルに向かって何となく隣り合わせで座り、二人してベッドの側面に寄り掛かる。顔もあまり合わせないまま、ぽつりぽつりと言葉を交わした。私を部屋へ招き入れるときに「何もしないから」と呟いた彼は、やっぱりこの間のことを気にしているんだろう。また少し、胸が痛んだ。


「体育のジャージ、返せてないけど、大丈夫?」
「…今は、他のクラスの友達から借りてる」
「そっか。…後で、返すね」
「…ん」
「あと、弁当も」
「あ、私も返す……今日はないけど」
「いいよ、いつでも」


猿飛佐助の声は少し震えている。一週間も誰とも話していなかったんだから、もしかしたらしんどいのかもしれない。体調もあまり良くはなさそうだ。


「あの…」
「うん?」
「……喋るの、つらい?」
「…んー、大丈夫」


……嘘ばっか。心なしか顔もやつれて、綺麗だった髪の毛も萎びて見える。流石に毎日お風呂には入ってるみたいだけど、きちんと食事を摂っていないんだから当然だ。時折、ヒュウと呼吸が空回るのも隠せていない。相当、弱っているみたいだった。


「…ねえ、苦しいなら無理して話さなくていいから……だから、その…手、繋いでて、いいかな」
「……え」
「い、嫌ならいいです…」
「っえ、あいや、その…!」


思い切って切り出した提案に、一拍遅れて反応した猿飛佐助。途端に恥ずかしくなって撤回したものの、戸惑いがちに伸びてきた手が私の手を取った。
恐る恐る、窺うように潜り込んでくる指。ゆっくり絡まっていく指に焦れて、私から握ってやった。所謂、恋人繋ぎ。ぴくりと震えたものの、振り払うことのなさそうな手にそっと安心していると、向こうから甘えるように指で手の甲を撫でられる。…く、くすぐったい。


「…弘ちゃん、あったかい」
「……そうかな」
「だって俺、冷え症だし」
「ああ、そんな感じする」
「えっなんで」


話さなくていいって、言ったのに。それでも、少しだけ楽しそうな声になってくすくす笑う猿飛佐助にホッとして、私の表情も綻んだ。ちら、と繋がった手に視線を流せば、ちょうど彼も顔を動かしたところで。そのまましばらく、見つめ合う形になった。


「…あのさ」
「ん、」
「さっき、ドアの前で弘ちゃんが言ってたこと、なんだけど」
「……うん」


視線を外さないまま、猿飛佐助が口を開く。私もそれを逃さないように見つめ返した。再び訪れる沈黙に身を任せながら、もう一度彼の唇が動くのを待つ。


「…ガキの頃からずっと、好きだったんだ。だから俺が、弘ちゃんのこと嫌になるとか、そういうことは絶対に、ないよ」
「……」
「寧ろ弘ちゃんが、あんなことしてた俺のこと……その、嫌いに、なったんじゃないかなって、ずっと思ってた」


だから今、正直夢みたい、だ。
切なげに細められた飴色と、仄かに赤く染まった頬。彼の言葉に嘘がないことの証拠だ。こちらもつい目を細めるが、決して逸らしはしなかった。否、逸らせなかった。

甘酸っぱい気持ちが胸中を満たす。同時に私からも擦り寄って甘えてみたくなる。泣きたいほど切なくなって、これが「幸せ」って感覚なのか、と頭の端っこでぼんやり考えた。


「……それってさ、好きとも嫌いとも言ってなかったのに、私がアンタのこと好きだっていう前提で考えてたんだ?」
「え、や、あの…」
「まあ、あながち間違ってないけど」
「……へ」


慌てふためいたりぽかんと目を見開いたり、忙しい奴。ふっと笑みが浮かぶ。
今なら、言える気がした。


「好きだよ」


恥ずかしさだとか照れ臭さだとか、そういうものは全く何も感じなかった。ただ、気持ちを伝えられた達成感と幸福感、愛おしさが押し寄せる。誰よりも好きだよ、大好き。幾らでも言える気がした。…あまり言ってしまうと有り難みがなくなるから、心の中で、だけど。

じっと私を見ていた猿飛佐助は、きゅ、と今度は涙を堪えるように目を細める。寄せられた眉根に苦笑を零していると、繋いでいない方の手がそっと伸びてきて、怖ず怖ずと私の肩に触れた。にわかに寄せられた顔に少しだけ怖じけづいて、ほんの少し顔を引く。


「ちょ、っと……何もしないって、言った」
「何もしないよ。…ちょっと、ぎゅってするだけ」


言うや否や、引き寄せられた体は彼の腕の中へ。苦しくない程度に回された腕は、まるで感触を確かめるかのように私の背中を撫でる。嫌らしさは全然しなくて、どちらかと言えば母親に縋り付く子どものような、そんなたどたどしさを孕んだ掌。ふと感じた頬の冷たさに、まあ、まだそれでもいいか、なんて詰めていた息をそっと吐き出して、私からも彼の肩に擦り寄った。

どのくらいそうしていたか、不意に彼からきゅるきゅるきゅる…とか細い音がする。びくっと揺れた体に、お?と思っていると、耳元でぽそぽそと照れ臭そうな声が紡がれた。


「なんか、安心したら腹減った……」
「…っふ」
「あっ何笑ってんの!?しょうがないだろ、一週間もまともに飯食えなかっ……あーダメ腹減った俺様もう動けない」
「わ、ちょ…っばか、重い!」


ふざけた調子でのしかかってくる猿飛佐助に、もうあの儚さはない。私はと言えば、ずっと失せていた筈の食欲が戻ってきたということに嬉しくなって、憎まれ口を叩きつつも小さく笑った。
ようやく体同士を離して、再び目と目を合わせる。一週間前と比べると随分こけてしまった頬を撫でて、その上に作られた真新しい透明な筋をそっと指で拭った。


「…真田が下で待ってるって。だからちゃんとご飯食べよう」
「え、でも俺今作れな…」
「私が作るの」


えっえっ、と瞬きを繰り返すだけの彼に思わず吹き出して、先に立ち上がった。視線で追いかけてくるだけの彼の手を取り、促す。


「ほら立って、ゆっくりでいいから」
「え…あ、あー」
「明日からちゃんと学校行こう、みんな心配してる」
「……一緒に?」
「…家まで来なくていいから、駅で待ってて」


甘えるように、取った手に指を絡めてくる猿飛佐助。くそっ、あざとい…!互いの気持ちがわかった途端、すぐこれだ。子犬みたいに純粋な目で見上げてくる彼に何とも言えない気持ちになりながら答えると、彼はまるで花が開くみたいにぱあっと表情を輝かせた。女子か。


「……弘ちゃん」
「うん?」
「名前、呼んで…って言ったら迷惑?」


……流石に照れ臭くなってきたから、そんなうずうずした表情で訊かないで。


「…馬鹿なこと言ってないで行くよ、佐助」




紙一重な感情

(名前なんて、これから幾らでも呼べるのに)


―――――
111213
馴れ初め編おーわり!




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