「っで、か……」


つい我を忘れ、玄関先に植えられた厳かな松の木を見上げた。


「道場と併設しておりまする故、斯様に広いのです」
「あ、あぁ……下宿してるんだっけ」


樹齢何年なんだろう…なんて半分ほど思考が旅立っていたところで、真田の声にはっとした。そうだ、無理を言って真田の家まで連れて来てもらったんだった。ま、松の木一本如きにこんなことではいけない…!
微かに膝が笑う自分を奮い立たせようと、目の前の松を睨みつける。…やっぱり罰当たりな気がして止めた。

猿飛佐助が真田と共に道場で下宿している、というのは、たまに彼がぽろっと零す話から何となく察していたことで、直接本人から聞いていた訳ではない。それでも念のため真田にも尋ねたが、どうやら予想と寸分も違わなかったようでまずは一安心した。
突然話を持ち掛けたのに、まるで最初から何もかも知っていたかのように快諾してくれた真田。もしかすると、いずれ私がそう頼むことをわかっていたのかもしれない。……悔しいけれど、政宗の後押しは心強いものがあった。そのままの勢いでこうして真田に頼んだわけだし、本当に奴は私を焚き付けるのが上手い。まあ、礼なんか絶対に言ってやらないけど。


「佐助の部屋はこちらです」
「うっ……うん…」


真田に案内され、ギシギシと軋む木の階段をのぼる。この先に猿飛佐助がいるのだと思うと、一気に緊張が体を支配した。覚束ない足取りで真田の後を追いながら、深呼吸深呼吸深呼吸…と内心でぶつぶつと唱える。…ああ駄目だ、余計に緊張する。
廊下を辿っているうちに、真田が一枚のドアの前ではたと足を止めた。ここ?と視線で尋ねると彼は一つ頷く。一瞬だけ躊躇した真田の手が、意を決してコンコン、と小さくノックした。


「…佐助。少し話せるか、佐助。………駄目か」
「……いるの?」
「鍵が掛かっております故、恐らくは」


ドアの向こう側はシンとしていて、とても人がいるようには思えない。本当に不気味なほど、物音の一つも聞こえないのだ。真田の窺うような視線がこちらを向く。


「如何、致しますか」
「……ちょっとだけ、ここにいていいかな」
「…わかり申した。では某は下にいます、何かあったら呼んでくだされ」


真田はそう言うと軽く頭を下げ、元来た道を戻っていった。それを視線で見送り、私はゆっくりドアに向き直る。この向こうに彼が――猿飛佐助が、いる。
のっぺりとしたドアは無表情で、そのうえ酷く冷たいように思えた。そっと手をつく。ざらざらとした木の質感。そのまま額をドアにくっつけた。依然として部屋の中からは物音一つしない。暴れるような心臓を、上からそっと押さえた。


「…あの、…えと、弘です」


いるかどうかもわからない相手に、名乗る。返ってくるのは無音ばかりで、より虚しさが増した。一度は口を噤む。
何て言えばいい。何なら彼に届く。道中で用意していた言葉は、こうして本人……の部屋を目前にすると全部安っぽく思えてしまう。思っていたよりもずっと酷い事態に、もはや私の頭は真っ白になっていた。


「……っ、ごめん、」


ぽろりと口を突いて出たのは、謝罪の言葉。同時に罪悪感が溢れ出て、他にも言わなくちゃいけない言葉はたくさんあった筈なのに、それらは全て涙に飲まれてしまった。せり上がる嗚咽を必死に喉で留めて、わななく唇を叱咤する。
――がんばれ弘、此処で何も言えないまま終わったら、二度と機会なんてないぞ。


「…っ本当は、直接顔を見て謝りたかったんだけど、ここからでごめん。私の顔も見たくないし声も聞きたくないって思ってたら、本当にごめん。……でもこの一週間、ずっと貴方に謝りたかった」


最低、なんて言って、ごめんなさい。

いつまで経っても煮え切らない私にどれだけ追い詰められて、どれだけ傷付いていただろう。どんなに悲しかっただろう、虚しかっただろう。今までずっと、どんな思いでいたんだろう。
確かに彼は、最低なことをしたのかもしれない。でもまっすぐに私へ好意を向けてくれた彼にここまでさせたのは、他でもない私だ。…私さえ、はっきりしていれば。


「この間真田から、幼稚園の頃の話聞いて……正直全然覚えてなくて、最初は他の誰かと間違えてるんじゃないかと思った」


でも話を聞いていれば、確かにそれは私で。私自身うっすらと思い出したのは、周囲から少しだけ浮いて見えた夕日色。懐いた子犬みたいにころころと私の後を追い掛け回してきて、つい鬱陶しくなって力任せにひっぱたいて、よく泣かせたっけ。
いじめっ子、というよりは一匹狼だったから、誰かと一緒に何かをするのが苦手だった。だから「あそぼう」と誘われても当時はあまり嬉しくなかったし、実際遊んでいてもすぐに飽きてまた一人でいたように思う。今思えば本当に、つまらない子どもだった。お母さんの話では、そのあまりの協調性の無さに心配した幼稚園の先生が、少しでも私を周りに馴染ませようとして奮闘していたらしい。


「だんだん、何となくだけど思い出してきて……でも、だからって訳じゃないけど、すごく会いたくなった。今まで戸惑ってた分、ようやくちゃんと向かい合って話せるんじゃないかって…そんな気がした」


……それも、少し遅かったけれど。
俯いてドアに額を押し付けたまま、震える唇を噛む。上擦り始めた声を抑えるため、一つ深呼吸。後悔ならこの一週間でこれまでにないほどした。自己嫌悪だって、もう嫌というほど陥った。だからもう何も残したくない。もう、今しかない。


「あの、私ね、嫌じゃなかったよ。照れ臭くて、戸惑って随分はぐらかしてきちゃったけど……本当は、嬉しかった」


素直に口にしてみると大袈裟に聞こえるかもしれない、けれどこの言葉を偽ったつもりは一切なかった。全部、本音。彼のストレートな言葉は少し恥ずかしくて、でもくすぐったくて嬉しかった。それだけ。


「頼んでなかったけどわざわざ迎えに来てくれて、隠されたものもすぐに見付けてきてくれて…あと弁当も作ってくれたり、良いとこ見せようとして体育でシュート決めたり……でも別にね、そんなことしてくれなくたっていいの。色々してくれなくても、ただ貴方が隣で…無邪気に笑ってくれたら、それで」


それだけで、私は幸せだったよ。


「……じゃあ、私、帰るね」


ごめん、さよなら。
口には出さず、唇だけで言葉を象った。やっぱり部屋の中は静かなまま。…きっと、もう話すことなんて出来ないのかもしれない。ぼんやりとドアノブを眺めた。詰まりそうな息を無理矢理に押し出して、もう一度心の内側でさよならと呟いて、私は踵を返す。

ところが突然開いたドアから手が伸びて、私の腕を掴まえた。


「、っ……」
「…ごめん、けど…まだ、帰んない、で」


なんにもしないから、と。当然いつもの制服なんかじゃなくて、ラフな部屋着。そのせいか縋り付いてくる姿がひどく頼りなく見えて、私はその腕にそっと手を添えた。




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