「伊達、園芸委員の仕事頼めるか」
「あ、はい!」
「ベランダに置いてある空のプランターを倉庫に運んでくれ。…急な会議が入っちまってな、悪ィが俺は手伝えねえ」
「平気ですよ、やっておきますね。裏手の倉庫ですか?」
「ああ、そうだ。頼むぞ」


放課後、鞄に課題を突っ込んでいると教壇にいた片倉先生からご指名がかかった。クラスで唯一の園芸委員だし、断る理由もない。申し訳なさそうな顔をする片倉先生に承諾の意を伝えて、さっさと作業に取り掛かることにした。
早速ベランダへ出ると、人の熱で暖かくなった教室にひやりとした空気が流れ込む。さむっ!と誰かが首を竦めたので、慌ててプランターだけ抱えてドアを閉めた。もう外は随分寒い。そりゃそうだ、もう秋も半ばである。


「手伝うか」
「んん、平気」


かすがが私の腕の中のプランターを覗き込みながら尋ねてくるが、そこまで重いものでもないので気持ちだけ受け取っておくことにした。それに園芸委員の仕事に、無関係でしかも部活だってある彼女を手伝わせるわけにはいかない。

プランターの底の方についた土が掃除したばかりの教室の床に落ちないよう、足早に教室を出る。いつもみたいに猿飛佐助が来るかもしれないし、出来るだけ素早く置いて来よう。あんまり待たせたら悪…い……っていや、別に帰る約束してるわけじゃないし…!あいつが勝手に来るだけだし…!
誰にでもなく言い訳をしながら廊下を進む。何となく体育のときのことが思い出されて、再び頬が熱くなった気がした。ああもう、いい加減にしろ私…!




◇ ◇ ◇





制服の繊維の隙間に入り込んでしまった土の粒を払い落としながら教室棟へ戻る。私と同じ境遇の人が倉庫の前にずらりと列を作っていたせいで、なかなかプランターを置けず時間が掛かってしまった。片倉先生にこれを頼まれてから、既に三十分以上が経っている。……あいつ、待ってるのかな。
寒さでかじかむ手を擦り合わせるが、それもかなり砂っぽい。こびりついているものを爪でこそげ落としながら、トイレ脇の水道へ向かった。ザアアと冷たい水を流し、おっかなびっくりその中に手を入れる。つ、つめた…!何でうちの学校は給湯器がないんだろう。校舎も古いし、本当に公立は貧乏だ。

余計に痛くなった指先を吐息で温めながら、鞄を取りに教室まで歩く。人気のない廊下を、ふざけ合いながら真田と政宗が駆け抜けていった。…何やってるんだあいつらは。
半ばその光景に呆れながら、その風圧で微かに靡いた髪の毛を押さえ付けて教室まで続く廊下を辿る。あー寒い、私も早く帰ろう。今日は寒いから、あったかいミルクティーが飲みたい。ふと猿飛佐助と初対面のときに行ったカフェのキャラメルマキアートの味を思い出して、あれもまた機会があったら飲みたいなあ、なんて思った。

教室に入るが誰一人として残っている人はおらず、いつも遅くまで残っておしゃべりをしていく人たちがいるのに、今日は珍しくがらんとしている。さっき見掛けた政宗と真田で最後だったのかもしれない。
ぽつんと残された自分の鞄の元まで行くと、何故だか無性に寂しくなる。ただの委員会の仕事なのに、まるで私だけが取り残されてしまっているみたいだ。…変なの。


「、あれ…」


手早く支度を済ませて、制服の上から大きめのパーカーを羽織りながら机の横に手を遣った。しかし伸ばした手は空を切る。変に思って改めて見てみるが、やっぱりフックに掛けていたはずの体育ジャージの入った袋が、ない。あれ…もしかして私、更衣室にでも置いてきちゃったのかな。
不思議に思って、とりあえず鞄だけ持つと教室を出た。でも本当に更衣室に置きっぱなしなら、見回りをした体育科の先生が気付いて持ってきてくれそうなそうなものだけど……どこか人目に付かない隅っこの方にでも置いてしまったんだろうか。うーん…持ってきたつもりなんだけどなあ。


「……っは、」


小首を傾げながら更衣室の方へ向かおうとしたとき、隣の教室から微かに声が聞こえた気がした。息を詰まらせたような、どこか苦しそうなその響きについ足が止まる。半開きのドアからそうっと覗き込んで、中の様子を確かめる。整然と並ぶ机に紛れてうずくまる背中が見えて、思わずはっとした。まさか、具合でも悪いんじゃ…!?
まだ誰ともわからないのに危機感を感じた私は、慌てて教室のドアに手を掛ける。動けないくらい重症なら助けなければ、と声をかけようとした時だった。


「んっ……ぁ、は」


びたり、と動きが止まる。同時にザッと血の気が引いた。…違う、待って。これってまさか、もしかして。
じわじわと募っていく嫌な予感。見なかったことにしよう、何も見なかったことにして帰ろう。幾らそう思っても体が言うことを利かない。ふと気が付けば既に私は、教室の中へ身を滑り込ませていた。小刻みに揺れる背中からじっと目を逸らさず、音をたてないように慎重に移動する。早鐘を打つ心臓が苦しい。


「ん、ぅ……んんっ」


じわりじわりと室内へ進み、机の影からついにその全貌が明らかになる。見覚えのある後ろ姿がそこに丸くなっていて、何をしているかはもう一目瞭然だった。こっちの呼吸まで覚束ない。押し寄せてくる現実に、これまでにないくらい膝が震える。
見つかる前にここから出なきゃ。そう思っても体は動かない。荒くなる息遣い。先程よりずっと声は大きくなっていて、もう限界が近いようだった。


「っは、ぁ……ア!っ弘、ちゃ、ッあ」


切羽詰まった声で呼ばれたのは、確かに私のもの。そこには、体育のときに見たあの爽やかさなんてどこにも感じられない。嫌な震えが全身を駆け上がる。ツンと鼻をついた生臭さに顔を顰める余裕もなく、ただただ瞬きを繰り返すしかなかった。

荒い息のままごそごそと動き始めた彼にはっとして気付いたのは罪悪感と嫌悪感と、それから焦燥感。押し潰されそうなくらいのそれに、静かに後退りする。しかし、僅かに気付くのが遅かった。


「……、あ」
「…!」


何か気配でも感じ取ったのだろうか、弾かれたように振り返った相手の顔が、私の姿を認めて一瞬にして凍りつく。こちらも思わず体が強張った。互いにばつの悪い表情で、しばしの沈黙が流れる。

ふと、彼がその手にしていたものに視線が止まった。ずっと声がくぐもっていたから、顔にでも押し付けていたんだろう、それ。しかしその見覚えのある形や質感に目を凝らして、悲鳴をあげそうになった。だって、それはまさに今、私が探していたものだったから。
私の表情の変化に気付いたのか、だらしない格好のまま慌てふためいた相手がこちらに向き直ろうとする。いつもの調子なら「仕舞え!」くらいは言えたのに、今はもう恐怖しかない。


「っあの、ごめ…我慢、できなく、て」
「最っ低…!」
「!!」


叫ぶように言い残して、教室から飛び出した。
無理だ、あんなもの持って帰れない。だって、洗おうとしたらきっと思い出してしまう。背中とか表情とか声とか、切なげに呼ばれた名前とか、もう全部。




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