殺愛



死とは、遠くに有りそうで身近に存在する物。

例えば、風呂。






――どれだけこうして浸かっていたのか思い出せない。久し振りに入れた入浴剤の、甘い芳香の中ぼんやりと思う。頭が働かない。
頭部から額から、液体となって流れ水面を作るのは己の汗。ぽちゃり、ぽちゃりと流れる量は中々の物だ。
風呂場という高湿度よろしくな場所だというのに、反比例するかのように咥内はからから。唾液はねばつき喉に絡み付く。
ひゅう、と喉を鳴らして、そう言えば今日はまともに食事摂ったことあったっけ?とか、確か熱っぽかったとか、情報収集の疲労とか、最近睡眠不足だったな、とか、そんなことを考えるけど『まぁいいや』で脳内が終了してしまう。酸素が脳に行き届いていない、麻痺している。判っているけど動けない。
そんな不調子ときに限って、普段ならシャワーで済ませてしまうというのに浴槽にお湯を張ってしまった。その時点でもう何処か可笑しかったのかもしれない。

その間にも、身体の必要な水分は無情にも流れ出ていく。近くにある蛇口を捻り、流れ出した水分を取ればいいというのに、手を伸ばすことすら億劫だった。
くらくらと揺れる頭の隅で、今死んだら溺死か、脱水症状か、と考えた。両極端な死因に心の奥で嘲笑う。
瞼を閉じると、不眠気味だった筈なのに何故か今なら眠れそうな気がした。気だるい身体とは別に、妙に心地が良い。
死ぬことが怖い、と思っていたけど、これが死だと言うのなら怖くないかもしれない。あはははは、所詮は俺も人間だな、都合が良い。

……都合が良くてもいいや。
だって、この暖かさは、静ちゃんに抱き締められてるときと似てるんだ。













「………、にしてんだ、ノミ蟲」

フェードアウトした意識の中、静かに声が響く。ゆっくり浮上する意識。最初が聞き取れなかったと言うことは本当に意識を失いかけていたのか。いや、まだ夢なのかもしれない。それとももう死んだのかな、俺。
現実と非現実の狭間で揺れる意識の中、ゆるゆると瞼を開ければ漸く生きていることを実感する。
焦点の合わない瞳を必死に纏め、声を投げ掛けてきた人物が誰なのか確認する。って言うか確認するもなく俺をノミ呼ばわりする奴なんて一人しか知らないし。まったく、酷い奴だよね君は。

「……静、ちゃん…」

ここ風呂場だよ?それなのにズケズケと入り込んでくるなんてデリカシーってものは無いのかな。
普段のバーテン服の儘見下ろしてくる静ちゃんの目は恐ろしい程いつも通り…いや、怒ってないからいつも通りじゃないのかな?怒ってる方がいつも通りっぽいなんて本人に言ったら殴られるかもしれない。
話がずれたけど、取り敢えず静ちゃんの今の表情はとても意識不明になりかけてる人を前にしているとは思えない顔だった。
それが何と無く笑えて(それが何の笑いか解らないけど)、でも酷く気だるかったから心の中で笑っておいた。

「何してんだって聞いてんだ」

「……、」

「おいノミ蟲、答えろ」

無茶言うなよこの単細胞って言ってやりたいけど、掠れた単語しか出てこない。苛々とした口調に自分も次第に苛々してきた。
ああもう、ノミならノミで死んだ方が静ちゃんも楽でしょう?もう君の回りでぴょんぴょんすることも無くなるんだから。やさぐれ半分面倒臭さ半分で開けた瞼をまた閉じた。
死んだら死んだときだよ、静ちゃんもせいせいするでしょ。
っていうか何やけになってるんだろ俺。死にそうになってる俺を見て少しも慌てようともしない静ちゃんに怒ってることなんか全然無いんだからね、断じて。絶対に、うん。

そんな風に言い聞かせて再び意識を放棄しようとすると、じゃぶんという水音と共に身体が宙に浮かび上がる。人工的な浮遊感に声も上がらず、反射的にバチッと自分の瞼が開いた。
目を開けた瞬間瞳に映ったのは見慣れたバーテン服。見慣れてはいるのだが、驚いたのはその近さ。
訳が解らず顔を上げれば、さっきより少しだけ不機嫌そうな表情の静ちゃんの顔があって。
更に訳が解らず顔を自分の身体に下げれば、俺の両脇をがっしり掴む手があって。持ち上げられてて。
今の現状を音で表すなら『ひょい』だ。ひょいっと持ち上げられている。
視線を更に下げれば、静ちゃんの片足が浴槽に浸かっていて……。
…っていうかちょっと待て、ここは風呂だ、俺は風呂に入っている、イコール裸。すっぽんぽん。

「うわ、つか軽すぎだろ…」

「…っ!し、ず、ちゃ!」

今更羞恥心なんて無いと思っていたけど、男同士なのは解っているけど、流石にここまで無遠慮に肌を晒すのは気が退けた。
しかし抗議と言う抗議は、渇いた喉では音として発することも儘成らず。はくはくと口を開閉する事しか出来ない。

「動けないなら早く言え」

「あ、……は、」

「喘いでんじゃねぇよ」

喘いでないし!呻いてるんだし!って言いたくても言えず、睨みたくても気力が無かった。
その間にも軽快な掛け声と共に抱き止められる。っていうか抱っこ…というか担ぎ上げられる。その前に尻掴まれてるんですけど。
そんなこと…とは言いたくないけど、そんなことより俺は今湯に浸かっていたから全身ずぶ濡れで、俺を抱き止めると言うことは彼も相当濡れると言うこと。流石に申し訳ない気がする。

「シズちゃ、」

「んだよ、大人しくしとけ」

「濡れちゃう、シズちゃんが」

「あ?……あぁ、足も風呂に突っ込んだし腕も濡れたし、別に今更だろ」

気にすんな、と、俺の濡れた背中をぺちぺち叩く彼に、こんなに普通に叩くことも出来るんだと妙に感心した。
俺のししどに濡れた髪からはぽたりぽたりと雫が滴り、彼の肩口のシャツに落ちて滲みた。何度も何度も、ぽたぽた、俺から滴る水が彼に吸収されていく。
湯船から出た身体は冷えていくけど、彼に触れている肌はじんわりと温かい。するりと背中に腕を回すと、そこからも熱が浸透する。じわり、じわり。
俺から流れる水が彼に吸収され、彼の熱を共有する。暖かい、暖かい、熱。俺(水分)からの→彼。彼(熱)からの→俺。何だか、とてもたまらない。
可笑しいな、さっきまであんなに苛々していたのに。そう思い静ちゃんに顔を埋める。すう、と呼吸すると、鼻孔を彼が悪戯に擽った。煙草の臭いに紛れた、静ちゃんの匂い。近くにいる。

ぽたりぽたり、雫が零れる。髪から、他から。

「泣くんじゃねぇ」

泣いてないし。嘘だけど。
嗚呼こんなことだけで泣けてくるなんて、情緒不安定にも程がある。度重なる体調不良と睡眠不足のせいだ。一瞬死にかけたせいだ。
悔しいのに満たされて、恥ずかしいのに嬉しくて、それでもどこか悲しくて、情緒は壊れてしまったらしい。
嗚呼、やはり彼は化け物だ。この俺に涙を流させるなんて、そうそういるものでは無い。嘘泣きもカウントに入るならば別だけれど、ああ、マジで涙止まらないや。

「……鼻水つけんじゃねぇぞ」

「…いっぱい、つけてやる…」

今は精一杯の体力で精一杯の悪態を吐くと、先程から珍しきかな、彼の低い沸点を越えることもなくただ溜め息で返された。
彼らしくない反応を返されると、何だか物足りなくてむず痒くなる。
体力戻ったら、お礼代わりにナイフで切り付けてあげよう。とびっきりに磨いで、少しでも深く刃が食い込むように。
薬も用意して、動かなくなったら思う存分殴ってやる。睡眠薬をどれだけ用意しなきゃいけないんだろう。骨が折れるなぁ…
早く動けるようになって、沢山嫌がらせしてやろう。



“死が身近にある”だって?
それがどうした。そんなこと、とうの昔に解っている。
ああ、だけど俺はまだ死ねない。この化け物を( )し抜いてやる


浴室の扉が開かれひんやりとした外気を感じ、この日初めて、笑うことが出来た。








“( )して、( )して”










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臨也に「濡れちゃう」って言わせたかったとかそんな(ry

( )にはタイトルの各漢字が当てはまりますという捕捉。お好きな方をどうぞ。




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