リビングの中央に立ち、ぐるりと部屋の中を見渡す。キッチン、ロフト、玄関、トイレ。大量の家具を吐き出した室内は、どこもかしこも白々しいほどにがらんとしている。

「虎徹さん、ダンボールはこれで最後ですか!?」

白い腕に抱えられた大きなダンボール箱が、声に合わせて上下に揺れるのを見て、虎徹は微かに目を細めた。ここに越して来る時も同じ光景を見た。細い腕で一生懸命にダンボール箱を抱える妻を見て、慌てて駆け寄りそれを奪った"あの日"から──十年の月日が流れたのだ。田舎で育てた「ヒーローになる」という夢に花を咲かせることが出来たのは、陰に日向に自分を支え続けてくれた、友恵の存在があったからに他ならない。それ故、彼女を亡くしてからの6年は、辛く苦しいものだった。回復することのない充電池を使ってがむしゃらにもがき続けても、少しずつ少しずつ確実に、下へと落ちていくばかりで。……孤独だった。

「虎徹さん?」

返事が無いことにじれたのだろう、ダンボール箱を抱えたバーナビーが、踵を返してこちらに駆け戻ってくる。十歳も年下の、有能で生意気なパートナー。虎徹の"宝物"と言っても過言ではない相手だ。

「ああ、悪ィ、ボーッとしてた」
「もう、感傷に浸るのは荷物が片づいてからにして下さいよ。明日の朝には発つんでしょう?」

辛辣な言葉とは裏腹に、空気を震わす声は優しい。バーナビーが喜怒哀楽の喜と楽を見せる時は、虎徹も自ずとそのどちらかを見せることになる。怒られるのは楽しい。哀しむ顔は──大嫌いだ。目尻を下げて笑顔を作った虎徹は、うんと大きな伸びをすると、まっすぐバーナビーに向き直った。虎徹の行動の意味が理解できないと言わんばかりに目をしばたかせる彼の表情を、眼差しを、焼き付けるようにじっと見つめていると、胸の中に苦く甘い想いがとめどなく湧き上がってくる。ヒーローを辞めるということは、バーナビーとの"絶対の"繋がりを断つ事と同じだ。絶対の繋がりは"ヒーロー"、不確かな繋がりは"絆"。虎徹には自信が無かった。今はまだバーナビーの一番でいられるかもしれない、でも半年後、一年後、ましてや二年三年経てば──。
絡み合う視線を断ち切ったのは、やはり、バーナビーが先だった。緑色の瞳が天井を仰ぎ見、再び虎徹を捉えるまで、たっぷり三十秒はあっただろうか。薄い唇が、ゆっくりと開く。

「昨日、久しぶりに夢を見たんです。夢の中ではマーベリックさんが真犯人じゃなくて、虎徹さんの能力が減退することもなくて、サマンサおばさんも元気で。虎徹さんと二人で犯罪者を追いかけて、二人で一緒にキンギオブヒーローになったんです。……楽しかったな」
「バニー……」
「田舎に帰っても、たまには僕の事、思い出して下さいね。何なら有能な相棒すぎて大変だったと娘さんに話してくれてもいいんですよ?それと、僕が娘さんへのプレゼントに渡したサイン入りの写真集、あれ、シュテルンビルトではプレミアがついてるんですからね。だから、彼女がいつか僕に飽きても、捨てたり……捨てたり、しないで下さいね」

湿っぽくならないよう言葉を選びながら、それでも必死に"忘れないで"と伝えようとするバーナビーの健気さに、虎徹の胸が激しく軋んだ。お互いの胸の古傷を抱きしめあって癒してきたのだから。離れる時に痛むのは、仕方がない、防ぎようがない。

「なあ、バニー……お前のPDA。それ、俺にくれないか?」
「……えっ?」
「手、貸せよ」

強い力で掴んだ手からダンボール箱が転がり落ちて床を叩いた。虎徹は無視して片膝をついた。そうして空になった左手の薬指にそっと唇で触れて、自身の左腕から外したPDAを、ゆっくりと彼の腕に嵌め──両手で包んだ手の甲に、再び優しいキスを捧げる。

「俺が自分のPDAを渡すのは、バニーが最初で最後だ」
「…………!」

息を飲む音が聞こえた。
分厚いレンズの奥の瞳が、悲しみとは違う種類の涙でゆらゆらと揺れ、崩れ落ちるようにして床に伏したバーナビーの手が、虎徹の掌を握る。バーナビーの腕から虎徹の腕へと移った真っ赤なPDAは、彼の魂のひと欠片だ。二人にしか解らない、燃えたつような愛の誓い。

「離れても、俺はずっとお前の側にいるから」

枯れかけた花に水を、切れかけた電池に再び力を与えてくれた相棒に、伝えきれない想いがある。いつかまた、どこかで会うことがあれば──その時はきっともう二度と、手を離せなくなるだろう。孤独だった虎徹を救ってくれた、孤独で美しい人の温かい唇が。銀色の指輪の輝く指に、触れるだけのキスを落としていく。



虎徹とバーナビーが再会を果たすのは、一年後のクリスマスイブ。そこから先の軌跡については、二人の死後に刊行された「伝説のバディヒーローの生涯」に詳しく記載されている。シュテルンビルトの中心地にある観光スポット"アポロンガーデン"に新しく建てられたタイガーアンドバーナビーの像は、ヒーロースーツの中でタイガーが赤の・バーナビーが緑のPDAを装着しているのだが、それを知る者は、既に一人もこの世にいない。なお、「この像の下で唇を重ね合った恋人達は生涯離れられなくなる」という伝説の真偽についても──ヒーローの象徴として"ずっと一緒に"街を見守ることになった"二人"のみぞ知る──といったところだろうか。


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