甘いまどろみを遮ったのは、カシャンという、無機質なシャッター音だった。間を置いて、三度。心地好いとは言えない音が、すぐ耳元で弾けて消える。

「っ……虎徹、さん?」

まだ覚醒しきらない頭で、側にいるであろう筈の恋人の名前を口にすると、数秒も待たずに「ん」という短い返事が届いた。矯正していない視力では、壁に掛けられた時計の文字盤が読めない。リビングで杯を交わして、程よく酔いが回ったところで忙しなくベッドに雪崩込んで――お互いが「もういい」と音を上げるまで、貪りあったところまでは覚えているが――一体全体、どのくらいの時間、意識を手放していたのだろう。

「目、覚めたか?」
「ええ……すみません、先に寝てしまって」
「気にすんなって。救助作業で疲れてるお前に、色々と無理させて悪かったな」

ごめんなあ。謝罪の言葉と共に伸びてきた掌が、バーナビーの前髪を掻き上げる。金色の髪と浅黒い指。露わになった白い額に、唇で軽く触れるだけの甘く優しいキスが落ちる。最初こそ触れられる度に身体を硬くしていたバーナビーも、今ではスキンシップを喜び、自ら「もっと」とねだれるまでに進化を遂げている。"無条件に甘える"。それは、簡単に見えてとても難しいことだ。伸ばした手が誰にも届かない悲しさを知っているからこそ、手を伸ばすことを恐れてしまうけれど。額から頬に流れた掌を、そうっと握って虎徹を見上げる。前触れもなく、唇に落ちてくるキス。

「……っ、あの、虎徹さん」
「んー?」
「さっき、何をカシャカシャやっていたんですか?」
「何って……カメラ」
「カメラ?」
「お前の無防備な寝顔、かっわいいなーと思って。で、カメラで撮ってみた」
「ちょっと待って下さい!何を勝手に……!」
「別にいいだろ、減るモンじゃなし」
「減るとか増えるとかそういう話じゃありません!人の寝顔を撮るだなんて、プライバシーの侵害ですよ!」

放つ言葉も荒々しく、寄り添った身体を引き離す。虎徹の前で寝顔を晒した回数を数えれば、両手両足の指を足してもまるで足りない程だ。羞恥と怒りで耳まで真っ赤に染まったバーナビーの横で、虎徹がはーっと溜め息を零した。仕方ないな。言葉にしなくともそう思っていることが分かるからこそ、腹の虫が治まらない。

「そんな怒るなよ。ごめんな、俺が悪かった」
「…………」
「バニー」
「…………」
「はあ……相変わらず頑固なのは変わんねえな。……隠しとくつもりだったんだけどな」

毛布の海に沈み込んだまま貝のように口を閉ざしてしまったバーナビーに、虎徹は何を思ったのだろう。不意にベッドがぎしりと軋んで、彼の気配が遠退いていく。……些細なことで臍を曲げてしまったバーナビーに、腹を立てて出ていってしまったのだろうか。今更虎徹の顔色を窺おうとしたところで、肝心の顔がどこにもないのだから、何をどうすることもできない。緑の瞳が僅かに潤み、まだ口付けの余韻が残る薄い唇を、白い歯の先が突いた。

そのまま、沈黙が落ちること、数分。独り残されたバーナビーの元に、見慣れた姿が帰ってきた。極端に悪い視力のせいで、視界は霞みきっているが、それでも虎徹の両腕が、何かを抱えているのに気付く。――本、それも大型の本だ。どうして、今、そんな物を。

「これ、な。お前の写真がスクラップされたやつ。誰のものだか分かるか?」

ベッドサイドに置いていた眼鏡を鼻先に乗せて、虎徹が拡げたそれを覗き込む。雑誌の取材記事、出演した企業広告、市販されているヒーローカード。――全ての写真一枚一枚に、手書きで言葉が添えられている。

「……娘さんの、ですか」
「サマンサさんのだよ。よっぽどお前が可愛かったんだろうな。何冊も何冊も、お前の写真を集めて並べて……」
「サマンサ、おばさん――!」

不意に、もう二度と味わえないパウンドケーキの味が、舌の上に蘇った。坊ちゃん、と呼ぶ声がする。穏やかな笑顔が瞼に浮かぶ。
震える手でめくったページのその先には、ついこの間、仲間のヒーロー達と催したドラゴンキッドの誕生日パーティーの写真が貼付けられていた。それまでのページとは違い、写真が斜めに傾いでいる。手書きの文字の、書体も違う。


"バーナビー26歳。ドラゴンキッドの誕生日会にて。ビンゴで寝袋を当てて困惑顔"
"バーナビー26歳。帰りの車の中にて。アルコールが回って少し眠そう"


呼吸が止まった。指が、唇が、肩が、震えてうまく動かない。言いたいことは沢山あるが、そのどれもが、言葉になる前に消えて無くなってしてしまう。虎徹の掌が肩に触れて、そのままぎゅっと抱きしめられる。

「家族の人に頼み込んで、俺が譲り受けたんだ。"これからは俺がバーナビーの幸せを見守ります"って、墓にもちゃんと挨拶してきた」
「…………っ」
「お前が爺さんになった時にさ、すげー格好よく渡して『コテツサンステキ!』って感動させるつもりだったんだけど……」

バツの悪そうな顔で頬を掻く虎徹の胸で、バーナビーは左右に首を振った。とめどなく溢れ出した涙が、逞しい胸にぽとぽとぱたぱた落ちていく。愛されていた、愛されている。それは決して目には見えないけれど――それでも、確かに"存在している"。

「目が真っ赤でウサギちゃんみたいだな……バニーちゃん」

無骨な指がシャッターを切り、世界が四角に切り取られた。涙で濡れた真っ赤な顔は、寝顔の何倍もみっともなくて情けないものに違いない。けれど、バーナビーはもう、虎徹を咎めたりはしなかった。



"バーナビー26歳。春。これからも、俺が隣で守っていく"




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