鉛色をしたヴィンテージ・カーが、真冬の山路をのたりのたりと駆け抜けていく。最高時速は80キロ。空調を弱から強に切り替えただけでヘソを曲げて道端に座り込んでしまう、20年目のベテラン選手だ。

「……ったく、ロイズさんも人が悪ィよなあ。どうせ遠出させるならもうちっとマシな車用意してくれりゃいいのによ」
「仕方ないでしょう、今の僕達は2軍なんですから。むしろ、これくらいの禊ぎで済ませてくれたことに感謝するべきですよ」
「あー、まあ、だな。普通ねえもんな、自己都合で退職した会社に再雇用してもらえるって」
「しかも、ヒーローTVの視聴率が奮わない地域の巡業を終えたら、また1軍に復帰出来るんですよ。本当、これ以上ない好待遇です」

舗装されていない道の上で、ボコボコの車体がぼこんと跳ねる。無駄に車高が低いせいで、尻に伝わる刺激もやたらとダイナミックだ。ハンドルを握るバーナビーに安全運転を心掛けるよう苦言を呈してみたところで、道まで平らに出来る訳もなく。クッション代わりに敷いた上着の位置を小まめに正しながら、虎徹は窓の外を見遣った。左右に流れる木々を照らす西日が次第に消えかけている。日没まであと僅かだ。日が落ち切る前に最寄の街まで出られるといいのだが。

「バニー、道分かるか?」
「……次を右、ですよね」
「正解。左に行くとオリエンタルタウンの方に行っちまうからな。気をつけろよ」
「へえ……虎徹さんの故郷もこの辺りなんですね」
「すげード田舎だろ?」
「ええ、そう思います」

遠慮のない物言いも、結局は"可愛い"の一言に尽きる。相棒から恋人に鞍替えしたいと望みながら、時流れること早1年。二人は未だに恋愛未満の清い関係のまま、前にも後にも動かず、だ。40を目前に控えるいい大人が何をちんたら――と苛立たしく思わなくもないのだが、"好き"が大きくなればなるほど臆病になるのが人間というもの。もしもバーナビーに拒絶されたら。――もしもバーナビーに他に想う相手がいたら。そう考えるだけで、虎徹の決意は簡単に尻尾を巻いてしまう。40手前の男の本気は岩より鉄より硬いのだから(砕けたが最後、二度と元には戻せない)。

「……虎徹さん」
「へっ?」
「何か、スピード落ちてきてません?」
「……そういや……なんか……お前、アクセルちゃんと踏んでるよな?」
「踏み込んでます。でも……駄目みたいです」

形のいい眉が顰まり、長い足が虎徹に向けてタンタンとアクセルを踏み込んでみせる。踏んで離して、踏んで離して。それでも速度は上がることなく、ついにピタリと動かなくなった。安っぽい針のガソリンメーターは中程を指し示している。燃料切れではなく、空調で機嫌を損ねた訳でもないとしたら――これはもう完全にお手上げだ。2人は顔を見合わせて、同時にはあっと溜め息を吐いた。外はもう薄闇色だ。修理は明日に持ち越すとして、問題は夜。この小さなオンボロカーの中で、6フィート前後の男2人が夜明かしをするのは"辛い"。ダニの住むモーテルでも、ここよりは遥かにマシだろう。幸い、あと少し行けば街というところにまで来ているし――。

「仕方がないですね。車を端に避けて、泊まれる場所を探しましょう」
「了解」

あっという間に結論を出した2人は、車を出て地面に降り立った。早いうちに宿泊先が見つかればいいのだが――。




---




城を模した外装、妙に高い塀、怪しく光る蛍光ピンクのネオン。街から少し離れた場所に鎮座するそれを見た瞬間、虎徹の頬は斜め上へと引き攣り上がった。オリエンタルタウン独自の文化だと思っていたが、あるところにはあるものらしい。大方、オーナーが使い勝手の良さを真似て逆輸入でもしたのだろう。

「こんなところにファンシーなホテルがあるだなんて……驚きました。でもこれで一安心ですね。虎徹さん、行きましょう」
「あー……バニー、ここはちょっと……おじさん違うんじゃないかなーって思うんだけどなあ」
「何がです?ホテルって書いてありますよ。それに、二人で一泊160$なら決して高くはないですよね」
「いや、そうじゃなくて!そういう話じゃなくて!」
「……?」

卑猥な色のネオンに照らされた顔は、悲しくなるほど無垢で無邪気だ。説明を求めるように傾げられた小首に、キュンと高鳴る胸が憎い。勿論、虎徹は間違っていない。間違っているものがあるとすればそれはこの建造物だ。5分ほど続いた押し問答は、結局虎徹が押し負けた。牙を剥けない弱気の虎に、神が与えた過酷な試練。獲物の兎は自分の足で、行き止まりへと歩を進める。

「おかしいな……フロントに人がいない。明かりは点いているのに……」
「バニー、バニー!」

教えるは一瞬の恥、ごまかすは一生の恥。虎徹は深く息を吸い込んで、フロントを覗き込むバーナビーの腕を自らの胸元に引き寄せた。虎徹のそれよりも少し高い位置にある柔らかそうな耳たぶを掴んで、一気に"それ"の概要を語る。余計なところはぼかして――大切なところは強調して。

「…………っ!」

骨ばった肩がぴくんと跳ね、長い睫毛が上下に揺れる。話が深部へ進むにつれ、喜怒哀楽のバロメーターでもある薄茶色をした二本の眉もどんどんとその角度を大きくしていき、全て説明し終わる頃には、眉間に大きな皺が出来てしまっていた。羞恥と不快感と困惑と動揺とを、ミキサーでまぜこぜにしたような顔だ。それこそ、見ている人間をいたたまれなくさせるような。

「いや、確かに説明した通りの建物だけど!今では男二人でも割と気軽に泊まれるらしいぜ?あ、ソッチの意味じゃねーぞ、友達同士でってことな!母ちゃんが買ってる週刊誌の特集でちらっと読んだだけだから詳しくは知らねーけど……物の試しにーって高校生とかが……気軽に……」
「……内装は普通なんでしょう?その……いかがわしい物が置いてあったりする以外は」
「……多分」
「それなら、深く気にせずに泊まりましょう。一部屋でいいですか?それとも、二部屋とります?」

百面相を切り捨てるスイッチはどこにあったのか。ピンと人差し指を立てて言葉を継ぐバーナビーの横顔に、先程の困惑の面影はない。どうします、と再度念を押されて、虎徹はごくりと唾を飲んだ。「一部屋」と答えれば下心を見透かされてしまいそうな気がするし、「二部屋」と答えれば、バーナビーを恋愛対象として意識していることがバレてしまいそうな気がする。イエスかノーか、天国か地獄か。渇いた喉に舌が張り付き、ネオンと一緒に視界も回る。

「さ…………」
「"さ"?」
「…………三部屋?」
「…………はあ、もういいです。とりあえず一部屋とって、泊まれそうになければもう一部屋追加しましょう。それで構いませんよね?」
「お前はいいのか?」

長い睫毛が上下に揺れて、緑の瞳が虎徹を射抜く。シュテルンビルトを離れれば、二人はただの男と男だ。偶然止まった車、偶然見つけたホテル。偶然も二つ重なれば必然も同然、これは神様が与えた進展のチャンスに違いない。真冬の風に身体を擽られた木々達が、裸の枝をかさかさ揺らして笑っている。沈黙。触れたくなるような唇が僅かに開き、また一文字に引き結ばれて、また開き。やがて、小さな声が漏れた。

「虎徹さんが構わないなら僕も……」

――と。




---




安っぽい内装もよれたシーツも、今夜ばかりは気にならない。一向に温まらない暖房さえ、寄り添う口実だと思えば愛おしくなる。赤錆のこびりついた自動販売機で買ったシャンプーセットでガシガシと頭を洗いながら、虎徹はふんふん鼻を鳴らした。"虎徹さんが構わないなら"。何度も反芻した言葉が、もぐら叩きのもぐらのようにしつこく脳裏に顔を出す。コンビを組んで1年、離れて過ごして1年、再会して1ヶ月。たったの2年はされどの2年だ。想いの濃さは3日3晩煮込んだカレーの比にならない。妙な形の椅子を足で蹴り飛ばし、ぺらぺらのガウンを肩に羽織って、虎徹は硝子のドアを開いた。ベッドには、先にシャワーを終えたバーナビーがぱたりと横たわっている。穏やかに肩を揺らして、規則正しい寝息を立てて……寝息を……。

「…………」

がくりと落ちた肩から、白いガウンがずるりと落ちる。丸一日、慣れない山道の運転を任せっきりにしていたのだ。睡魔に意識を取られたところで、虎徹に咎める筋合いはない。玩具箱をひっくり返したようなデザインの壁紙と、ポップな色合いの可愛らしいベッド。四肢を丸めて眠るバーナビーは、まるで幼い子供のようだ。

「……敵わねえよなあ」

呟いて、吹き出す。チャンスは逃げてしまったが、これはこれで"アリ"だろう。何しろ、警戒心の強いバーナビーが、安心しきった顔で眠っているところを見られるのは、この世できっと、虎徹ただ一人だけなのだから。

「…………っと」

濡れた髪を撫で付けて、狭いベッドに潜り込む。暖を求めて擦り寄ってきた大きな子供の髪を撫でて、巻き毛の束にキスを落として――これくらいは、と鼻にもキスする。唇は、奪わない。バーナビーが「いい」と言うその日まで、本当のキスはお預けだ。

「おやすみ、バニー」

ラブ、と名の付くホテルの中で、誰よりも清い恋を抱いて寝る。情けない、みっともない。そう笑う人がいたとしても――虎徹は笑い返すだろう。今日駄目でも明日頑張ればいい。死ぬまで一緒にいると決めた相棒に惚れたのだから、チャンスはあるさ、いくらでも――と。

月が回り、太陽が昇り、心地好い眠りから目覚める頃。シーツの海から身体を起こして、バーナビーはうんと腕を伸ばした。いつの間に眠っていたのだろう。記憶を辿り歩いても、意識を落とした瞬間のことを思い出すことは叶わない。虎徹を意識しすぎるあまり、変に突き放した態度を取ってしまったけれど、隣でぐうぐう眠っている虎徹を見る限りバーナビーの空回りは"空回り"に終わってしまったようだ。寂しいような――ホッとしたような。あちこちに跳ねたカールを手櫛で整えながら、バーナビーははあと肩を落とす。

「叶わないんだろうな……」

この恋、と吐息で本音を零して、再びシーツの波に潜る。相棒は相棒、それ以上にはなれない。広い背中に抱き着いても、色っぽい雰囲気は皆無だ。男相手に恋をした時点で、叶う可能性は0を大きく下回っているに違いないけれど。

「……虎徹さん!起きて下さい、時間です!」
「っわ!」

わざと冷たく肩を叩いて、何でもない顔を装う。相棒以上になれないなら、相棒のままで構わない。死ぬまで一緒にいられるなら、それ以上を望む意味はない。ある意味ではラブより重いライクだ。寝ぼけ眼の虎徹に服を手渡しながら、バーナビーは眼鏡のブリッジを強く押し上げた。




---




昨日はあんなにも不調だった車が、今日は驚くほど快調だ。立て続けに乗り回していたのがよくなかったのだろう。下り坂を駆け降りながら、踏むブレーキも不思議と軽い。助手席の虎徹は欠伸を噛み噛み、腫れた瞼を擦っている。眠れなかったのだろうか。

「あー、眠……」
「昨日、眠れなかったんですか?」
「お前は気持ち良さそーに寝てたよなあ」
「……もしかして、僕のせいですか?いびきとか歯軋りとか……」

大口を開けて虎徹が笑う。否定とも肯定ともとれるリアクションだ。道は上り坂へと差し掛かっている。対向車の姿は見えない。

「お前のせいかもな。だって、すげー可愛い顔で寝てんだもん。あーキスしてーなーって考えてたらいつの間にか朝になってるし」
「――――!」
「っ、うわ!危ねっ!」

アクセル、ブレーキ、ストップ。勢いよく跳ねた車はそのまま、再び眠りに入ってしまった。荒い息が二つ、交互に車内に鳴り響き、茶色と緑色の眼球が、お互いの腹を探り合い始める。

「また動かなくなっちまったなあ。どうするよ、バニーちゃん?」
「虎徹さんのお好きなように」
「……いいのかよ?」
「……ええ」

ラブがある場所には、ピンクのネオンもいかがわしいホテルも必要ないのかもしれない。誰もこない山奥の、裏道で。「ええ」の言葉を合図に二人は、ゆっくりとシートベルトを外した。


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