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※新←臨気味なシズイザ
※新羅はセルティとアイルランドにいっちゃったんだと思うよ


嘘とビデオテープ


臨也は疲れていた。彼はソファの上で、毛羽だち薄汚れたブランケットを身に纏っていた。カップの中には、何日か前のコーヒーが入っている。その中に押し込められた煙草の吸い殻は三本ばかりだ。どれも一口吸っただけで、カップの中に入れてしまった。肺の中に煙は入れていない。煙草は臨也が好んで使うものではなかった。何時でも、あんまりにも煙草を吸う男がいたから少しばかりの好奇心で口にしただけだった。ひどく不味かった。
「こんな不味いもの、良く吸うね」
あいつはそれに何と答えたっけ?臨也は思い出せずに舌打ちした。怒り出すかと思えばそうせず、ただ憮然とした面もちで臨也の手の中から煙草を奪い返した事だけは覚えている。


波江には休暇を言い渡してあった。臨也はブランケットにくるまりながら、大きな液晶テレビの画面に目をやる。高画質が売りのテレビの中では、古い映像がさっきから延々と流れ続けている。臨也が中学時代に何気なく撮ったものだった。当時はビデオカメラは高価なもので、学生がおいそれと買えるものではなかったけれど、臨也にとってはそこまで高い買いものじゃない。
ざらざらとノイズが走る画面には、制服に身を包んだ学生達が映っている。臨也はこれから、この画面の中に何が映るか知っている。もう何度も観た。観てしまった。埃を被っているテープを引っ張り出して、デッキに差し込んでから、臨也はテレビの前から動けなくなった。

『どう?ちゃんと映ってるかな?』
『新羅の眼鏡顔が良く見えるよ』
『眼鏡は余計だよ』

今の自分たちより幾分高い少年たちの声。やがて新羅の顔がテレビ画面いっぱいに映り出す。幼い顔立ちは真剣な目でビデオカメラのレンズを見つめている。

『しっかし新羅も下らない事するねぇ』
『下らなくはないよ!』
『下らないじゃん。あ、テープ代あとで請求するから』
『臨也はがめついなあ。ケチな男は嫌われるよ?』

臨也はリモコンに手を伸ばした。停止ボタンを押してしまえばいい。ボタンを押して、デッキからテープを取り出して、そしてこのソファから立ち上がろう。そうだ、熱いシャワーを頭から被ろうじゃないか。そうすれば、ここ曇った頭もすっきりするに違いない。そうするべきだ、と臨也の頭の中で誰かが囁く。彼の細い指はリモコンの上を動く。それでも結局、停止ボタンを押せずに早送りのボタンを彼の指は押してしまうのだ。中学生らしい幼い顔をした新羅の顔は古いテープのせいでぼやけている。それなのに眼鏡の奥な瞳は真剣な顔をしてこちらを見ているのがはっきりと分かった。少年らしい形をした口唇が動く。動いて言葉を吐き出す。臨也は耳を塞いだ。画面の中の新羅が何を言っているかは聞こえない。新羅の口だけが動いている。
不意にチャイムの音が響いて、臨也は慌ててテレビの電源ボタンを押した。


「……シズちゃん」

コンビニの袋を片手に下げた静雄がいた。来るなら来ると一つ連絡でも入れてくれなければ困る。そう不満を静雄にぶち撒けたとしてもどうにもならない事を臨也は知っていた。

「何だ、仕事が忙しかったのか?」
「どうしてそう思ったわけ」
「びっくりする位やつれてんぞ」

鏡見てみろよ、と静雄はデスクの上の鏡を指さした。ああ、と臨也は鏡を見てため息をこぼす。目はすっかり落ち窪んでいて白目の部分は充血が激しい。髪はすっかりくしゃくしゃで額の上で遊んでいた。臨也がビデオテープに捕らえられていた間にすっかりひどい事になってしまっている。

「ちょっとね、眠れないくらい」

眠れないくらい忙しかったのか、と静雄は一人で呟いていた。静雄がそう思う事は臨也にとって何も不都合でないから好きなようにさせておいた。

「隈がひでぇな」

不思議そうなやけに子供じみた声を出したかと思うと、目蓋の下に触れた静雄の指はあっという間に臨也の薄い口唇まで下がる。真ん中の一番膨らんだ部分を指の腹で擦ってから、静雄は指と同じような強さで臨也の口唇を食んだ。

「……何だよ」
「俺、シャワー入ってない……」
「気にしねぇよ」
「俺は気にするんだよ!」
高級なソファは男が二人乗ったとしても軋む音は小さい。シズちゃんがこんな風にじゃれてくるなんて珍しいな、と臨也は思っていた。明日は雨か雪でも降るんじゃないか。

「ちょっと、ほんとにダメだって、俺汚いからさ…」

ばたつくように動いた臨也の足にリモコンが蹴飛ばされる。ローテーブルの足にボタンが当たったのか。テレビの画面に光が灯った。

「――なんだ、これ」

まだ少年の新羅の顔がテレビの画面一杯に映る。少し緊張した面もちの少年は、口元を何度か擦った。眼鏡に縁取られた瞳にはビデオカメラのレンズが反射していた。

「新羅?…これ、あいつが中学生の時か?」
「――やめて、やめて!シズちゃんそれを消して!」

それは子供の他愛の無い遊びのはずだった。臨也が何気なく言った「ねえ、その『片思いのお姉さん』にはいつ告白するの?」に過敏に反応した新羅は、ビデオカメラを使って練習させてくれと臨也に頼んだのだった。思春期の少年にありがちな遊び。とっくに捨てていたはずだった古いビデオテープ。
ノイズの入ったテレビから声変わりする前の新羅の声が延々と愛の言葉を囁いている。あの時臨也は馬鹿馬鹿しいと思って、ビデオカメラに向かって練習をする新羅に付き合わなかった。ただ、カメラを貸しただけの事だ。延々と言葉を代えて繰り返される愛の言葉。新羅がセルティへと紡ぐ甘ったるい言葉。中学生の子供じみたきらきら光る宝石のような夢の言葉だ。今それは、まるで呪いに近い響きで天井の高い部屋の中に広がっていった。
静雄がどんな表情をして画面を見ているのか知りたくなくて臨也は両手で顔を覆った。

「お前、これずっと見てたのか…?」
「違う、シズちゃん、違うよ……!たまたまさ、古いテープが出てきたんだよ。気になって見てみたら新羅って本当変な事してるよねぇ!」

静雄の返事は無かった。明るいとび色の瞳はテーブルの上のコーヒーが縁にしみているマグカップを見ている。「たまたま、か」静雄がテレビのリモコンを操作する。部屋の中に奇妙に湿った沈黙が落ちた。臨也は「たまたまだよ」と繰り返すように返事をした。臨也の視界は指の狭い隙間だけで静雄がどんな表情をしているかまでは見えなかった。
静雄がデッキに近寄って、ボタンを押す。古い機械が発する音は大きい。ゆっくりと吐き出されたビデオテープを取り出した静雄は暫くそれを眺めていた。

「――待って!」

臨也は口元を押さえた。そんな事をしても一度飛び出した言葉が戻る事はない。曖昧な笑いが薄い口唇に浮かぶ。静雄はを磁気テープ引きだす為に爪にかけていた指を外した。

「ほら、壊せないんだろ」
玄関の扉が閉まる音がひどく近く臨也の耳元でするのは気のせいだろうか。
床の上に落ちたコンビニのビニール袋の中から、静雄の好きなプリンのパックが見えた。

『――セルティ』

呪いのような新羅の幼い声だけがいつまでも再生されていた。
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