2010サンプル | ナノ
TWO THOUSAND AND TEN INJRED LOVES
サンプル

俺の朝は早い。四時ごろに鳴る目覚ましがメロディを吐き出す前に起きるような習慣がついてしまってからそろそろ半年は経つ。
上掛けから腕を出して目覚まし時計を引き寄せる時の寒さから、今日の天気も余り良くないことが伺えた。イニシィアの天気はひどく気まぐれだ。それこそ、あいつと同じくらい。晴れたと思えば雨。大西洋からの風が直接ふきつけるこの島は、晴れた太陽を拝むことが出来るのは夏の間だけだ。その夏の間ですら、半袖になるほどの暑さの次の瞬間たちまち曇り、土砂降りになって息が白くなるほど気温が下がることも多い。
羊毛のラグを敷いていても床の冷たさを足裏に感じる。ヒーターを消してあるのは嫌がらせかなんなのか。サイドボードに置いてある。アラン編みのカーディガンを引き寄せる。
どこからかトマトの香りがした。それからハインツのビーンズの匂いがする。
深緑色のカーペットを敷いてある廊下を裸足のまま歩いていく。いい加減ルームシューズを履いてよね!と臨也は言うが家の中で靴を履く習慣には到底慣れそうにもない。

「また雨だよ、シズちゃん!」

臨也のいるリビングはとても暖かかった。それなのに寝室の寒さは何なんだ。俺はカーディガンを脱いでソファに放り投げた。臨也はこんなにヒーターがきいていても寒いのかいつもの黒のカットソーの上に、同じ柄のアラン編みのカーディガンを羽織っている。
木製のダイニングテーブルの上にはパソコンと大量の書類が散らばっていた。相変わらず夜中中仕事をしていたらしい。目の下にはっきりと隈が出来ている。

「はい、これ。それとおはよう」

臨也は机の上に白いマグをたたきつけるようにして置いた。揺れた水面の中にはぎっしりと豆が埋まっている。ハインツのビーンズ缶をお湯で薄めてマグに入れただけでスープと言い張れるのには毎回感心してしまう。

「つうか、またこのスープかよ」
「何?何か文句あるの?別に食べなくなっていいんだよ」

臨也は自分のマグを傾けた。その中にも大量の豆が詰まっているかと思うとげんなりするが俺は口を付けた。何かを胃に入れないととてもじゃないが家の外にでる気にならないからだ。
薄いトマト味だ。ぶっちゃけると大変おいしくない。と言うか不味い。なのに、臨也はこれが好きらしい。そのまま温めて食べるのが一番おいしいのにわざわざ薄める理由がちっとも分からない。

「俺は寝る。机の上のものは触らないでよ。あと、朝ご飯食べに行くときに起こしてー」

スプーンをマグに突っ込んで最後の豆を口の中に全てかき込んだ。時計に目をやる。四時半――羊を見に行く時間だ。
今日は日曜日だから、羊を放してからは島のパブで朝食を取ることになる。あそこの店主は朝一から酒を勧めてくるから苦手だ。
外はまだまだ真っ暗で波が打ち付ける音がひどく大きく聞こえて着た。口から吐き出す息は真っ白だ。
池袋にいた頃は、真冬でもバーテンダー服にペラペラのマフラーでいたが、俺の耐寒力も大西洋から吹き付けてくる風には降参するしかなかった。大西洋に負けるなんて癪だ。そう言うと臨也は呆れかえった顔で「じゃあ半袖で外歩けば?」なんて宣った。今ではカーディガンが欠かせない。
漁師が着ていたアラン・セーターは暖かく冬はこれ一枚で過ごすことができる。「カーディガンだけでいられるシズちゃんなんて信じられない」ともこもこと着膨れた臨也はそんなことを言うが、俺がもっとも信じられないのは百メートル先に住んでいるいかにもアイリッシュらしい恰幅のいい赤毛のばあさんだった。この前も薄いトレーナー一枚で氷点下の中を歩いていた。見ているだけで寒くなる。白人はえてして体温が高いんだよ!と臨也は言うがあのばあさんは何時見ても手にして飲んでいるギネスで暖まっているに違いない。
石灰石を積み上げた石壁で覆われた道は狭い。小型の自動車一台が通る道幅すらない農道を歩きながら、何となく家の方を振り返ってみる。白い漆喰壁に、黄色や赤色のカラフルな窓枠。平屋の低い家。最近ではイニシィアも、昔のような建て方をする家は減ったけれど臨也はわざわざアイルランド式の家を選んだ。
冬になると人口が百人にも満たなくなる小さな島。ゲールタハト。西の果ての小さな島。この世の果ての島。妖精と古代キリスト教の遺跡の島。

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