サンプル3 | ナノ


----冒頭サンプル----

そこは画廊だった。正確には、画廊を装った密やかな商談場所である。秘密めいた会談は、今では明るい白色灯の下で行われるようになった。
部屋の奥に2人の男がいた。一人は白いスーツに身を包みまるで自らの力を誇示するかのように長い足を投げ出している。それに相対するように黒尽くめの男は、上品に膝の上で細い指を組んでいた。

「――どうですか、この後食事でも」

商談の終わりに四木は煙草に火を点しながら、臨也にそう切り出した。そうですね、と臨也は少し考える振りをする。それからわざとらしく残念そうな表情を浮かべた。

「少し野暮用がありまして」
「野暮用ですか」

臨也はええ、と笑顔で頷いた。断られる事を前提とした提案と、断る事を予め定めているというのに空白を作り出す。これは毎回繰り返されるルーチンワークに過ぎない。

「それは残念ですね」
「また次の機会に」

それにしても何処に連れて行ってくれる予定だったんですか?と臨也は何気無さを装い屈託なく笑う。四木はくそったれなガキめ、と眉をしかめた。それから、何かを思い出したようにそういえば、と足を組み直した。

「折原さん。最近、あなたペットを買い始めたそうじゃないですか」
「ペットですか?」

臨也は聞き返す。

「何というか、やけに獰猛な獣をね。新宿の情報屋が飼っている、そんな噂があるんですよ」
「へえ、それは初めて知りました」
「あなた自身の情報なのに?」

 らしくもない、と四木は笑った。それはお前は、今嘘を吐いただろうと言外に匂わせているのと同じものだった。

「そう意地悪な事を言わないで下さいよ。――ええ、確かに最近飼い始めましてね。それもとびきり獰猛な」
「とびきりですか」
「四木さんなんて、ぱくん、と一口でやられてしまいますよ」

臨也は両手を使い大きな口を表すと、それを勢いよく閉じた。
「それは近寄りたくはありませんね」

「そうでしょう?」
「なるほどつまりそのペットの為に早く帰るという事ですね」
「ええ。今頃おなかを空かせていると思うんですよ」
「なら早く帰らないと」

四木は片手を勿体ぶって出口の方へと広げる。黒服を身に纏った男たちが無言で、立ち上がった臨也に近づいてくる。見送りなのだろうが、臨也には必要はなかった。
近くまで送るとの儀礼的な挨拶をこれまた儀礼的な微笑みで断った臨也はそのまま帰宅の路に足を踏み出した。

「おっと、いけない」

右足を出して、くるりとターン。夏に相応しいとは言い難い黒いコートの裾が揺れた。

「餌を買い忘れるところだった」

あの子は一杯食べるからねぇ、と臨也は一人そうごちると駅の近くのスーパーを目指して歩き出す。一度、試に高級なスーパーで購入したフランスの鶏の骨付きもも肉を与えた所口に合わなかったのか一口齧るだけで食べるのを止めてしまぅたのだ。どうやら、高級食材はお気に召さないらしいと判断した臨也は1パック200円ほどしかしない国産のそこそこ値の張る地鶏の骨付きもも肉を与える事にしている。

「どうもありがとうございましたー」

流れ作業も明らかにアルバイトの若い女性の店員が臨也の方を見ずに鶏もも肉を詰めながら口にする。半透明の白いビニール袋に入った鶏もも肉を片手に臨也は電車に乗り込んだ。

「ただいまー!」

臨也が帰り着いた場所は、新しく借りた事務所兼自宅の部屋だった。新宿の本拠地に近くにわざわざ新しく部屋を借りたのは、主にこの獰猛なペットの為だ。あんまり獰猛すぎるから、流石の波江でも見れば腰を抜かすかもしれない。臨也は自分の事務所で死体を出すのは嫌だった。それに波江だって腰を抜かしている間にぱくり、と行かれるなんて甚だ不本意に違いない。
狭い玄関のたたきに靴を放り投げるようにして脱ぐと、それから靴下も脱ぐ。濡れるからだ。べとついた靴下を吐くなんて最上級に気持ち悪い行為だ。臨也はバスルームを目指した。白いタイル地のがらんどうに広いバスルームだ。臨也が部屋を借りる時の決め手となったのがこのバスルームだ。バスタブと、小さな洗面台。それから白いタイル地。清潔そうな香りのする真新しいなバスルーム。
鼻に突く独特の苦い匂いに臨也は口を尖らせた。匂いの元を探そうと視線を走らせる。バスルームの床にこんもりと盛られた煙草があった。臨也は眉をしかめた。

「もう、吸うなら換気してよねって言ってるのに」

臨也は視線を床に落とす。その視線の先にあるものは丸まって、ぴくりとも動かない。その胸がゆっくりと静かに上下しているのに気が付く。どうやら寝ているらしかった。臨也は溜息を吐いた。普通は飼い主が帰ってきたら起きるものなんじゃないの?
先日読んだ飼育書には飼い主が帰ってくるのを足音で察知して玄関先で待つという動物もいるという事が書いてあった。読んだのはネコの飼育書ではあるが同じネコ科なのだから、それくらい出来てしかるべきなのだ。臨也はそう思う。

「でもま、仕方がないよね。まだ一週間なんだし。ほーら起きてーご飯の時間だよー」

臨也は鶏のパックをガサガサと音を立てながら取り出した。ガサガというその音に反応してか、丸い耳がピクリと動く。その次に目蓋が震え出し、やがて瞳が分厚い目蓋からゆっくりと姿を現した。明るいとび色の目がぼんやりとしたままバスルームをぐるりと眺めるように動く。そうして臨也に焦点が合い、鼻が匂いの元を探すように動いた。

「おはよう、シズちゃん」

----中盤サンプル----

臨也が静雄を拾ったのは、実の所本当に偶然だった。

「ママぁ、ライオンがいたよ!」
「何を夢みたいな言っているの、早くしないと遅れるわよ!」
「でも本当にいたんだよ!金色だった!ねえライオンて何を食べるの?」
「もう、お願いだからわけのわからない事を言わないで頂戴……」

幼稚園の送迎に行くのだろう。朝早い池袋の住宅街でそんな会話が繰り広げられていた。臨也は丁度それを耳にし、ふとそちらの方向を振り返った。黄色い帽子を被った幼い子供がスーツを着込んだ母親に手を引かれている。でも本当にライオンがいたんだよ!と子供は大きな声で叫んだ。
携帯を仕舞うと臨也は元来た道を歩いていく。子供に近寄り「こんにちは」と臨也は何時もの人好きのする笑顔を浮かべた。朝に相応しい声で子供に声を掛ける。

「ぼく、ライオンって何処にいたの?」
「あっち!あっちの道の一番奥!」

子供は話を聞いて貰えたのが嬉しかったのか、小さな指で影になって暗い道を指した。母親は不審そうな表情を一瞬浮かべる。

「でもお兄ちゃん危ないよ」
「大丈夫だよ。お兄ちゃんはそのライオンを探しているんだ」
「そうなの?」

母親が「もう行きますよ」と子供の手を強く引っ張った。バイバイと子供が手を振る。臨也もそれに振り返した。
子供が指を指した路地裏を覗き込む。朝だというのにビル同市の隙間になっているそこは暗くて良く見えない。黒いゴミ袋と空調が乱雑に置かれている路地裏を進んでいくと何か柔らかいものを踏み、臨也は慌てて靴の先を見た。紐のような長いものを踏んでいる。視線を巡らせると、その先端に柔らかそうな毛が丸まっていた。

「本当にライオンだ」

視線を上げると、尾が続いている。更にその先に視線をやり、臨也は何度か瞬きをした。一度、路地裏の入り口の方を見る。目を何度か擦り、わざわざ携帯で写真まで撮影した。
データの中にも寸分違わず、今自分が目にしているライオンが映っているのを確認してやっと、これは夢ではないのだと結論を下した。
それから、足元のライオンを見る。
金髪にバーテン服を着ているライオンを。
臨也に背を向けて地面に倒れているので、サングラスをかけているのかは解らない。ここが新宿であれば金髪にバーテン服=平和島静雄という等式は百パーセントの確立では成り立たないが、池袋でなら成り立つのだ。

「――……シズちゃん?」

 臨也はそう口にした。静雄に耳と尾が生えている。やはり、これは夢ではないのかと臨也は再び思い始めていた。先ず、何の理由があったとしても、何故静雄はこんな路地裏で転がっているのだろうか。臨也は爪先で背中を突き、自らの方に転がした。

「シズちゃんだよね?」

臨也の方に向けられた顔ははっきりと静雄のものだった。金髪の髪から覗く丸い耳は微動だにしていない。

「耳なんかつけて何をしているのさ……あの上司と飲んでいて酔った勢いでコスプレしたとか?それで自宅だと思って寝ている場所がこことか?」

一人でぶつぶつと呟くも返事は返ってこない。あの上司マニアックなプレイ好きそうだもんなーと臨也は何気なく耳に触れた。
温かい。臨也はもう一度触ってみる。さらに次は少し力を込めて握った。偽物のポリエステルのような手触りではなかった。それに、人間ならあるはずの顔の横にある耳が静雄には見えない。

「本物だ……!」

ならば尾の方も本物なのだろう。さっき踏んづけて悪い事をしたかな、と臨也は一瞬思ったが静雄だから構いやしやしないか、という結論に達する。

「でもどうしようか」

臨也がこんなに近くに存在していても、気にせず静雄は眠り続けている。ちょっとやそっとの事では目覚めなさそうだ。
結局、臨也はセルティではない運び屋に連絡を取り、波江に今日は休んでくれとメールを入れた。すぐさま返事が来た波江からのメールはそれでも日当は貰うとの事だったがそれは見なかった事にする。
 




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