サンプル2 | ナノ
----冒頭サンプル----

八月上旬のある雨の日の午後に臨也はもうたくさんだと結論を下した。時計を見れば、丁度3時を回ったところだ。全くもって、本当にもうたくさんだった。デュラハンの首は結局の所、ちっとも目覚めなかった。目蓋の一つ震えもしなかった。目覚めないデュラハンの首のせいで、中学からの唯一の有人を失いかける羽目になった。いや、実際のところ失っているにも等しいのだ。
臨也はそんな事を思いながら、立ち上がり、波江が丁寧に整理していた本棚に向かい「ゲシュタルト療法」とタイトルに書かれた一冊の本を取り出した。その本の後半のページの上部に、死神の電話番号を書きとめてあった。
何時だったか覚えていないが、ありとあらゆる超自然現象に興味を持っていた男の子からバスの中で教えてもらった番号だった。その時に死神だけではなく、メキシコ市の霊媒師やサイエントロジストの極左の団体とも連絡を取る方法も、少年は教えてくれた。実際、それはアメリカを訪れた時に手に入れたものであるから、日本に国籍のある臨也にとって余り役には立ちはしなかったのだが。それでも臨也が日本人だと知ると、男の子がチャイニーズじゃなくてジャパニーズになら役に立つ番号だよと言ってよこしてきたのがこの番号だった。この死神協会は日本に支部があるのさ。最近はなんでもかんでもグローバル化しているね。
臨也はその時は人好きのする笑顔を浮かべながら、この死神は一体何の暗喩なのだろうと考えていた。考えながら赤土のアメリカの大地をバスの車窓から眺めていた。今ではその考えはすっかり変わってしまっている。
デュラハンに妖刀に吸血鬼まで存在するのならば、死神くらい逆にいてもらわなければ困るのだ。
臨也は死神に電話をかけた。話し中だった。本を数ページ読んだ後再びかけると、今度は繋がったが、死神ではなく秘書だった。臨也は仕事用の携帯の電話番号を告げると回線を切った。何故だか馬鹿にされたように感じ、臨也はその本を同じように一番上の棚に戻した。
二日後、臨也の携帯が震えた。死神からだった。

「折原臨也さんをお願いしたいのですが」
「私です」

臨也は期待を込めた。携帯を握る手が震えていたのかプラスティックがきちきちと鳴る。臨也は立ち上がり窓に向かった。それから少し考えブラインドを降ろした。

「お待たせしてすまなかった。私が死神です。二日前に電話を頂いたようで」
「ああ、はい」



----中盤サンプル----



絵空事という言葉がある。臨也はこの言葉が大好きだった。
この世の事と、薄紅色の夢とのあわいに淡い羊雲みたいに浮かんでいる絵空事を追いかけて、ここまでやってきた。そうして、今一番高く浮かんでいる羊雲の上に乗ろうとしているのだ。

「人間はなかなか死ねないもんだね」

がらんと広い部屋の中には人間が二人いると言うのに、臨也の言葉に返ってくるものはなかった。

「ねー波江ー。そう思わない?」
「……死ぬ人は結構あっさり死ぬわよ」
「その違いって何かな」

波江はうんざりと臨也の方を振り返った。その顔には雇い主との似非哲学談義につきあうのは真っ平ごめんだと描かれている。

「一つ教えてあげるわ。昔、重度の結核にかかったとある老画家がいた。その画家はとんでもない悋気持ちで、女弟子とその女弟子を恋人にしていたかつての画家とそれは大層ゴタゴタしたようよ。女が出かければ後をつけたり、帰れば責めたり、そうしてまんま正気ではなくなって――結局、その病気のほうが画家にあきれ果てて逃げていったわ」
「なるほど。そしてその話の教訓は?」
「何かに執着する人間だけはなかなか死なないって事よ」
「俺もそれには同意するよ」

臨也は携帯を取り出すと、メールの作成画面を開く。暫く指をボタンの前にさまよわせていたが、やがてリズミカルに文字を生み出して行く。

「やけにご機嫌じゃないの」
「あ、わかる?」
「またどうせ下らない事企んでいるんでしょ」

臨也は波江に片眉を跳ね上げた。

「くだらなくはないよ。デートの誘いのメールを打っているんだから」
「信者の誰とデートするのよ」
「シズちゃんだよ」

シズちゃん。波江の形の良い口唇が反芻するように動いた。彼女はもう一度お願いできるかしら、と臨也に向き直った。

「だから、シズちゃんだよ。本名は平和島静雄。生年月日は198×年一月二十八日。あだ名は池袋の喧嘩人形で――」
「言われなくても知っているわよ。誠二の邪魔をした奴でしょう。ゲイだとは知らなかったわ。それよりあなた、彼ととても仲が悪いんじゃなかった?」
「いやーシズちゃんは多分ヘテロだよ。ま、これからどうなるかは知らないけど。あんまり仲が悪すぎるとこういう事も起きるんだよね」
「あなたが誰と付き合おうがセックスしようが私には関係ないけれど、巻き込まないで頂戴ね」
「それ、どういう意味?」
「山田順子になるのは嫌だと言っているのよ」
「さっきの話が竹久夢二と徳田秋声だから山田順子の名前を出したのかな?安心しなよ、波江。君にはあの和製ノラのような淫蕩さはないからさ」

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