子供2 | ナノ

俺の知らない住所を運転手に告げたシズちゃんはまだ泣いている。

「ねぇシズちゃん、あの電話は何?」

俺の質問には完全無視だ。シズちゃんが何の答えもくれないから、仮説を進めるしかない。

「やっぱりあれは着信アリ、な感じでいい?化け物対怨念か…どっちが勝つのか想像に俺は今から興奮して溜まらないよ」

まだシズちゃんは泣いている。スウェットにTシャツのまま鼻をすすり上げる池袋最強にタクシー運転手はは先ほどから真っ青になりながらハンドルを握っている。
あの平和島静雄がしくしく泣きながらタクシーに収まっているなんてまあそれでなくてもホラーだろう。目的地に着き、メーターに表記された額に幾許かの上乗せをして俺はタクシーを降りた。
タクシーを降りた先はよくある平屋の二階建てのアパートだった。古さはシズちゃんのところと良い勝負だろう。赤いペンキの剥げたポストに近づくと、どのポストにも沢山のチラシが詰め込まれていた。風俗、街金、アダルト店のダイレクトメール。住民層が見て取れる郵便物だ。

「あ、シズちゃん待ってよ!」

俺がチラシに目を奪われている間にシズちゃんは勝手知ったるなんたら、とばかりに一階の奥の方に進んでいく。外に取り付けられている洗濯機に危うく足を取られかけた。
扉を見れば取り敢えず外してみる、というちょっと理解出来ない趣味を持つシズちゃんはインターフォンなんて存在しないように玄関を開けた。チェーンが千切れ、蝶番が弾け飛ぶ。外された扉の中から転がり出てきた、人類の永遠の敵であるたまに飛んだりする触覚の長い黒い虫に俺は悲鳴をあげた。

「ぎゃあっ!ゴキブリ!ゴキブリ!」

ゴキブリは俺の悲鳴に驚いたのか慌てふためきながら何処かへと姿を消した。シズちゃんはいつの間にかいない。部屋に入ってしまったようだ。
短い廊下にはゴミ箱がぎっしり詰まっていた。透明のビニールの中には生ゴミが詰まっていてよくよく見れば新しい文明が生まれていた。暫く絶食ダイエットが出来そうな文明だ。
俺の高級な革靴の裏が挨拶を交わすには相応しくない廊下だがシズちゃんはそんな事を一切気にせず薄っぺらいゴム靴のまま、進んで行く。
1Kの部屋の真ん中に大きな青いゴミ袋があった。ちょうど、小さな子供が膝を抱えて座るくらいならすっぽりと入る大きさ。
俺はそろそろ仮説1を破棄すべきだと気づく。だが仮説2を捨てるにはまだ早い。
シズちゃんは半狂乱になりながら、その青いビニールを破った。ころん、と中から出てきた薄汚れた人形。
赤いスカートの裾はほつれていて、履いている靴下は元の色が解らないほど汚れていた。シズちゃんはもう流す涙も無くなったのか呆然と女の子を抱きしめている。
肩から見える女の子の顔は眠るシズちゃんにそっくりだ。俺はついに諸手を上げて降参し、仮説2を放り投げた。


仮説3は今のところは事実に変身してしまった。その呪文が幽君の着ボイスとは、いやはや。
貧乏くさいアパートにはパトカーが四台ほど止まり、黄色いテープが貼られている。見知った顔の風紀課の刑事に俺は手をひらひらと振った。

「またお前か」
「やだなぁ、今回は僕は何も関係ないですよ!」
「どうだかなぁ。それにしてもガキが死ぬ現場は本当嫌なもんだ」
「ちなみに死因は何ですか?」
「鑑識が始まったばっかりだろうが。まあ、見たとこ外傷もあんまねぇし餓死ってところか」
「餓死…虐待ですかね」
「だろうな」

スウェットに襟の伸びたTシャツの金髪男が警察に何やら問い詰められている。
これがシズちゃんでなけれただのアホで間抜けでくそったれなチンピラで話は終わる。
だが涙を手で拭きながらつっかえつっかえ喋っているのを見ると今すぐ飛んでいって頭を撫でてあげたい気持ちにさせられてしまう。
全く恐ろしい男だ。流石シズちゃん。

「あれ、平和島静雄じゃないか。バーテン服じゃないから解らなかった」
「それが、あの女の子、シズちゃんの子供だったみたいで」
「――なるほど」
「……シズちゃん、何か罪になります?」
「今は何とも言えないな。親権があったのかも認知していたのかも解らない。なんだ心配なのか?お前昔あいつを捕まえさせてただろ」
「僕がハメる分には構わないんですよ」
「ハメられてる奴がよく言うぜ」
「――下品な刑事は嫌われますよぉ?」


お前、刑事ってのは下品が相場だと決まっているだろうと男は肩を揺らす。シズちゃんを見れば、今はぽつんと一人で立っていた。真っ赤に泣き腫らした目で俺を見る。

「臨也ぁ、なぁ…」
「うん、何」
「死んじまった…なあ、三日前には死んでたんだってよ」
「そうだね。可哀相に餓死だって」

シズちゃんはぽつりぽつりと呟きだした。話の流れは不明瞭だったが、シズちゃん語の通訳としてはウン数年の実績を持つ俺だ。なんて事はない。
話を纏めると、高校の沖縄修学旅行中に激しく追いかけっこをしてシズちゃんが戻って来なかった夜に世話になった相手が母親らしい。妊娠したと告げられたシズちゃんは勿論責任を取るなどイケメンっぽい事を言ったようだが、高校生に責任を取ってもらうほど落ちぶれてはいないと断られたようだ。なんという美談。
俺は涙ぐんだ。あの呪いじみた声の持ち主を思いだして、都会の闇にも涙ぐんだ。
その後母親は沖縄から出てきて、こちらで働き出したらしいがそこからは良くある話だ。田舎の兎が都会の狼に騙され、あとは転落真っ逆様。毎年決まった時期に送られてくる娘の写真が届かない事にシズちゃんは少し遅いなあ、と思っていたようだ。
何てこった。俺の調査不足とは。シズちゃんが童貞を切った相手は俺だと思っていたのに!三流記者に静雄の事は俺だけが知っていればいいとドヤ顔をした過去を取り敢えず抹消したい。
大体一回の中出しで妊娠するなどどれだけシズちゃんの精子は強いのだ。
俺が愕然としていると何やら勘違いしたシズちゃんがノミ蟲ごめんなごめんな、と俺の肩に頭を擦り付けてきた。その額にキスでもしてやりたかったが、警察どもがこちらを見ているのに気がついてハンカチを差し出してやるに留めた。

「シズちゃん、謝る相手が違うと思うよ」

全くその通りだ、といつの間にやら背後にいた刑事が頷く。俺はシズちゃんの涙を拭いてやりながら刑事を無視した。
鼻水と涙でぐしゃぐしゃになったハンカチをシズちゃんのスウェットに押し込む。なんだか腹が立ってきた。俺の口座とこんにちはすればあしながおじさん役を10人は軽く演じられるというのに。あの子はこんな豚小屋みたいなところで腹を空かせて死んだのか。俺はシズちゃんを蹴飛ばす。痛みに呻いたのは俺だ。


シズちゃんは重要参考人という名目で警察にドナドナされて行った。制服警官が「いたいけな子供を虐待死させるなんて!ゴミが何も考えずに生むからだ!」と叫んでから調書の平和島静雄という名前を見て慌てて口を抑えていた。俺がシズちゃんをゴミと呼んだ制服警官をじっと見つめるとすいません腹痛が、と下手くそな演技をして何処かへ走り去って行った。
取調室のマジックミラーの奥ではすっかり憔悴しきったシズちゃんがいる。憔悴しきって座ったパイプ椅子が悉く鉄屑と化し、結局立ったままお話は行われるようだ。からからと回るテープを見ながら俺は一葉の写真を目をすがめて見る。写真の日付は二年前だ。私服のシズちゃんがぎこちなくカメラに向かいその腰辺りにシズちゃんに良く似た女の子が抱きつきながら笑っている。
ところで何故俺が取り調べ室に入れているかだって?まあその辺りは企業秘密だよ。


「シズちゃん!」

俺は警察署から出てきたシズちゃんをひしと抱きしめた。朝から着続けているTシャツはすでによれよれだし、サンダルから飛び出た人差し指の爪は黒く汚れている。

「シズちゃん大丈夫?今日は俺の家においでよ。お腹も空いたろ?お寿司とるからさぁ」
「腹は減ってねぇ…」
「そう?でも朝から何も食べてないじゃん。何か口にしなよ」

シズちゃんは頭を横に振った。飯はいらねぇ、と呟く。俺はシズちゃんの考えが手に取るように解りすっかり呆れかえった。

「ばっかだなぁシズちゃん。君が飢えてどうするの。今更君が飢えたってどうにもならないよ」
「黙れよ!」

黙れ!とシズちゃんが俺を殴る。今日は財布の役割を果たした俺だったが、ついでにサンドバックの役割も今から果たすようだ。
しかし警察署の前で暴行罪に及ぶとは根性が据わりすぎているにも程がある。いやただアホなだけか。

「シズちゃん!ここ警察のど真ん前!あのさぁ殴るんだったら家帰ってからにしてもらえるかな?もう一回戻りたいんなら良いけど」

殴られた頬押さえながら警察を指さすとシズちゃんは振り上げていた手を下ろす。俺はその間にタクシーを呼ぶ。五分で向かいます!と元気のいい声が携帯の向こうから響いた。
疲れたのだろう、タクシーの中でシズちゃんの頭がぐらぐら揺れる。俺は運転手に遠回りを命じた。
シズちゃんの頭がずれて俺の肩に落ちてくる。可哀相に、とその頭を撫でながらざあまみろ、とも思っていた。シズちゃんなんか、もっと苦しめばいいんだ。
俺はコートのポケットの中で写真を握りしめた。
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