ブルースカイ | ナノ

ミスターブルースカイ


「ねみぃ…苦いし…」

静雄は無糖の珈琲の缶を傾けながら左目を擦った。普段なら決して飲まないような苦い珈琲で眠気が消し飛ぶ事を祈りながら、また一口含む。
朝目が覚めた時は濃く煎れた緑茶。
それから一時間毎に珈琲を一缶。それでもここ数日突然意識を失うかのように、眠ってしまう。
取り立て中。食事中。歩いている時。
さすがに可笑しいと静雄は首を捻った。思春期にはひたすらに眠い時期があるというが、静雄はとうの昔に成人している。
病気だろうか?と新羅の電話番号を呼び出したが、耳に聞こえる長い呼び出し音に、まあ大丈夫だろうと携帯を閉じた。


「――…雄!静雄!」
「はっ、はい!」
「おめーまた寝てんべ?なんだあ?夜更かしか?」
「いえ…すいません、トムさん…俺、寝てました?」
「ん、爆睡してたぞ。まぁ起きたから良いけどよ。ほら仕事行くぞー」
「はい。…えーと、今日はどんくらい回るんですか?」
「んーと16社回るか!この前のあの門前払いキツかったよなー。せめて名刺くらい置かせてくれよって思うべなぁ」
「あの…トムさん」
「どした?」
「俺たちこれから取り立てに行くんすよね」
「は?取り立て?」
「え?」
「静雄、おめーまだ寝てんのか?ゴム会社に何取り立てに行くんだよ。ゴムか?まあ契約を取りに行くってのはあるか」

トムが頭を掻き、静雄は違和感に目をしばたいた。髪型はいつものドレッドだが、スーツが違う。いつもの横縞の派手なシャツではなく、薄い青色のシャツだ。
ちゃんとしたサラリーマンみたいだ、と静雄は思った。ちゃんと、だって?
静雄は目を擦ろうとしてサングラスを上げようと指を動かし、動きを止めた――サングラスをしていなかった。顔を上げた先に、事務所の中の鏡に映る自分に静雄は気が付く。明るい栗色の髪。量販店に並ぶ安そうな皺のよった黒いスーツ。
「………え」
「おい静雄涎ふけよー!遅刻すっからもう出るぞ」
「あっ、はい!」

トムの声に静雄は慌てて口を拭う。ジャケットのボタンが当たった。シャツじゃない――あれ?じゃあ俺は何の服を着ていたんだ?
スーツだろう。スーツに決まっている。
サラリーマンがスーツ以外着ているなんてあり得ないじゃないか。


会社から出ると、空は驚くほど晴れていた。トムが久々の青空だなぁ、と静雄に笑顔を向ける。皆傘を片手に歩き、晴れ渡る空を見上げて幸せそうに微笑んでいた。

「春の外回りだけは最高だよなぁー」
「そうっすね」

随分久しぶりの青空だ。二週間ぶりになるのだろうか。早く始まった梅雨に毎日のように傘が手放せなかった事を静雄は思い出す。
トムが携帯を見て会社の地図を確認する間、静雄は人混みでごった返す駅を見ていた。久しぶりの晴れなだけに、外出も増えたのか。
もうそんな時間なのか、制服を来た学生が増えている事に気が付く。その中の三人組が騒いでいる。金髪一人に黒髪二人。危ないなぁ、と思った時にはすでに遅くその中の一人が静雄にぶつかった。

「わっ―…!」
「…っ、と」

背中に当たる身体に静雄が振り返る。大人しそうな顔をした高校生が眉を下げていた。

「すみません!」
「あ―…気をつけろよ」

はい、と高校生が躊躇いがちに微笑み、静雄に向かって頭を下げる。少年は直ぐに踵を返し、金髪の少年と黒髪の少女の所へ駆けて行く。彼らの持っていた傘が空へと舞い上がる。ビニール傘に青い水玉。
トムが呼ぶ声に静雄は足を踏み出した。


「静雄!」

背中に投げつけられた青空にすら負けないような声に静雄が振り返る。美しい青空に相応しい白いコートを着た男が立っていた。さらさら揺れる黒髪にはピンク色のヘッドフォンが飾りのように被さっておりそれが少し奇抜だ。

「あ、折原さん」
「田中さんもこんにちはー。今外回り中ですか?」
「まあね。散歩代わりってとこですわ」
「お疲れさまです」
「いえいえ」
「…どうしたんだ、臨也?」

口から出てきた名前に小さな違和感を感じ、静雄は首を捻った。喉咽に小さな小骨が刺さったような違和感。
恐らく今日が晴れだからだろう。
二週間ぶりに青空が広がっているから、何気ない事に違和感を覚えるのだ。静雄はそう納得し、臨也に向き直った。

「静雄のお仕事終わったかなぁ〜って」
「まだ三時だぞ?公務員すら終わってねーよ」
「でも何時も営業からは直帰じゃん。今日はもう終わりなんでしょう?」

臨也は口を突き出す。あんまりに子供じみた態度に喉咽に小さな小骨が突き刺さったまま静雄は溜息をついた。余り我が儘を言うな、と続けるつもりだった。

「あー静雄、付き合ったれや。社長には俺から言っとくべや」
「ちょ、トムさん…!」
「わあ!田中さん優しい!」

するり、と白いコートにくるまれた腕が静雄の腕に回される。ぐい、と強い力で引きずられ静雄はたたらを踏んだ。
道行く人達が傘を片手に振り返り笑顔で静雄に挨拶をする。ようこそ、ようこそ。ゴム会社の受付嬢の笑顔を思い出した。ようこそ!
青空が輝く道を臨也が踊るような足取りで駆けていく。

「ねぇ、静雄!屋上に行こうよ。晴れているしきっと気持ちがいいよ」

臨也が一つのペンシルビルを指さした。建築されてから少し年数の立ちすぎたビルは外装が剥げている。
屋上だなんて危ないだろう、そんなところ。臨也は驚いたようにぱちり、と目を開く。
「なんだ、何か俺間違った事言ったか?」
臨也は一瞬虚を突かれたような顔をしてから首を振りううん静雄が正しいよ、と破顔した。


アパートの前の電灯の下に、一人の男が立っていた。
静雄は目をすがめる。電灯は切れているのか灯りは灯っていない。
随分と暗い。さっきまで、信じられないくらい晴れていたのに。まるで夕暮れ早送りにして夜になったみたいだった。
静雄はその男の前を通り過ぎようとし、そっと、肩に手を置かれた。
羽毛のように軽く置かれたその掌がまるで岩のように重く感じられ静雄は立ち止まる。
「シズちゃん、そっちに行ったらだめだ」
男がそう口を開き、静雄は肩に手を乗せた男の顔を見た。
「迎えに来たんだよ」
黒いコート。黒い服。全身黒い男。あんまりに暗くて顔は良く見えなかった。夜みたいだ。全身黒い中から、紅い目がちらりと覗く。
白い服を着た臨也はいつの間にか隣には居なく、静雄より随分と前の方を歩いていた。
臨也、と呼びかける前に彼はくるり、と振り向いた。
頭のヘッドフォンから桃色のケーブルが合わせて揺れる。
「もう、夜なんだね」
さっきから暗いのに一体何を言っているのだろう。とうの前から夜じゃないか。
臨也は空を見上げていた。
臨也の口が何かの形に動く。静雄の肩に乗せられた男の手に力が籠もった。静雄を引き留めるような力の入れ方で、静雄は思わず足を止めた。

「さよなら、ミスターブルースカイ。ミスターナイトに追いつかれちゃったんだね」




「あ、静雄起きた?」
「………新羅?」
ゆっくりと目蓋を開けた先に見えた人影は心配そうに静雄を覗きき込むセルティと、普段通りの新羅だった。
頭をめぐらせると黒いソファの上に横になっているのが解る。何時ものバーテン服のベストは呼吸をしやすいようにか、開けられていた。

「俺、なんでここに…」
「そりゃ怪我したからね」
「…はぁ?」
「覚えてないのかい。静雄、自分に自販機を落としたんだよ。投げようとして、その場で寝落ちとかいやはや意味不明だよね。臨也が静雄が潰れた!とかって半狂乱で君をここまで担いで来たんだけど…」
「ノミ蟲が?」
「まあ当然のように無傷だったんだけどね。君、随分眠ってたよ。夜更かししたの?睡眠不足だった?」
「いや…最近何していても突然寝ちまう事があってよ…」
「それはナルコレプシーにでもなったのかい!じゃあ早速診察しないと!」

まあるい瞳を輝かせた新羅がセルティに影で刺されている。静雄は頭を振った。大丈夫だ、と呟いた先が新羅なのか自分自身なのかは定かではなかったがもうあの恐ろしいほどの眠気が襲っては来ないのだろう、と静雄は確信していた。
夜が迎えに来た。青空は再び長い長い別れを告げる。
何処で間違ったのだろう、だって?初めから何も間違ってはいない。
静雄は、新羅の部屋の窓から外を見た。驚くほど真っ青な晴れ間がそこには広がっていた。




夢渡りプルチネッラのユメリスみたいなサイケたん+ELOのmr.blue skyを足してみた
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -