黄金2 | ナノ
「と、思ったのになぁ…」

両手で抱えるようにしていたケーキの箱だが、もう駄目だろう。上へ下へ。飛ん
で跳ねて。そんな過酷な状況に耐えられる訓練を生クリームは受けていない。
かろうじて、酒瓶に罅が入っていないだけでも喜ぶべき事か。
再びスタートラインを切られた鬼ごっこの勝敗は簡単に見えていた。金色の鬼な
んて、どうあがいても勝ち目はない。ここは恵比寿だぞ!ルール違反だ!と叫ん
だが、鬼はやっぱり人語を解すレベルにないらしい。
屋上の鉄柵にもたれるとひんやりと頬が冷える。そのままずるずるとしゃがみ込
み、ビニール袋からジンのボトルを取り出した。赤いキャップを外し、直接口を
つける。乾いた喉咽を伝って胃の中にアルコールが落ち、目蓋の裏が焼けるよう
だった。
ボトルが半分空になった辺りで、俺は顔を上げた。盛大な音を立てて金色の鬼が
お出ましだ。

「シズちゃん……俺は色々あってもう疲れ切ってるから見逃して欲しいな。ここ
は恵比寿だしね。池袋でも新宿でもない。
それに動物は夜にはゴーホーム、だろ?」

夜の挨拶代わりにそう云えば静雄は黙って煙草を携帯灰皿に押しつけた。身体は
くたくたでもう食べられないだろうがケーキも持っているし、俺はこれ以上揉め
事を起こしたくない。
だが、口だけは最早条件反射のように動いていく。口が身体の云うことを聞かな
いとか、今更だけれど全く俺の口はどうしようもない生き物だ。
普段だったら標識がすでに振り回されている時間を優に沈黙が上回り、その事実
に俺の口はようやく封じられる。静雄が俺が抱えているケーキの袋を指を差し、
すっと口を開いた。

「なんでケーキなんか持ってるんだ」
「さぁ、なんでだろ」
「………そういやてめぇ、今日誕生日か」
「…わぉ、君に誕生日覚えられてるとか気持ち悪いなぁ。お金あげるから今すぐ
忘れてくれない?」
「あー…幾つだ。30か!30なんてもうおっさんだな」「俺とシズちゃんは同級生
だから、俺がおっさんなら君もおっさんになるんだけど?」
「俺はてめぇより八ヶ月遅いんだよ。この間29になったばっかだ」
「ふうん。俺は20代だぞ自慢はまだ続くのかな?」

ちげぇ、と静雄は頭を振った。それから、半分空になった握ったままのジンのボ
トルに眉をしかめた。
死ぬ気か、と静雄が呟き俺は理解出来ずに首を傾げた。静雄の発言はいつも突飛
がない。俺はそれに必ずうんざりさせられる。今もそうだ。その疲労ごと飲み込
むようにしてまたボトルを傾けた。

「知り合いに30の誕生日にしこたま酔っぱらって、ケーキを作って貰ってやった
奴の顔にそのケーキをぶち込んだ挙げ句ホテルの屋上から飛び降り掛けた奴がい
んだよ。
理由をきいたら30になるのがちっともハッピーじゃなかった、お前も30になれば
解るとか抜かしやがったんだ」
「いきなり何の話?」
「だから、死ぬ気か、ってきいた理由の話だよ」
「ははぁ、なるほど。全く意味が解らないけど、君の知り合いの頭が残念なのは
解ったかな」
「てめぇだって頭の可笑しさじゃ似たりよったりだろ」
「へぇ、つまり、頭の可笑しい事で知り合いに似てる俺が30になったこの日にち
っともハッピーじゃない!って叫んで飛び降り自殺しないか心配になったと。
シズちゃん頭大丈夫?」
「うるせぇな!…死ぬ理由なんてそんぐらいあちこちに転がってるって話だよ―
―つうかてめぇ、その顔なんだよ。ひでぇ面だな。誕生日に殴られてんのか。拳
がプレゼントですってか?」

静雄は憐れむように薄笑った。その笑みを見て俺は、危うくケーキの入った大き
な袋を静雄に投げつける所だった。疲れていなければそうしただろう。俺の身体
は肩で大きく一つ息をするだけに留まった。いやケーキじゃなくてジンのボトル
でも良かったな。

「そうだよ、これが俺のプレゼントだ。今日は散々プレゼントを貰ってお腹一杯
な訳。だからもう寝たいんだよねー主役の時間はもう終わりにしたいんだよ。
まあ、、今からジンをしこたま飲んで、ケーキを…まあ、もうぐちゃぐちか…。
ここの屋上から飛び降りるのも楽しそうだけど」

残りのジンを一気に呷り、空になったボトルを放り投げた。ぐしゃぐしゃになっ
たケーキの箱からはみ出ていた生クリームを掬って嘗めると、腹が膨らまない甘
さに、ふと安心した。
俺がケーキのクリームを掬っていると降ってくる陰の中に映る静雄の姿が見えた
。その金色の髪が夜の中でも輝いているのが見えて俺は先ほどの腹立ちが蘇るの
を感じた。苛立ちのままにふり返って、ケーキを袋ごと投げつける。

「いつまでいるんだ!ならプレゼントぐらい寄越せよ!今日は俺の誕生日だろ!


何を云ったのか、俺は狼狽えた。今更口を抑えたって言葉は戻ってはきてくれは
しない。ケーキの袋は静雄の足下までしか届かず、コンクリートに生クリームを
はみ出させている。プレゼントか、と静雄はあっさりと頷き、俺は拍子抜けした


「何が欲しい」

一笑に付されるか、拒絶されるかのどちらかと思っていたのに易々と受け入れら
れた要望に、慌てて今のは冗談だよと、手を振った。
静雄が立ち上がり、歩く。一歩二歩三歩。後ずさる俺と、歩いてくる静雄。
背中に鉄柵が辺り、俺は首を回した。黒々とした穴がぽっかりと開いていて、確
かにこれは絶望するに相応しいあなぐらだと思った。

「なんか、気持ちが解るなぁ。確かに飛び降りちゃいそう」
「何でだよ。ハッピーじゃないからか」
「そうだよ、俺は全く、これっぽっちもハッピーじゃないよ」

三日前から追いかけ回されて、今日は殴打のプレゼント付き。更にはケーキはぐ
ちゃぐちゃ、腹の中にはジンだけしか入っていない。
これの何処が幸せだろう。
さらには俺が折角の思いで築き上げた城をその度に壊していく奴がこんな直ぐ近
くにいて。

「シズちゃんが俺にプレゼントをくれると云うのなら、」

俺が静雄を見上げると、明るくて丸っこい鳶色が同じ様に見下ろしてきた。

「城を壊したまま踵を返すな。お前が打ち壊したなら、その城の中にずっと居ろ


息を吸って吐き出す勢いの儘に。そこからはジンの香りがした。静雄はぱちり、
と一つだけ瞬きした。お前の城、と低い声が呟く。

「ああ、そうだ。城だ。俺の思い通りになる城を壊していくのはいつも君だ」
「それは、お前の現実って事か」
「そうだよ。壊したものには責任を持てよ。シズちゃんが壊してばっかだから、
俺にはもう何もないよ」

だから壊す代わりに、お前がそこにいる。それがプレゼントだ。

「そうしたら、俺も少しは幸せになるかなぁ」

俺は自分自身に呆れ果てた。どんなロマンチストだ。
こんなのが許されるのは20代までだが、丁度良い具合にジンは空っぽだった。俺は酒という言い訳も手に入れている。
静雄は顎の下に手をやって何かを考えているに俯いていた。
その考え込む姿を見て、俺は何とはなしにこいつは頷くんだろう、と感じていた。俺の思い通りにはならないから、こんな訳の解らない言い草に付き合うはずがない、との俺の予想を裏切るのだろう。
予想の裏切りの反対なら、それはそのままその通りじゃないかとも思ったが、まぁ、そんな細かいことはどうでもいい。
暫くして、静雄は頷いた。

「その代わり、俺の誕生日までだ。来年の俺の誕生日が来たら、お前が俺にプレ
ゼントを何か寄越せ」
「いいよ、あげるよ。何が欲しいの」

そうだな、と静雄は口を開く。お前が消えてくれるか死んでくれるかのどっちに
するか決める時間がありすぎて迷うな、と笑う。

その色は黄金だった。来年の、静雄の生まれた日までの約束はなんべん見ても黄
金色に輝いていた。
俺はその黄金色の約束をそっと両手で包んでみた。一見暖かく、だが中身はいつ
までも冷たい黄金色。だからこそ、俺たちに相応しい。約束を包んだその手で俺
は静雄の細いが大きな手を取った。

「取り敢えず、ケーキを買いに行こうよ」


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いざやああああ!!
はぴばあああああ!!

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