黄金色の約束 | ナノ
※臨也お誕生日おめでとう
※30歳臨也


黄金色の約束


胃のむかつきに吐き気を催し続けてどれくらい経っただろうか。ホテルのフロン
トの奥のトイレに並ぶ洗面所はすっかり壊れていてどの蛇口を捻っても水は出な
い。
黒い革靴が踏むタイルは元はレモンイエローだったのだろうか。今ではよく解ら
ない色になっていた。
胃の中の物を全て吐いてしまいたい。気持ちが悪い。
個室を蹴り開けるようにして、視界に入ってきた光景に俺は更に気分が悪くなっ
た。
一つしかない個室の便座には足を開いた男がズボンを下ろしていた。むっ、と立
ち上るすえた臭いに口を抑える。男は薬でもやっているのか、変に多幸じみた笑
みを浮かべて尻の間から白濁した液体を流していた。
俺は黙って扉を閉めた。清掃員に頭から水でもぶっかけられて追い出される未来
が簡単に見える。
扉を触った手が汚らしく感じ、せめて洗おうと洗面台の前に立つが、水が出ない
事を思い出した。
苛々とタイルを蹴る。割れたガラスに映る男はひどく窶れて、大きな痣を顔中に
残している。目の周りを縁取る隈がくっきりと出ていて、首を動かしてみれば同
じように鏡の中で動きああこれは俺か、と納得する。
個室から突然笑い声が上がり、びくりと驚きに肩が震えた。あれが、一歩間違え
た自分自身の姿のようにまざまざと思えて来て、俺は鏡の中の一応は立っていら
れる姿に安堵する。
ヤニ色に染まったトイレの天井を見上げた。こんな目に遭う羽目になった理由は
半分とばっちりみたいなものだった。
粟楠会が起こしたもめ事に巻き込まれた挙げ句、知らない内に報復対象の範囲内
に入っていた。
冗談じゃない、俺は只の取引相手だ、と逃げ回る羽目になり、早まった勘違いの
くそったれ野郎の後始末をどうにかしろ、と四木に最後に電話したのが三日前。
鬼ごっこの果てに捕まり、あと数年もしたら径年劣化で何もせずに崩れるだろう
このホテルに連れ込まれたのが数時間前。手間をかけさせやがって、と後はお決
まりのコースだった。
取りあえず手間賃代だと殴られたり蹴られたりで幾ばくかの時間が経った頃、電
話が高らかにベルを鳴らした。その電話を受けた一人が見る間に顔色を変えて撤
収だ!と叫んだ。
時間がかかりすぎだよ、四木さん。俺はひっくり返ったまま顔を覆った。青ざめ
た一人が警察が、と口走っていたのが聞こえた。
思い返すだけで不愉快になるような記憶は捨てるべきだ、と俺はフードを被った
。殴られた後も鮮やかな顔に、たまに通行人から視線が飛んでくるのが煩わしい

フードを被り足下を見るようにして歩く。間の抜けた電子音に手元の携帯をみや
った。非通知。青い通話ボタンを押す。

「……はい」

こんばんは、折原さん、と落ち着いた男の声が耳に流れ内心舌打ちをする。電話
を掛けてきたのは四木だった。

『今回は多大な迷惑をかけてしまっていやはや、申し訳ありませんねぇ』
「……ええ、全く」
『さっき、その勘違いのくそったれと話をつけて来たんですがね、貴方を殴って
すみませんと云ってますよ。直接お聞かせできないのが残念です』

その代わりにどうですか、と四木の声の後にまるで豚が引き連れる様な鳴き声が
電話越しに聞こえてきた。
俺は電話と耳の距離を大きく離し、溜息を吐く。

「すみません俺は四木さんほど趣味人にはなれないみたいです。まあ、全く最悪
の誕生日ですよ」

三日もかけやがって、とは思うが口にはしない。早く自宅に戻りたかった。明日
の朝には出勤してきた波江が面倒事に巻き込んでやら、危険手当がどうのこうの
と早速口を開くに違いない。ああ、これだから女は嫌だ。

『今日はお誕生日だったんですか。いやぁ実に災難でしたね。幾つになりました
っけ。ああ貴方もついに三十路でしたか』
「やだなぁ四木さん。その年でもう健忘症ですか?私今日で21ですよ。勿論来年
も、そのまた先も21ですが」
『…云ってろ』

電話の向こうで呆れたような笑い声がする。今日が誕生日だなんて、誰に云われ
なくとも知っていた。只、それを指摘してきた一番初めが四木だなんて事実にう
んざりする。
どうやら電波が悪いようだと俺は適当な理由をでっちあげて電話を切る。時計を
見れば夕方六時を過ぎていた。空を見上げても、勿論まだ日は暮れていない。
今夜は祝杯をあげようじゃないか。三日ぶりにゴミ溜めから自宅に戻る事の出来
たという事実に対しての祝杯だ。この間オープンした店で見た生クリームがたっ
ぷりかかった柔らかそうなケーキを思い出す。
腹のふくれないものが欲しかった。無駄なものにお金を使いたい。だから甘った
るいクリームのケーキを食べよう。そして、ドライジンとボンベイサファイアを
ひたすらに飲んで寝てしまおう。

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