マイ2 | ナノ





手紙が静雄の元に届き始めたのは、臨也が初めて店に来てから一ヶ月経った辺りだった。
店のドアの横にある赤いペンキの剥げた小さなポストに投げ入れられていた小さな白い便箋。裏を見ても差出人はなく、静雄は首を捻った。
たまに、店に現れる事もなくこの店に鍵を落としていく人もいるが、そういう訳でもなさそうだった。便箋しか入っていないのだろうと予想させる重み。
思わず荷物をカウンターに乱暴に置き、鋏を取り出すのも煩わしく静雄は手で封を切った。
それは静雄が家族以外から初めてもらった手紙だった――友人もいなかったのだから、手紙も届く事はない。
縦書きに整然と綴られる文字。文字を勢い良く読んでいた静雄の目が段々と胡乱気な色を帯びてきた。
そこには、まるで観察日記とでも云えそうな文が綴られていたからだ。
やれ、誰それが会社を解雇されただの誰それが誕生日だの誰と誰が結婚しただのあのニュースの真実はだの、静雄は首を捻った。
そして、切手もないが恐らく配達の間違いだろうと結論づけ、静雄は手紙を片づけた。片づけながら、少しだけ寂しさを感じていた。
一週間してまた同じような封筒がポストに入っていたのを、静雄は目にし思わず口唇が緩むを止められなかった。
例え手紙の内容が自分に全く関係なくてもこれは間違いなく自分に届けられているものだ。自分に。自分だけに届けられる手紙。
一体誰が書いているのだろうか。
手紙が届くようになって二ヶ月頃、静雄は差し出し人を探そうとした。
整然と静かに綴られる文字からは女性か男性かはっきりとはしなかった。
女性にしては丸みが足りないような、かといって男性の文字にしては繊細すぎるような不思議な文字だった。
だが、結局静雄は差し出し人を探そうとはしなかった。鍵を預けていく人間がいるように、手紙を預けていく人間もいる。その感情を無闇に暴く事は避けるべき事だ、と考えたからだった。
ただ毎週のように溜まっていく手紙。差出人も住所も書いていないから、返事は出せない。
ポストを見る度、見慣れた薄いクリーム色の封筒を手にする度、静雄は、顔も見えない名前も知らない、物理的に遙か遠い相手。
そんな相手と段々と近づいているような気持ちになっていた。
その日も届いた手紙を静雄は読みながら、オーブンの前でパイの焼き上がりを待つ。ブルーベリーの甘酸っぱい匂いが手紙に染み込みそうだ。
何時もの通りに、全く関連性のない情報が書き連ねられている便箋。誰かの誕生日やらどこぞの会社の秘密。
その中に、良く見知った名前を見つけ静雄は手を止めた。

「五月四日…」

静雄はカウンターの上のカレンダーを振り返る。GW真っ最中の日。


「シズちゃんは何でGWも店やってるの?何処か行ったりしないわけ。この店客少ないんだし、別に閉めてても誰も困らないよ!あ、もしかしてGWに遊びに行く相手とかいないのとか…なんかごめんねシズちゃんの寂しさを抉っちゃった感じかな」
「それはお前だろ」
「えー俺は違うよー。俺のお仕事は年中無休だからさ」

そう云う臨也はパソコンを叩きながら携帯を操作するというどう見ても忙しそうな状態だった。誕生日にも仕事かよ、と思ったが静雄は口には出さない。どうして誕生日を知っているのかと聞かれたら、どう取り繕うべきか解らないからだ。
カップに入った紅茶はすっかり冷め切っていた。ヴィンテージジョーの香りはすっかり飛んでいる。折角だから淹れ直してやろうかとテーブルに近づくと同時に臨也は唐突に顔を上げた。

「そうだ、シズちゃん。君に預けていた鍵を返して貰って良いかな」

鍵を。返して。臨也は真っ直ぐに鍵の詰まった小瓶を指さした。鍵を。静雄が握ったカップの取っ手に罅が入り、慌てて手を離した。
今までも、鍵を返してくれとそういう客は何人かいた。

「鍵を」

オーブンが軽快な音を立てた。パイが焼けたと音が告げてくる。

「シズちゃん、焼けたみたいだよ」
「あ、ああ…」

臨也は再びパソコンに向き直っていた。静雄はオーブンに向かう。大きなオーブンからは熱気が漂ってくるが、手指の先からひどく冷えて行くような感覚がある。
どうしてだ。喜んでやるべきだろう。きっとヨリを戻したんだな。そうじゃないか。誕生日なんだから。
静雄はそう小さく呟いた。
笑って復活おめでとう、と。小瓶から鍵を取り出す。臨也が静雄に預けた独特の形の鍵は、小瓶の一番上にずっと置かれている。
焼きたてのブルーベリーパイを丸ごと大皿に移し、隠れる位に生クリームを乗せる。

「え…何、これ」
「お前の誕生日だから」

テーブルに置かれたホールのパイに臨也は目をしばたかせかと思うと、その顔色が青くなっていく。静雄はそれを見て自分に対して舌打ちをした。誕生日を何時の間にか知られているなんて普通は気持ちが悪い。

「あー臨也…その、今のは」
「嘘、俺、消し忘れた、ああ嘘、どうしよう」

あんなに読み直したのに、嘘、なんで。

「消し忘れ?」
「え?手紙読んだんだろ?だから俺の知って…」

二人は顔を見合わせた。多分凄く間抜けな顔になっているんだろうな、と静雄は一瞬場違いな事を考えた。

「ちょっと待って!シズちゃん…まさか…」
「あの手紙ってまさか…」
「うそ、待って今のナシ。手紙?何それ知らないなぁ」
「今てめぇで書いてましたって云ってただろうが!」
「さぁーシズちゃんの幻聴じゃないかなぁ………っていうか、気づいていたんじゃないのかよ!」
「何でだよ」
「いっつも俺がいる時カウンターで手紙読んでたじゃんか。あれは遠回しに誰が書いているか知ってるぞアピールじゃなかったわけ!?」
「んなめんどくせぇ事誰がするか!あれは…手紙が嬉しいからずっと読んでただけで…」
「え、あんな手紙嬉しいとかシズちゃん変態なんじゃない」
「悪かったな!それまで手書きの手紙なんて貰った事ねぇんだよ」
「そんなシズちゃん…今まで生きていてろくな手紙すら貰った事ないとか可哀相すぎて笑えてくるよ」
「そんな手紙を延々送る方がカワイソウだろうが。つうか冷めるからとっとと食え!」

机を叩くと臨也は背筋を伸ばし、切り分けられていないホールのブルーベリーパイに臨也がフォークを突き刺した。温度によって柔らかくなった生クリームの固まりがブルーベリーに染み込んでいる。
黙ってパイを咀嚼する臨也を見ながら静雄は今更ながらにあんまり驚いていない自分を感じていた。もしかしたら、何処かで薄々気が付いていたのかもしれない。女にしては丸みのない文字。男にしては繊細すぎる文字。

「なぁ、なんであんな手紙送ってきてたんだよ」

臨也は答えず、二切れ目のパイにフォークを突き刺していた。

「臨也」

臨也は黙り込んで俯き、ブルーベリーパイを咀嚼するだけだ。静雄は溜息を一つ吐いた。この話は進まないと判断し、片手に握っていた鍵をテーブルの上に置く。

「鍵、返せって云っただろ」

臨也は鍵をフォークをくわえたまま見つめやっぱり要らない、と臨也はフォークを置いた。

「だってそれ、どこの部屋の鍵でもないし」
「はぁ?」
「……ここの店にくる客って鍵持ってくるんだろ、だから持ってきただけの鍵だよ」

何だよ、それ。静雄は自分の店の噂の変容に呆れかえった。

「じゃあ何であんなに今にも死にそうって顔してたんだ」
「あーあれね、あの時仕事でヘマしちゃったからさぁ…それでかな。何シズちゃん俺が失恋とかしてその鍵預けにきたとか思ってたの?ないない。俺恋愛とかそういうの面倒臭いんだよね」

ざくざくと臨也はパイをフォークで押しつぶしている。じゃあなんだ。別に臨也は何処ぞの誰かとヨリを戻したとかそういうわけじゃないんだなと静雄は安堵した。
それから一体何処に安堵したのか解らず、静雄は首を傾げた。
臨也はブルーベリーパイの三切れ目との戦いに突入していた。傍目にもフォークが口へ進む勢いが落ちているのが解る。

「残してもいいぞ」
「やだ」
「無理して食って吐いたらどうすんだ」
「だってこれ、俺の誕生日ケーキなんだろ。だから俺が全部食べる」

それはそうだが、そもそも誕生日ケーキは一人で全部食べるもんじゃないだろう、と静雄はテーブルに設置されているフォークを抜き取り、ブルーベリーパイに伸ばした。ダメ!と大きな声が響き静雄の手ははたき落とされる。臨也は腕で皿を覆う。まるでおやつを取られまいとする幼稚園児だ。

「シズちゃん、手書きの手紙を貰ったのは初めてって云ってたよね」
「俺も、誰かが誕生日にケーキを焼いてくれたのは初めてだ」
「だからこれは全部俺の。俺が全部食べるんだよ」




あれからも毎週、静雄に関わりのない情報で埋められた手紙は赤いペンキの剥げたのポストに届けられる。
どうしてあんな内容の手紙になったのかとしつこく静雄が尋ね続け臨也は渋々と重い口を開いた。仕事以外での手紙を書いた事がないから、どう手紙を書けばいいのかわからないからだ、と臨也は口を尖らせた。
そうして三日と開けずに、臨也は静雄の店に現れブルーベリーパイを食べて行く。相変わらずガラスの小瓶には何処かの部屋の鍵が増えていく。小瓶の一番上には何処の部屋にも続かない鍵が光っていた。




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