谷口くんの妹
それは突如、俺の目の前に姿を現した。
「お兄ちゃん」
そうそれは、いつの間にか妹に呼ばれることの無くなった魅惑の単語。全国の妹フェチには堪らん言葉だろう。
決して俺が妹フェチでも、危ない一線を越えようとしているわけではないことを前もって言っておく。だがな妹よ、尊敬すべき兄にたいしてあだ名呼びはどうかと思う。
「お兄ちゃんってば!」
さて、話がそれだが今俺の状況下を説明しよう。今朝も朝から坂道というハイキングコースを登っておれば、谷口がどこからそんな元気が出てくるのか今日も俺の肩に手を回し昨日見たテレビの話などを長々と聞かされていた。
その時だった。突如後ろから声がし、振り返れば小学生くらいの女の子が立っていたのだ。
いったい誰の妹だ。俺がそんなことを呑気に考えておれば、予想外の人物がそれに反応をしめしたのだ。
「お前、なんで来てんだよ」
隣に立っていた谷口が、俺から手を離せば慌てたようにその女の子の元に駆け寄り。女の子は頬を膨らまし、一つの紙袋を谷口につきつける。
「お弁当、お兄ちゃん忘れていったから届けにきたの」
谷口は紙袋を受け取り、中を覗き「やっべー」と頭をかいた。
「いや、ありがとうよ妹よ! もつべきものは妹だな」
「なーにがもつべきものは妹よ、どうせまたろくでも無いこと考えててお弁当忘れたんでしょ。バカなお兄ちゃん」
ああやだやだ。と女の子は首を振り、谷口はそれに過剰に反応し女の子の頬を掴み横に引っ張りだした。
「そういうこと言う口はどの口だ。ええ?」
語尾を上げ、谷口は頬に力をいれた。おい谷口、相手は女の子だぞ。手加減しろよ。
その前に説明してくれ、この子はお前とどういう関係なんだ。
「あれ? 名前だ、珍しいね名前ちゃんが学校に来るなんて」
坂道の真ん中で、谷口と女の子が頬をつねりあい戦っておれば。国木田がやってきた。
国木田お前この子が誰なのか知っているのか?
「うん、名前ちゃんと言ってね」
「俺の妹だ」
いつの間にか勝負はついたのか、谷口は女の子から手を離しており赤くなった頬でこちらを見た。
しかし谷口よ、妹だって? お前に妹がいたのか。初聞きだぞ。
「そりゃそうさ、キョンには言ってなかったからな」
「僕も最近遊びに行った時に初めて会ったんだ」
妹と紹介された女の子は、谷口につねられた頬を擦りながら俺の視線に気づいたのか頬をほんのり染め、勢いよく谷口の後ろへと隠れた。
「ほらよ名前、いつぞやに言ったキョンだ。お前会いたがっていただろ?」
おい谷口、どんな紹介をしたんだ。
「どんなもなにも、これまであった出来事を話しただけだ」
「あ、あの」
俺が谷口のいう、これまであった出来事を思いかえそうとしていれば。谷口の妹は突然声を張り上げ、顔を真っ赤にさせながら俺を輝く瞳でみつめた。
「キョン、お兄ちゃんなんですか?」
「あ、ああ。まあそうだな」
他人からお兄ちゃんと呼ばれることに慣れてない俺は、不覚にもときめいてしまった。
「うっわあ! 本物だ本物だ!」
谷口の妹は、まるで子犬を見つけて喜ぶ子どものように飛びはね、純粋な瞳が見上げる。
「あ、あの紹介が遅れました。わたし谷口名前って言います、小学四年で、その、野球の時のキョンお兄ちゃんかっこよかったです!」
野球、ああ、あれのことか。俺はいたいけな少女に、なにやらとてつもない勘違いをさせてしまった気がする。
「わたし、その野球みた後から凄くキョンお兄ちゃんとお話ししてみたくて。あの、迷惑じゃなかったら今度」
「名前」
谷口の妹、名を教えてもらったのだから名前で呼ぶのが適切だろう。名前ちゃんの会話の間に谷口が口を出し、名前ちゃんは不機嫌な面を谷口に向けた。
「なーに?」
「お前学校は大丈夫なのかよ」
「え、あっ。いけない! キョンお兄ちゃんまたお話しましょうね。国木田お兄ちゃんもまたね!」
名前ちゃんは手を振れば、そのまま坂道をかけていく。転ぶなよ。
「しかし、お前に似なくしっかりした子だな」
ぜひとも妹にあの子の垢を煎じて飲ませたいぐらいだ。かけていく後ろ姿に背負われたランドセルが上下に揺れ、ピタリと途中で立ち止まる。
「そうだろうな。見た目や中身は確かに俺に似ていない、だけどな」
谷口は名前ちゃんから貰った紙袋を漁り、やっぱりとため息をついた。
「変な所がよく似たんだな」
谷口が坂道の下へと目を向け、俺もそれにならい下を見れば名前ちゃんが慌てたようにUターンして戻ってくる。
「おーい名前! お前の歯ブラシセット、俺のお弁当の中に入ってたぞ貰っていいのか?」
谷口が可愛いキャラクターがプリントされた袋を振り回し、名前ちゃんはそれに手を伸ばす。
「持っていく時、いれっぱなしだったの! 返して!」
前言撤回、やっぱり彼女は正真正銘、谷口の妹だ。
END