クリスマス
軽くなった鞄を肩にかけ、名前は雪の道を進む。
時刻は昼を回ったぐらいだろうか。
サンサンと降り注ぐ太陽の日に溶け始める雪がちらほら見える。
水になりそこねた雪は、ぐしょぐしょと土と混ざりあい、薄黒い色をしている。
少し足を滑らせば、そのまま尻餅をつきそうなほどの濡れ具合に、名前は転けないよう注意をはらった。
しかし、いくら注意していても転けるものは転ける。
ぬかるみに足を捕られ、名前の体は後ろに傾く。
手は、何かを掴もうと伸ばされ、空をきった。
「――っあ」
倒れる瞬間、喉の奥から声になりそこなった音が出る。周りの景色は反転する。
(もうダメだ。)
名前は目を固く瞑り、次に来る衝撃な備え身を固くした
――が、いつまで経ってもその衝撃は来ず、身を固くした時耳に届いたペシャっと水と氷の混ざった上に物を落とした音と、背中にくる温かさに不思議に思い目を恐る恐る開いた。
すると目の前に広がる景色は、美鶴の呆れたような顔に、その隙間から見える空の色だけ。
名前は今の状況を確認すると渇いた笑いをもらし、ただ肩を落とし謝るだけだった。
背中に当たる温かさは、美鶴から後ろから支えた所為であり、そのまま滑らないようにと、脇に手を入れ、そんな些細な行動に美鶴の優しさを感じる。
「ありがとう、それとごめん」
「気をつけろよな」
名前は体を起こそうと、脚を踏ん張ればそれを手伝うように美鶴は手を取る。
(なんだかんだで美鶴って紳士だよな)
起こすのを手伝ってもらえば名前は鞄の位置を直し、もう一度頭を下げお礼を言った。
その時、少し後ろに落ちている物に気づき拾い上げれば、それは紙袋だった。
中には本が入っているのだろうか、長方形の形をしており。それは落ちたせいか水が染み込んでおり、袋の色が変わっていた。
「ご、ごめん。これ美鶴のだよね?本当ごめん」
少し付いた土を払い落としながら、何度も何度も美鶴の表情を伺いながら名前は謝る。
その様子に美鶴はため息をつくと、名前の手から紙袋を取り上げる。
「別に中身が無事ならそれでいいから」
「で、でも」
「俺がいいって言ってるんだからいいだろ」
ぶっきらぼうに言う美鶴に名前は怒っているんだと思い、ただ眉を寄せ悲しげな表情を浮かべるしかなかった。
「それより今暇?」
「え」
突然の質問に、名前は顔を上げただキョトンと目を丸くし美鶴を見つめかえす。
そして、もう一度美鶴が尋ねると名前は顔を輝かせて何度も何度も頷いた。
「暇!ってか今日美鶴に用事あったんだ」
「なら丁度いいや、家来てよ」
美鶴は踵を返すと、脇に本を挟み歩きだした。
その後を、名前は速めに歩こうするがその必要はないほどに美鶴はゆっくり歩いており。何気ない優しさに自然と口元が緩んだ。
暫く行くとチョコレート色をしたマンションにたどり着いた。
名前は美鶴の後ろを歩きながらもマンションを見上げ深いため息をはいた。
「いつみても大きいね、このマンション」
先に中に入っていく美鶴の背中に名前は喋りかけ、番号を押す指を覗きこんだ。
番号は四桁押されたが、それは美鶴が住むマンションの部屋の番号とは違うもので名前は不思議に思いながら呼び鈴を押す美鶴の指をただ眺めた。
ピンポーンと機械音がすると同時に自動的にガラスのドアは開き二人を招きいれる。
名前は美鶴をまじまじと見ると美鶴得意気に笑い、中へと入って言った。
「美鶴今の何?」
「非常用の番号、オートロックの所には一つは必ずあるやつ」
名前はあっさりと言う美鶴に、拍手を送りたい気持ちになった。
「よく、知ったね」
「たまたま管理人が押してるの見ただけのことだよ」
簡単そうに言いのける美鶴に名前は呆れと憧れの眼差しを向けた。そしてエレベーターに乗りこみ部屋へと着けば美鶴はドアの取っ手を掴み捻って開けた。
そして取っ手を持ったまま後ろに下がると名前に先に入るよう促す。
「美鶴って本当ジェントルマンだね」
「いいから入れよ」
名前はそそくさと中へと入り玄関に立つと歓声を上げた。
中は何処かしこもクリスマスにデコレーションされており、一日中見ていても飽きないほどの出来栄えだった。
美鶴は靴を脱ぎ先に上がると、それに習い名前も後に続いた。
そして、リビングに通されるとそこには一生懸命モールをつけているアヤの姿があった。
「アヤちゃん」
名前はその可愛らしい姿に頬を緩ませ呼びかけるとアヤは振り返り。
兄を見つけると可愛いらしく微笑みかけ「おかえり」と、立ち上がり駆け寄った。
そして、その横に名前が居ることに気がつくと両手を広げ満面の笑みを浮かべ抱きついてきた。
「名前お姉ちゃんこんにちは」
「はい、こんにちは」
名前はしゃがみこみ抱きついてきたアヤの背中に腕を回すと、力一杯に抱きしめた。
「じゃあ、俺少し用あるから暫くアヤと遊んどいて」
「了解、美鶴隊長!」
ビシッと効果音がつきそうなほど綺麗に膝を曲げ頭に手をやり敬礼をする名前に、美鶴は苦笑いを浮かべながら部屋へと戻っていった。
そして腕からアヤを離すと名前はモールを手に取り「飾りつけしよっか」と、アヤに語りかけた。
アヤは上機嫌に頷き、名前が持っているモールとは別のモールを持ち上げ部屋の飾りつけに戻った。
所々、会話を交えながら飾りつけていると美鶴が部屋のドアを開け、戻ってきた。
名前は一旦飾りつけを止め美鶴の元へと駆け寄る。
「美鶴、見てみて! 綺麗に飾りつけ出来てるでしょ」
「名前お姉ちゃんと一緒に飾りつけたんだよ」
アヤもモールを足下に置き、二人の元に行くと嬉しそうな表情で美鶴に言う。
美鶴はしゃがむとアヤの頭を撫で優しい笑みを浮かべた。
「よかったなアヤ」
「うん!」
アヤは大きく頷くと、美鶴が後ろに何か隠していることに気づき首を傾げた。
「お兄ちゃん、それなあに?」
指を差し尋ねるアヤに、美鶴は苦笑いを浮かべ名前を見上げた。
突然見てきた美鶴に、名前は一瞬肩を揺らし驚きつつも「何?」と尋ねると、美鶴は立ち上がり後ろから一つの物を取り出した。
それは綺麗にラッピングされており、右端にはリボンが巻かれており、よく見るような形だった。
「それ、どうかした?」
「お前に」
差し出された突然のプレゼントに目を瞬かせ、何度も美鶴の顔とプレゼントの間を行き来する。
そして、恐る恐る受け取れば美鶴は満足げに微笑んだ。
「あ、開けていい?」
「勝手にしろよ」
名前は頬を赤らめ、早く開けたいという逸る気持ちを押さえながら丁寧に包みを開ける。
中から出てきたのは一冊の本だった。
「これ! 欲しかったやつ!」
「この前、図書室で見てただろ」
表紙を何度も何度も眺め、そのつど顔が綻ぶ名前は、大事そうに腕の中に収め美鶴に向き直った。
「よくご存じですね」
「見てたから」
美鶴のそんな言葉に顔が熱くなる名前は、照れ隠しに背中を一思いに殴った。
そして、持ってきた鞄から一つの包みを取り出し美鶴に差し出した。
「メリークリスマス、美鶴!」
雪がチラチラ降り始めた昼下がり。
貴方にとっておきのクリスマスを。
(2006 12/24)