第2話

 救急箱を片手に食堂へと戻ると、食堂は朝食をとる生徒たちで溢れかえっており真人の手当はグラウンド近くの木の下ですることになった。
 朝練の時間からもずれ、休日ともなると生徒の影はなく我らリトルバスターズの貸切だ。

「はいはーい、真人ちょっと消毒しみるよ」
「いでて……もう少し優しくやってくれよ」
「これでも十分優しくやってるよ」

 少し血の滲んだ顔にそっと消毒液を湿らせた脱脂綿を当てると、そこから消毒特有のしゅわしゅわした音が聞こえた。
 見た目ほどひどくない怪我に、私は絆創膏を貼り手当を終える。
 真人は自分に貼られた絆創膏を確認すると、お礼とともに私の頭を勢いよく撫でた。
 おかげで頭はぐしゃぐしゃになるが昔からの変わらないその撫でかたに思わず顔が緩む。

「しかしよ、ひどい目にあったぜ。ポチのせいでよ」

 鈴の頭にいる猫を恨めしい目で見る真人に、私はまぁまぁとなだめつつ猫を見る。
 真っ白な毛並みに、金色の瞳。
 見つめていると一つ「にゃーん」と鳴く真人曰く『ポチ』は目を細めた。

「ポチじゃない 新入りでまだ名前がないんだ」
「レノンだ」
「レノンか」

 恭介につけた名前に鈴は満足したのか、小さく名前を呼びその身体を撫でた。
 気持ちよさそうに喉を鳴らすレノンに、鈴の周囲を囲んでいた猫たちは自分もとその体に擦り寄る。

「おまえが付ける名前はいつも適当だな」
「確か、アインシュタイン、ゲイツ」
「オードリー」
「あくたがわ」
「ヒトラー……」

 各々が上げていく名前に、世界各国の著名人の顔が思い浮かぶ。
 適当は適当だが、一応著名人縛りという繋がりはあるか。
 お腹を見せ寝転がる猫たちを鈴とそれぞれ撫でつけていると、それを見ていた恭介にふと理樹が尋ねた。

「で、恭介、今回は就職活動どこに行ってたの?」
「ああ、出版社だ東京の」
「徒歩で東京!?」

 徒歩で就職活動をしているのは知っていたが、まさか東京まで徒歩で行ったとは思いもよらなかったのか。
 理樹はその返答に驚きの声を上げる。

「そっ」
「それはまるで、寅さんか裸の大将のようだよね」
「放浪しているつもりはないんだがな」
「徒歩で東京なんて放浪以外なんていうの……」
「就職活動だ」

 頑なに『就職活動』を譲らない恭介に小さくため息がもれる。
 まあ、帰ってくるのだからまだいいのか。

「つーか」
「あほだな」

 謙吾と真人からのツッコミに恭介は笑みを浮かべる。まったく堪えてないようだ。 

「金がないんだ仕方ないだろう、おまえらも来年は三年だ。絶対こうなるからな」
「徒歩で就職活動はしないと思うが」

 謙吾に同感だ。

「けど、そうだね一年後には僕たちも受験か就職活動をやってるんだ」

 理樹の言葉にふと自分たちの未来をみた。一年後、それは遠いようで近い未来。
 きっと、それぞれ自分の道を探しそれに向かってがむしゃらになってる時期だろう。
 もしかしたらギリギリまで、皆バカをしていたかもしれない。

「ここまで一緒だったオレたちも卒業したら散り散りになるかもしれねえんだな」
「少なくとも恭介は一年後ここにいない」
「うん」
「考えたくねーな、そんな先のことは」

 恭介がいない未来、皆がバラバラになる未来。
 そんな未来ならばいらないから、そう――

「今がずっと続けばいいのにな」

 恭介の言葉に息が詰まった。
 今がずっと、それは願ってももうどうしようもないことだ。
 決められた道を留まることも引き返すこともできない。それが現実だ。
 それでも、願わずにはいられないのは人間の性なのだろう。

「ねえ」

 突然理樹が立ち上がり、グラウンドへと降りると皆に向かって腕をひろげた。

「昔みたいに皆で何かしない?」
「なんだ唐突に」
「なにかって?」

 理樹は真人と謙吾の言葉に言いよどむが意を決し口を開く。

「ほら、小学生のとき何か悪を探して近所をかっぽしてたでしょ皆で」
「おまえらと一緒にするな」

 吠える鈴に私は苦笑しつつ、なだめる。
 今では昔のことだがそんなことがあった。
 今も昔も変わらずこの6人で町のいたるところを歩いたのを鮮明に思い出せる。

「いつも恭介がリーダーだった 何かわくわくすることをはじめる時は」

 皆の視線が恭介に集まる。
 恭介は立ち上がると、踏み込みその場からグラウンドへと飛び降りた。

「なら、今しかできないことをしよう」

 その声と共に、どこから出したのか野球ボールが真上に上がる。
 そして恭介の手に落ちると同時に振り返りこう言った。

「野球をしよう」

 突然の野球発言に、皆は三者三様の反応をしめす。
 野球ってそんな藪から棒に。
 まるで登山をする人のように、そこに野球ボールがあったからというような軽い発言に乾いた笑いがもれる。

「野球だよ。野球チームを作るチーム名はリトルバスターズだ!」

 ボール持つ手を前につきだし、声高らかに宣言する恭介に皆もう何も言えなかった。
 こうなったらやる以外の選択肢は出てこないのを長年の経験からよくよく理解している。

「いいから、ついてこい」

 だからこそ、そういう恭介に皆無言でついていくのだった。

「そこだ、そこに立て」

 たどり着いたのは競技用グラウンドの一角。
 野球部、またはソフトボール部のために作られた綺麗なひし形に置かれているベース達。
 恭介は鈴をマウンドまで歩かせるとボールを投げ渡す。

「鈴、おまえがピッチャーだ」
「あたしが、か」

 ボールを受け取った鈴は、まるで子供のように目を少し輝かせまじまじとそのボールを見つめた。

「一応理由を聞こう」
「そのほうが展開的に燃えるからだ」
「展開ってなんの?」
「我がチームリトルバスターズは常に感動的でドラマティックな試合をするんだ」

 力説する恭介に、皆思い思いの眼差しを向ける。
 懐かしき青春野球漫画のようなその展開。
 凄腕ピッチャーはなんと女の子だった! そんなキャッチフレーズが彼の中で生まれているのだろう。
 そのうち夕日に向かって走ろうなんていいだしかねない。

「漫画の影響だな」
「だね」

 真人の隣に立ち、なぜかスコアボートのそばに置き去りにされていたキャッチャーミットを拾い上げる。

「理樹キャッチャー頼んだぞ」
「えぇ……」
「……はい、理樹」

 まさかこのためにここに置き去りにされていたのだろうか。
 私は理樹にミットを渡しつつ、恭介へと視線を送ると彼はただ意味深に笑うだけだった。

「よし!記念すべき第一球、始球式だ!」

 恭介の声と共に、鈴は理樹の構えるミットそして自分の手の中に収まっているボールを見た。 

「投げるのか? これを」
「ああ思いっきりだ」
「思いっきりか……」
「鈴ファイトー!」

 鈴は私の声援に一つ頷き、理樹を見た。
 キャッチャーである理樹はキャッチャーミットを構える。鈴の手に力がこもる。
 脚をあげ独特なフォームを型どればそのまま力を乗せボールが手を離れていく。

「うおおおおお!」

 鈴の声に、スピードの乗るボール。これは、もしかしたら凄い投手の誕生かもしれない。
 そう思ったのは、ほんの一瞬の話だった。
 
「うあっ!」

 頬を風がきり、真人の呻き声と何か木製の物が壊れる音。
 それと共に真横に居たはずの彼の残像が見えた。
 何が起きたのか、目を瞬かせ鈴を見やるとその表情に焦りが見える。
 そのまま後ろへと視線を移すと、後ろの方に壊れたスコアボードとお腹にボールを埋め込まれ目を回してる真人の姿。

「ま、真人! 学校の備品……! いや、真人……!」
「理緒、落ち着け」

 謙吾の声に我に返る。
 いや、しかし、落ち着くって言ってもボールめり込んじゃってるんだよ。
 人の腹にボールがめり込む瞬間なんてこれから生きててどれほどみるのだろうか、もしかしたらなかなか見れない体験に遭遇しているのかもしれない。
 恭介は、その場から微動だにしない鈴に向き直る。

「ズバリ言おう。鈴、おまえに神なるノーコンの称号を与えよう」
「……いやじゃー!」

 鈴の悲痛の叫びがグラウンドに響く。
 ノーコンすぎるノーコンに、それは神の域に達してるといえる。しかし、威力こそはある球筋だが本当に大丈夫なのかと不安がよぎる。
 デットボールでバッターボックスには誰もいないとか起きないだろうか。

「ふっ……筋肉に救われたぜ」

 真人はこの騒ぎの中気がついたのか、身体を起こすとボールがポロリとまるで漫画のように落ちていった。

「この時ばかりは真人の筋肉に乾杯だよ」

 理樹の言葉に思わず頷く。
 本当に、この厚い筋肉がなければ今頃保健室行きだ。
 頭を見るにも目立った外傷はなく、一番の被害者は木屑と化したスコアボードだろう。

「そういえば、ボールとミットはあるけど、他の野球の備品はどうするの?」

 確かに、ミットも一つでは足りないし、なによりバットがない。
 これでは簡単なキャッチボールくらいしか出来ない。それもグローブがないから痛いものだろうけど。

「安心しろ、あてはある」

 そう言って部室棟へと向かう恭介に、皆一度は顔を見合わせるが誰も何も言わずそのあとを追いかけていく。

「ここだ」

 部室棟の一番端に存在する『野球部』と書かれた部屋。
 ドアには鍵が掛かっていなかったのか、簡単に開き恭介を先頭に中へと入っていく。
 そこはまさに野球部と言える壁の張り出しや、傘立てに刺さっているバットと、使われていた形跡がうかがえる。

「我がリトルバスターズは当面のあいだこの部室を使わせてもらう」
「野球部のほうは大丈夫なの?」
「野球部はなにかごたごたがあったらしく事実上の廃部状態だそうだからな」

 それなら安心、なのか?
 鈴と理樹、それぞれ野球部のロッカーやら備品を漁りだし私もそれに参加するかと腕をまくった。
 少し埃っぽい部室にたまにくしゃみが出る。

「そもそもどうして野球なんだ」

 野球部のロッカーを漁ってると、入口のドアに背をつけ腕を組んでいた謙吾は誰しもが疑問に思ったことを口にした。
 そういえば、未だに何故野球をすることになったのか聞いていなかった。
 謙吾の言葉に、真顔になる恭介に私の手は思わず止まる。

「俺は三年になって、ずっと就職活動をしててふと思うんだ。俺は何をやってるんだろうと」

 それは、今後の将来のために就職活動をしているんだろ、なんて突っ込むのは野暮だろう。

「これからサラリーマンになって働いていくんだろう」

 そりゃ、社会の歯車になったのだったらそうやって汗水流して働いてるだろう。
 私と真人はその言葉にお互い頷く。

「でも、それは周りがそうしているから、なんとなく流されてるだけだ。だから俺は俺がここにいることを証明し続けるため野球をやることにした」

 空気が止まった。皆それぞれ手を止め、目を丸くさせ恭介を見ている。

「あれ?途中まではわかったが」
「最後が理解できん」

 同感である。
 恭介は、そんな私たちに不敵に笑うと力こぶしをかかげ、そしてもう一度宣言した。

「俺は俺であり続けるために野球をする」
「そこでどうして野球なんだ」

 全うなことを言う真人に、恭介は詰め寄る。

「考えても見ろよ。就職活動中に野球をしようだなんて、誰が考えるんだ」
「まあ、そりゃ」
「普通思わないだろう?」
「ああ」

 謙吾の返答に、そうだろ? と言わんばかりの笑みを浮かべる。

「だからこそ面白いじゃないか」
「オレたちはたんなる巻き添えか!?」
「そして面白ければなんでもいいのね……」

 たとえばあそこでテニスボールが落ちていれば今頃テニスをしよう、とかになってたのだろうか。
 相変わらず、突拍子もないことを言う恭介にはお手上げだ。
 謙吾はそれを聞くと持っていた竹刀を掲げる。

「試合が近い副主将として責任もある、ではな。俺は俺であり続けるために剣を振るう」
「謙吾!」

 立ち去る謙吾に、理樹はその背中を止めようと立ち上がるがそれを恭介は制止した。

「ほうっておけ理樹 あいつもいつか理解してくれる日がくるさ
「いや、オレたちも全く理解してないんだが」
「同感だ」
「まずは、私たちの理解が必要かな……」

 皆が一度に頷いた。
 謙吾の去った方を見ていたレノンは小さく鳴き。しっぽをゆるりと揺らす。
 誰の理解も得なかった恭介は、腕を前につきだし私たちを見回す。

「まあいい、とにかく備品の確保だ!」

 ほら、頑張れと指示を飛ばす恭介にそれぞれバット、ボールと最低限必要なモノをかき集めはじめる。
 そしてふと思う。
 ここまで来てしまった手前だが、私も野球をする流れになっているようだがそれはなんとしても阻止したい。

「ねえ、恭介」
「なんだ?」

 恭介は振り返る。
 その手には、かごの中で積み重なっていたグローブを一つ持っており、これから言うことに躊躇してしまい少し口ごもってしまう。

「そのね、前もって言うけど、私野球しないから」
「はぁ!?」
「えぇ!?」
「なにー!?」

 それに対して三人は、それぞれ批難の声をあげる。しかしこれは決定事項だ。

「なんだよ、理緒。おまえも謙吾と同じように『私は私であり続けるために、何かを振るう!』とか言うんじゃねーだろうな」
「何かってなにさ」
「そりゃ、何かは何かだろ」

 理樹のツッコミに、真人は決まってるだろと真顔で言うが。いや、何かって何? と私まで苦笑する。
 そして恭介は少し眉間に皺をよせ、一つ。

「却下だ」

 ずばっと言い切った。
 そう来るとはわかっていたが、今後の皆への迷惑を考えると辞退する以外道はない。

「いや、だってね……」
「却下だ」
「私、無理なんだって」
「却下だ」
「きょうす」
「却下だ」
「話を聞けー!」

 頑なに話を聞こうとしない恭介に、しびれを切らし叫ぶと理樹が落ち着かせようと「まあまあ」と背中を撫でる。
 昔からそうだ、恭介はたまに私の言葉を全く聞いてくれない時がある。

「理樹の言葉は聞くくせにー! 贔屓だ!」
「理緒だからな」
「まあ、理緒だし」
「理緒だもんな」
「何その三段活用……!」

 順に鈴、理樹、真人と「理緒だから仕方ない」と言わんばかりの言葉に私は愕然とした。

「理緒は昔からここぞという時、言い訳をして逃げてきたからな」
「それ、小学生までの話でしょ」

 確かに小学生の頃は恭介に反発して何か言い訳を考えてリトルバスターズから逃げていたが今回ばかりは事情が違う。
 それに昔は昔、今は今だ。

「それで、話ってなんだ?」

 やっと話を聞いてくれるのか、恭介は私の顔を覗き込んでくる。

「まず前提に私だって野球したいよ。だけど、ほら……野球って投げて打ってするでしょ?」
「ああ、するな」
「忘れてるかもしれないけど、私、肩に負荷かけられないから……」

 理樹は私の言葉に息を飲んだ。

「そっか……理緒、あれで」

 あれ、そういって濁した言葉に私は苦笑した。
 あれとは、両親を失った事故。
 両親と一緒に乗ってた私は、命こそは助かったが事故の後遺症で利き腕の肩が普通の人より上がりにくくなっていた。
 私生活のうちでは特に不自由しないが、医者からは腕を使う運動は控えるように言われている。

「反対の腕は大丈夫なんだろ」

 そう言って反対の肩に手をかける恭介に、嫌な予感がした。

「大丈夫だけど、利き腕じゃないからそんな威力ないよ。ヘロヘロだよ」

 一度体育の時間でボール投げをしたが、真っ直ぐには飛ばずに真上に大きく弧を描き長距離飛ばなかったのを思い出す。

「それで十分さ」

 実際の私の球を見ていないからか、鈴の暴投を見たあとだからか、やけにハードルの低いことで。

「まあ、そうだな無理はさせない。補欠でどうだ?」
「主力メンバーも揃ってないのに補欠とは……」
「やってみると、うまくなるかもしれないぜ?」

 そんなあっけらかんと言うな。

「負傷の選手。誰しもが現役活躍は遠ざかったと思った。しかしまさかの奇跡の復活……燃えるじゃねえか!」
「漫画の影響だな」
「こいつバカだ」

 真人のぼやきと鈴の何気ない言葉に私はひきつりあがった笑いがくずれない。
 まさに青春を漫画に捧げているようだ、恭介は。

「それに、一人見てるのも淋しいだろやってみると楽しいぜ? 野球」

 手渡してきたグローブは利き腕のグローブ。
 そして見上げれば、恭介の子供のように眩しい笑顔に幼い頃の笑顔が重なる。

「ほんと、恭介にはかなわないな」
「ん?」
「なんでもない」

 小さく呟いた声は恭介には聞こえてなかったのか聞き返すが、私はその背中を一つ叩き鈴の元へと行きその手に持っていたボールなどを箱につめた。

「よし! それじゃあリトルバスターズ第一回目の練習はじめるぞ!」

 ひとり盛り上がる恭介に理樹が慌てて返事をし、皆ボールやバットといった備品を持ち寄り外へとかけだした。
 私はその背を見送り、部室のドアを閉めまだ明るい空を見上げる。
 そして一つポツリと思うのだった。壊してしまったスコアボードどうしようかな。


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