第6話
人の手が多いほど、作業というのははかどるものだった。
力仕事全般は真人と恭介に頼み、私たちは中の埃などをまず掃く作業から入る。
私はかがみ、少し奥に入っている箱を取り出そうと手を伸ばすと突然頭に衝撃がはしり、目の前に星がちった。
「いったー!」
「悪い、手が滑った」
「まーさーとー!」
振り返ると大きな木板を持った真人の姿があり、私はもう少し気をつけてよと言いかけるがその木板の大きさに目が釘付けになった。
「ねぇ真人」
「ん?」
「それ裏に何も書いてない?」
「ああ、ただの木の板だぜ」
ほら、と裏を見せる真人に私はこれならいけると立ち上がる。
大きさと厚さといい、これならば先日壊してしまったスコアボードに丁度いいだろう。
「理樹、少し席外してもいい?」
「ええーどこに行くのさ」
「スコアボードを直しに」
木板を軽く叩けば、理樹は合点いったのか周りの様子を見たのち、一人減っても大丈夫とふんだのだろう。
そういうことなら、と頷いた。
「でも、大変じゃない?」
「大丈夫! こういうことのスペシャリストとやるから」
「スペシャリスト?」
理樹は首をかしげ、スペシャリストとは誰なのか考えるが思いつかないのか、苦笑すると「いってらっしゃい」と手を振った。
「理緒どこか行くのか」
「鈴が壊したスコアボード直しにいくってさ」
私が出て行くのが見えたのだろう。
鈴はそれまで掃き仕事をしていた手が止まり、不安げな顔をして引き止めるが、理樹の言葉に何も言えなくなったのか「早く帰って来い」とだけぼそりと呟く。
そんな鈴の姿に、皆いるから大丈夫だってと頭を撫でるがその表情は晴れる様子がなかった。
「んじゃー、真人これ貰っていくね」
「おう、けどよ、オレが持っていかなくてもいいのか?」
「そんな重いものじゃないだろうし、大丈夫大丈夫」
真人から板を受け取ると想像以上に重いそれに、やはり真人にお願いしようかと一瞬頭動きが止まる。
だけど言ってしまった手前頼るのも申し訳なく、人間やれば出来るとそのまま引きずる形で板をグラウンドまで引っ張っていった。
グラウンドへつくと女子ソフトボール部が練習をしており、今日のリトルバスターズの休みはこれでか、とその練習風景を眺める。
そして丁度休憩に入る練習に、邪魔にならないうちに終わらせてしまおうと壊れたスコアボードの前に板を置き、私はポケットから携帯電話を取り出し今回のスペシャリストに電話をかけた。
ツーコール後、電話のつながる音と陽気な声が耳に届く。
「あ、葉留佳? 私、理緒です」
『おおー! 理緒ちゃんどしたの?』
「ちょっとね、スコアボード壊しちゃって直さなきゃいけないんだけど、よかったら手伝って欲しいなーって」
普通なかなか返事のしにくい頼みごとであるが、葉留佳は二つ返事で引き受けてくれた。
「本当にいいの?」
『まっかせなさーい! はるちんにかかれば一瞬にしてピカピカの新品に生まれ変わりですヨ!』
「じゃあ、グラウンドで待ってるね」
了解の意を聞き、私は電話を切り葉留佳が来るまでにペンキや釘と必要最低限の物を揃えに用務員室へと向かった。
「と、いうわけで、はるちん三分クッキングー!」
「料理は作らないけどね」
数分すれば必要な工具を持って葉留佳がやってきた。
三枝葉留佳とはクラスこそは違うがとある勘違いから知り合い、今では仲のよい友人なのだがよくトラブルを起こすからか風紀委員に追いかけられている所ばかり見ている。
そして、整備委員として活動しているためか大工仕事といった修理はお手の物だった。
「しかし、こりゃまた派手にやりましたネー」
「筋肉さんの力はすごいからね」
「真人くん?」
壊れたスコアボードをまじまじと見つめる葉留佳の顔には笑みがうかんでいた。
ここまで豪快な壊れっぷりを見るのは、そうそうないだろう。
「そ、鈴のボールを受けて……」
「どかぐしゃぼっかーん! 万有引力の反発か、宇宙規模の策略かNASAの陰謀か……! こうしてスコアボードは犠牲になったのだ……な感じ?」
葉留佳特有の効果音とはるちん劇場とともに、手は爆発を表しているのか大きく広げる。
「まあ爆発はしないし何の国家権力も宇宙的大事件も起きてないけどそんな感じ、直せそうかな?」
改めて見ると支えの柱の一本は上から折れており、中途半端に残っている板が邪魔なように思える。
しかしこれを抜くとなると女子二人の力ではあまりにも重労働だ。それにこの代わりの棒を今度は探してこなければならない。
「理緒ちゃん、私言ったよね」
「ん?」
「このはるちんにまっかせなさーいって」
ウィンクをして親指を立てる葉留佳に頼もしさを感じる。
私は親指をたてかえし「はるちんかっこいいーよ!」と言えば、葉留佳は照れ笑いを浮かべた。
葉留佳の任せなさいは、本当に任せなさいだった。
作業に移れば葉留佳は何をすべきか把握しているのかのようにテキパキと動き、みるみるうちにキレイになっていくスコアボードに開いた口がふさがらなかった。
板にはささくれ一つ無いようにヤスリがかけられており、その技術の高さに拍手を送る。
意気込んでいた私がやったことと言えば、ペンキで得点表を書いたことと板を支えたことぐらいだ。
「葉留佳ありがとう!」
「なんのなんの」
「本当葉留佳が居なかったら私死んでたかも」
「理緒ちゃん大げさですヨ」
褒めまくる私に葉留佳は最初こそは照れていたが、だんだん調子が出てきたのか「もっと褒めて―」と猫のように擦り寄ってくる。
気づけばソフトボール部の練習は終わっており、グラウンドに私たちと道具が転がっているだけだった。
私たちは達成感にお互いハイタッチをし、その成果を分かち合う。
そんな時だ。
「三枝葉留佳ー!」
「やばっ」
風紀委員の声がグラウンドに響き渡る。
葉留佳はその声にとっさに私の後ろに隠れるが、見つかっている以上意味はない。
「また何かやったの?」
「実はですネ。教室の入口にこんにゃくを仕掛けてドアを開けるとそれが顔に当たる装置を作ってたんだけど……人を待ってる間に理緒ちゃんから電話がきてそのまま放置して来ちゃいまして」
「それが風紀委員に見つかったってことか……」
「そういうこと……んじゃ、あとはよろしく!」
そう言うが早い、葉留佳は校舎の方へと駆けていき、その後を風紀委員と犬たちが追いかけていく。
無事に逃げ切れればいいのだが、恭介とは違うベクトルの遊びの天才に私は思わず苦笑してしまう。
「あなた」
葉留佳の残していったトンカチやヤスリといった道具を拾い、あとで返そうとまとめていると、土手の上から声がかけられた。
顔を上げると土手の上には二木さんが立っており、私をみると眉間にシワをよせ見下ろしてくる。
その目が冷たいことにおもわず身体がこわばる。
「直枝……理緒だったかしら、あの子と仲がいいのね」
あの子、そう冷たく言い放った言葉に、葉留佳の姿がよぎる。
風紀委員と葉留佳の折り合いが悪いことは知っていたが、委員長である二木さんのその言葉はそれ以上の思いがあるのが感じとれる。
「友達、だから」
「あんまり深入りしないことね。ろくなことがないわよ」
「……」
何か言い返そうと言葉を探すがなかなか出てこず、口ごもっていると遠くから真人の呼ぶ声が届いた。
二木さんはそれを聞くと何も言わない私に一つ笑い、踵を返して戻っていく。
「それじゃあ」
「あっ……」
「おい理緒、って誰かと話してたのか?」
呼んでもなかなか来ない私にしびれを切らし真人はそばまで駆け寄ってきた。
そして駆け寄る途中ですれ違ったのだろう、二木さんの背中と私の顔を見比べる真人に私は頷く。
「うん、ちょっと……」
「それよりすげーな」
言葉を濁す私に真人はそれ以上聞いてこず、キレイになったスコアボードを見上げ関心したようにつぶやいた。
「一人でやったのか?」
「ううん、友達とだよ」
二木さんの言葉がひっかかるが、私は葉留佳と友達をやめる気はない。
そんな私の言葉に何かを感じ取ったのかどうかは定かではないが、真人は私の頭に手を乗せるとそのままかき混ぜるように撫でる。
何も言わないのは真人なりの優しさだ。
「それより、掃除のほうは終わったの?」
「それが、聞いて驚け。すげえー綺麗になってよ!」
興奮気味にいう真人によほど綺麗になったことがわかる。
「ほら、早く戻ろうぜ!」
「うん」
そう声をかけ走り出す真人の後を、私は道具を抱えて追いかけた。
たどり着いた物置は、最初の頃とは見違えるほどに違っていた。
まず埃がなくなり、散乱していたダンボール箱たちは所定の場所に置かれており、これならば課題はクリアだといえよう。
「ここまで綺麗になるとは」
「オレはオレを褒めてやりたい」
「おまえの手柄か……!?」
後半お掃除をサボっていたと聞く恭介と真人に、鈴は突っ込むが真人は悦に入っており話を聞いていなかった。
私は物置内を見まわしたのち振り返り、小毬ちゃんの隣に立つ鈴の姿にひとり頬がゆるむ。
理樹から聞いた話では、掃除の途中スカートがはしごに引っかかりほつれたのを小毬ちゃんが直してくれたらしい。
そんな二人の出来事に、この調子なら普通に話せるまではもう少しだろうとほくそ笑む。
「鈴はお礼を言わなくちゃ。神北さんのおかげで、課題はクリアってことだよね」
小毬ちゃんは鈴に微笑みかけるが、鈴はやはりまだ抵抗があるのか顔を赤くさせると私の後ろへと隠れた。
だが先ほどよりも隠れる範囲が減った分進歩といえよう。
「さあ! これで野球部の部室もすっきり片付いたし! レッツ野球だよー!」
小毬ちゃんは両手を上にあげ、意気込む。
だが皆その様子にぽかんと口を開けてしまう。
まさか小毬ちゃんはここを部室だと思い、そのあまりな惨状に掃除に参加したという感じなのだろうか。
「ここ、野球部の部室じゃないよ?」
「ふぇ? 違うの?」
理樹の言葉に首をかしげる小毬ちゃんに皆顔を見合わせ苦笑する。
どうやら小毬ちゃんには部室の場所を教えることから始まりそうだ。
日が沈み始める頃。私たちはグラウンドへと来ていた。
ひとまず部室の場所を教えたのちグラウンドに出ると小毬ちゃんは準備運動を始め、皆その様子を生暖かい目で見守っていた。
「おいっちにー! さんのしーい! まだまだがんばるよー!」
時たま聞こえる声に、私はただただそのスカートの中が見えないか不安に思いつつボールで遊んでいる鈴の頭を撫でる。
「大丈夫なのか、あいつは」
「やばいな……どれぐらいやばいかというと、眉間に寄ったシワが戻らない」
真人の不安げな声と、恭介の眉間に寄ったシワに理樹は苦笑する。
「本人はやる気まんまんみたいだけど」
「オレは不安要素しか見えないんだが」
背中を反らせたりと準備運動が着々と進んでいく小毬ちゃんに、恭介はしばらく考えるとこんな手案をした。
「まずは入団テストをしよう」
「なんか、本格的だね」
「なるほど。さりげなく不合格にして、お断りすりゃ面倒事もおこらねえ」
小毬ちゃんに至っては面倒ことを起こすように見えないが、まあ角の立たないやりかたではある。
それに前もって基準を決めておけば、今後も勧誘が楽になるだろう。
「神北、集合だ」
「ふぇ?」
声をかけられ、足のあいだから顔を覗かせる小毬ちゃんに私は手招きをする。
「今から入団テストを始める」
「テスト?」
「そうだ」
小毬ちゃんは不思議そうに目を瞬かせ、口は小さくぽかんとあいていた。
きっとピンと来てないのだろう。
「小毬ちゃん頑張って」
「うん! 私がんばるよー!」
「では、第一問!」
恭介は腕を前につきだしコールをかけ、それに小毬ちゃんは構える。
「野球に必要なものはなんだと思う?」
「うう……えーっと」
空を見上げ、口元に指をあて悩むが何かピンと来たのか眉をつりあげ凛々しい表情になる。
「ガッツと! 勇気! そしてー友情!」
一つ一つポーズをつけ述べていく小毬ちゃんに、恭介は険しい表情のまま親指を立てる。
「合格!」
「がんばりまーす!」
「ちょっと待ったー!」
小毬ちゃんの声にかぶって叫ぶ真人に、恭介はハッと我に返ると眉間に指をあて空を仰いだ。
「俺としたことが……あまりに的確な言葉に思わず感動してしまったぞ」
後ろから鈴の「馬鹿だ」というつぶやきが聞こえる。
否定はできない。
「確かに人柄や野球に対しての姿勢は大事だけどさ」
「テストといえば普通運動能力とか」
「た、体力とか……」
「筋力も忘れるな!」
「とかだよね?」
順に挙げられていくテスト内容に、恭介は腕を組み頷く。
「うん、それもそうだな」
「ふぇ」
「それじゃあ、まずはバッティングテスト」
「じゃ、小毬ちゃんこれを持って」
小毬ちゃんをバッターボックスに立たせ、キャッチャーとピッチャーである鈴と理樹の準備が整えばバットを手渡す。
しかし小毬ちゃんにとって初めて持ったバットは重いのか、持ち上げようとするがなかなか持ち上がらず、あがったとしてもその足腰はフラフラしていた。
「あーあー見ちゃいらんねーな」
真人は小毬ちゃんの様子に苦笑し、レクチャーしようと後ろから声をかける。
「ほら、貸してみ」
そう手を伸ばした真人に小毬ちゃんは振り返ろうとするが、バットの重さの反動もあってかバットごと振り返り、バットは真人の弁慶を見事に狙い打った。
「うあああああ! ごめんなさーい!」
声も出せないほど悶絶する真人に、小毬ちゃんは目に涙をためて謝る。
あれは、絶対痛い。
自分は当たってないにもかかわらず、見ているだけで痛みが襲ってくる感覚に顔をしかめる。
恭介は小毬ちゃんには通常のバットは無理だと判断したのか、どこから持ってきたのかプラスティックバットを手渡した。
「プラスティックのバットなら軽い、これなら問題ないだろう」
「ないなーい!」
「いや、いろいろあるような……」
バットの軽さに、小毬ちゃんは軽々と持ち上げその表情には笑みが浮かぶ。
しかし、鈴の球にプラスティックバットは耐えれるのだろうか、さすがに前に飛ばずバットだけがへっこむのだけは勘弁願いたい。
「むんっ!」
小毬ちゃんは再度軽くなったバットを構えるが、なぜか理樹の方を向きピッチャーである鈴には背中を向けている。
「小毬ちゃん、打つときはあっち向きだよ」
「ふぇ?」
目の合う小毬ちゃんに、鈴のほうを指せば「そうなの?」と首をかしげられた。
まずは、ルールを覚えるところからだろうか。
「次はベースランニング」
小毬ちゃんの天然に、一瞬恭介の眉間に不安シワが寄るが一回咳払いをすると気を取り直し小毬ちゃんに一周塁を踏んで回ってきてくれと指示をだした。
小毬ちゃんはそれに一つ頷くと、走り出すがその足取りと一塁に足を取られたのだろうこけっぷりに皆言葉を失う。
「小毬ちゃん大丈夫?」
「いたいー……でもだいじょうぶー」
かけよれば、涙目の小毬ちゃんの姿があり、起こして制服についた砂埃をはらう。
「最後は守備だ!」
もう若干やけくそになっているのだろう恭介の声に、私は小毬ちゃんより後ろに控え取り損なったボールの回収をしようとグローブをつけた。
小毬ちゃんは手渡されたグローブを初めて見るたのだろう、まじまじと物珍しそうにみている。
「いくぞ!」
その声とともにグローブを構える小毬ちゃんだったが、打ち上げられたボールは小毬ちゃんの手前で落ち、そのまま足のあいだを転がっていく。
いわゆるトンネルというやつだ。
私はそれを追いかけ拾いあげるが、小毬ちゃんはボールを見失ったままなのか当たりをキョロキョロ見回している。
だが、途中でたんぽぽを見つけたのかそっちに注意が向いてしまった。
「うわぁーたんぽぽさん! りおちゃんたんぽぽさんだよ」
「小毬ちゃん……」
ほやほやした雰囲気に思わず苦笑してしまう。
ホームの方をみると皆も苦い顔をしており、誰が見ても小毬ちゃんのテストは不合格なのが感じ取れた。
「では、最後の問題だ。再び聞こう、野球に必要なのはなんだと思う」
あたりはすっかり夕暮れ時で、暖かな橙色が私たちを照らす。
「えっ、えっと……それは……」
恭介に再三質問される小毬ちゃんはまた空をあおぎ悩むが、拳を作ればそれを空に掲げ。
「ガッツと! 勇気! そして友情!」
またポーズをとるのだった。
そして恭介は間髪をいれずに親指をたて「合格!」と高々と宣言をする。
「やっぱり合格だ! 神北小毬! 君は野球に必要なものは全て備えてる!」
二人とこちら側のテンションの差に呆然としていると、いつの間に持ってきたのか恭介は小さなくす玉をその場で割った。
垂れ幕には「祝入団決定」と書かれており、それに小毬ちゃんは両手を振りこたえる。
「入団決定! 今日から君は我らリトルバスターズのメンバーだ!」
「わーい!」
「なんのためのテストだったんだ」
理樹のぼやきに、私は「さぁ?」と苦笑してしまう。
まあ、リーダーである恭介がいいというのだからいいのだろう。
小毬ちゃんはこちらを振り返ると一目散に鈴のもとへと向かった。
鈴は突然来る小毬ちゃんに、理樹の後ろに隠れ背中越しに様子を伺う。
「これからよろしく! よかったら小毬ちゃんって呼んで」
ニコニコと効果音がつきそうなほどの笑顔を浮かべる小毬ちゃんに、鈴は何も答えられず目をそらす。
「まだ、人見知り?」
「いや……ほら、鈴」
理樹にせっつかれ、鈴は顔をあげるがまだその目は泳いでおり小さな呻き声が聞こえる。
「よろしくね、りんちゃん!」
鈴はその言葉に目を見開き、顔が一気に赤くなる。
初めて名前に「ちゃん」をつけられて呼ばれることに、耐え切れない恥ずかしさが襲ったのだろう。口をまるで金魚のようにパクパクさせる。
「り、鈴ちゃんとか……困るぅぅぅううう!」
そして逃亡を図るのだった。
グラウンドの端まで走っていく鈴に、小毬ちゃんは眉をさげ残念そうな顔をする。
「ガーン、逃げられてしまったー……」
「慣れてないんだ、どう接していいかわからないだけだよ」
「あいつは、鈴ちゃんなんて呼ばれたことないからな」
思えばそうだ、鈴に今まで友達らしい友達もおらず。
女子も名前を呼ぶことはなく皆名字だった。
「りおちゃんも?」
振り返る小毬ちゃんに、私は頷きかえす。
「私も皆が鈴ってよんでたから、最初から鈴だったよ」
一度くらい鈴ちゃんと呼んでみたらよかったと今更後悔。
「おお、待てよ。するとオレは筋肉ちゃんってわけか」
真人ちゃんじゃなくて? と首をかしげるが、真人は笑みをうかべると息を吸い込み大声で向こう側にいる鈴に叫ぶ。
「オレも筋肉ちゃんって呼んでくれよ!」
「きしょい!」
まるでその口を塞がんといわんばかりに、鈴の靴は真人の顔めがけて飛んできた。
そして綺麗にはりつく靴裏に、小毬ちゃんは慌てふためき順に真人と私や理樹の顔を見る。
「ちぇーっ、いい響きだと思ったんだがな」
顔から靴を取る真人に、小毬ちゃんは目を瞬かせた。
「へ、平気なの?」
「あ? 何がだ?」
「真人は昔からいつもこうだから」
綺麗に顔に残った足跡に、関心しつつ小毬ちゃんは靴と鈴のあいだを視線が行き来させる。
向こう側では片方の靴を失った鈴がけんけんで歩いており、戻りたくても戻れないその様子が手に取るようにわかる。
「ほれ」
真人はそれを察してか小毬ちゃんに靴を手渡し笑うと、小毬ちゃんの表情はみるみるうちに明るくなっていく。
「行っといで」
「うん!」
一瞬伺うようにこちらを見る小毬ちゃんに背中を押すと、小毬ちゃんは一つ頷くと靴を大事に抱え走りだした。
「りんちゃーん! まってー!」
鈴はこちらに向かってくる小毬ちゃんに気づき、全力で逃げ出そうとけんけんをする足に力がはいったのがわかった。
どちらが早いか、なんて目に見えてわかることだ。
しかし小毬ちゃんは何もないところでけつまずき、顔面から地面にあたりにいく。
「神北さん……」
「小毬ちゃん……」
私は助けに行こうと歩き出しかけるが、後ろから手を取られ引き止められる。
振り返ると恭介が私の手をとっており、訝しげに見上げていると恭介は目で二人の方をさした。
視線のほうに目を向けると、鈴が徐々にだが近づいて言ってるのが見え、その鈴の行動に私の足からは力が抜け恭介の手は離れていった。
そっぽを向いたままだが、近くに行く鈴に小毬ちゃんは飛び起きるとその身体を捕まえ、くすぐりにかかる。
グラウンドには鈴の笑い声がこだまし、二人の姿に皆思わず笑がこぼれる。
小毬ちゃんなら大丈夫だ。
そんな安心感に、自分の手から離れていきそうな鈴に、少し寂しさを感じ私は空を見上げた。
二、三度目を瞬かせると、突然目の前を光が瞬き視界が歪む。
いつものやつだ、そう思うと同時に私は理樹のもとへと走った。
「理樹っ!」
私の声に皆が振り返る中、手を伸ばしその腕を掴むが力の抜けた理樹の身体は重くそのまま引きずられる形で私は理樹の体の下へと潜り込む。
怪我がないようにクッションになる私に、真人はすぐさま理樹を抱き上げる。
「大丈夫か?」
「うん、理樹には怪我ない?」
「ああ」
真人の腕の中眠りに落ちた理樹は、特に目立った外傷はなくほっと息をつく。
「理緒が守ったからな」
恭介の差し出した手に掴まり立ち上がると、鈴と小毬ちゃんも理樹の異変にかけより、鈴は理樹と私に怪我がないのを確認するとホッと息をついたのが見えた。
小毬ちゃんは初めてのことに皆の顔を見ていき、その顔は不安げだった。
「直枝君大丈夫?」
「大丈夫だよ。いつものことだから」
服についた砂を叩いていると、小毬ちゃんは首をかしげた。
皆は互いに頷きあい、私を見てくる。小毬ちゃんになら言っても構わないだろう。
「理樹は、ナルコレプシーなんだ」
「なるこれぷしー?」
「突発性眠り病。どんな時でも突然寝ちゃう病気だから、こういうことがたまに起きるの」
昔からだから、もう慣れちゃったけどね、と笑うと小毬ちゃんはそうだったんだ、と理樹を見る。
「そんで、理緒は理樹のセンサーってとこだ」
「センサーって……」
真人の得意げな言葉に、私は苦笑する。
「でもそうだろ?」
「センサーっていうのは大げさだけど、双子だからかな。なんとなくね分かるんだ」
医者にもわからないことも私にならわかった。
だがそれを大人に伝えたところで、私自身も事故の後遺症で病気なのではないかと疑われたのはそう遠い昔ではない。
今でこそ、その事情をくんで同じクラスにしてもらえたが、昔私がいない時はたまに間に合わず理樹はその頭にたんこぶを何回か作ったりした。
私は眠る理樹の頬を撫でる。
「なら、直枝君にはりおちゃんがいたら無敵だね」
「小毬ちゃん……」
初めて聴く人は大抵は信じられないと言いたげな眼差しを向けてくるが、小毬ちゃんはただ笑ってそれを受け入れてくれた。
「そうだね、そうだったらいいな」
思わず泣きそうになるそれに、私は笑い返す。
なかなか止まない光の瞬きに違和感を感じつつ、空は暮れすでに一番星が登っていた。
こうして私たちリトルバスターズに、ひとりの女の子が加わった。
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