第4話
五月十五日、野球チームリトルバスターズが発足されて二日が経とうとしている。
しかし、未だにメンバーは私と謙吾を除いて理樹に鈴、そして恭介と真人の四人だけだ。
恭介が取りつけて来た試合まで何日なのかも知らないこの状況。
あと五人、いざとなったら自分も参加するしかないかと補欠に甘んじている私は思う。
寮生にとって朝の食堂は戦場と言えよう。
決められた時間内に朝食を取り、学校に行く。一瞬でも気を抜くと朝食を食いっぱぐれるだけではなく遅刻にもつながる。
しかしその戦場の中でも、リトルバスターズはある意味特別だった。
食堂のおばちゃんに朝食を貰い、いつもの場所へと進めばそこは人数分の椅子がぽっかりと空いていた。
まるでそこがリトルバスターズの席だと言わんばかりの空席っぷりに感謝しつつ私は腰を下ろす。
今朝の朝食はご飯に味付け海苔、味噌汁焼き魚とこれぞ日本の朝食といった品ぞろい。女子にだけつくカップゼリーは食後のデザートだ。
席につき、鈴や他のメンバーが来るのを待っていると遅れて皆がそれぞれ席へとつく。
「真人……またすごいね」
「筋肉のためには必要だからな」
最後に席につく真人のお盆には、六個のお茶碗がお盆から溢れそうになりながら乗っていた。
それぞれに白いご飯が山のように盛られており思わず目が奪われる。
身体をよく動かす人はそれ相応に食べる量も多いとは聞くが、この量はさすがというべきだろう。
鈴は手を合わせ、味噌汁を呑む。私もそれにならい手を合わせ、焼き魚へと箸を伸ばした。
今朝も実に美味である。
「あー腹減ったー! 飯だめしー!」
そういうが早い、真人は横に座っている鈴のご飯を取り自分のほうへと引き寄せる。
「あ! それはあたしのだ!」
「ケチめ」
「ケチってなんだケチって!」
鈴は箸を置くと、勢いよく立ちあがり上から真人を見下ろす。
これ以上食べる真人に私は呆れつつ、鈴を落ち着かせようと「まあまあ」と声をかけるが鈴の怒りは収まらず猫のように威嚇をし始めた。
「まあまあ、ご飯やるから落ち着けって」
真人が言うな。なんてツッコミたい衝動に駆られるが私はぐっと飲み込み理樹を見る。
理樹は苦笑しどうしようかとお互い目で会話をするがいい案は出てこず。謙吾に至っては完全スルーだ。
周囲の人はこの騒ぎに皆動きを止めて振り返るが、中にはいつものことかと食事へ戻る人もいた。
「そもそも、おまえが悪いんだろ!」
「なにがだよ」
「あたしのご飯をとった!」
「炭水化物は筋肉に必要なの!」
「なーにー!? かえせ!」
鈴は手を伸ばしご飯を取り返そうとするが、真人の手の中で死守されたその器は取るにも取れなかった。
「いいじゃないか、オレの筋肉のためだ!」
「真人、ご飯もう一杯もらってきなよ」
すでに六杯ものご飯をもらっているのだ。もう一杯ぐらいおまけしてくれるだろう。
しかし真人は顔をしかめ肩をすくめた。
「それがよ、食堂のおばちゃんに断られたんだ」
山盛りにいれた六杯のご飯にさらに追加はやはり厳しいか。
普通に盛ったお茶碗で単純計算すると計十二杯ぐらいだろう。
私はそれ以上なにも言えずに乾いた笑いがもれる。
「よっ、朝っぱらから何やってるんだ」
そんな中突然軽快な声が聞こえ、声のする方を向けばそこには恭介が壁に持たれて漫画を読んでいた。
朝食はすませたのか、身とその漫画だけの恭介は争う二人を見る。
「何ってこのバカが!」
「馬鹿ってなんだよ! ちゃんと筋肉って言えよ!」
「誰がいうか」
腕を組みそっぽを向く鈴に、真人は立ち上がり詰め寄るが鈴はどこ吹く風だ。
その様子に恭介は一つ笑うと目の前の空いている椅子に足をかけ、漫画を空高く掲げた。
「皆聞いてくれ、バンドをしよう。バンド名はリトルバスターズ!」
「バンド?」
二人に何かをいうのかと思った言葉は、予想外の言葉すぎてあいた口が塞がらなかった。
野球はどこに行ったと言うんだ。
「待て恭介、野球じゃなかったのか」
真人もそれを思ったのか、先程までヒートアップしていたご飯騒動はまるではじめからなかったかのように収まる。
その間に鈴は真人のところからご飯を回収していた。
「ん? ああ、そうだ野球だったな。バンド漫画を読んで感動したからつい」
「おまえ、なんでもいいのか」
呆れた眼差しを向ける鈴は、座り直すとやっと落ち着いて食べられると箸を持ちご飯を咀嚼する。
「野球のチームを作るというのはやっぱりただの思いつきだったんだな」
謙吾は箸の手をとめ、そんな恭介の言葉に小さく溜息をついた。
恭介は漫画を閉じると、足をかけていた椅子に座りメンバーの顔を見回す。
「すまん、残るメンバーの五人だったな。早く集めて青春の日々を野球についやそう!」
「オレがしたいのは野球なんて回りくどいスポーツなんかじゃなく」
恭介が座ったのに合わせて座った真人は、さきほどまでのご飯騒動はすっかり頭から抜けたのか自分の山のように盛り付けられたご飯をかっこみ口を動かす。
「拳を直接交える熱いバトルなんだがな!」
飲み込むと箸を持つ手に力を入れ筋肉を見せる真人。
その筋肉美に近頃ボディービルダーを目指してきたほうがいいのではなど思ってしまう。
「真人とまともにやり合える相手がそんないないよ」
いるとしたら謙吾と、それ相応の相手だろう。
私はお味噌汁に手をつけようと手を伸ばすと、どこからか耳障りな音が聞こえてくる。
音のする方へと目を配らせると、目の前を通るハエの姿。
私の挙動に、鈴も気づいたのかハエの姿を捉えるとのけぞるように身体をこちらに向けた。
「虫! この、向こう行け!」
ひっくり返りそうになるその身体を支え、ハエの動きを見ていると鈴と真人のあいだをぐるぐる回っている。
「鈴、どいてろ」
謙吾は箸を逆さに持つと、ひと呼吸置いたのちその小さな四肢を捉えた。
周囲からは歓声があがり、その様子に真人は眉を寄せ面白くなさげに箸の間にいるハエを見る。
「おい」
「ん?」
「そのまま離せよ」
オレにだって出来る。そう言いたげな声色に、謙吾は笑うとその箸を開く。
すぐさま自由になったハエが飛び、真人の頭上へと登っていき、その様子を目で追う真人に周囲にも緊張がはしる。
「見えた!」
その声とともに繰り出された拳はハエを捉える。
その風圧にか、息だえて落ちるハエはあろうことか謙吾のお味噌汁の中にダイブをはたした。
周囲の人間はそれに誰も声が出せず、息を呑む声が聞こえた。
「や、やんのかコラー!」
「真人が先に切れた……!」
立ち上がり謙吾を凄む真人と理樹の言葉に、飲んでいたお味噌汁を吹き出しそうになる。
「望むところだ!」
「普通に受けた……!」
同じように立ち上がる謙吾に、恭介は顔に笑みをうかべ周囲に指示を飛ばす。
またあのバトルが始まるというのか。
周囲は恭介の指示のもとに、気づけば安全にバトルが出来るスペースを確保しており、二人はその真ん中に立ちにらみ合っていた。
私はその間に謙吾のお味噌汁を交換してもらおうと、ハエの浮いたお味噌汁を持ち食堂のおばちゃんのもとへと向かう。
二人のおかげで食堂の受付は人がはけており、先程まで自分がいた場所は小さな円になっていた。
「武器だ! 武器をよこせ!」
真人の声に周囲から物が投げ込まれるのが離れていても見える。
皆それぞれ思い思いの物を投げ込むがいつも皆持っているのだろうかと不思議に思う。
「すみません、お味噌汁にハエが入っちゃって」
「はいはい」
おばちゃんにお味噌汁を差し出すと「こりゃまた豪快にはいったのねー」と軽快な笑いがもれた。
「あ、あと、ご飯一杯いただけますか?」
「あら、さっきの子たりなかった?」
ついでに真人にもご飯を持って行ってあげようと、ご飯の追加注文をするとおばちゃんはいつも私があのメンバーにいることを覚えてたのか驚いた顔をした。
まあ、確かに、あれだけの量を貰い、その上まだ足りないともなると大食いもびっくりだと思う。
おばちゃんが奥にお味噌汁とご飯を取りに行くと、遠くから真人の「石鹸!?」という悲痛な叫びが聞こえた。
きっと武器で石鹸を引いてしまったのだろう。
「いつも元気ねー」
「ご迷惑おかけしてしまい」
「やーね、子供は元気が一番よ、はいお味噌汁とご飯」
手渡されたご飯とお味噌汁をトレーに乗せて戻ると、勝負はついたのか床には泡の塊といたるところがキレイになっている真人、そして卓球のラケットを持った謙吾の姿があった。
「勝者、謙吾!」
手をあげ、謙吾を指す恭介の声に、周囲からは勝者を讃える声が飛び交う。
「さ、勝者は敗者に称号の授与を」
「いつからそんなルールが」
私のつぶやきに、恭介は得意げな顔をすると「前回のバトルの時に決めた」と力強く言った。
「井ノ原真人、おまえに栄えある称号を与える! おまえは今日から『脳をどこかに置き忘れた男』だ!」
気絶している真人に、謙吾は卓球のラケットを突きつけ言い放つ。
それは暗喩に馬鹿だと言っているのだろう。
バトルが終われば祭りが去ったあとのように周囲は日常を取り戻し、皆机を戻し元の食堂へと戻っていく。
「謙吾、お味噌汁交換してきたよ」
「ああ、すまない」
リトルバスターズの面々も皆自分の席へと戻っていき、私は交換してきたお味噌汁を謙吾へと手渡す。
「あと真人、ご飯もう一杯ぐらいならいいってよ」
「いや、二杯だ」
ご飯を真人は口の中にかきこむと箸を持つ手で器用にピースを作り、お盆の上のご飯へと手を伸ばした。
私は今ひとつ状況がわからず首をかしげると恭介の手が私の肩を叩き、振り返るとその手は私の朝食の乗ったお盆を指している。
「あー!」
よくよく見れば私の手つかずだった白ご飯はカラの茶碗になっており、真人の元には私のだと思える茶碗が置かれていた。
「私のご飯……」
「筋肉のためだ、許せ」
口元にご飯粒をつけかっこつけて笑う真人だったが。その背中に鈴の蹴りが入ったのは言うまでもなかった。
時刻は移り変わり、授業が終わり教室が賑やかになる休み時間。
前の授業の用意を直し、次はなんだったっけと机の中を漁ってると突然肩を叩かれる。
振り返ると、理樹が眉を下げ困った顔をしてこちらを見下ろしていた。
「理緒、鈴を見なかった?」
「見なかったけど……多分猫のところじゃないかな」
この時間ならば猫と遊ぶにはかっこうの時間帯だ。
いつもチャイムと同時に教室から出る鈴を思いだし言えば、理樹はため息を一つ。
「日直なのに……」
そう言って前を見る理樹につられて前を見ると授業の板書が綺麗に残っており、中には日直に対して愚痴をもらしている者もいた。
別に少し消すのが遅れているだけでそこまで言わなくてもいいではないか、と思うが鈴自身クラスに馴染もうとせず、なおかつ男子から人気もあるがゆえに女子に反感を買いやすいのだろう。
仕方ないのか、と問われると違うがこればかりは本人の問題だ。
「私代わりに消しとくよ。鈴探しておいで」
「ありがとう」
私の言葉に、理樹は申し訳なさそうにしつつ大急ぎで教室から出ていく。
それを見送った後黒板を消しに行くと、教卓付近で話し込んでいた高宮さんと勝沢さんが話しかけてきた。
「直枝さん日直じゃないでしょ?」
「うん、そうだけど」
頷き返すと、高宮さんは嫌味ったらしくこう続けた。
「棗さんのお守り? 大変だね」
それに勝沢さんも同意するように含み笑いをし、「かわいそー」なんて言うものだから手に無意識に力が入る。
「別にお守りしているつもりもないし、鈴は友達だから助けるのは普通でしょ。それに、そんなにあーだこーだ言うなら自分で消したらよかったじゃん」
さきほどまで日直に対して愚痴っていたのを聞いてないと思っていたのか、はたまた私が口答えするとは思わなかったのか、一瞬ひるむ二人に私は黒板消しを突きつける。
「ほら?」
「っ……!」
鼻で笑えば二人の眉が寄り、悔しげに顔は歪む。
さらに黒板消しを差し出すと高宮さんはそれを振り払い、その衝撃に黒板消しは吹き飛び床を転がっていった。
「直枝さん、あんたね!」
「高宮さん、いいの? 皆見てるよ」
黒板消しの落ちる音と、高宮さんが声を張り上げたことにより、教室に残っていた全員の視線がこちらを向き伺っている。
それに気づいた高宮さんは悔し気に口を閉じると、教室の外へとかけていった。
その後を勝沢さんは、一度私を睨むと追いかけ教室をあとにする。
一年生の頃から二人とは同じクラスだったが、どうにも好きになれない。
「りおちゃーん」
あの後、黒板消しを拾いクラスが日常を取り戻した中。高い位置に書かれた文字と格闘していると後ろから名前を呼ばれた。
「小毬ちゃん」
振り返るとすぐ後ろには小毬ちゃんの姿があり、先ほどのこともあってかその雰囲気と笑顔にほっと頬が緩む。
神北小毬、ほわほわとした不思議な癒しオーラを持っている彼女は佐々美ちゃん経由で知り合った仲で、この春初めて同じクラスになった間柄だ。
彼女の人柄だろう同じクラスになって見えてきた、広い交友関係に人知れず尊敬している。
「どうかしたの?」
「あのね、えっと……」
小毬ちゃんは空を見つめ、口元に指をあて考え事をする。
「野球をする時って何が必要かな?」
「そりゃーバットとかグローブとかミットとか?」
「ミット?」
「そうそう、こう、手につけるやつだよ」
黒板にミットらしきものを描くと、小毬ちゃんは小さく「ミット? ミット……ミトン?」と何度もつぶやきながらその絵を見る。
そして何かピンと来たのかパッと表情が明るくなると手を合わせ、乾いた音が響いた。
「あっ! それなら私も知ってるかも」
手につけるやつだよね、と両方の手のひらを向けるように広げるとそのまま手をグーに握ったりパーに広げたりする。
なにかが微妙に違う気がするが、小毬ちゃんは納得がいったのか私の手を握ると上下に振った。
「ありがとりおちゃん」
「いえいえ」
「それじゃあ、これはお礼に、どうぞー!」
そういってポケットから出されたいくつかの飴が手のひらに乗せられる。
ピンクと白の包装をされたいちごミルクのキャンディー、実に小毬ちゃんらしいチョイスだ。
「小毬ちゃんありがとう」
「また一緒におやつ食べようね」
手を振り友達の和へと戻っていく小毬ちゃんを見送り、もらったキャンディーを口に含む。
甘いいちごミルクの風味に、思わず頬がゆるむ。
私は自分の書いたミットを消し、また上の方に書かれた文字と戦おうと腕を伸ばす。
そういえば最近は野球が周囲で流行っているのだろうか。
野球とは無縁そうな小毬ちゃんの口から出てきた野球という単語に首をかしげつつ、何かが始まりそうなリトルバスターズに、今はただ待つだけだった。
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