暗闇の中


暫く走っていくと暗闇の中、街灯に照らされた青いシートがはためいている幽霊ビルが見えた。
周囲の家々からは灯りが漏れること無く、隣の三橋神社も木立に囲まれてしんとしており、そのなかでの明るさがかえってビルのデキソコナイぶりを強調しているようにも見えた。

紗香は息を吐き出し顔がゆるむのを抑えようとした。
胸の中で震えてる気持ち、軽やかに一歩足を踏み出すたびに高まる。
夜に家を出るのは親とならある、だが今日は違う子どもだけで夜の街を歩いてるんだ。
そして幽霊が居るのか確かめるんだ。

だが、神社の前を通り過ぎ、ビルへ向かおうとすると前を走っていたカッちゃんが立ち止まり続けて亘も立ち止った。
紗香はいきなりのことに急には止まれず亘の背中に顔をぶつたが亘はその様子に気づかず紗香は鼻を擦りながら前を見た。
前ではカッちゃんが手を広げ通るのを邪魔をしていた。

「誰かいるよ」

カッちゃんは声をひそめて囁くと、神社の塀に背中をつけた。
亘と紗香も反射的にそれに倣ったが目を凝らして辺りを見ても人影なんかは見えなかった。
紗香は人が居ないことに息をつき神社の塀から体を離し、亘はというと、怪訝そうに首を捻りカッちゃんに向きなおった。

「どこに?」
「ビルの向こう側。道のとこにライトが見えるだろ」

カッちゃんが指差した方向を二人は目をさっきより更に凝らして見てみたがやはり何も見えずお互い顔を見合わせて首を捻るだけだった。

「どこ?街灯じゃないの?」
「違うよ、車が停まってんだよ」
「あったような気もするけど、ただ車が停ってるだけじゃないかな?」

見つからない亘と違い見つけた紗香は目を細め、カッちゃんの指した方に顔を向けた後、カッちゃんへと向き直った。
カッちゃんは不服そうな顔をし「そうか?」と腕を組首を傾げると、亘は神社の塀から離れて歩きだした。
紗香はそれを慌てて追いかけ手を握るとそれに気付いた亘は紗香の方を見ると口を尖らせた。

「行ってみようよ、ベツにいいじゃん、悪いことしてんじゃないんだ」
「そうだけど…でも、もしって時があるじゃん」

紗香は手を引っ張り亘を止めようとするが亘はその手を振りほどき幽霊ビルへと早足で歩きはじめた。
紗香はため息をつきながらも後ろから追いかけると亘が幽霊ビルの前にさしかかったとき、青いシートが持ちあがり、中から人影が出てきた。

亘は「うわぁ」と叫び飛び退き、紗香はその声に驚き悲鳴にもならない声をあげ腰を抜かしながらカッちゃんの方へと逃げようと地面の上を必死にもがいた。
人影は亘の声に驚いたのか持ち上げていたシートを落とし、その場に埃が舞い上がった。

「あいたた」とシートの内側から声が聞こえてくると紗香は動きが止まり声のするほうへと向き直り、体を引きづりながら亘の元へと行った。

「だっ誰かいるの?」
「わ、わかんないよ」

紗香は亘の足にしがみつき上を向き亘に聞くと亘は唾を飲み込み手を握り拳をつくった。

「な、なんだ?どうしたんだよ亘に紗香」

二人の様子に駆け寄ってきたカッちゃんは、亘の肩を掴んだ、掴まれると亘は一瞬肩を震わせたがカッちゃんとわかり息を吐き出し落ち着きを少し取り戻した。

そのときもう一度シートが持ち上げられ、その音に紗香は泣きそうになりながら喉の奥で小さく悲鳴を上げた。
人影はシートから顔を出し、三人を見上げると驚いたように目を丸くさせとぼけたような声を出した。

「何だよ――あれ?君ら何やってんだ?」

出てきた人影は若い男の人だった。男の人はよっこらしょと言いシートを持ち上げくぐると、道路まで出てきた。
紗香は後ずさり亘の服にすがった。亘は紗香の頭を撫でると座りこみ紗香の手取り立たせたが未だ腰が抜けているのか紗香は亘に寄りかかった。
紗香は出てきた男の人を目で追い、かなり背が高いということがわかった。
首を上げ、上から順に見ていくと、眼鏡をかけて、服装はよれよれのTシャツにジーンズ。
パッと見、冴えない男にみえる、懐中電灯を持っている事から見回りだろうか。
ジッと男の人を見ていると、車が停まっている方向から、スライドドアを開閉するような音がした。
誰だろうとそちらを向くと、そこには中年男性らしき人影があり、目の前にいる若い男の人に話しかけた。

「則之、どうした?」

若い男の人は則之というらしい。
則之に気軽に話しかけていた男は三人に気づくと則之の隣に来て、亘とカッちゃんと紗香、と順番に顔を見回した。
その顔は光が当たらず影で暗く良く見えなかったが声からすると小父さんといった所だろうか。

「なんだ、子供じゃないか。こんな時間に何してるんだね?」

小父さんは「こんな時間」と言うとき、時間を確かめるように腕時計に目を落とした。
その言葉に三人は体を固め、お互いどうしようと相手の顔色を伺った。

「迷子ってことはないよねえ」

則之が口元をほころばせる。紗香はそれに違うと言うまえに則之は続け様言葉を発し。紗香の言葉は喉に詰まった。

「まさか、学習塾からの帰り道ってわけじゃないだろ?」
「あちゃー」
「カ、カッちゃん…」

カッちゃんが声を上げた。紗香はいつものカッちゃんの様子に大丈夫だと思うと先ほどまで膝が笑い力が入らなかった足も、震えが止まり少しふらつきながらも立てるようになった。
ふと支えになっていた亘を見ると、汗をかき紗香が呼びかけに気づかないのか声をかけても見向きもしなかった。
亘は焦っているのか勢いまかせに口を開いた。

「け、け、警察を呼ぶぞ!」
「あ、バカ!?」

言葉を投げつけられた則之と小父さんはそろってきょとんとした。
紗香はやっちゃったと言いたげに口を開け長いため息をついた。

則之と小父さんは顔を見合わせると、次にまた申し合わせたように亘を見た。
隣を見るとカッちゃんもぽかんと口を開いて亘の顔を見つめていた。
そして一拍おいて、亘に尋ねた。

「何で?」

カッちゃんが言ったとたんに、小父さんと則之は腹を抱えて笑いだした。
いきなり笑いだし、紗香は目をまるくさせ驚き二人を見つめかえした。

「親父、声が大きいよ」

則之は小父さんの肩をぽんぽんと叩きながら、笑い。目尻には涙が溜っていた。

「近所迷惑になるよ」

それを聞くと小父さんはゴホンと一回咳払いをし亘の方に腕を振りながら言った。

「坊ちゃん、坊ちゃん。私らは怪しい者じゃないよ、だからそんなに怖がらんでいいよ」

怪しいものじゃないと証明するかのように腕を広げてみる。カッちゃんは亘の肘をぎゅっとつかみ顔を寄せて囁いた。
「ホントだ、大丈夫だよ、この人たち」

亘は勢いよくカッちゃんの方を向くとまじまじと目を見開いて見た。
見つめ返すカッちゃんは、顔を震わせ、笑いをこらえる顔になっていき、しまいにはこらえきれずに吹き出し笑いだした。
亘は自分の今の立場があかると顔を赤くさせうつ向いた。
笑う三人と、笑われる一人。
紗香は力なく笑うと亘を慰めるように背中をポンと叩いた。

「あ、いけない」

則之は笑いを止めて、小父さんが来た方向へと駆け出した。
則之が車の方へと行くのを見ると小父さんは頷き「そうだった」と頭をかいた。

「香織を一人にしちゃってるな」
「カオリ…?」

紗香は新たに聞く名前に、疑問を感じ、繰り返すように口の中で言葉転がした。
則之が消えた方向からすぐに、大型の車がするりと出てきた。
車は角を曲がり、幽霊ビルの前に横付けされた。
つやつやした車体を見て、カッちゃんは目を輝かせ感心した。

「へえ、新車だ。でかいの!たっかそー」

紗香は二人のあいだから顔を覗かせて車を見ると、それはカッちゃんの言うとおり高そうな車だった。
ふと車ね横に白い部分があるのかぼーっと浮かび上がっているところがありそれを目で追って読んでいくと、それは「株式会社 大松」と会社名が書かれていた。
紗香はそれに気づき亘の服を引き教えようとしたが、亘はすでに気付いたのか目をパチパチさせ、小父さんの顔を見上げ、口を開いた。

「小父さんは――大松三郎さんですか?」

小父さんは、笑いすぎて目尻に溜った涙を拭きとっていたが、つと口元を引き締めて亘を見下ろした。
亘は返事は聞かなくても、その表情でわかったのかごくりと唾を飲み込んだ。
紗香も二人の会話と様子に小父さんが幽霊ビルのオーナーである大松三郎社長とわかると手に汗をかき滑る手を握り締めた。
ふと車の方を見た、ならば中で運転してたであろう則之は大松三郎の息子なのだろう。
ならば先ほどの亘の言葉は失礼にあたるのではないか。
紗香はそう思うと自分のことでないのだが顔が熱くなり頭を抱えたくなった。

車のドアが開いた。
機械音がすると奥からアームのようなものが延びてきた。
その上に、車椅子が進んでくる。
車椅子が停まると、アームが降りて地面に着地した。
初めてみるそれに紗香は物珍しそうにジロジロと見ると、車椅子に乗っている女の子に目がいった。

ポニーテールにした髪は黒く、肌の色は白く、ほっそりとした女の子だった。
紗香はその子をみた瞬間身体中に電撃が走ったかのように体が熱くなった。
その子は女の紗香から見ても綺麗だと思え、胸がときめく存在だった。
その子はアームや椅子が動くたび、首に支えられた頭がグラグラしていた。
どこか不思議な子、その表現が一番あっている、紗香は自分の考えに納得したように小さく頷いた。

「ご近所の誰かに、私のことを聞いたのかね?」

紗香が女の子に見とれていると、大松社長は隣にいる亘に尋ねた。
だが亘が返事をするまえに、大松社長は自分に返事をした。

「そうなんだ、私はここのビルの建て主だよ。あれは息子の則之」

顎をしゃくり、車椅子を押してこちらに近づいてくる則之をさした。
車椅子に座っている女の子は、亘たちの方にも、小父さんの方にも、目を向けようともせずにただ首をグラグラさせてどこか違う所を見ている。

「で、これが娘の香織」

車椅子に乗ったその子は香織というらしく、大松社長は隣に止まった車椅子の膝掛けを、優しくぽんと叩いた。

香織の両手は、冷えないように掛けられた膝から下を覆っている膝掛けの下に隠れていて見えなかった。
きっと手も足も透き通るように白いんだろう、紗香は香織をジッと見つめたがそれに気づかないのか、香織は紗香の方を見つめ返すことはなく。
大松社長の仕草にも応えようとする様子がまったくなかった。

「僕ら、怪しい者じゃないよ、本当に」

大松則之が笑顔で亘を宥めようと優しく言った。
亘は自分の先ほどまでの行動を思い返し、恥ずかしそうに頭をうつ伏せた。

「妹を散歩に連れ出すついでに、ビルの様子を見ようと思って来たんだ。このとおりの状態だから、ゴミを捨てられたり、野良猫が入り込んだり、それこそ色々あるからね」
「そうですか、スミマセンでした」

恥ずかしさのあまりだろうか、亘は誰とも視線があわないよう深く深く頭をさげた。

「こんな遅い時間に散歩するんスか?」
「確かに…散歩するには少し時間遅くありませんか?」

亘の気も知らず、カッちゃんと紗香はそんな質問を発した。
亘が二人を小突いて止める前に、大松社長は少し困ったように顔をしかめて答えた。

「うん…娘はちょっと具合が悪くてね。あんまり人が大勢いるときに外へ連れ出すと、嫌がるんだよ」
「そっか、夜なら静かですもんね」
「それに人も少ないしね」

カッちゃんは深く考えるふうもなく納得したが、紗香は大松社長の言葉に小骨が引っかかったような居心地さを感じた。
だが気にとめないように横目で亘をみると亘は何かみてしまったのか大松社長を見ていた視線をつい、とそらしていた。

紗香は小さくため息をつくと香織の方をみた。
最初の頃は、不思議な雰囲気のあるきれいな女の子に胸をときめかせていたが、ふと人形のようにしゃべらない香織を変に思った。

笑わないことや喋らないことはきっと誰かにもある、だが目を合わせても自分は香織を見ているが香織は自分をみていないような気がした。
ただ繰り返し瞬きをして息を吸うだけ、きっと大きな音がたってもピクリともしないのだろう。
そこにいる香織は、カオリという入れ物であり、心だけ逃げだしたかのようだった。

「香織は中学一年だから」

紗香が考えごとをしながら香織に見入っていると視界に則之が入ってきた。
則之の方を向くと、則之は妹の方にちょっと身をかがめていた。

「君らよりは姉さんだな。君らは何年生?」

とっさに、「五年生」と声をだそうとしたが、ろれつが回らず「ごねんへい」と言ってしまい紗香は恥ずかしさに下を向くと、カッちゃんがフォローするかのように紗香の頭をポンと叩くと「五年です。城東の」と、ハキハキと答えた。

ろれつの回らなくて情けない言葉に、則之と大松社長は一瞬プッと吹き出したが、下を向いた紗香を見ると悪いことしたかなとバツの悪そうな顔をした。
そしてカッちゃんの答えに、城東第一小学校?と言うと何か思い出したのか笑いを混じりながら言った。

「ああ、そうか。じゃあ君らもやっぱり幽霊探検隊なんだな」

則之は大松社長のその言葉を聞くと吹き出し、言った本人も笑いだした。
大松社長が手を載せている香織の車椅子も一緒にカタカタと揺れ、彼女の首はグラグラしていた。
三人は初めて聞く名前にお互い顔を見合わせ、目でお互いに聞いたが誰も頷くものは居なく、三人そろって眉をよせ首をひねった。
亘は大松父子に視線を戻し尋ねた。

「探検隊って――」

なんですか?と、言うまえに大松社長は質問の意図がわかったのか亘の言葉をさえぎった。

「このビルに幽霊が出るって、噂になっとるんだろ?それを確かめるために、子供たちが夜遅くにビルに近づいたり、中に入り込んだりしようとする。君らが初めてじゃないよ。危険だから管理をしっかりしてくれって、城東第一小学校のPTAからもお叱りを受けたよ」
「いつごろですか?」

いつごろからそんな組織みたいなのが出来たのだろうか。
紗香とカッちゃんも目を光らせ大松父子を見たが二人は首をひねっていた。
いつごろだったかお互いに聞きあうと、則之が答えた。

「もう半月は前かな」

亘は肩をおとし、顔もうつ伏せ落胆した。てっきり自分達が最初だと思っていたからだ、まさか先を越されていたとは誰が思おう。
紗香はため息をつき「考えることは皆一緒ってことだね」と、その場に居る全員に言った。
亘は顔をあげると、大松父子に今日自分たちが来た目的を話した。

「僕たちも、事実を調べに来たんです」
「幽霊探検隊は、写真を取りに来てたよ。心霊写真というヤツか?」

大松社長が振り返り則之に聞くと則之はうなずき、ポラロイドカメラの持ち方をした。

「ポラロイド持ってね」
「僕らはそんな遊び気分じゃありません。ホントに幽霊の正体を確かめたいんです」

亘は必死に自分たちはそんな軽い気持ちじゃないと弁解しようとしたが、それはカッちゃんの声に止められた。

「あ、そうか」
「何が?」

カッちゃんは、突然声をあげるとポンと両手を叩き、紗香はそれを不思議そうに見た。

「幽霊探検隊のヤツらって、六年生じゃないスか?テレビ局に幽霊の写真持ち込んでとか、そういう話じゃなかったスか?」

則之は苦笑混じりに大きく頷いた。

「そうそう、その話」

大松社長は顎に手をやり考える仕草をし、「確か…」と、ゆっくりと口を開いた。

「リーダー格の――なんて名前だったかな、態度の悪いガキだったんだけど」
「石岡でしょ?石岡健児」

カッちゃんが尋ねるように言うと、大松社長は顔を輝かせそれだ!と手を叩いた。

「そう!よく知ってるね。友達かい?」

カッちゃんは嫌そうに顔をしかめると、首を横に振った。

「全然。だけどうちのオヤジと石岡君のオヤジが釣り仲間なんス。石岡君たちがテレビの心霊写真コーナーに出るとかなんとか、そんな話をオヤジさんがしてたって、オレはオヤジから聞いたんでス。あれ、こんがらかってるかな、わかりまス?」

カッちゃんが尋ねると大松社長は頷き、則之は「わかるよ」と苦笑しながら頷いた。
亘は不思議そうにカッちゃんの方を向き口を開いた。

「その六年生たち、最初からテレビの心霊写真コーナーに出るのが目的だったのかな」
「そんな感じだったよ」

亘の問いかけに則之が頷き答えると、則之は横目にビルの方を見た。

「いい写真が撮れなかったら細工すればいいんだというようなことも言っていたしね」
「…心霊写真って全部細工されたやつじゃないんですか」

紗香は心底驚いた顔をし、則之を見ると則之は少し笑い「どうだろうね」と言った。
紗香は、則之の様子に恥ずかしそうに肩をすぼめた。

「そいつらもやっぱり、ここで大松さんたちと会ったんですよね?」

亘が尋ねると、則之は頷き思い返すように上を見上げ顎に手をやった。

「うん。でも、そのときには子供たちだけじゃなくて、大人が二人一緒だった」
「あの大人たちは、テレビ局の人間だったんじゃないかねえ」

大松社長が腕組みをして、則之に話しかけると則之は「あり得るね」と、大松社長の方を向きうなずいた。
「僕らと顔をあわせたときには、バツが悪いのか保護者みたいな態度をとってたけど、ありゃテレビ局のスタッフだな」

則之は自分で確かめるように頷いた。亘はカッちゃんの方に振り向いた。

「そのへんのことは小父さんから聞いてないの?」

カッちゃんは首を横に振り、「全然聞いてない」とスッパリと答えた。

「でも、出演することは決まってるんだって、威張ってたらしいぜ」
「その番組、観た?」

則之が聞いた。カッちゃんはまた首を横に振ると、亘から則之へと視線を向けた。

「観てません。ここんとこ、石岡の小父さんもうちには来ないし――あ、うち居酒屋なもんスから」

カッちゃんはヘヘッと鼻の下を擦りながら笑った。

「ってことはその番組、お流れになっちゃったのかなぁ。うちのオヤジも黙ってるし」
「おじゃんになっちゃったってことは、大したことなかったってことだね」
「只の工事中のビルだしね」

紗香が確かにと頷きながら笑った。
則之は少しかがみ、亘と紗香と目を合わせると人差し指を横にふり「まだわかんないよ」と、微笑んだ。

「これから放映されるってこともあるからね」
「あ、そうかもね。テレビって、案外時間かかるんでしょ?そうスね、きっと」

カッちゃんは両手をポンッと重ねると、腕を組み、納得したようにうんうん、と頷いた。
急に風が吹きつけてきて、ビルにかかっていた青いシートがバタついた。
みんな一瞬ハッとし、ビルを仰いだ。
暫く、無言でビルを見上げると、則之がハハハと力なく笑いだした。

「なんで僕らまでぎょっとするんだろ」

腰に手をあて、見上げて言う則之を紗香は横目で見た。

「ここに幽霊なんか出るわけがないってことは、僕らがいちばんよく知ってるのに。親父までそんな顔しちゃってさ」

則之に指摘された大松社長は照れたように額をこすった。
こすった手をダラリとたらすとビルを仰ぎ、口を開いた。

「そうだよな、幽霊なんぞより、生きてる人間の方が遥かに恐ろしいんだ」

何気なく口にされた言葉だった。しかし紗香はそれを聞くと顔が真っ青になり震える自分の体を抱きしめ落ち着かせようとした。
忌々しい過去が蘇り、目をギュッと瞑ると脳裏に鮮明に蘇った。
亘は紗香の様子に気がつくと何も言わずに背中を何度も何度もさすった。

「大丈夫?」

則之は身体を小刻みに震わせている紗香の顔を覗きこみ、心配そうに尋ねた。
紗香は小さく「大丈夫です」と言うと顔を上げ、心配ないというように弱々しく笑った。
則之は笑い返すと香織の車椅子の後ろに回り込み、車椅子のストッパーを外した。

「そろそろ帰ろうか」

則之の提案に大松社長はうで時計で時間を確認すると、うなずいた。

「そうだな。君らも乗って行きなさい。家まで送ってあげる」

大松社長が車のドアを開け、手招きをした。
カッちゃんと紗香は顔を見合わせどうするか相談していると、亘が一歩前に出て首を横に振った。

「僕らは大丈夫です。すぐそこだから」

亘の断りに大松社長はどうしたものか、と車に持たれかかり頭をかいた。

「そうはいかないよ。大人として責任があるからね。それに今は顔色いいけどさっきまでそこのお嬢ちゃん具合悪そうだったしね」

紗香は大松社長の言葉に悪いことをしたような気になり身を縮こまらせた。
結局、亘もカッちゃんも大松社長の押しの強さに負け、車に乗ることになった。
最初に、「小村」の方が近いためカッちゃんを送り、それから亘と紗香のマンションへと車は向かった。
車内は、会話は滅多になく。モーター音と車の振動だけが耳に入った。
紗香は窓の外をみながら、窓に写った亘と香織を見ていた。
香織は車の振動に合わせ首がグラグラと動き、亘は眉をよせ、下を向いていた。

「僕は近くで降ろしてくれればいいです」

下を向いていた亘は顔を上げるとおずおずと口を開いた。
それを聞くと、運転席で車を運転していた大松社長が笑った。
「車で乗り付けたりすると、大きな音がするから、夜中に家を抜け出したことがバレるからかね?」

亘は正直に恐縮し、紗香は下を向き、脚をぷらつかせて他人事のように聞いていた。

「うちの父、いつも帰りが遅いから、ひょっとしたらマンションの入口のところでばったり会っちゃうかもしれないんです」

だから、と亘はもう一度言おうとしたがバックミラーからちらっとみた大松社長の目に怖じけついたのか口ごもった。

「だけど、こっそり忍び込もうとして、今度は君が泥棒に間違えられたりしたら困るだろ?」

亘は言い返せず結局、マンションの入口の手前の道路で降ろしてもらった。
マンションに人影はまったく見あたらず、亘と紗香は大松父子に頭を下げお礼を言うと手を取り合い、エレベーターホールまで走った。
大松父子は二人がたどり着くのを見届けてると、ヘッドライトを一度点滅させてすうっとその場を立ち去っていった。
紗香と亘はお互い無言に手と手を取り合い背中を合わせていた。
チン、とエレベーターが止まるとドアが開きエレベーター内の灯りが二人を照らした。

「…眠いね」
「うん」

二人は振り返り、向かいあうと笑いあい、手を握りエレベーターへと足を踏みいれた。
2006 09/07


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