ハルヒはご機嫌に鼻歌でトルコ行進曲を奏でながら、自分の鞄を開けて数枚のコピー用紙を取り出す。いったいなんだろうかと首をかしげながら、手早く皆に配布していくハルヒから一枚、私も受け取る。その表情は満足げだった。
 私は手もとに視線を向け、乱暴に書かれている文字を一つ一つ見ていく。

『戦うウェイトレス 朝比奈ミクルの冒険(仮)』
 ☆登場人物
 ・朝比奈ミクル……未来から来た戦うウェイトレス。
 ・古泉イツキ……超能力少年。
 ・長門ユキ……悪い宇宙人。
 ・葵#namec#……異世界人。
 ・エキストラの人たち……通りすがり。



 私はその文字一つ一つ見つめ、どうなっているんだと頭が混乱した。まさかハルヒは私たちがそれぞれ、ハルヒの望んだ未来人や超能力者や宇宙人、異世界人と知っているのだろうか。いやいや、そんな筈はないと思いたい。ならば私のような異世界人や超能力者がゴロゴロいるはずだからな。うん。
 ふと横に座っている超能力者を見つめると、古泉くんは初めこそは驚きに目を丸くさせその紙を見ていたが次第にそれは笑みへと変わり私の視線に気がついたのかこちらに視線を寄越し、私の名前を指差す。ああ、うん解っているさ。古泉くんは再び視線を紙へと移すとクスクスと笑いだし、

「いや、これは……」

 口元に手の甲をあてた。キョンの視線が古泉くんへと向かう。

「何と言いますか、さすがと言うべきでしょうね。本当に、涼宮さんらしい配役です。素晴らしいですね」

 そう思いませんか、とキョンに微笑みかける古泉くんにキョンは顔を歪め心底嫌そうな表情を浮かべる。嫌ということを包みかかさずハッキリした表情だこと。
 カサッと紙の擦れる音が聞こえ、振り向くとA4コピー紙を両手で握って読んでいたみくるちゃんの華奢な手首が小刻みにピクピクと震えている。

「わ……」

 そして小声が漏れて、キョンに救いを求めるような顔を向ける。その表情からは悲しそうな、非難するような眼差し。まさかキョン、ハルヒに何か要らないことを吹き込んだのだろうか。私もキョンをジッと穴があくのではないかと思うほど見つめ続けておれば、キョンは私の視線にも気づき慌てふためき有希へと救いを求めながら振り返った。その振り返った先には有希が何の反応も示さず、黙って本を読んでいる姿だけがあった。

「んで、ハルヒ。この設定を見て疑問に思ったことがあるんですが」

 視線を紙へと戻し、挙手してハルヒに問いかける。ハルヒは発表出来たことと自分たちが驚いてる姿を良い方向に取ったのか満足気に腕を組み、太陽の笑みを私へと向けた。

「何よ、文句や設定の変更しろとか、そういうのは聞かないわよ」
「いや、それはないから安心して」

 紙を丁寧に折りたたみ、それを制服のポケットへと滑り込ませる。

「あのさ、この前私に小学生くらいの子がいないか尋ねたよね?」
「ああ、あのことね」
「うん。それで、これ見るかぎり居たとしてもエキストラの人たちに振り当てられるだけなんじゃ……」

 未来人、宇宙人、超能力者、異世界人と来て次に何が来るのだろうか。火星人? 地底人? それは宇宙人に振り分けられるだろうな。まさかまた異世界人に役を当てようとしたのだろうか、異世界人が二人? んなバカなことが、

「異世界人にしようと思ったのよ」

 あった。え、ってことは私の立場はどうなるんだ。まさかの私はエキストラの人たちだろうか。いや、台詞も覚える心配がないのはいいことだ。しかしやはり、一言くらいは台詞が欲しいかなと少し贅沢なことを考える。
 私の顔がそんなにおかしかったのだろうか、ハルヒは得意気に笑い腰に手をあて仁王立ちしてこちらを見下ろす。

「あたしはね、異世界人は少し普通の人と違うと思うのよ」

 はあ、まあ、異世界人ですからね。頷き少し口を開き私は間の抜けた言葉を返す。

「違う! そういうことじゃないのよ」
「なら、どういうこと?」

 ハルヒは望むような返事が返って来なかったのだろう。あまり声は弾んでおらず、少し淡々としている。眉を寄せ腰から手を離すと、顎に手を当て上を向く。考えごとをしている時のポーズだこれは。

「そうね、何て言えば早いかしら。例えば元の世界ではいっちょまえの大人だった女の子がとある弾みで異世界にトリップしたとするじゃない」
「うん」

 なんかおもいっきり思い当たる節があるのは、気のせいだと言っていいだろうか。ふとハルヒから視線を反らし、キョンを見上げると目が合い苦笑を返された。キョン、君もやはりそう思うのか。よく見れば古泉くんやみくるちゃんも私に視線を集中させており、それぞれ目が合うと古泉くんはキョンと同じく微笑みみくるちゃんは頬を赤らめ、あたふたと目を游がせるなどと様々な反応をしめした。

「でもその世界では彼女より頭もよくて大きな人が沢山いて、彼女はその世界では子ども扱いされるのよ」

 まるでおとぎ話のような話だ。そしておとぎ話と想像をしてみると一つの話が脳の入り口に引っかかった。それって、まるで。

「あるいみガリバー?」
「そうね、簡単に言うとすればその表現が一番合うわね。まあとにかく、その設定の女の子に当てはめたかったわけ」

 なるほど、確かにこれで異世界人は二人居てもなんら問題ないわけないじゃないか。寧ろ更に意味が解らなくなった。まあ、そこらへん突っ込んでいたらきりがないような気がしてきたので口をつぐむとしよう。


 ハルヒは自分の考えていたネタを披露出来たことにスッキリしたのか、笑顔を絶やさずにみくるちゃんの元へと歩みよりその小さな肩に手を置いた。みくるちゃんは置かれた瞬間少し身体を震わし、恐る恐る後ろを振り返り、その小さな口からか細い声を漏らした。

「涼宮さん……?」

 ハルヒは名前を呼ばれると笑みを深くし、「みくるちゃん」と甘い声をだす。ああ、嫌な予感がするとはこのことだ。みくるちゃんは胸の前で小さく手を組み「は、はいっ!」と声をあげた。

「それと、葵」

 みくるちゃんの肩から腕へと手を滑らしていき片方の二の腕を掴めばハルヒは今度はこちらを振り向き私を手招きする。なんだ、私もか。
 自分を指差し首をかしげると、ハルヒは大きく頷き。私は立ち上がりスカートを叩き近くに行くとハルヒのあいている手が私の腕を掴んだ。

「それじゃあ、あたしたちこれから校内回って映画の宣伝をしてくるわね。その後は大々的に制作発表記者会見よ!」
「えっ」

 みくるちゃんは目を瞬き小さな声を漏らす、私はただ突然すぎる超展開にポカンと口を開きっぱなしでハルヒとみくるちゃんを見つめた。みくるちゃんはだんだんと自分の今置かれた状況が理解出来たのか肩を震わせて首を左右に振り、イヤイヤと瞳が揺らぐ。
 その耳はだんだんと赤くなっていき、今にも泣き出しそうだと思った。

「おい、ハルヒそれは今やらなきゃいけないことなのか?」
「別に、そうと決まったものじゃないけど」
「なら別にいいだろ。それに記者会見って言ってもだな、この高校には新聞部も報道部も宣伝部もないのにどうやるんだ。校庭のど真ん中で声高らかに宣伝するのか? それよりも俺は早く帰ったほうが有意義だと思うね」

 ハルヒはキョンの言葉に耳を傾け、私たちから手を離すと腕を組み足元を見下ろす。キョンはこれだけでハルヒが引き下がりはしないと思ったのだろうか。口を開き、次の言葉を言おうとする前にハルヒは顔を上げてうなずいた。

「それもそうね」

 キョンはあまりの潔い引き下がりに、口を半開きのまま固まった。

「内容はギリギリまで秘密にしておいたほうがいいわね。キョン、あんたにしては気が利くじゃない。よそにパクられたら困るもんね」

 手を離されたみくるちゃんはストンとそのまま椅子へと腰を下ろし、ハルヒは軽快な足取りで団長の机へと戻ると鞄を手に取り、キョンの持ってきた紙袋を指差す。


「じゃあキョン、その銃、今日中に使えるようにしておいて。明日がクランクインなんだからね。それから、カメラの取り扱い方も覚えておかなきゃダメよ。あ、そうそう。映像データはパソコンに移して編集するから必要なソフトをどっかからかっぱらってきなさい。それから――」

 それから永遠とキョンにやって欲しい事を述べていき、述べ終わると軽く手を上げて「んじゃ、よろしく」と言い扉を開けてハルヒは『大脱走』のテーマを口ずさみながら帰っていった。
 残された私たちはその後、みくるちゃんはウェイトレスから制服へと着替え終わると憂鬱な雰囲気をかもしだしながら、肩を落としてトボトボと帰宅していき。有希は魔女の恰好のまま、鞄と本を部室に置いていきフラりと、どこかに行ってしまった。クラスにでも戻って行ったのだろうか。
 私はと言うと、みくるちゃんが着替えるのに一緒に服を着替え今はどうしようかと目の前に広げられたモデルガンのパーツを見つめる。

「葵、お前はどうするんだ?」

 古泉くんとキョンが顔をつき合わせてモデルガンをいじっている中、私はBB弾を摘まみキョンの問いかけに顔を上げる。

「え、どうするって?」
「このまま帰ってもいいし、遅くなりそうだが待っていてくれてもいい」

 まあ確かに、これを短時間でやり遂げたとしてもまだまだハルヒの頼みごとは終わらない。こりゃ確かに遅くなりそうだ。
 でも一人で帰るのも寂しいし、一人でも多いほうが早く終わるだろう。

「私も残るよ、何か手伝えることない?」

 BB弾を元の袋に入れて私は二人を交互に見つめると、キョンの手が止まり。しばらくすると一つの箱を取り出し私に差し出してきた。その箱の側面を見ると『ビデオカメラ』と書かれており、開けて中の物を取り出すとビデオカメラが一つ確かに出てきた。

「ならお前はその、ビデオカメラの使い方を覚えておいてくれ。それが終わったらパソコンで編集用のソフトを探してダウンロードしといてくれ」
「うぃーす」

 古泉くんは笑顔のままモデルガンのパーツを切り離していき、嬉しそうに組み立てていく姿がなぜか異様に似合っており。私はマジマジと見つめてしまっていたら、古泉くんがこちらを向き「何か解らないことがありましたら、気軽に質問してください」と嬉しいことを言ってくれた。ありがたやありがたや。


 私は中の説明書を取り出して広げ、一ページ目から順に見ていく。最低限のことを覚えていれば、別にそれでいいだろう。スタートボタンとストップボタン、録画に一時停止後はズームか。試しに電源をつけ、レンズを覗きこむ。小さなレンズから覗く世界は狭く、あまり色鮮やかではない世界が見えた。そのまま古泉くんの手もとを映しズームをしたり、元に戻したり視点をかえてキョンの顔を映したりしてみる。
 録れるはずもないが、録画ボタンを押してみると画面に赤い丸印が現れ録れるよーっとサインを出した。最近のは凄いな、ビデオテープが無くても録れるんだな。

「キョンーこっち向いてみて」

 ズームを戻しキョンの全体を映してみると、キョンはこっちを向かず寧ろ背中をこちらに向けてしまい。ビデオカメラにはキョンの背中だけがただ映り面白くない画が撮れた。

「なぜこっちを向かない」
「撮られてることを知っておりながら向くのは、撮られたい人だけだ」
「まあ、そうだけど。一度くらい、ね?」

 ビデオカメラを古泉くんに向け、同意を求めると古泉くんは笑みだけを返し作業に没頭している。まあ、これくらいでいいかなと私は停止ボタンを押して再生する。初めはただ作業をする音だけが撮られており、暫くすると先ほど交わされてた会話が聞こえ。終わると青い背景が映し出された。
 しかし、これ私が知っていても意味がないのではないだろうか。多分撮るのはキョンだし、ハルヒもキョンが撮るものだと思っているだろう。まあ、その時はその時だ。

「キョン、ビデオカメラ終わったよ」

 一応傷つかないように箱へと戻し、蓋を閉じて言えば。キョンは「おー」とだけ返事をして、私はハルヒの付けっぱなしにしたままのパソコンへと向かいキョンに言われた動画の編集ソフトを広いネット世界からフリーで使いやすい物を探し出す。どうしようか、沢山あるとは思ってたがさすがにありすぎはしないだろうか。この中から一つを選ぶのか。なんだか専門家に聞いたほうがいいような気がしてくる。
 長時間、ディスプレイを見つめていると目が段々とシパシパしてきて私は一休みと共にトイレへ行こうと部室の外へと出ていく。その間二人がモデルガンに夢中になっていたのは言うまでもない。
 手を洗い、トイレから出ると向こう側からコンピ研の部長がやってきた。彼もトイレだろうか。

「こんにちは」
「あ? あぁ、こんにちは」


 不思議そうに目を瞬きながら、コンピ研部長は私に挨拶を返す。ああ、もしかして彼は私のこと知らないのだろうか。まあ、確かに会ったのは一度でしかもインターネットの配線を繋ぎに、文芸部室に足を運んだ時だけだから。その時は突然のことに落ち込み。ショックで周りが見えてなかっただろう。そのため覚えてるはずがない。ここは隠し通すか、それともSOS団の一人と明かしちゃうべきか。悩むところだ。あ、そうだ。

「あの、教えて欲しいことがあるんですが」

 今のうちに聞いておこう。コンピ研の人ならばきっといい答えが返ってくるはずだ。
 声をかけるが、コンピ研部長はまだ私が誰であるのか悩んでいるのか上の空で私に生返事をする。

「あの、話し聞いてますか?」
「あ、あぁ。すまない少し頭の中を整理をしていた」
「いえ、聞いてるのならいいんですが……私、誰かわかりますか?」

 その瞬間、廊下の空気が凍り付いたような気がする。コンピ研部長の顔を覗き込むと青白くなっており、私と目が合うとキョドリだした。なんとわかりやすい方なんだ。私は思わずその姿に笑いそうになるのを抑え、名前を言ってみるが部長は頭の中にある記憶にかすりもしなかったのかさらに顔を歪め頭に手をやる。

「いや、その、すまない。キミのことが全く記憶にないんだが、どこかで僕にあったかね?」
「SOS団」

 そう呟くと共にコンピ研部長は一気に私との間に距離をあけ、思い出したのか「あー!」っと私を指差し叫んだ。SOS団はそんなに忘れたい思い出だったのだろうか。部長は驚きに目を丸くさせると、わなわなと唇を震わせ後ろを向くと大股で部室への道を歩いていく。

「あの、教えてもらいたいことが」
「SOS団のやからに教えることはない!」

 コンピ研にはそんなにも嫌われているのか私たちSOS団は。部長はそのままコンピ研の扉を開けると、乱暴に閉めて中から部員たちの声が聞こえその後にヒステリー気味な部長の声が響く。私も戻るとするか。
 少し歩けばつく、文芸部室の扉を開けるとキョンと古泉くんが一斉に振り返り私は思わず後ろに何かあるのではないかと振り返ったが、まあ、あるはずもない。

「さっき、何かあったのか?」
「え? 何かって?」
「いや、コンピ研の部長氏の声が聞こえたからよ」


 ああ、さっきの部長の声はここまで聞こえたのか。ハルヒの椅子に座り、パソコンへと向き直る。よくよく見ると、キョンたちのモデルガンの方はもう出来上がっており。丁度古泉くんが箱を潰しておりゴミを分別している所だった。

「いや、やっぱりコンピ研はSOS団のこと嫌いなんだなー、っと思ってさ」

 縮小していたウィンドウを私は拡大させ、適当にダウンロードし編集用ソフトを、フォルダを別に作り放り込んでいく。これでもういいだろう。どうせ編集するのは後のほうだ。またキョンにこの中から選んでもらおう。

「出来たか?」
「うーん、なんとか」

 全てのウィンドウを消して、終了ボタンを押しパソコンの電源を落とす。これで後は明日のクランクインを待つだけとなる。画面が音をたてて消え、モーター音が無くなり部室は、まだ夕暮れとまではいかないほのかな日に照らされて明るく。窓の外を見上げれば、一番星が輝いていた。

 次の日、私は欠伸を咬み殺しながら坂道を登っていた。それというのも今朝の夢見の悪さが問題だ。昨日はキョンに家まで送ってもらい、そのまますることをしたら布団にダイブして寝たのだが。それがいけなかったのだろうか、いやそんな筈はないんだけどな。
 今朝見た夢はこうだ。モデルガンを持ったみくるちゃんがBB弾を乱射しており。その傍でルンバを踊っている古泉くんに爽やかな笑みのキョン、ネコミミをつけて私の肩を抱くハルヒ。そしてハルヒが一言呟けば私の身体がみるみるうちに小さくなり、ハルヒの手に抱き上げられ頬擦りをされて古泉くんと共にルンバを踊った、その時に目が覚めた。
 身体を起こして息を整え、夢を振り返り自問自答したのち、私はもう一度寝ようと試みるが目が冴えてしまいそれから一睡も出来ないまま今こうして坂道を登っている。
 今日、授業中寝ないように気を引き締めなきゃな。頬をムニムニと揉みながら、目を擦り前を行く生徒の背中を見ていると突然後ろに何かが乗っかってきた。

「葵、おっはよー!」
「あ、ハルヒおはよう」

 振り向くとハルヒの楽しげな笑みが見え、私も眠たげな目を細め笑い返すとハルヒの顔が曇り。私の顔を両手で包みジトっとした眼差しで私の顔を見つめる。なんだろうか、何か気になる部分でもあるのだろうか。

「葵」
「は、はい?」
「あんた、ちゃんと寝てる?」
「あー……、うん、多分」
「ダメよ! ちゃんと寝なきゃ」


 私の目の下に触れる、くまがどっかりと居座っているのだろうか。しかし一日、それもほんの少し寝れなかったたけでくまが出来るとは。ハルヒの両手が私の頬から離れていき腕をとられズンズンと進んでいく。

「今日は待ちにまったクランクインなんだから、これから体調管理はいつも以上に気をつけるのよ。そうね、手始めに今日から毎夜十時には寝ること!」
「はーい」

 とられた腕とは反対の手を高く上げ返事をし、そのまま教室まで連れて行かれた。周囲は引きずられていく私と待ちにまったクランクインに喜びを隠しきれないのか鼻唄を歌いながら歩いていくハルヒを振り返り。ハルヒと解ると皆また前を向き教室へ向かう。もうハルヒの奇行も今では全校生徒に知れわたり、今ではこれが日常となっている。
 いいことなんだろうな、うん。

「おはよう坂下さん」
「あ、おはよう」

 教室へと着くと、クラスの子から朝の挨拶を受ける。ハルヒとよく居ることが多いけどこれでもちゃんとクラスの子達とも交流している。皆、入学当初はあまりかかわりを持ちたくなさそうでクラスの一人だったが。体育祭やクラスの団結力を見せる行事から挨拶を交わす仲へと進展した。やはり、楽しいのが一番だよな。

「お、おはよう涼宮さん」
「…………」

 でもハルヒはあまり変わってなかったりする。挨拶をしたクラスメイトの横を無言で横切り、私とその子は顔を見合わせ彼女は苦笑して友達の元へと行ってしまった。ハルヒ、せめて挨拶を返すのは人として当たり前のことじゃないだろうか。

「挨拶をするかしないかは、あたしの勝手でしょ」
「まあ、そうだけど」
「それに、今はあたしの頭は映画の事でいっぱいなの」

 ハルヒは席に座ると、腕を組み先ほどまで機嫌よかった顔は眉間に皺を寄せる。

「さいですか」

 その姿に私はため息に似た息をつき、苦笑して席へつく。これはSOS団に依存しているのだろうか、いや一番に私たちのことを考えてくれてるのは嬉しいし私もSOS団が好きだ。でも、やっぱりそんなこともいつまでも続けられないのはこの流れる時の中で解りきったことだ。だからハルヒ、せめてクラスの中だけでもいい、人との交流を大事にしよう!
 なんてお節介なことをしようとしてどうするんだか。ハルヒはハルヒらしく生きていけばいい。私はいつまでもその背中を追いかけるだけだ。


「ねぇ、有希」

 時は移り昼休み。お弁当は文芸部室で食べるのがお決まりな私と、昼も読書に時間を費やす有希。文化祭効果のためか、昼休みもいつも以上に賑やかだった。やる気なクラスは昼休みも文化祭で使う小道具を作っている。それに引き替え、私のクラスはどうだろうか。
 まあ、当日遊べるから嬉しいんだが。そういえば、ご近所さんのコンピ研は何を作っているのだろうか。昨日の様子だと、中々手の込んだことをしようとしている風に見えたが。まあ、文化祭には解ることだ。
 有希は私の言葉に顔を上げ私を見つめてくる。

「その、……やっぱりいいや。ごめん」

 最近見る夢が、何か関係あるのではないかと聞こうと思ったが。そんなわけないよな。
 玉子焼きを挟み口元へ持っていき、一口で食べる。今日はだし巻き玉子だろうか、ダシの甘さとカツオのいい香りが鼻を抜ける。そういえばダシと言えば、昆布や煮干しやらあるけど、どれが一番美味しいんだろうか。やっぱり一番はカツオかな、でも煮干しも面白そうだ。

「ねぇ有希はだし巻き玉子、カツオと昆布と煮干し。どれが美味しいと思う?」
「カツオと昆布」

 有希は本から顔を上げずそう答える。カツオと昆布、二つ共って事だろうか。

「ならカツオと昆布、どっちか選べって言われたらどっち選ぶ?」
「一般家庭では、だし巻き玉子はカツオと昆布の合わせダシを使用する。すなわちどちらか、と選択させるならばその時点でそれはもう既にだし巻き玉子ではないと言える」
「……そうなんだ」

 だし巻き玉子の作り方すら知らなかった私が恥ずかしいったらありゃしない。そうかだし巻き玉子って一般的にはカツオと昆布の合わせダシで作られているんだな。今度、作ってみようかな。
 空になったお弁当に向かって、私は手を合わせて今日も美味しかった天からの恵みに感謝する。ありがたやありがたや。
 お弁当を包みを結びながら、鞄の中へと入れていくと有希の本を閉じる音が聞こえ、もう昼休みの時間が残りわずかなこと知る。
 音をたてず立ち上がる有希に、私は有希の服の裾を掴み置いていかないでくれ、と声に出さず訴えかける。すると立ち止まってくれるのは毎度のこと。いつの日か、ツーカー仲になるのではないかと淡い期待があったりするが。これがツーカーと言えるか、と言うと違うよな。


 まだ残り五分あるからか、廊下は賑わいをみせており、教室の中も男子達が机に乗って紙を丸めて作ったボールを投げて遊んでいる。

「なら有希、また放課後にね」

 有希のクラスの前にたどり着き、私はいつものように有希を見送るといつもならばそのまま一瞥をくれて教室へと戻って行くが今日はなぜか凝視し五秒ほど見つめあっていただろうか。暫くすると有希が口を開き一言呟いた。

「気をつけて」
「えっ、あ……それどういう」

 有希はそれ以上のことは言わず、踵を返すと賑やかな教室内へと入っていき。その時天井に備え付けられているスピーカーから予鈴のチャイムが鳴り。自分のクラスへと戻っていく生徒達に紛れ、私も後ろ髪をひかれる思いをしながらも五組の教室へと足を進めた。

「葵どうしたの、浮かない顔して」

 教室へと入っていき、席へと座り後ろから何か物を投げつけられたと思い振り返ればハルヒがそんな問いかけをしてきた。私は自分の顔に手をやり、首を横に振る。

「いや、何もないよ」
「そう? 何かあるなら一番にあたしに相談しなさいよ」
「うん、ありがとう」

 正直なところ、こればかりはハルヒにも相談出来ない。突然宇宙人に「気をつけて」と言われました、それは何に対しての気をつけてなのか解りますか。と尋ねた所で返ってけるのは決まってる。「本人に聞いてみればいいじゃない」うん、聞けたらどれほど良いだろう。
 呆然と空を見ていると、突然目の前が暗くなりそのまま下から順に視界が晴れていく。額に感じる温もりに頭に当たる人の温もり。こんなことをするのはキョンに決まってる。

「何かようかい」
「熱は無いな」
「別に元気だよ」

 そのまま額から温もりが消えると頭を二、三回叩き「それなら良い」と言うかのように撫でていき席へと戻っていく。そうだ、キョンになら相談して解るかもしれないな。何に気をつければいいのか。多分有希がわざわざ忠告してくれたということは並大抵のことじゃないことは確かだ。
 でもキョンに言ってないのだとしたら。自分だけの問題なのだろうか。それなら寧ろ余計な心配はかけない方がいいよね。と、いうことで寝よう。私は顔を机につけると目を閉じ、横と斜め後ろで繰り広げられている会話を子守り唄に薄れる意識の中そういえば今日から両親が仕事でいないんだよな、とあまり関係無いことが思い起こされた。
 次に目が覚めたのは、教師に問題を当てられた時だった。


「学校でロケができそうな所を探してたのよ」

 放課後、文芸部室にて。少しでも睡眠を貪れた私の頭は絶好調だ。だから昨日はあれほど嫌だったワンピースも素直に着るし、なんならサービスでお子ちゃま言葉で話しちゃうぞ。
 ハルヒは団長椅子に腰かけて、足を組み団員達を見回す。

「でも全然なかったわ。やっぱり近場ですまそうとしてたらダメね。外に行きましょう」

 その掛け声と共に、椅子から立ち上がりハルヒは私の肩へと手を置いた。それは「さあ! 行こう」と誘っているのだろうか、それとも肩もみでもしてくれるのだろうか、ふと目の前に視線を向けるとみくるちゃんの怯える姿があった。

「えー……。あ、あたしも行くんですか?」

 オドオドと上目づかいでこちらを見つめるみくるちゃんは、ヒキ気味の声で訴える。そりゃ、主役の当人が居なくては話は始まらないだろう。

「当然でしょ。主役がいないと話にならないもの」
「こここの服で、ですかー?」

 この服、と自分の着る服を指差す。それは、ハルヒがどこからか持ち寄ったウェイトレスの制服。聞いただけなら、どこにでもありそうなファミレスとかの制服を思い浮かべるだろうが、これはどうみても一生私には関わりのない世界の衣装だろうと思う。前の大きくあいておりミニスカときたら、そりゃね。それを言うならば自分の着ている服もそういう類いかと考えてしまうが、これぐらいなら何処にでも売っているだろうと考えることにした。あまり深く考えない方が身のためだ。
 昨日に引き続きウェイトレスの制服を着せられて小さくなって震えるみくるちゃんに、ハルヒは大きな瞳を瞬き口元に弧を描き。

「うん、そう」

 あっさりうなずいた。みくるちゃんはそれを聞くと顔面蒼白、唇をわなわなと震わせ自分の身体を抱きしめるようにしてイヤイヤと首を振る。その瞳にはうっすらと涙が見える。

「いちいち着替え直すのも面倒でしょ? それに現場に着替えるとこないかもしれないしね。ならいっそ最初から着替えておけばいいんじゃない? でしょ? さ、出かけましょう! みんなでね!」

 ハルヒは、私の肩を一度叩くとみくるちゃんの元へと向かい今度はその華奢な肩に手を置く。それはまるで、逃げようとする獲物にプレッシャーを与えてるようだ。あれか、蛇に睨まれた蛙といったところだろうか。



「せめて上から羽織る物を……」

 ハルヒを見上げ、懇願するみくるちゃん。まあ、ハルヒもそこまで鬼じゃないだろう。私も出来れば羽織る物は欲しいところだしな。一人、みくるちゃんの言葉にうなずきを返すが、ハルヒは見事に私の期待を裏切ってくれた。

「だめ」
「えっ」
「だって、恥ずかしいですよぅ」

 へっぴり腰で引き気味のみくるちゃんはスカートを握りしめ、上目づかいでハルヒを見上げる。確かに恥ずかしい。秋葉原でこの恰好で歩くとしたら確実にメイド喫茶の方と間違えられそうだ。そんな恰好で地元と言うべきだろうか、そこを歩くとなったら知り合いに会う確率も上がるわけで。恥ずかしさも倍増ってやつだ。

「あ、あのさ。外で冷えて、みくるちゃんが風邪を引いたら大変だからさ羽織るものダメかな?」
「何言ってるのよ。この天候で風邪を引くなんて、真っ裸で外に出て寒中水泳しないかぎりなかなか引かないわよ」

 まあ、確かに天気はいいし夏の残りものがあるからな。ちょっとやそっとじゃ風邪を引きそうにない。でもやっぱりさ。

「それに恥ずかしいと思うから変な照れが出るのよ! そんなのじゃゴールデングローブ賞は狙えないわよ!」

 ゴールデングローブ賞なんて狙おうと思ってもそう簡単にいかないだろう。なんて真剣に考えるのは間違っているだろうか。ふと視線を感じそちらを向くと、クラスの台本問題が解決したらしい古泉くんと目と目が合い、いつもの笑みで微笑まれた。そういえば古泉くんの衣装はないのだろうか。学生服に身を包んだままの古泉くんに私は首をかしげると、反対の方向から今度は別の視線を感じ振り向くが誰とも目が合わず。黒に身を包んだ有希がそこに居ただけだった。
 そういえば有希といえば、今日も今日とてハルヒに言われたわけでもないのに黒マントと同色のトンガリ帽子を被っている。本人も気に入ってたりするのだろうか。ハルヒはえらく気に入ったらしく先ほど。

「あなたの役どころは『悪い宇宙人の魔法使い』に変更するわ!」

 と、さっそく脚本をねじ曲げてしまうほどだったが。なんだかこの調子だと、私も気がついたらいつの間にか異世界人プラス時空警察官とか変なものがオプションにつきそうで気がする。いや、まあ面白そうだからいいんだけど。
 頬をかき、ジッと有希を見つめていると有希は不意に黒帽子を上げ、相変わらずの無機質な目がキョンを見上げた。

「……」

 時々こういう光景を見るが、その度に某アーティストの某波の曲を思い出すのはなぜだろうか。しかし有希よ、自分のクラスが用意した衣装をSOS団の中で勝手に撮影用のコスチュームにしてしまっていいのだろうか。やはり一度正式に貸出し許可を頂いたほうがいいような。
 しかしハルヒの辞書にはそんな言葉ノンノンだ。

「キョン! カメラの用意はいいわね! 古泉くんはそっちの荷物お願いね。みくるちゃん、なんで机にしがみついてんの? こら、さっさと立って歩きなさい!」

 ハルヒはみくるちゃんの首根っこをつかんで、机にしがみついているみくるちゃんを無理矢理引き剥がす。引き剥がされた際「ひええ」と言って助けを求め差し出す両手を私は追いかける、否追いかけるしか出来ないというべきか。小柄な身体をずるずる引きずるハルヒに関心しながらドアへと向かった。
 その後から黒いマントの裾を引きずりながらついて来る有希と映画撮影に必要だと見受けられる荷物を持った古泉くんがドアを潜って来たが、今回のカメラマンが続いて来ない。

「たくっキョンたら何してるのかしら」

 みくるちゃんを私に預け、ハルヒは開きっぱなしのドアの中を覗き込む。

「こらーっ! 撮影係がいないと映画になんないでしょうがっ!」

 その声と共に「へいへい」と気だるげにキョンが頭をかきながら出てきた。なんなんだろうね、この温度差は。まるで灼熱の太陽と幻想的な月と言った感じだ。ならば私はその間をとって雲とでも言っておこうかな。ただ空を気ままにたゆたう雲、重い運命を背負わないですむとは何たる幸せ。
 ふと服を引っ張られ、何事だろうかと向くとみくるちゃんが辺りを見回しており繋いでいた手を強く握りしめられた。どうかしたのだろうか。

「あの、葵ちゃんは恥ずかしくないんですか?」
「いえ、もう慣れました」

 オドオドと挙動不審なみくるちゃんに私は首を横に振り、すっぱりと言う。もうこれは慣れるしか道がないからな。寧ろ見られることに快感を得てしまえばいいのではないだろうかなんてな、只の妄言だ聞き流してください。

「そうですよね。慣れなきゃ、ダメだよね……」

 神妙な面持ちで考えごむみくるちゃんは、足下を見下ろす。ハルヒは廊下に全員が揃えば手を大きく上げ、

「それじゃあ、撮影場所に向けて出発!」
「オー!」

 ハルヒの号令をうけ。私たちは珍妙な恰好をしたまま、廊下を練り歩き外へ向かって飛び出して行く。途中、すれ違う生徒たちからは熱狂的な視線を受けるものの慣れてしまえばこっちのものだ。約一名を除き。
 みくるちゃんは人の目につく場所へと出ると、最初は前を向き歩いていたが次第に視線は下を向き、第二段階では顔中を真っ赤にさせ、第三段階では今にも魂だけどこかに飛んで行きそうな、生気のない顔へと変化していった。何も出来ないのがじれったい。
 少し距離をあけて歩くキョンの姿に救いを求めてみるがキョンはシッシッと何かを払うような動作をし、私に前を向けと促してくる。
 ハルヒはというと機嫌がいいのか『天国と地獄』のサビをハミングして先導を勤める。その左右の手にはいつの間にか黄色のメガホン、ディレクターズチェアを提げており意気揚々と、私たちには告げられてない目的地へ向けて歩いていき。立ち止まったと思えば、そこは駅だった。
 遠出でもするのだろうか。人数分の切符を買って来たハルヒは、私たちに配り終えると平然と改札口へと向かった。

「待て」

 その背中をキョンが呼び止める。呼び止められたハルヒは、切符をヒラヒラとはためかせながら眉を寄せ振り返った。私の隣では言葉を失って切符を見つめて立ち尽くすみくるちゃんの姿。まさか、このまま電車に乗るまい。TPOは大切に。
 キョンはウェイトレスと魔女っ子を指す。

「この恰好で電車に乗せるつもりなのか?」
「何か問題あるの?」

 まるでキョンが不可思議な問いかけをしていると言いたげな口調だ。まあ確かに世の中こんな恰好をして電車を乗り降りする人はいるが。みくるちゃんがモツかどうか。

「素っ裸なら捕まるかもしれないけど、ちゃんと服着てるじゃん。それより何? バニーガールのほうがよかったの? なら先に言いなさいよ。『戦うバニーちゃん(仮)』でもあたしなら全然かまわないわよ」

 それは、何かと色々大変な気が。もし撮影風景を見ていた一般人が北高に「おたくの生徒さん、バニーガールなんてハレンチな衣装着て。子どもの教育上よくないでしょ!」とかなんとか、よく聞くクレームを言われたら、恐ろしいことが待ち受けてる気がするのは私の気のせいでしょうか。


 ぐるぐると不安が頭の中を回る、いや大丈夫だろう。まさか停学とかにはなるまい、うん。切符を虚ろな眼差しで見つめていると、被っていた帽子の上から頭を叩かれ。キョンだろうかと顔を上げると古泉くんの姿があった。古泉くんにまで頭を叩かれるとは、なんだか子どもみたいだ。私は自分が苦笑するのを感じながら、前へと視線を戻す。

「今度のコンセプトはこれだとか言ってなかったか? よく知らないが、コンセプトってのはそう簡単に変更してしまってもいいものなのか」
「一番大切なのは臨機応変に対応することなの。地球の生き物はそうやって進化してきたんだからね。環境適合ってやつよ。ぼんやりしてたら淘汰されるだけなのよ! ちゃんと適合しないといけないのっ」

 強く言いはなつハルヒに、キョンは誰か他に言い返す人はいないのかと私たちの顔を一つ一つ見つめていき私の目も自然とそちらを向く。私の隣に立つ古泉くんは、にこやかに笑みを浮かべており荷物を持ちお付きの人みたいだ。有希は無言でどこか遠くを見ており。みくるちゃんはもう声を出す気力もないようで、クッタリとしている。最後にキョンを見上げると、目が合い。私には何も期待してないのか、息をつく。
 その時、まるでタイミングを図ったかのように電車がホームへと入ってくる。

「ほら、電車来たわ。きりきり歩くのよ、みくるちゃん。本番はこれからなんだからねっ」

 みくるちゃんの肩を抱き、改札へ歩きだす。その姿にキョンは頭を抱え、ハルヒの後を追って歩き出した二人の後ろへついていく。いったい、この電車はどこにいくのやら。
 ガタゴトとリズムのよい揺れを感じながら降りたのは、三駅ほど移動した所にある大きなスーパーマーケットや商店街が立ち並ぶ人出のある場所だった。昔はよく親と来ていたが、最近はご無沙汰だな。
 久しぶりに見る風景に、私は辺りを見回しているとハルヒの声が私を呼び、慌てて皆の後を追いかけた。

「ここ?」
「らしいな」

 着いたのは商店街の一角にある電気屋さん。どうも流行ってないのか、お客さんの入りが少なく見えるが世が世だからな、切なきかな。

「約束通り来ましたーっ!」

 元気よく入店していくハルヒの叫び声に、奥からこの店の店長らしきおじさんがのっそりと出てきてみくるちゃんに目を留めた。


「ほうほう」

 上から下まで、セクハラになりそうな笑みを浮かべながら見つめるその姿に、みくるちゃんは地蔵のように硬直してしまった。

「それ、一昨日の子? 見違えたね。ほうほう。じゃあ、よろしく頼むよ」

 何を頼むんだ。素直な感想を言うとしたらそう言うだろう。だけど一昨日という単語と電気屋さんに貰ったビデオカメラから考えて、一昨日何か約束を交わしその前金としてビデオカメラをくれたのだろう。と、言うことはそれに見合った働きをしないといけないということだ。

「はいはい、打ち合わせるから、みんなちゃんと聞きなさい」

 そして満面の笑みを浮かべて、それぞれバラバラの方を見ていた皆を集める。

「これからCM撮りを開始します!」

 高々上げられた黄色いメガホンが、店の入口に入る日の光に当たりキラリと光った。

「こ、ここの店は、えーと、店長さんがとっても親切です。それにナイスガイです。現店主である栄二郎さんのお爺さんの代からやってます。乾電池から冷蔵庫までなんでも揃います。えー、……あとは、えーと」

 電器店の店頭で、商店街のまっただ中。ウェイトレスの衣装を身につけたみくるちゃんは、引きつった笑顔で目はカメラのレンズより少し斜め上の方を見つめて、必死の棒読みをしている。その横には「大森電器店」と書かれた手書きのプラカードを掲げた有希が直立してカメラのレンズを凝視する。キョンはビデオカメラの覗き口を覗いてその二人の姿を見ていた。
 私は、その様子を商店街のお客さんに紛れこんで見つめていた。否入れないというべきか。ハルヒから飲み物を買ってきて、と言い渡され近くの店で買ったわいいが。店の人から「何かあったんか?」と言われ振り返った時には既にザワザワとざわめく人だらけだった。あれは、入るのが恥ずかしいな。
 しかし、いつまでもこうはしてられないな。飲み物の入った袋を提げ、私はハルヒの椅子に手をつく。みくるちゃんは見事なほどのギコチナイ作り笑いをして、どこにも繋がっていないマイクを持っていた。カメラを回すキョンの横には古泉くんがおり、微苦笑しながらカンペを掲げ持っている。カンペはどこから持って来たのかというと、ついさっきハルヒが深く考えず殴り書きをしたスケッチブックがそうだ。いったいいつスケッチブックを持って来たのだろうかと思えば、どうやら古泉くんがここまで持ってきた紙袋の中に入っていたらしい。


 古泉くんはみくるちゃんのセリフ回しに応じて、それをめくってやる。
 買ってきた飲み物を口に運びながらハルヒはディレクターズチェアに腰かけて足をくみ、難しい顔をしてみくるちゃんの演技を観察していた。

「はいカット!」

 叫び声と共に掌にメガホン叩きつける。

「どうも感じが出ないわね。イマイチ伝わってこないのはなぜかしら。なんかこう、グッと来るものがないのよ」

 爪を噛み、苛立ちを見せるハルヒにキョンはやれやれと回していたビデオカメラを停止させ、マイクを両手で握りしめているみくるちゃんは自分の役目が停まり丸い瞳が真っ直ぐにハルヒを見つめる。有希は始終止まったまま、プラカードを持っている手は疲れをみせず数センチも傾きをみせない。紙袋を持ち古泉くんは相変わらず微笑みっぱなしで、背後では商店街を行く通行人たちは何事かと数を増しざわめいていた。

「みくるちゃんの表情が硬いのよね。もっと心から自然な感じで笑いなさい。なんか楽しいことを思い出すの。いま楽しいでしょ? あなたは主役に抜擢されてるのよ? これ以上の喜びはあなたの人生でも二度とないくらいなのよ!」

 それはいくらなんでも言い過ぎだハルヒ。みくるちゃんも周囲にこれほどの人がいて笑顔を振りまくほどの肝が座ってないだろう。

「わかったわ!」

 これから何をするんだろうかと、監督のハルヒの背中を眺めていると、突然大声を上げる。

「電器屋さんにウェイトレスがいるのが引っかかるのよ」

 思い立ったらすぐ実行する。ハルヒはそれを体現するようにディレクターズチェアから立ち上がり振り向き様に古泉くんに言う。

「古泉くん、その袋貸して。そっちの小さいやつ」

 ハルヒは古泉くんから紙袋を受けとると、放心しているみくるちゃんの手をつかみ。そして店内にずかずかと遠慮なく入っていく。

「店長ー、奥で着替えできそうな部屋ある? うん、どこでもいいわ。なんならトイレでも。そう? じゃあ倉庫借りまーす」

 そのまま躊躇なく上がり込み、店の奥へとみくるちゃんを連れていき消えた。みくるちゃんはもはや抵抗の気力も残っていないらしい。ハルヒの引っ張る力につんのもりながら、おとなしくついていくその姿もハルヒに続いて見えなくなり。残された私たち四人は、ただ何もすることなく立っていた。


 魔女っ子の有希は先ほどから身じろぎもせずにプラカードを構えたまま。ビデオカメラのレンズを見つめている。まるでそこだけ一時停止を押されたようだ。

「このぶんでは僕の出番はなさそうですね。実はクラスの舞台劇でも僕は役者になることになってしまいましてね。多数決で。ですからセリフ覚えに四苦八苦しているのですよ。こちらでは出来るだけセリフの少ない役がいいのですが……。どうです? あなたが主演をしてみては」

 キョン主演の映画か。それはそれで面白そうではあるが、ハルヒがまず相手役にみくるちゃんを持ってこないだろうからな。キョンのやる気が出なくてグダグダの映画になるだろうと安易に想像出来る。

「キャスティング権を握っているのはどうせハルヒだ。そういう注文は奴につけてくれ」

 軽くあしらうキョンに、古泉くんは肩をすくめる。

「そんな畏れ多いことが僕に出来ると思いますか? プロデューサー兼監督に一介の俳優が口出しするなんて、僕にはおよびもつきませんね。なにしろ涼宮さんの命令は絶対のようですし、背いた後にどんなしっぺ返しを喰らうかなんて想像したくありません」

 私もハルヒに背くなんて、何が起こるか解らないからな余程のことがないかぎりしたくないことだ。ハルヒの置いていった蓋の緩んだペットボトルを閉める。今頃店の奥ではどんなことが繰り広げられているのか。

「お待たせ!」

 軽快な足取りで戻ってきた二人は、片方は制服のままだが片方はウェイトレスからレベルアップをしていた。露出は激しくなり、人の目をなお一層惹き付けるその恰好。それはもう半年前になる、記憶の片隅と部室の片隅に置かれていた。バニーガール。
 バニーガールは恥ずかしさから頬を染め、最後の抵抗と目を潤ませつつヨロヨロしながらハルヒの横で針金の入ったウサ耳を揺らしていた。

「うん、これでバッチリ。やっぱり商品の紹介にはバニーよね」

 一体全体何が大丈夫なのか問いかけたいが、問いかけた所であまり物事は変わらないだろう。ハルヒはみくるちゃんを上から下まで眺め回し、髪をすくと満足げに笑顔を浮かべた。そんなハルヒとは対照的にみくるちゃんは哀愁全開で半開きの口から魂が出かかっている。

「さ、みくるちゃん。最初からやり直しね。そろそろセリフも覚えたでしょ。キョン、初っぱなから巻き戻して」



 キョンは巻き戻しボタンを押すと機械は音を立てて巻き戻されていき、最初に戻ると機械音は止んだ。ハルヒはそれを見届けると息を吸い込み。

「じゃ、テイク2!」

 高らかに叫び、メガホンがばっちんと叩かれた。

 半泣き半笑いと微妙な表情を浮かべたみくるちゃんをハルヒが思うままに動かし、電器店CMが何とか終了した。
 さあ次は映画撮影だろうか、と商店街の真ん中を歩き進んでいくハルヒと引きずられて「ひぃ」とか「ぴぃ」とか愛くるしい悲鳴を漏らすバニーガールのみくるちゃんの後を追いかけて着いたそこは模型店。せめてもの慰めとしてみくるちゃんの肩にかけたキョンのブレザーは、着いたと同時にはぎ取られキョンの元へと返されるとハルヒは一軒目の店と同じようにみくるちゃんを連れて店へと入り。今度は空き缶を持ってくるよう告げられ、私は近所の自動販売機まで走りに行った。
 帰って来た時にはまたもや辺りは人で作り上げられたバリケードが張られており。みくるちゃんはその中、涙で揺れる瞳をカメラに向けながら唇を開いた。

「こ、この模型店さんは、山土啓治さん(28)が周囲の反対を押し切り、去年脱サラして開店オープンしました。趣味がこうじたばっかりに……やっちゃったって感じです……。案の定、思うように売上げは伸びず、今年度前期は昨年対比で伸長率八十%、折れ線グラフは右肩下がり……なのでえ! 皆さんどんどん買いに来てあげてくださぁい!」

 みくるちゃんの語尾は完全に裏返っており。最後は若干やけが入ったようにみえる。みくるちゃんは強引に持たされたアサルトライフルの銃口を空に向ける。

「人に向けて撃ってはいけませーん。空き缶でも撃って我慢しましょうっ」

 まるで子ども向けビデオのモデルガンの使い方の一フレーズみたいな台詞だ。しかし、空き缶はいつ出番があるのだろうか。空になった缶を持った手を見つめておれば、服の裾を引っ張られ顔を上げるとハルヒが口パクで空き缶を置いてこいと地面を指差し言った。なるほどカメラが上を向き地面をフレームが映さない間に置くってことか。私は急いで姿勢を低くしながら少し離れた場所に置き、戻るとハルヒがみくるちゃんに空き缶を打つよう指で誘導をしていた。
 みくるちゃんがハルヒの指を辿り、双方を交互に見ていたその後ろでは、有希がまたもやどこを見ているのか解らない目で「ヤマツチモデルショップ」と書かれたプラカードを捧げている。


 何と平和な撮影風景だろうか。商店街に迷いこんだ鳥が上を飛んでいるのを見つめていると、突如轟音が耳に入りみくるちゃんを見るとライフル銃を先ほど置いた空き缶に向けて乱射しており。

「ひええっ。当たったらとても痛いと思いますっ。ひょええっ」

 怯えながらアルミ缶を蜂の巣にするという模範射撃をおこなって、野次馬たちのどよめきを誘っていた。しかし、悲しい命中率かな、蜂の巣にはならず当たったのも一割くらいだった。そんなこんなでこの日は結局映画撮影までは行かずCM撮りだけで一日が終わった。
 その後、私たちはいったん学校まで舞い戻り、部室にて次の撮影スケジュールを古泉くんが淹れた玄米茶をお供にハルヒから聞いているところだ。

「明日は土曜日で休みだから、朝から全員集合ね。北口駅前に九時には来ていること。いいわねっ!」

 明日から映画撮影が開始されるのか。一体全体どのような映画になるのか、台本も貰ってない今私の立場やセリフも解らない。解るのは私が異世界人というだけだ。しかし、コマーシャルだけで十五分もとって本編はどのぐらいの物になるんだろう。そんな一般的に上映されてる映画のように二時間とかは無理だろう。尺が足りない尺が。
 みくるちゃんは部室へと戻ると制服へと着替え、そのまま力が抜けたようにパタリと倒れるように机にうずくまった。みくるちゃんが疲れるのも無理はない、何せウェイトレスからバニーガールへと着替えらせられた挙句、その恰好のまま電車に乗せられ帰ってきたのだから。キョンは玄米茶を飲み干し。

「なあハルヒ、朝比奈さんの恰好だがもうちょっと何とかならないか? もっとこう、戦うんであれば戦いそうな衣装があるだろうよ。戦闘服とか迷彩服とか」

 ハルヒはいつの間にか持っていた星マーク付きのアンテナ棒をリズムにノってちっちっと振った。

「そんなんで戦っても意外性がないじゃない。ウェイトレスが戦うから、おおっ――と思わすことができるのよ。ツカミが肝心なの。コンセプトよ、コンセプト」

 ただのか弱い女の子が迷彩服を着て戦う姿も一見おおっ、と思えるぞ。しかも日ごろみくるちゃんを知っている人なら尚更だ。キョンは嘆息をもらす。

「まあ……。それはいいけどさ。なんでわざわざ未来から来たことにするんだ? 別に未来人じゃなくてもいいじゃねえか」

 ぴくっ、と突っ伏すみくるちゃんの肩が揺れ動いた。未来人という単語に反応を示したのだろうか。ハルヒはそれに気付かない。

「そんなもんはね、後から考えればいいのよ。ツッコマれたときに考えたらすむことだわ」

 なんというその場しのぎ。そういうのは後から色々と矛盾が生じ、またツッコマれるという悪循環だ。

「考えても思いつかなかったら無視しときゃいいのよ! どうだっていいじゃないの。面白ければなんだっていいのよ!」
「それは面白かった場合だけの話だろうが。お前の撮ろうとしている映画が面白くなる確率はどれほどのものなんだ? 面白がるのが監督のみなんてのを撮っても仕方ないだろ。ゴールデンラズベリー賞シロウト部門ノミネートでも狙ってるのか?」

 キョンが気だるげに尋ねるそれに、ハルヒは眉間にシワを寄せる。

「なにそれ。狙うのは一つよ。文化祭イベントベスト投票一位よ!それに、できたらゴールデングローブも。そのためにもみくるちゃんにはそれなりの恰好をしてもらわないと困るの!」

 キョンはため息をつき、横を向き隅の方に引っ込んでもうこの部室ではお馴染みの光景となった読書にふけっている有希を見つめる。

「待てよ」

 湯飲みにナミナミと注がれた玄米茶を見つめていると、突如キョンが声を上げた。

「おい、脚本をまだもらってないぞ」
「だいじょうぶ」

 ハルヒは目を閉じて、棒の星マークの先で自分のこめかみを突っついた。

「ぜーんぶ、こん中にあるから。脚本も絵コンテもバッチリドンドンよ。あんたは何も考えなくていいわ。あたしがカメラワークを考えてあげるから」

 と、いうことはだ。皆ハルヒに言われて初めて台詞と自分の立ち位置や流れを知り、その場で覚えて動けというのか。なんという無茶ぶり。

「明日よ、明日! みんな、気合い入れていくわよ。栄光を勝ち取るにはまず精神論からよ。それがお金をかけずに勝利する手っ取り早い方法なの。心のタガが外されたとき、自分でも知らなかった潜在能力が覚醒して思わぬパワーを生み出すわけよ。そうよね!」

 気合いでなんとかなったらいいな。出来たらいいな。もうこの際自分の知らなかった潜在能力でもなんでもババーンと覚醒して欲しいものだ。ハルヒの顔を見つめていると、ハルヒは私を見つめ返して花の咲くような笑みを浮かべる。


「じゃ、今日は解散! 明日をお楽しみにっ! キョン、カメラと小道具とか衣装とか、荷物忘れちゃダメよ。時間厳守!」

 そう言い残し、ハルヒは勇ましく鞄を振り回して出ていった。

「…………」

 取り残された私たちは有希を先導に帰って行き、私とキョンも駐輪場までの下り坂を夕日を背に浴びながら下りていく。時刻もなかなかのもので、辺りは学校に残っていた生徒たちが同じように帰路へとついていた。
 いくつか私も荷物を持っているものの、キョンの方はかなり重そうだ。
 私の後ろを少しばかり汗をかくキョンは一旦荷物を地面に下ろすと息をついた。

「キョンもう少し持とうか? 寧ろ交換する?」
「いや、いい、大丈夫だ」

 そうは言うがその顔には疲労の色が伺える。キョンは荷物を抱えなおすと一歩ずつ下っていく。こういう時のキョンは、私にひどく意地っ張りだ。
 駐輪場へとたどり着くと後は楽だ。自転車を真っ直ぐ走らせればそれで済むんだからな。私は荷物をカゴに放り込み、自転車の鍵を差し込んだのち顔を上げると先ほどまでカゴに入れて置いた荷物が忽然と無くなった。まさか荷物が歩くはずもなく、キョンの方へと振り返ると丁度荷物を押し込んでいる姿があった。

「持って帰るのに」
「元は俺が頼まれた仕事だ」
「そうだけどさー……」

 あれこれ言ってるまにキョンはスタンドを足で蹴りあげ、サドルに跨がる。

「行くぞ」
「はいはーい」

 渋々、私も自転車を取り出すとスタンドを上げキョンの背中を追いかけてペダルを踏み込む。日中暑い日が続く中、この時間だけか涼しい。

「ついに明日から映画撮影だね」
「なんだ改まって」
「いや、ただ何となく。キョンのモチベーション上がるかなと思って」
「上げたかったら映画撮影から朝比奈さんのPV撮影に変えるんだな。その方が何倍も楽しい」
「うーわ、ハルヒが聞いたら激怒するよ?」
「知ったことか」

 キュッとブレーキが掛かり、家の前で私は自転車を下りた。家には明かりが一つもついておらず、郵便受けに貯まった手紙や新聞から人が居ないことが伺える。

「それじゃあね、キョン。また明日」

 私が止まるのに合わせて止まったキョンに私は手を振り別れを告げると、キョンは家を見上げたのち私へと視線を向ける。

「今日両親いないのか?」
「うん、仕事でしばらく家あけるみたい」

 キョンに倣い、我が家を見上げればしばらく間をあけたのち意外な言葉が私を誘った。

「家に来るか?」
「えっ」
「ご飯食べに、そのまま家に泊まって行ってもいいし」

 それは願ったり叶ったりな話だ。正直、一人でこの家にいるのは寂しいと思っていた所だ。だけどさすがに突然お邪魔するのは悪いだろうし。

「ありがとう、お気持ちだけいただいときます」
「そうか?」
「うん、その変わり何かあった時に電話するよ。その時はよろしく」

 肩を叩き、キョンは頷きを返すとペダルを漕ぎだし夕焼け空に向かって消えていく後ろ姿に目を細めた。

映画撮影、下準備中! END

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