二日目の朝。天気はいきなり晴天から嵐へと姿を変えた。
 私は頭の痛みと、嵐により揺れる窓の音に目が覚め身体を無理矢理起き上がらせて携帯電話の時計を見れば、時刻はまだ六時を少し回った所だった。

「頭いたい」

 ガンガン痛む頭を抱えれば、昨夜の出来事が走馬灯のように蘇り、その恥ずかしい失態にいますぐ首をつりたくなった。

「のわあぁ、私は、私はなんてことを」

 ハルヒたちにキスして、終いには古泉くん、キョンにまでしてしまって。こんな記憶、出来れば酒の力で忘れてしまいたかった。
 しばらくベッドの上を転がり、のたうちまわれば急に喉の渇きを覚え、私はベッドから抜け出しまだ静まりかえっている廊下を降りていく。
 出来れば誰か起きててほしいものだが。朝早いため、それはかなり低いな。

「おはようございますー……」

 キッチンを覗けば、既にもう誰か来ているらしくいい匂いが鼻をくすぐる。

「おや、お目覚めですかな」
「あ、新川さん」


 キッチンから執事姿の新川さんが出てきて、私へ向かって深々とお辞儀をし私もそれにならいお辞儀を返す。

「あ、あの、おはようございます」
「おはようございます」

 話が続かない。しばらく視線をさまよわせながら向かいあえば、新川さんが話を切り出してくれた。

「所で、どうかされましたか?」
「あ、お水貰いたくて。昨日のお酒が響いてて」

 新川さんがキッチンの奥へと入っていき、私は途中までその後を追いかければ。大きな冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、コップに注いでくれた。
 別に普通に水道水でよかったんですが。

「いえ、あなたは当別荘のお客様ですので」

 新川さんは、目元を和らげ笑みを浮かべる。その表情がなんだかおじいちゃんみたいで、胸がじんわり温かくなった。

「新川さんおはようございます」

 新川さんからコップを受け取り、二口ほど飲んだ時だ。キッチンの向こう側から声が聞こえればヒョッコリとキッチンの方に姿を現したその人物に私はホッと胸を撫で下ろした。

「古泉くん」
「葵さん、おはようございます」

 古泉くんは、新川さん同様少し頭を下げ丁寧に挨拶をすれば。顔を上げ、変わらぬ笑顔を向けた。

「おはよう……その、昨日はごめんね」

 私は頭を地に着くのではないかと思えるほど頭を下げれば、古泉くんは「気にしないでください」と笑い混じりに言う。いやいや、いくらお酒の力のせいだとしてもキスをしてしまったのだからな。もしファーストキスだったらすみません。

「僕としては、思いがけない褒美に胸が踊りましたので」
「……私のキスが?」

 んな馬鹿な。私のキスが古泉くんに褒美だったら、みくるちゃんのキスはお宝もんだ。
 古泉くんは私の顔がそんなに変な顔をしていたのか、喉の奥で笑い私の髪に触れた。

「そういえば、一つ尋ねたいことがあるんですが宜しいですか?」
「私の答えれる範囲であれば」

 寝癖がついているのか、古泉くんは髪を撫で付けるがどうも何回やっても跳ねている気がする。

「昨日、彼が葵さんを部屋まで送ったあと何があったんですか?」
「へっ?」

 突然、思わぬ方向からの質問に間の抜けた声を出せば、古泉くんは一度クスリと笑いまた私の髪を撫で付ける。

「答えずらいことでもしていたんですか?」
「いや、それはないそれはないけど」


 どうしてそのような事を聞いてくるんだ。昨日キョンが私の部屋から出たあと何があったんだ。

「彼が先ほどまで赤くなかった頬を赤らめて戻ってきたんですよ」
「あー、確かにそれは何かあったに違いないね」

 心を込めずに目を反らして言えば、古泉くんは私の髪から手を離し笑いながら謝ってきた。

「すみません、言いたくないのでしたらそれで良いんで」

 古泉くんは私の横を通りすぎれば、新川さんの元へと向かい私はコップに視線を落としまた一口、胃へと流し込んだ。
 別に言いたくないわけではない、言いにくいだけなんだ。
 私はどうもすっきりしなく。新川さんと談笑している、古泉くんの服の裾を掴めば。古泉くんは振り返り「どうかしましたか?」と、首をかしげ聞いてくる。

「別に、言いたくないんじゃなくてですね。言いにくいことなんですよ」

 私は新川さんに目配せをすれば、新川さんは察してくれたのか朝ごはんの支度をしにキッチンの奥へと入っていく。

「あのね、その……」

 私はつま先で立ち、古泉くんの耳元にそっと昨夜あったことを打ち明ければ。古泉くんはなるほど、と納得したようにうなずく。

「だから彼はあのあと、あんなにお酒を飲んだのですか……」
「昨夜そんなに凄かったの?」

 古泉くんは肩をすくめ、薄笑いを浮かべる。

「ええ、それはもう」

 どんなに凄かったのか、それはぜひとも見てみたかった。自分のお酒の弱さに愕然とするよ。

「そういえば、古泉くんはお酒に強いの?」

 昨夜そんなに凄かったのならば皆同様古泉くんも今グダグダになってると思うのだが、今目の前に立つ古泉くんはすっきりと爽やかな笑顔を浮かべ立っている。

「昨日、森さんに頼んでお酒ではなく葡萄のジュースに変えて貰ったんです」

 なるほど、だから古泉くんはそんなにすっきりしているのか。ずるい、非常にずるいぞ古泉くん。

「今日は、私も葡萄ジュースにしてって森さんに言っておいてくれる、かな?」
「いいですが、今日もお酒とは限りませんよ?」
「いや、なんとなく勘なんだけどそんな気がする」

 額に手をあて、キョンの真似をしてみれば。古泉くんは似てますよとお世辞を言い、私は空っぽのコップを近くにあったテーブルに置き窓の外を眺める。横殴りの雨が建物の壁と窓を叩き。強風が木々を押し倒していく。

 別にこの別荘がボロやと言いたいのではない。ただ、この凄い強風を見ていると飛ばされるのではないかと、不安になった。

 時刻は移り変わり、朝食後。これは余談なのだが、朝の食卓に圭一さんはいなかった。これは設定なのかはたまた本当なのか、朝は弱いらしく、寝起きが最悪のため午前中にベッドから起き上がるのはほとんど不可能らしいと、新川さんが説明してくれた。

「ついてないわねえ。こんな時に台風が来るなんて」

 朝食後に、皆でもうお決まりのようにハルヒの部屋に集い。今日は何をして過ごそうか相談をしている中、窓の外を見ながらハルヒがこぼすように言った。

「まあまあ、たまには台風もいいんじゃないかな?」

 部屋の中ならば暑くないし、それに室内で遊ぶのも楽しいかもしれない。ハルヒはキョンたちを振り返り。

「そうね、それにこれで本当に嵐の孤島になったわ。一生もんの状況よ。やっぱり起こるかもしれないわね、事件」

 昨日、ハルヒが言った言葉を思い出したのか。ぴくんと身体を揺らすみくるちゃんは、不安そうに目を泳がせる。ちなみに古泉くんと有希、キョンはもうこのような状況下に慣れたのか平常だ。
 昨日あれほどないでいた海は波浪警報状態で、とても船を出せる形容範囲を超えている。明後日もこのままなんてことにならなければいいが。ハルヒ本意によってこの島に閉じ込められる。まさにクローズサークル。
 古泉くんはキョンに安心させるよう笑みをむける。

「足の速い台風のようですし明後日までには何とかなるでしょう。突然やって来たように、去ってしまうのも突然ですよ」
「天気予報ではそうらしいな。だが、昨日の時点で台風が来るなんて情報はどこからも入っていなかったぞ。この嵐はどいつの頭から湧いて出てきたものなんだ?」
「偶然ですよ」

 古泉くんは余裕かまして答える。

「一般的な自然現象です。夏の風物詩と言えるでしょう。大型台風の一つくらい、毎年やってくるものですよ」

 そうだといいな、そうだといいね。

「今日は島の探検をしようと思ってたのに、これじゃ中止ね」

 ハルヒは恨めしそうに言う。まあこの状況でもしも行くと言ったら、私は待機組みとして残らしていただくよ。

「仕方ないわ。屋内でできるようなことして遊びましょ」

 どうやらハルヒの頭の中には、合宿のことは脳裏から吹っ飛んで行っている様子、すっかり遊びモードだ。


「確か遊戯室があったはずです。圭一さんに言って使わせてもらいましょう。麻雀とビリヤードと、どちらがいいですか? 卓球台も言えば出してくれるでしょう」

 古泉くんが発案をし、ハルヒはそれに同意した。

「じゃあピンポン大会。リーグ戦総当たりでSOS団初代ピンポンチャンピオンを決めましょう。ビリの人は帰りのフェリーでジュース奢りだからね。手抜きは許さないわよ」

 遊戯室は地下一階にあった。広々としたホールに、雀卓とビリヤード台、ルーレットやバカラの台まである。なんて言うか用意周到だな、この別荘は。

「古泉の親類は裏でカジノでもやってんのか。ここはその賭場になってるんじゃないだろうな」
「さて?」

 キョンの不安を他所に、古泉くんはとぼけた笑みで答え、壁際で折りたたまれていた卓球台をスライドさせてきた。それではまるで、実はカジノのオーナーでしたとかそういう落ちがあるのか。
 ちなみにその後行われたピンポン大会だが、キョンとハルヒの激戦のすえハルヒが優勝を飾りそのまま、麻雀大会が開催の運びとなった。
 古泉くん以外のSOS団メンバーはやり方を知らなかったので教わりながらのプレイであったが。一つ気になることがある、なぜ古泉くんがそんな麻雀のやり方を知っているんだ。
 不思議に思い尋ねた所、古泉くんに気にしてはいけませんよ、とやんわり横に流されたのを言うまでもない。途中多丸さん兄弟も参加し、最終的にはなんとも賑やかな麻雀となった。
 ルールを曲解したハルヒは自分で勝手な役を考案し、『二色絶一門』『チャンタモドキ』『イーシャンテン金縛り』などの謎の役で次々とキョンたちからアガりを続けた。どこからその様なネーミングが出てくるのやら。謎である。

「ロン! たぶん一万点くらい!」
「涼宮さん、それ役満ですよ」
「……役満ってなに?」

 キョンは密かにため息をつき、それを目ざとく見つけた私は苦笑いを浮かべキョンの背中を叩いた。

 その日の晩御飯時は、私の予想が当たったのかやはり昨日同様、盛大に宴会が行われ次々とお酒に酔っていく人が続出しジュースを飲んでいた私にとってはどうしたものかと、騒ぐハルヒ達を眺めつつ、悪化していく天候に思わずため息が出てきた。

 事件は三日目の朝に起こった。

 三日目キョンは頭がガンガン痛むのか、手を当て部屋から出てきた。

「おはようキョン、今朝も騒がしい天候で」
「ああ、おはよう」

 私は廊下の壁に寄りかかっていた身体を起こし、キョンの元へと向かえば。キョンは不思議そうに私をマジマジと見てきた。

「お前、平気なのか?」
「何が?」

 お酒だとするならば、私は昨日ジュースを飲んでいたから平気さ。なんて、言ってはならないためそれ以上口を開かなければ。キョンは頭に手をやり、なんでもないと階段へと歩みだした。

「明日、帰れるんだろうな」

 窓を打ち付ける雨粒が騒がしく、風が強い。台風だとするならば、中間である目には入らないのだろうか。

「まあ、帰れるんじゃないかな。帰れなくても、もう一泊したらいいし」

 まあもう一泊出来る雰囲気であればの話だけどね。時々ふらつくキョンは腕を取り、階段を降りていき食堂へと着けば、キョンと似たような表情をしているハルヒとみくるちゃんが、いつもの表情の有希、古泉くんが揃ってテーブルに着いていた。
 昨日同様圭一さん裕さん、兄弟はまだ来てない。いや、もう二度とここには来ない。全ては決められたことだから、なんてかっこよく心の中で呟いておれば。

「あたし、ワインはもうやめておくわ」

 昨夜の反省からか、ハルヒしかめ面で言い。珍しいまともな発言に、即うなずいてみせた。

「なぜかしら、夕ご飯以降の記憶が全然ないのよね。それってすごくもったいないことじゃない? 時間を損したような気分がするの。うん、あたしは二度と酔っぱらったりはしないからね。今晩はノンアルコールよ」
「では、そうしましょう」

 古泉くんは首肯して、ちょうど朝食の載ったワゴンを押してきた森さんに爽やかな笑顔を向ける。

「今晩は酒抜きでお願いします。ソフトドリンクオンリーでよろしく」
「解りました」

 うやうやしく森さんは一礼し、テーブルにベーコンエッグの皿を並べ始める。今朝の朝ごはんも実に美味しそうなことで。
 私たちは朝食に箸をつけ、食べ終わる頃になっても多丸兄弟は姿が現れず。着々と、機関によるサプライズパーティーが始まろうとしていた。

「皆様」

 新川さんが、森さんを伴ってキョンたちの前に進み出た。新川さんの落ち着いた顔からは、読み取りにくいが若干の困惑の色が混じっているような気がする。

「どうしました?」



 古泉くんはすかさず、新川さんに聞く。

「何か問題でも?」
「はい」
「問題と呼べることがあったかもしれません。先ほど森を裕様の部屋へやったのですが」

 森こっくりうなずいて執事の言葉を継いだ。

「部屋に鍵がかかっていなかったものですから、勝手ながら開けさせていただいたのですが、裕様がどこにもおられません」

 鈴虫の鳴くような声でそうおっしゃる森さんは顔をふせ、その視線はテーブルクロスを見つめている。

「部屋はもぬけの殻でした。ベッドで眠られた形跡もありませんでした」

 どうしてそんなことがわかるんだ。なんて、そういうシナリオなのだから言いっこはなしだ。森さんが口をつぐめば新川さんが続けた。

「しかも、主人の部屋へ内線で連絡を試みたところ、返答がございません」

 新川さんのセリフにハルヒはオレンジジュースのグラスから手を離す。

「何それ。裕さんが行方不明で、圭一さんが電話に出ないってこと?」
「端的に申しますと、そういうことでございます」
「圭一さんの部屋に入れないの? 合い鍵くらいあるんでしょ?」

 いいところに目をつけたハルヒ。そう、他の部屋に合い鍵があるならば圭一さんの部屋にも必然的に合い鍵があるはずだ。

「他の部屋のスペアキーは私が管理しておりますが、主人の部屋だけは別でございまして、予備の鍵も主人しか持っておりません。仕事関係の書類等も持ち込まれておらますので、用心のために」

 ここで皆、嫌な予感を感じるだろう。または最悪事態が脳裏を掠めるかだ。
 新川さんは上体をわずかに折りながら皆に向かっていう。

「これから主人の部屋まで赴こうと私は考えております。よろしければ皆様もご同行願えないでしょうか。なにやら不穏な気配を感じるのでございます。杞憂であればよいのですが」

 ハルヒは素早く目配せをキョンには送る。

「行ったほうがよさそうですね」
 古泉くんは立ち上がり、私へと一瞬アイコンタクトをとれば、すぐまた顔を戻す。

「もしや、病気か何かで起きあがれない状態にあるのかもしれません。ひょっとしたらドアを破る必要があるかも」

 ハルヒはぴょいと、軽やかに椅子から立ち上がり。

「キョン、葵、行きましょう。胸騒ぎがするわ。さあ、有希も、みくるちゃんも!」

 皆に号令をかければ、先行く新川さん古泉くんの後を追いかけていく。この時のハルヒは、いつになく生真面目な表情をしていた。


 三階の一室、そこが圭一さんの寝室だ。
 私たちは全員扉の前に立ち尽くせば、ドアを叩いたり、ドアノブを回す古泉くんの姿を見届ける。
 しかし古泉くんの努力は虚しく終わり、返答はなく鍵も閉められており樫で出来た扉が壁となりキョンたちの前に立ちはだかった。
 ちなみに圭一さんの部屋に来る前に、一度裕さんの部屋を覗いてみたが、森さんの言うとおり、ベッドのシーツは綺麗にメイキングされたまま、もぬけの空だった。
 裕さんはどこに行ったのか、圭一さんも本当に中にいるのか、このような事態に不安がキョンたちに襲いかかる。

「内側から鍵がかかっているということは、部屋の中に誰かがいるということです」

 古泉くんが顎に指を当てて思案顔をし、いつになく緊張のこめられた声でキョンと新川さんに向けていう。

「最終手段です。このドアを体当たりして破りましょう。一刻を争う事態になっていないとも限りません」

 それにキョンたちは頷けば、三人でドアに向けてスクラムを組み、タックルを繰り返す。よくドラマとかならば二、三度タックルをすれば開くものだが現実ではそうはいかない。
 ああいうドアは、前もって少し強めの衝撃で開くようになっているんだ。ほら、あめ細工でできたガラスのような物、といえばおわかりだろうか。
 まあ、そんなことはどうでもいい。男三人は変わらずドアにタックルをかましており。私たちSOS団女子と森さんが見守る中ついに、扉が弾けるような開いた。
 そして勢いのついたキョン、古泉くん、新川さん三人はそのまま室内へと倒れ込みその先にある光景に息をのみこんだ。
 古泉くんもキョンも同様に驚きに声が出ないのか、キョンは古泉くんが自分の上に乗っていることを気にもとめず、ただ真っ直ぐに目の先にある光景に首を動かさない。
 窓の外が光、数秒後お腹に届く雷の重低音はまるでタイミングを見計らったかのように室内を照らす。

「……そんな」

 キョンたちと一緒にドアに体当たりしたさいに、開いた拍子にもつれ合って転がり伏せった新川さんが呟く。
 扉近くの絨毯の上、そこに人間が一人あお向けになって倒れている。その顔は見覚えがよくある、今朝ダイニングルームに降りてこなかった館の主人である男性。多丸圭一さんであった。


 圭一さんは何にそんな驚いたのだろうか、驚愕の表情を顔に張り付いており目と口開きっぱなしだ。ぴくりとも動かない、胸もどんなに目を凝らしてみても上下しない。どうやら死んでいるようだ。身なりは昨夜リビングで別れて、階上に向かったときと同じ格好をしており、その上から胸に果物ナイフが深々と刺さっておりナイフが直立している。
 格好からいくと昨夜に殺されたのだろうか。いや、でもここは推測で物事を決めてしまってはいけない。

「ひえっ……」

 脅えきった小さな悲鳴をあげるみくるちゃんは、両手で口元を押さえ、よろめくように後ずさるその肩を背後から有希がおさえる。
 みくるちゃんの顔色は、青ざめておりなるべく見えないよう、私はみくるちゃんの前に立ち、偽の死体である圭一さんを見下ろす。
 これは知らなければ私も叫び声をあげていただろう。それほどよく出来ているのだ。まさか本当に死んではいないよな。
 有希はみくるちゃんの肩を抑えたままキョンに視線を向け、考えこむように顎をひいた。そしてそのまま私の方へ視線をずらしていき、ジッと瞳を見つめまた前を向く。
 有希のことだ、気付いているのだろう。だが言わないでくれると有難い、でも今の様子だとキョンに言わないでくれそうだ。

「キョン、ひょっとしてさ……その人」

 ハルヒも、この状況に驚いてるのか、みくるちゃんの横から部屋に頭をつっこみ目を丸く見開き息をのむ。

「死んでるの……?」

 珍しく小声で呟くように言うハルヒ。私はそれに胸が締め付けられ、その手を取り無言で握りしめる。
 キョンの上から退いた古泉くんは難しい顔をして圭一さんを見つめており、私たちの傍には森さんが立ち尽くす。

「ねえ、キョン……」

 見慣れない不安そうな表情をハルヒはうかべ、私の手にすがりつくように強く握りしめた。
 稲妻が光り暗闇の中室内が照らされ、圭一さんの死体が再度浮かび上がる。
 キョンは圭一さんから目をそらし、鍵が壊れて弾け飛んで床にゴミのように転がっている扉をながめた。
 新川さんは、死亡確認をするため主人の身体に屈みこみ指先を首筋に当てて顔を上げる。

「亡くなられております」

 いやに落ち着いた声が部屋に響き、つきつけられた現実に皆再度息を飲む。

「ひえ、えええ……」

 みくるちゃんは、ついに廊下にへたりこみ目をまわす。

「大変なことになりましたね」


 古泉くんは新川さんとは反対側から圭一さんに歩み寄り、しゃがめば慎重な手つきで背広姿の圭一さんに手を伸ばし上着の襟をつまみあげる。白ワイシャツには赤黒い液体が染みを作っており、その色に私は身震いをし目を背けた。

「おや?」

 怪訝そうな声を出す古泉くんに私は気になりそちらを見れば。ワイシャツのポケットに手帳が入っていたらしく、ナイフがスーツ上から手帳を貫通していた。

「まずは現場保存が第一です。とりあえずこの部屋を出ましょう」
「みくるちゃん、あなた大丈夫?」

 ハルヒは私の手を握ったまま、振り返り有希のそばでへたれこんでいるみくるちゃんに心配そうに声をかければ。みくるちゃんはさすがにショックが大きかったのか、有希の足にもたれるように座りこんだまま、ぐったり目を閉じて気絶している。

「有希、みくるちゃんをあたしの部屋まで運びましょう。そっちの手を持って」

 両側を抱えられたみくるちゃんはズルズルと足が引きずられたまま階段へ姿を消す。

「お前は行かなくて大丈夫か?」

 キョンはなるべく、私の位置から圭一さんが見えないように立ち私に尋ねてくる。いや行ったほうがよかったのだろうが、やはり現場のほうも心配でね。

「大丈夫、確かにあんまりいいものでは無いけど圭一さんを最後まで見届けたいから」

 私は適当に言い繕えば、キョンは頷きなるべく私の楯となり私は部屋の中へと足を踏み入れる。
 キョンは何か証拠を掴もうとか、周囲を見渡しており。新川さんは苦渋に満ちた顔で合掌をし、森さんは廊下で悲しげな顔をひっそり伏せる。

「あの、新川さん」

 合掌をし終わり、頭を上げた新川さんの元へ行けば。新川さんはなるべく笑顔を浮かべようとしながら「なにでしょうか」と尋ねてくる。

「圭一さんの目を閉じて頂けないでしょうか? きっと、眩しいと思うんです」

 本当は圭一さんの目が乾かないか心配で仕方ないのだが、キョンが居るためそんなことも言えず。新川さんは察してくれたのか、頷き圭一さんの目を閉じさせ私は一回手を合わせ合掌すればキョンの元へと向かい、その服の裾を掴み古泉くんを見上げた。

「さて、ちょっと考えるべき事態が発生したようですよ」
「何だ」

 古泉くんは先ほどの難しい顔から、唇を笑みに戻しキョンに問いかける。

「気付いていないのですか? この状況は、まさしくクローズドサークルですよ」


 まったくもって、不本意ながらそうなってしまったな。

「そして、一見すると殺人事件でもあります」

 もろにそうだね。なんせ犯人らしき人物がおり、ナイフの柄はどうみても自分から刺したようではないからな。

「さらに、この部屋は密室になっていました」

 キョンは首を巡らせて鍵のかかっている窓を眺めた。
 そういえば、この部屋の鍵はあった?

「鍵は圭一さんのスボンのポケットに入っていました」

 古泉くんはもう一度周りをぐるりと見渡し、私は床に横たわる圭一さんを見下ろす。しかしよく出来ているものだ。

「出入り不能な部屋で、犯人はどうやって犯行をおこない、出て行ったのでしょうか」
「そんなもん犯人に訊けよな」
「まったくです」

 同意する古泉くんは、息をつく。

「その辺のことは裕さんに訊かねばなりませんね」

 裕さんがまだここにいるならば訊けるだろうが、裕さんはまだこの孤島に残っている可能性は無いだろう。
 古泉くんは新川さんに警察に連絡をするよう言い、キョンにあらためて向き直る。

「先に涼宮さんの部屋に行っておいてください。僕も後で行きますので」
「そうか、なら先に戻ってる。おい葵も行くぞ」

 どうしようかと、古泉くんとキョンを交互に見れば。キョンは私の手を掴み、部屋の外へと連れて行かれる。
 途中キョンに引きずられながら古泉くんにアイコンタクトを送れば、古泉くんは笑みを浮かべ私を見送った。

「ねえキョン、キョンは大丈夫?」

 今まで平然としていたキョンだが、やはりキョンも人の子だ。この状況にみくるちゃんみたいにとは言わない、だが多少なりとも動揺はしているはずだ。

「大丈夫って何がだ」
「いや、その、精神的というかこう、気分悪くなかったりしないかなって思って」

 繋がれた手を私は見つめながら、そのまま視線をキョンの背中に向ける。

「そういうお前は大丈夫なんだろうな」

 さっきから普通に圭一さんを見ていただろ、と続けて言えば足を止めた。階段の下と上、必然的に私が見下ろす形となる。

「大丈夫だよ、なんだろうね。少し怖かったけど、皆がいると思ったら平気」

 それに偽物だとわかっているからな。リアルで間違えそうにはなったが、寧ろみくるちゃんを気絶させる事態になってしまったことのほうが心苦しい。

「なあ、葵」
「ん?」
「お前はそこに居るんだよな」


 繋がれた手を強く握らしめられ、キョンの瞳の中が少し揺らぐ。
 あの圭一さんが身体を血で染めた姿に昔の事を思い出したのだろうか。フラッシュバックとは突然来るとは聞くが、まさかこんな些細なことでも思い出すとは。

「キョン、私はここに居るよ。バッカだなあー私がキョン置いてどっかに行くと思う?」

 手を繋いだまま、一歩階段を降りキョンと同じ場所に立ち見上げれば。キョンは苦笑いを浮かべ頭を撫でる。

「そうだな、悪い。ちょっと圭一さんの見て動揺してたみたいだ」
「誰だって動揺するよ、死体なんて見たら」

 キョンは手を離せば、階段を一段一段踏みしめるように降りていけば。ハルヒの部屋へと真っ直ぐに進み、その扉を叩いた。

「誰?」

 中から少し警戒しているハルヒの声が聞こえ、キョンはそれに返す。

「俺だ」

 その声に扉が細く開き、ハルヒの顔が覗いた。複雑そうな表情が私たちを招き入れる。

「古泉くんは?」
「もうすぐ来るだろ」

 ハルヒの部屋に備えつけられている、ツインベッドの片方にみくるちゃんが寝かされている。思わずその眠っている姿にキスをしてしまいそうだか、気絶中のため息苦しいのかうなされている。
 その傍らでは、有希がいつものような表情で椅子に座っている。まるでその姿は、悪い虫がつかないように見張っているようだ。その姿は頼もしい。

「ねえ、どう思う?」
「どうって?」
「圭一さん。これって殺人事件なの?」

 第三者の視線から言えば、鍵がかかっており、それを無理矢理こじ開けて中に入れば館の主人が倒れており死んでおり。その主人の弟が、行方不明となったならば見るからに殺人事件だ。

「どうやらそうらしい」

 数秒間の間をあけ、ハルヒはキョンの答えにほうっと息を吐いた。

「うーん……」

 ハルヒは額に手を当て、自分のベッドに腰を落とした。

「まさかなあ。こんなことになっちゃうなんて、思いもよらなかった」
「さんざんお前は事件を熱望するようなことを言ってたじゃないか」
「だって、本当になるとは思わないもん」

 ハルヒは唇を尖らせ、すぐに表情をあらためる。どうやらハルヒはハルヒでこの状況にどういう顔をしたらいいか悩んでいるらしい。
 確かに、このような状況にはどんな顔をすればいいか困るよな。

「朝比奈さんの調子はどうだ?」


 キョンが、眉を寄せながら掛布団を握りしめうなされつつも愛らしい寝顔を浮かべるみくるちゃんを見つめる。

「だいじょうぶでしょ。気絶しただけよ。なんかすごく素直な反応で感心するわ。みくるちゃんらしいわよね。ヒステリーを起こされるよりマシだけどさ」

 どこか上の空っぽくハルヒは言った。
 キョンも眉を寄せ、苦い顔をし地面を見つめる。まさかハルヒの力によりこのような状況になっていると推理しているのだろうか。それは大間違いだキョン、これは機関により仕組まれた喜劇だということに気づけばいいのだが。

「ううむむむ。困ったことになったわね……」

 ベッドから足を下ろし、ハルヒはうろうろと部屋の中を行ったり来たりして落ち着かない様子だ。そりゃ冗談で言ったことが本当になってしまったんだからな、信じられ難いことだろう。
 辺りを妙な雰囲気が被う。

「うん、やっぱりじっとなんかしてられないわ」

 やはりと言うべきか、ハルヒは力強く断言してキョンの前に立ち止まる。真面目な表情でキョンを見上げるハルヒは、キョンに挑みかかるような強い眼差しを向けた。

「確認しておきたいことがあるの。キョン、葵、あんたたちもついてきなさい」

 ハルヒは有希の隣に座る私にも声をかけてきて、私は目を瞬き数秒間をあけうなずき返した。

「朝比奈さんをこのままにして部屋を出たくないんだが」
「有希がついてるから平気よ。有希、ちゃんと鍵を閉めて、誰が来ても開けちゃダメよ。わかった?」

 有希は沈着冷静な顔でキョンとハルヒをじっと見つめ、

「わかった」

 起伏のない声で返答をした。そしてキョンと目があえば、わずかに頷いた気がする。

「行くわよ。キョン、葵」

 片手はキョンの手首をひっつかみもう片方は私の手を掴み、ハルヒは部屋から廊下へと一歩踏み出した。

「それで、どこに行くんだ?」
「圭一さんの部屋よ。さっきは観察する余裕がなかったから、もう一回確認しておくの」

 なんと圭一さんの部屋に行くのか、出来ればそれは遠慮してあげて欲しい。圭一さんは今ごろきっとのんびりホッと息をついている頃だろう。

「それから裕さんがどこに行ったのかも調べないと。ひょっとしたらまだ建物の中にいるのかもしれないし、それに……」

 ハルヒに引かれるがまま、キョンは階段を上り。私はなんとかして抜け出せないものかと悶々と悩む。


「裕さんが犯人でとっくに別荘から出て行ったか、あるいは裕さんも被害者になっちまってるか……だな」
「そうよね。でも裕さんが犯人じゃなかったら、ちょっぴりイヤな展開よね」
「誰が犯人でも俺はイヤだがな……」

 ハルヒはキョンを横目でみれば。また前を向き階段に足を踏み入れる。

「ねえキョン。この館には多丸さん兄弟を除けば、新川さんと森さん、それからあたしたち五人しかいないのよ。その中に犯人がいるってことになるじゃないの。あたしは自分の団員を疑いたくなんかないし、警察に突き出したりしたくはないわよ」

 しんみりした声に、私とキョンも口をつぐみ。私はハルヒから手を離せば階段を先に上りあがる。

「私、先に新川さんの所に行ってくる」
「そう? すぐそばだから大丈夫だとは思うけど気をつけなさいよ」

 ハルヒはキョンの手を握ったまま階段を上り、私はそれを見送りながら三階にある圭一さんの部屋へと向かった。

「新川さん」

 圭一さんの部屋の前に、まるで門番のように立っている新川さんに、私は駆け寄りこっそりとハルヒが来ていることを告げれば。新川さんは一度部屋の中を振り返ればニッコリと微笑んだ。

「ご安心ください、この通りいつ来られても大丈夫なようにしておりますので」

 しゃがみこみ、中をひっそりと覗けば圭一さんの足が見えて私はこっそりと小さな声で圭一さんに「お疲れさまです」と声をかけると同時にハルヒとキョンが三階の廊下を歩いてきた。

「葵どうしたのよ」
「ハルヒ、その、新川さんがやっぱり一般人である私たちには見せられないって……」

 私は立ち上がれば、新川さんを見上げ新川さんは咳払いをすれば私の前に立ちそれは中を覗こうとした私を遮るような様だった。

「新川さん、警察には知らせたのよね」

 ハルヒはキョンの手を離せば新川さんに対抗するかのように私と新川さんの間に入り見上げる。

「警察に連絡しましたところ、誰の立ち入りも許可しないようにとのことでございます」

 慇懃に頭を下げる新川さんをハルヒは口をアヒル口にし見つめ。キョンはぶち破られた状態で開け放たれ部屋の扉から、新川さんの身体の脇からわずかに圭一さんが見えるのか熱心にそちらのほうを見つめていた。


「いつ来るの? 警察」
「嵐が収まり次第とのことでございます。予報によれば、明日の午後には天候の回復が見込まれるようですから、その頃あたりになるのではないでしょうか」
「ふーん」

 ハルヒの質問に新川さんは丁寧に答え、それをハルヒは聞きながらも扉の向こうが気になるらしく、チラチラとした視線を送っていた。

「ちょっと訊きたいんだけど」
「何でございましょう」
「圭一さんと裕さんって仲悪かったの?」

 新川さん素早く、立ち振る舞いをわずかに変化させる。

「正直申し上げまして解りかねますな。なんとなれば、私がここに仕えるようになりましたのは、この一週間程度のことでございますので」
「一週間?」

 ハルヒの疑問をふくむ声色に、キョンも眉を寄せ、新川さんはゆったりとうなずいた。

「左様です。執事であることには変わりはございませんが、私はパートタイム、臨時雇いの執事でございます。夏のホンのひととき、二週間ばかりの契約でございました」
「つまり、この別荘のみってことなの? 昔から圭一さんのとこにいたんじゃないのね?」
「左様で」

 ハルヒは一度口元に手をあて、何か考えごとをすれば息をつき新川さんを再度見上げる。何かバレルようなことを言ってしまっただろうか。

「森さんもそうなの? あの人も臨時雇われメイドなのかしら」
「おっしゃるとおり、彼女も同時期に採用を受け、ここに来ましてございます」

 丁寧に受け答えする新川さんをキョンは横目でみつめ、爪先しか見えない圭一さんの方を時折見ている。何もしていないこちらの方がドキドキして胸がくるしくなる。

「なるほどねえ。使用人にも正社員と派遣があるわけね。なんだか参考になったわ」

 どういう意味での参考になったのやら、ハルヒ二、三度うなずき。

「部屋に入れないんじゃしょうがないわ。キョン、葵、次に行くわよ、次に」

 またキョンの腕を取って、ずかずかと歩き始め私は新川さんに対し頭を下げ、二人の後を追いかけた。

「今度はどこに行くんだよ?」
「外。船があるかどうかを確かめるの」

 待て待て待て、外は出るのが危険な突風に雷雨、ついでに言えば降水量もやばいことになっているかもしれないぞ。


「あたしはね。自分の目で見たものしか信用しないの。往々にして伝聞情報には余計なノイズが混じっているものなのよ。いい? キョン、葵。重要なのは一次情報なわけ。誰かの目や手を通した二次情報は最初から疑ってしかるべきなの」

 確かに自分の目で見て、肌で感じることが一番だと私も思う。だけど時と場合を考えろハルヒ。自分の身を危険に晒してまで外に行きたいのか。
 どうにかしてハルヒを止めることは出来ないものかと悶々と悩んでおれば、いつの間にやら一階へと着き、一階にはまるで予定してたように森さんが佇んでいた。

「外に出られるのですが?」

 森さんはキョンとハルヒに対して言い、ハルヒもそれに言い返した。

「うん。船があるかどうか調べようと思って」
「ないと思われますが」
「どうして?」

 うっすらと微笑して森さんは答える。

「昨晩のことです。裕様の姿をお見かけしたのは。その時、裕様は何かにせき立てられるようなお急ぎようで、玄関口へと向かっておられたのです」

 キョンはハルヒと顔を見合わせ、森さんに視線を戻す。

「裕さんが船をかっぱらって島を出て行ったと言うんですか?」

 森さんは薄い微笑みをたたえ、唇を動かし自信無さげに言う。

「廊下ですれ違っただけですし、裕様が実際に出て行ったところを見たわけでもありません。でも、わたしが裕様を見たのは、それが最後です」
「何時頃?」
「午前一時前後だったと思います」

 午前一時、その時間帯だと確か。私は森さんに続き「そういえば」と呟けば。三人の視線が一斉にこっちを向いた。

「ハルヒを連れていった時、何か上から大きな音が聞こえたけど。それって、圭一さんが倒れた時の音だったのかな?」

 午前一時と言えば、キョンたちがへべれけとなって熟睡していた時間帯だ。お酒を飲んでいない私は酔いつぶれたみくるちゃんとハルヒをそれぞれの部屋に連れていった頃だ。起きていたといえば、新川さん森さん多丸兄弟に有希ぐらいだ。

「ふん、とにかくそんなことよりフェリーが本当に持って行かれたのかどうか。キョン、見に行くわよ」

 ハルヒは何か悶々と考えことをしているキョンの腕を掴めば、玄関口へと向かい。置いていかれそうになった私は慌ててその後を追いかければ、それをハルヒの手により入り口で止められた。

「葵はここで待ってなさい」
「え、なんで?」


「外は横殴りの雨なのよ? そんな所にあんたは連れて行けないに決まってるじゃない」

 キョンの腕を掴んだまま、私の前に立ち塞がるハルヒを私はハルヒを見上げる。

「キョンは?」
「キョンはいいのよ。丈夫だから」
「おい」

 キョンはすかさずハルヒに対してツッコミを入れれば、ハルヒは勢いよく振り返り、唇をアヒルにすれば。

「何よ文句あるわけ?」
「いや、もう好きにしてくれ」

 ハルヒはふふんと鼻を鳴らして笑えば、私の方へと再度振り返り私へ指を突き出し「いい?」と声を張り上げる。

「とにかく葵はここで待機、わかったわね!」
「……はーい」

 ハルヒはキョンの腕を引き、風圧で重たいドアを押せば土砂降りの雨の中二人は手を繋ぎ雨の所為で霧がかかった外へと足を進める。

「葵さん」
「森さん……」

 閉じられたドアを暫くの間、見つめておれば。森さんが後ろから二枚のバスタオルを持ち穏やかな笑みを浮かべる。それはメイドである森園生さんではなく、機関である本来の森園生さんの笑みだ。

「この雨の中です。そう遠くに行くことは無いと思われます」
「そうですよね、すぐ戻って来ますよね」

 私はバスタオルを森さんから一枚受け取れば、もう一度玄関扉を見つめため息が思わず漏れてしまった。

 数分後、キョンとハルヒは行きと同様手を繋いだままびしょ濡れになり戻ってきた。二人の髪から水が滴り、服は水を吸い身体にぴったりと張り付いている。

「お使いください」

 森さんはキョンに手渡し、私はハルヒの頭にかければハルヒは「ありがとう」というお礼と共に笑みを浮かべた。

「どうでしたか?」
「あなたの言う通りみたい」

 ハルヒは黒髪をタオルで擦り、憮然とした面持ち。

「クルーザーはなかったわ。いつからないのかは解んないけど」

 森さんは元のメイドである森園生の顔に戻り、微笑みをずっと浮かべている。その姿、笑みは穏やかなもので動揺など微塵もない。プロとは凄いものだと思いながらも、本当は死んではないから当たり前か。
 キョンは廊下に水滴を落として歩くことを森さんに詫びつつ、私はハルヒに手を引かれ着替えるため自室に戻っていった。

「後であたしの部屋に来てよね」

 階段を上がっている途中でハルヒは私を引っ張りながら言った。


「こういうときはみんなで一塊りになっていたほうがいいわ。全員の姿が目に入ってないと落ち着かないもの。それに万一……」

 言いかけてハルヒは口を閉ざす。キョンも察したのか、いつものように条件反射のようなツッコミをしなず口をつぐんだ。
 そのまま引きずられ、二階に到着すれば廊下には古泉くんは一人ぽつんと立っていた。

「ごくろうさまです」

 古泉くんはいつもの微笑でキョンたちに目礼を送ってよこし、また部屋の扉を見つめハルヒに向き直る。その前にある部屋は、ハルヒの部屋で私は思わず首をかしげた。

「何してんの?」

 ハルヒも不思議に思ったのか、訊くと古泉くんは微笑を苦笑に変化させ肩をすくめた。

「今後のことをご相談しようと涼宮さんの部屋を訪問したのですが、長門さんが中に入れてくれないのです」
「どうして?」
「さあ」

 ハルヒは古泉くんの言葉を聞けば、すぐさま扉をガンガンと乱暴にノックをする。

「有希、あたしよ。開けてちょうだい」

 短い沈黙の後、有希の声が扉越しに告げた。

「誰が来ても開けるなと言われている」

 いやいや、それは確かにハルヒが言った。だかな有希、時と場所場合を考えたまえ。TPOだ大事なのはTPO。
 どうやら中に居るみくるちゃんはまだ失神中のようだ。ハルヒは首にかけたタオルを指先で弄べば。

「もういいわ。有希、開けてったら」
「それでは誰が来ても開けるなという命令に反することになる」

 まるでマニュアル通りに動くゲーム内の村人みたいな態度の有希に、ハルヒは唖然としたのか。キョンを見て、また扉に向かった。

「あのさ有希。誰でもってのは、あたしたち以外の誰でもってことよ。あたしとキョンと葵と古泉くんは別なの。同じSOS団の仲間でしょ?」
「そうは言われなかった。わたしが言われたのは誰に対してもこの扉を開けてはいけないという意味の指示だとわたしは解釈している」

 有希の静かな口調はまるで、マニュアル通りに物を言うロボットのようだ。てか私はどれだけマニュアルが好きなんだ。

「有希ーここを開けて、お願い。開けてくれないとハルヒが風邪ひいちゃうんだよー」

 控えめにドアをノックしながら言うが有希は変わらずの拒否で、私はどうしたものかと一つため息がもれた。

「おい、長門」

 今まで黙って後ろで見ていたキョンが口を挟む。


「ハルヒの命令はたった今解除された。なんならその指令は俺が上書きする。いいから開けろ。頼むからさ」

 その言葉に木戸の向こうにいる有希は数秒考えたのち、かしょんと内側の鍵を捻る音がし、ドアがしずしずと開き始めた。

「…………」

 扉が開けば当たり前だが中では有希が立っており、瞳が私たち四人の上を通り過ぎ、そのまま無言で奥へと退いた。

「もう! 有希、少しは融通をきかせなさいよ。そのくらい意味をちゃんと把握してちょうだい」

 ハルヒは少し不機嫌になりつつ、部屋の中へと入っていけば古泉くんに着替え終わるまで待つように言い渡し扉を閉めた。
 入りそこねた私は、扉の前でどうしたものかと悩みながら古泉くんを見上げれば。古泉くんは微笑をうかべ「待っておきましょう」と言い。私はそれにうなずき扉横の壁に持たれかかり今か今かとハルヒを待った。

「じゃあな、古泉、葵」


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