気合い入りまくりの大声は、野球青年を思わせ、バックホームの連携やダブルプレーのフォーメーション確認は、プロ顔まけの本格的指導だ。
 本当にSOS団は大丈夫なのか。なんだか心配になってきた。
 ハルヒは、そんな私の心配をよそに一同を整列させる。

「作成を授けるわ。みんな、あたしの言うとおりにしなさい」

 おうおう、ハルヒさん監督みたいなこと言いますな。

「いい、まず何としてでも塁に出るのよ。出たら三球目までに盗塁ね。バッターはストライクならヒットを打ってボールなら見逃すの。簡単でしょ? あたしの計算では一回に最低三点は取れるわね」

 それは、ハルヒさんの計算であり、とんとんとそんな調子いいことが起こるわけがない。まあ、いいけどさ、私はハルヒさんが楽しんでくれれば十分ってことよ。

「みんな、わかったわね!」
「はーい」

 お返事係の私は、手をあげ元気よく返事をすれば。ハルヒは花をバックにしょういそうな笑顔を浮かべる。

「なら、皆は各自試合に備えること! 葵はこっちに来なさい」

 ハルヒは私の上げていた手を取れば、人気のない場所へと連れて行き、自分が持ってきたボストンバックを開ければ何かを取り出した。

「じゃあああん」
「……チアリーダ?」

 出されたそれはノースリーブの服に、ミニミニスカート。そしてパンツが見えないためのズボン。正式名称なんだっけ。

「そう、葵にはみんなを応援するためにこれに扮してもらうわ!」

 だから私だけジャージじゃなくてよかったのか。いや、でも、これを一人で着るのは恥ずかしいのだが。

「四の五の言わない!」

 ハルヒはそういえば、私の体操服に手をかけ追剥のように服を脱がされ、あれよあれよとチアリーダの服を着させられた。
 足元がスースーする。
 ハルヒは私が着たのを確認すれば、髪に手をかけいつものように上の方で髪を結ぶ。ゴムはいつぞやうさぎちゃんだ。

「出来たわ! やっぱり、思った通り」
「ハルヒ、これ試合終わるまでしとくの?」

 ハルヒは私を背後から抱きしめ、ポンポンを持たせれば。あっけらかんと「当たり前じゃない」と言われた。
 その後、皆にお披露目となったのだが皆口々に「似合ってる」と言い。もう、これは一種のいじめかと恥ずかしさに死にそうになった。パンツが見えそうなスカートは初めて穿くからな。


 しかもこういう時に限ってキョンは助けてくれない。
 さて、ここでアミダクジの神様が決めた。皆のポジション、打順を紹介しよう。
 一番ピッチャー、ハルヒ。
 二番ライト、みくるちゃん。
 三番センター、有希。
 四番セカンド、キョン。
 五番レフト、妹ちゃん。
 六番キャッチャー、古泉くん。
 七番ファースト、国木田。
 八番サード、鶴屋さん。
 九番ショート、谷口くん。
 と、いった順番だ。
 本当に大丈夫か。外野ががら空きな気がしてならない。

 さあ、野球大会の始まりだ。各チーム、振り分けられたグラウンドに向かい。
 整列をし、元気よく挨拶すれば。一番バッター、ハルヒはバッターボックスに入る。
 その頭に被る白ヘルは、ヘルメットのことをすっかり忘れていた私たちに、運営委員会が貸してくれたものなのだが、これがまた頭にあってなく。少しみくるちゃんには、ブカブカそうだ。
 ちなみに、ハルヒはチアの服以外には人数分の黄色のメガホンだけという、応援の方では準備満タンだ。
 ツバをついと指であげ、ハルヒは野球部からパクッてきた金属バットを構えながら不敵に微笑んだ。
 自信満々、さあ一発デカイのを飛ばすぞ。
 プレイボールと審判がコールすれば、敵チームのピッチャーがワインドアップモーションにはいる。
 第一球目、投げた。
 コキン
 小気味よい金属音が響き、白球はぐんぐん飛距離を稼ぐ。
 猛バックするセンターの頭上を抜いて、フェンスにワンバウンドで直撃。ボールが内野に返った時には、ハルヒは既にセカンドベースを踏んでいた。
 拍手もんだな、こりゃ。
 何となく、予想はしていたSOS団の皆は別段驚かなかったが。
 SOS団を除く全員は驚きに、まじまじとガッツポーズを繰り返すハルヒを見た。
 敵チームなんかぽかんと口を開けている。
 そりゃそうだ。女の子だからそんな遠くまで飛ばさないと思えば、あっさり打たれて外野まで飛んだのだからな。

「ピッチャー全然大した球じゃないわよっ! あたしに続きなさい!」

 ハルヒは威勢よく叫ぶが、そりゃ逆効果だぞ。敵チームは女の子に打たれ、その上あおられたことにより、手加減の三文字がなくなった。目がマジだ。
 二番バッターみくるちゃんは、ぶかぶかのヘルメットを被りおずおずバッターボックスへ向かい。


「よ、よろしくお願い――し、ひん!」

 丁寧に挨拶をするが、言い終わる前にインコース高めに直球。
 おい頼む、みくるちゃんには優しく投げてあげてください。
 そんな私の願いも届かず、変わらず速いボールを投げ込まれ、みくるちゃんは二球とも手出し出来ず見送る。
 バッターアウト、みくるちゃんはホッとした面持ちでベンチに戻る。
 お疲れさまです、みくるちゃんはよくやりました。

「こらーっ! 何でバット振らないのよっ!」
「…………」

 三番バッター有希、重いのかはたまた面倒くさいのか、金属バットの先端を地面に引きずり。黙々と打席へ向かい。

「…………」

 構えれば来る球すべてを、見逃し三振。また黙々とベンチへと戻る。
 いや、あの有希さん打たなきゃ意味がないのですが。
 戻るさいに、バッターズサークルに居るキョンにメットとバットを手渡し、また静かに置き人形と化した。

「あの、有希。バット振らなきゃ飛ばないからさ、うんバット振ろう?」
「…………」

 有希は頷きも何もしなず、ただ目を時々瞬かせる。
 いや、反応してくれ。少し寂しいよ。
 ハルヒはみくるちゃんに続き、有希までバットを振らなかったことに頭にきているのか、怒声をキョンに浴びさせる。

「キョン! あんた絶対打ちなさいよっ! 四番でしょ!」

 こういう時、キョンに全ての責任が回ってくるから世の中面白い。キョンー、頑張って打ってこい。
 私がポンポンを揺すりながら応援すれば、キョンは有希同様黙々と打席に立つ。
 一球目、見逃すがストライクゾーンだ今のは。
 二球目、振ってはみるが空をきり空振り。
 三球目、曲がる球で振らなければボールの所を振ってしまい空振り。
 三者連続三振、スリーアウトチェンジ。さあSOS団の守りの番だ。

「アホーっ!」

 敵チームがグラウンドから戻る中、左中間で手を振り回すハルヒは皆の様子に怒鳴り。私はその様子を見つめながら、きっと苦笑いを浮かべたのだろう。キョンも同様に苦笑いを浮かべハルヒを見ていた。
 しまっていこーう!

 さて一回裏、穴だらけの守備でどこまでいけるだろうかチームSOS団。
 特に外野の方なんてがら空きだ、フライなんて打ち上げられればひとたまりもない。
 事前に守備練習をした時にそのことが分かり、ショートの谷口くんはレフトに、セカンドのキョンはライトに走ることになった。もう頑張れとしか言えないな。
 しかし、妹ちゃんが飛んでくるボールを嬉しそうに走って追いかける様は微笑ましく、ホームビデオに撮っておきたいぐらいだ。今度何かある時はビデオカメラを持っていこうと思う。
 ちなみに、有希の補給は完璧だが、自分の守備範囲にしか反応しなく、反応しても動作はゆっくりとしており、ライナーで横を抜かれれば二塁打は堅い。
 本当に大丈夫かと再度思う。

「しまっていこーっ! おーっ!」

 ハルヒ一人、気合いを入れ。誰もそれに乗ってこなず、私の座るベンチに視線を向け無言の威圧をくれる。
 ここで言えというのかハルヒ。残念だが、それは丁重にお断りします。
 ハルヒの球を受けとる古泉くんはプロテクタとレガース、ミットを付け、バッターボックスの後ろで構える。これもまた、借り物だということを言っておこう。
 敵チームの一番打者が、審判に一礼してバッターボックスへと入る。ハルヒはオーバースローから一球目を投じた。審判の声が響く。

「ストライク!」

 キレ、スピード、コントロールともに申し分のないストレート、ど真ん中。
 バッターも、バットをピクリとも動かせない迫力に満ちた本格的な球だったらしい。
 もちろん、SOS団メンバーはそのことに驚かなかったが、敵チームの一番打者は驚きに放心状態らしく、続く二球目も茫然と手を出せず、三球目にバットを振るがあえなく三振。ワンアウト。
 どうもバッターの手元で微妙に変化するクセ球のようだ。横から見たぶん、そんな感じがするが、いまいちよくわからない。
 凡退した一番バッターにアドバイスを受けた二番打者は、バットを短く持ち、当てにくるようだ。バントか、バントする気か?
 しかし二球ともファールになり、最後の一球も空振りであえなく三振。ツーアウト。あと一回を抑えればスリーアウトチェンジだ。
 しかし、そう簡単に行かないのが世の中、三番手の打棒がハルヒ渾身のストレートを力強く打ち上げた。さすがにカーブなど技を持たず、ストライクで抑えようとするのは無理か。


 球はぐんぐんと飛距離を伸ばし、突ったったままピクリとも動かない有希の、遥か上空をボールは越えて場外へと消えた。
 ホームラン、敵チームの先点。
 ハルヒは内野を一周する敵の三番手を不服そうな目で見つめた。ドントマインド、次があるさ。
 しかし、続く四番にも二塁打を許してしまい、五番は国木田のエラーで一、三塁。
 六番にはライト前に落ちるというテキサスヒットで二点目を献上してしまった。
 七番が放った三塁線強襲の当たりに、またもや点を取られるかと思えば。鶴屋さんが軽快にすくい上げ、矢のような送球のお陰によりバッターランナーをアウトにして、やっとチェンジ。一回裏が終わり2ー0と意外に善戦していた。
 このまま頑張れば、もしかしたら勝てるかもしれないな。

 こちらの五番から七番、妹、古泉、国木田は順調に三者凡退し、落ち着くヒマもなく二回裏の守備へと向かう。応援の私は少し暇だったりする。
 敵は、我がチームSOS団のウィークポイントが外野にあると見抜いたらしく、あからさまなアッパースイングで打ち上げることだけを狙い始めた。
 その度に、キョンと谷口くんがひたすら外野へダッシュして捕球するが、まあ当たり前に成功はなかなかしない。
 でもそこを何とか踏ん張り、この回は、五点取られ、7ー0。
 あと三点でコールドゲームだ。

 三回表、SOS団の攻撃。
 さあ逆転出来るのか、長い髪を後ろで束ねた鶴屋さんもなかなか運動神経あるらしく、ファールで粘っていたが、ついにキャッチャーフライを打ち上げ。バッターアウト、やっぱりSOS団の戦力はハルヒしか居ないのだろうか。
 まあ、相手は私たちとは違いアマチュアだもんな。
 鶴屋さんはバットでメットを軽く叩き。

「むずいわねーっ、バットに当てるだけで精一杯」

 でも、いい線いってましたよ鶴屋さん。
 私は鶴屋さんに冷えたアクエリアスを渡せば、鶴屋さんはそれをお礼と共に受け取り一気に飲み干す。いい飲みっぷりですね。

「ふむん。やはりアレが必要のようね……」

 ハルヒは眉を寄せ、何かを考える風情をする。
 そして、思い立ったのか口を尖らせ、おもむろに審判へこう言った。

「ちょっとタイム!」

 タイムとは、何をする気だハルヒさん。
 ハルヒはメガホンを手に、座っていたみくるちゃんの首根っこを掴み。


「ひっ!」

 みくるちゃんは、小さな悲鳴を上げながら。ハルヒは、小柄なジャージ姿をずるずる引きずり、ベンチ裏へと消えた。その手には、なんだか見覚えのあるボストンバックを手に持っていたが。

「ちょ、ちょっと……! 涼宮さんっ! やっやめっ……てぇ!」
「ほら、さっさと脱いで! 着替えるのよ!」

 みくるちゃんの可愛い悲鳴が切れ切れに聞こえると同時に、ハルヒの上から威圧を感じそうな声が、風に乗って耳に入る。
 しばらくすればみくるちゃんは、私と同じチアリーダーの恰好で、ポンポンを持って出てきた。
 さすがみくるちゃん、私以上に似合っている。だけどよかった! これで一人じゃないよ!

「似合うなあ」

 と、国木田の感想。その感想には同調する。

「みくるー、写真撮っていいー?」

 ケラケラ笑いながら鶴屋さんは、デジタルカメラ通称デジカメを取り出し構える。是非ともその写真、焼き回しして貰いたいものだ。
 ちなみに、一緒に出てきたハルヒもチアリーダーの服を着ており。三人チアリーダーだ。

「ポニーテールのほうがいいかしら」

 ハルヒはみくるちゃんの髪を撫でながら、後ろでまとめようとするが。キョンの視線に気づき、口を尖らせれば髪を離し、結局ポニーテールはなしになった。
 キョンの心底残念そうな顔は、情けない面をしていた。

「さ、応援しなさい。葵もよ!」

 まあチアリーダーですからな、私も。
 ポンポンを両手に持ちながら、二人の元へいけば。みくるちゃんはポンポンを持ったまま、オドオドとハルヒを見つめる。

「えええ、どどうやってですか……?」
「こうやってよ」

 ハルヒはみくるちゃんの背後に回り、華奢な白い腕を取ると、両手を上下させ始めた、それはまるで不思議な踊りだ。

「ほら葵も続いて!」

 いや、続けってどうやってですか。
 私は見よう見まねで両手を上下させるが、こんなので果たしていいのか。
 でも、ハルヒが何も言わない所を見るといいらしい。
 しかし、ハルヒに動かされる度に、みくるちゃんの豊満な胸が揺れるのだが。けしからん! もっとやれ。


 そんな事を思っていれば、耳元でハルヒは、何やらみくるちゃんに吹き込んでいるらしく「言え、言いなさい!」と促し。

「ひいいー、皆さん、打ってくださぁい! お願いだからーがんばってえぇー!」

 かん高い声で叫ばされているみくるちゃんの姿は、別の意味でやる気がみなぎってくる。
 しかし、少なくとも谷口くんだけは頑張る気分になったらしく、ネクストバッターズサークルで無意味に素振りをする。
 ああいうのを、単純というのか。
 だけど、そのやる気も空振りに終わり。すぐに谷口くんはすごすご戻ってきた。

「ありゃあ、打てねえな」

 こうして打順が一巡し、再びハルヒの番が回ってきた。バッターボックスに立つその姿はチアリーダーのままだ。
 男は、目のやりばに困ることこの上ない。

「へっくちっ!」

 風が吹き、土埃が鼻をくすぐり、くしゃみをすれば。後ろからチャックを下ろす音がし、振り返る前に肩に何かかけられた。
 それは学校指定のジャージ、横を見上げれば古泉くんの顔。

「いつまでも、その様な恰好をしていますと風邪をひかれますよ」
「いや、あの、ふぇっくしっ!」

 この季節にそんな風邪なんて、と思っていれば。風も吹いてないのにくしゃみがまた出て、古泉くんには、ほらねっと言わんばかりの顔をされ、ありがたく貸してもらうことにした。
 しかしやはりというか、ブカブカだな。そして、何やら古泉くん家の洗剤の匂いがする。いや、変態な意味じゃないからね。

「キョンくん、ジャージの前閉めなきゃ駄目でしょ」

 後ろから、妹ちゃんとキョンの争う声が聞こえ、振り返ればジャージのチャックを下ろし、前をはだけさしたキョンがベンチに座っており。そのチャックを閉めようと奮闘する妹ちゃんの姿があった。
 ……まさかね。いや、自惚れるな自分。
 私はキョンから目を離し、風が入って来ないように、ジャージのチャックを上まであげて袖を少し捲る。
 やっぱり男は体つきがいいな。

 さて、チアガールの恰好でバッターボックスに立つハルヒだが、敵のバッテリーはその姿にどこを見ればいいのやら。
 キャッチャーの前にはスラリと伸びる長い足、そしてバットを構えれば胸が寄せられ、もう、ノーコメントものだ。

 突如、コントロールを乱したピッチャーの甘く入ってきた棒球をハルヒ見逃さず、ナイスタイミングで打てば、センターを抜くスタンディングダブル。
 送球が乱れる間に、三塁まで陥れたハルヒは最後の塁をスライディングでおさえ、三塁手はその姿の、どこを見たのやら、スカートの中見たか。
 さて続くバッター、魅惑の美少女チアガールのみくるちゃんだ。
 先ほどと変わらぬオドオドとバットを構える様は可愛らしく、皆の視線を浴びて、羞恥のあまりほんのり上気してる頬は色んな意味でそそられる。
 ピッチャーも、その姿にメロメロなのかヘロヘロ球しか投げれなくなったが。みくるちゃんには、まだハードルが高いのか空振り。

「えい!」

 バットを振るとき、目をつぶってしまうのは、恐怖心からだろうか。しかしみくるちゃん、目を開けなくては打てませんよ。
 ついに、ツーストライク追い込まれ、またノーポイントで二回裏にいってしまうのか。
 しかしハルヒは何か思いついたらしく、三塁ベース上で両手をバタバタし始める。

「どうやらブロックサインを出しているようですね」

 なぜ分かる、古泉くん。

「サインなんか決めてたか?」
「いいえ。ですが、この状況で涼宮さんが選択しそうなサインプレーはだいたい想像がつきますよ。あれは多分、スクイズせよと言ってるんでしょう」

 相変わらず両手をバタバタさせるハルヒだが、みくるちゃんはわかってないような気がする。頭にクエスチョンマークが見えそうだ。

「ツーアウトからスリーバントスクイズのサインか? どこかの永世監督でももうちょっとましな采配をするぞ」
「察するに、朝比奈さんがヒットを打つ可能性はほとんどゼロですから、まさかするわけないスクイズをして相手チームの意表をつけば、ひょっとしたら内野手がエラーするかもしれず、また朝比奈さんでもバットになんとかボールを当てるくらいなら出来るだろうと思ったのではないですか」
「完全に読まれてるけどな」

 キョンの言葉どおり、内野手全員が、前がかりの守備位置につき、いつでも出れるようにスタートダッシュの体勢をとっている。
 そりゃバレルわ、ハルヒのジェスチャーは、どこをどう見てもバントにしか見えない。しかし、その最後の勝負、スクイズも失敗に終わった。


 一番忘れてはならないことがあった、みくるちゃんはスクイズを知らなかった。
 いや、もうこれはある意味ミスだったかもしれない。皆、野球の簡単なルールしかみくるちゃんに教えてなかったからな。
 そのせいで、ハルヒのモロバレなジェスチャーにも「え? え?」と首を傾げて目を瞬いているうちにピッチャーは球を投げ、それを見逃し三振、スリーアウトチェンジ。
 みくるちゃんは、しおしおと怒られること覚悟で戻って来て、ハルヒはそれを呼びとめる。

「みくるちゃん、ちょっとこっちに来て、歯を食いしばりなさい」
「ひぃえぇ……」

 ハルヒは震えるみくるちゃんのホッペタを両手でつまむと横に引っ張り。みくるちゃんの顔はカエル顔へと変貌をとげた。
 しかし、その顔もまた可愛いから許してしまう。

「罰よ、罰。みんなにこの面白い顔を見てもらうがいいのよ!」
「やへへぇ……ひはいへぇ……!」
「アホか」

 キョンは、黄色のメガホンでハルヒの頭を叩き。
 それと同時に、みくるちゃんから手が離れ。みくるちゃんは慌てて私の後ろに隠れる。
 いや、私壁ですか。みくるちゃんを守る壁ですか!

「意味不明なサインを出すお前が悪い。一人でホームスチールでも何でもしろ、バカ」

 その時だった。
 ぴろりろぴろりろ、と古泉くんのジャージから音が鳴り。ポケットから携帯を取り出せば、液晶ディスプレイを眺めた古泉くんは片方の眉を上げた。
 何か急用でも入ったのだろうか。
 ふと後ろに居る、みくるちゃんの方を振り返れば。みくるちゃんはびっくりした顔で、左耳を手で押さえて遠くの方を見ており。有希は真っ直ぐに真上を見上げていた。
 これは、私も何らかのリアクションしなくてはいけない状況でしょうか。
 そんな私の心配もよそに、皆何事もなかったかのように守備へと散っていく。
 その道中、古泉くんがキョンに何か話しかけていたが、ここからは当たり前だが聞こえない。
 しかし、予測するに先ほど三人が反応したものだろう。なんだろうか。
 三人に共通し、考えられるものと言えばハルヒ関連しかない。
 では、名探偵葵さん、ハルヒで三人があのような反応をする時は何がある。
 私は足を組み、古畑みたいに口元に手を当てる。


 んー、大概はハルヒさんが機嫌が悪い時ですね。ハルヒが機嫌が悪い=閉鎖空間発生。
 この図式は、決して崩れることはない。てことは、今この時に、閉鎖空間が発生しているということになる。

「負けてるもんな」

 ホワイトボードを見ながら、綺麗に並ぶゼロに脱力してしまう。
 あのハルヒのことだ、負けは決して嫌なのだろう。何としてでも勝たなくては、世界が終わってしまう。
 なにやら、楽しいはずの野球大会に不穏な空気が流れはじめた。
 主に、ハルヒを除くSOS団の中でだけだが。

 三回裏、ここを押さえなければ後がない。
 ハルヒはチアガールのまま、マウンドに登り。みくるちゃんもチアガールのままライトに立つ。
 一気にグラウンドに花が咲き乱れたようだ。少々場違いな恰好だけどね。
 ハルヒは、ランナーいてもいなくても変わらない、ワインドアップ投法で球を投げる。
 最初の打者のライナー性の当たりは、たまたま有希の正面をつきアウト。
 しかし、二人目の打ち上げる大フライに有希は見向きもしなく、左中間を転々と転がり、スリーベース。
 ハルヒの投じる球は相変わらずの球威たが直球オンリーだ。そろそろカーブを入れてみようよ。
 その後もヒット2本打たれ、国木田のフィンダースチョイスであっさり二点追加。
 ランナーは、一、二塁あと一点入れられれば試合は強制終了だ。
 チームSOS団、絶体絶命のピンチ。おい、上ヶ原パイレーツ、もう少し手を抜いてください願わくば勝たせてください。
 カン。白球は舞い上がりライトへと向かう、私は手を組み合わせ息を呑みそのボールを目で追っていけば。落下予想地点ではみくるちゃんがグローブを持ちながらオロオロしており、その姿は取れる気がしない。
 キョンは何度目かの全力疾走をし、その落下予想地点まで走るが一歩足りず。そのぶんをダイビングすればギリギリボールに届き。ツーアウト。

「おりゃ!」

 そのまま二塁、ベースカバーに入った谷口くんに全力投球、ランナー二人はどうせまたエラーするだろうと予想したのだろう。タッチアップを待たずに次の塁を回り終え、捕球した谷口がベース踏みスリーアウト。ダブルプレーだ。


「ナイスプレー!」

 みくるちゃんは賞賛の眼差しをキョンに向け。谷口くん、国木田、妹ちゃん、鶴屋さんは四人たかってキョンの頭をグローブで叩き誉めたたえ。キョンはそれにピースを返す。
 しかしハルヒはそれを、手放しに喜ばず難しい顔で移動式ホワイトボードに書かれるスコアを睨みつける。
 まだこれで勝ったわけではない、後最低でも一回は守り、攻めなくてはならない。
 ついでに言えば得点も十一点いれなくてはならない。一点も入れていないこの状況、勝てるのか。
 私はアクエリアスを、持ってきた紙コップに入れて皆に配っていき、キョンと古泉くんが座るベンチへもいけば。タオルを被るキョンの横に座る古泉くんはくくく、と喉を鳴らして笑う。

「どうかした?」
「いえ、少し彼と今後のことについて話し合ってまして」
「お前には関係ないことだ」

 キョンは私から紙コップを受けとれば、それを一気に飲み、古泉くんは「ありがとうございます」と一口飲めばコップを両手で持ち、傾けたり中身を揺らしたりする。

「どうせ、ハルヒでしょ? 勝たなければ世界がドッカーンとかになるんじゃないの」

 キョンがお代わりを求め、私はその紙コップを受け取り中身を注ぎながら言えば。キョンは、目を丸くさせ次の瞬間ため息をつき、注がれたコップを受け取る。

「何かいい案あったりする?」
「妙案ならば一つ、思いつきました。たぶん、うまくいくと思います。彼女とは利害が一致するはずですから」

 にこやかに笑みをたたえた古泉くんは、ぼーっと白い円の中で佇んでいる有希へと向かう。
 有希は先ほどから動かず、動くものといえば、そよ風に揺れるショートヘアだけだった。もう少し動こうぜ有希さん。
 古泉くんは、屈めば有希の耳元に何か囁きかけるふうであり。不意に有希は振り返れば、キョンを見つめ、頭がかくんと上下した。
 そして何事も無かったように、てくてく打席へ行き。
 有希をまじまじと見ていれば、左隣から声がし、見ればみくるちゃんも有希を凝視していた。

「長門さん……、とうとう……」

 少しばかり、青い顔をしたみくるちゃんは、膝の上で手を硬く握り締め。

「あいつがどうかしましたか?」
「長門さん、呪文を唱えてるみたい」
「呪文? 何ですか、それ」
「えーと……禁則事項です」

 ごめんなさい、とみくるちゃんは頭を下げた。


 呪文か、私の頭の中である呪文といえば。パラレルパラレルールルルルルーとか、少し古いものしか思い出せない。他に何かいいのあるか。
 しかし、呪文とはどのような物だろうか。まさか、相手チームを呪う呪文とかか。
 そんな私の疑問は、すぐさま形となって、現れた。バット一閃、打ち上がる球はホームラン。
 ピッチャーの投げた剛球を有希のバットは捕らえれば、ろくに力を入れずに振ったとしか思えない振りで、高々と宙を舞わせたあげく、外野フェンスの向こうへと消えていった。
 思わず開いた口が塞がらないとはこのことだ。

「うわぁー葵ちゃん、有希ちゃんすごいねーっ」

 妹ちゃんが私のスカートの裾を引っ張り、私は我に返れば曖昧な笑みを浮かべ、妹ちゃんに同意した。

「うん、すごいね」

 もう、超人万人だな有希は。
 皆それぞれ驚き、敵チームなんか口をあんぐり開けている状態だ。
 小踊りしながらホームベース付近に駆け寄ったハルヒは、淡々と塁を回ってきた有希のメットをばんばん叩きながら。

「すごいじゃないの! どこにそんな力があるの?」

 有希の腕を取って折ったり曲げたりされ、有希は無表情のまま、されるがままになっていた。
 やがて、ハルヒが腕を離せば、ベンチまで歩いてきた有希はキョンにバットを手渡す。
 見た目なんら変わりないバットだが、何か細工したんだろう。

「それ」

 使い古しの金属バットを、指差し。

「属性情報をブースト変更」
「なにそれ?」

 有希は、キョンをしばらくじっと見つめてから口を開く。

「ホーミングモード」

 それだけ言えば、すたすたとベンチに戻り、隅っこのほうに座って足元から分厚い本を拾い上げ読書をはじめた。
 ホーミングモードとな、ちなみにホーミングとはミサイルの誘導方式のことを言う。よくある、潜水艦からぶっぱなしたミサイルが逃げても追いかけてくる、あれのことを言う。
 しかしホーミングモードとは、バットがボールを追跡するのか?

 四回表、ただいまの得点9ー1。
 ピッチャーは先ほどのショックから抜けきれない表情をしているが、それでも見る分では充分速い球を投げこんできた。ピッチャーはタフでなくてはいかん。

「おうわっ!」

 キョンの叫び声と同時に、バットは勝手に動いたかのように、キョンの腕、肩が泳ぐ。


 これがホーミングモードか、有希は違和感をあまり感じさせなく打っていたからわからなかったが。確かにバットがボールに引き寄せられている様は、ホーミングと言える。
 キン。キレのいい音が鳴り、球は風に乗るかのようにふらふらとどこまでも飛んでいき、スタンドをオーバーし、芝生を越えて第二グラウンドまで飛んでいった。ホーミングモード、ホームラン。
 これにはまたもや、口をあんぐりしてしまいそうになる。
 キョンはホーミングバットを放り出せば、なるべく早足で走り出した。
 いやあ、こうもホームランがバカスか出ると、何だか強いチームみたいな錯覚に陥る。そんなことは決してないんだけどさ。
 キョンは二塁を回れば顔を上げ、こちらを向けば両手を振り上げていたハルヒが突然手を下ろし、そっぽを向いた。
 ははーん、ハルヒさん意識しちゃって素直に喜びを表せないのか? 可愛いな、いやはや青春青春。
 私は妹ちゃんに握られた手を大きく上下に振られ、妹ちゃんも鶴屋さんも大喜びだ。
 しかし谷口くんと、国木田は愕然としており。みくるちゃん、古泉くん、有希はもくぜんとしていた。
 おいおい、皆もう少し喜ぼうよ。さて、次の打者は妹ちゃんだが、さすがに小学生が大学生の球を軽々打ったら怪しさ倍増だよな。しかもホームランを、だからな。

「妹ちゃん、あのさ。次、私打ってもいい? 一度打ってみたいんだ」

 妹ちゃんの手を取り、上下させてねだれば。妹ちゃんは二つ返事に頷き「いいよ!」と言ってくれた。
 これでまあ、あまり怪しまれないで済むだろう。

「ハルヒ、次私打ってもいい?」
「いいけど、キョンの妹には了解貰ってるんでしょうね」
「もち!」

 私は親指を立て返事をすれば、その足取りのまま審判へと今回だけ選手変更することを伝え、白いヘルメットを被りホーミングバットを構える。白ヘルは見た目より被ってそのぶかぶかが分かる。バット振った時にズレなければいいんだけど。
 しかし、持つぶんでは何ら普通と変わりないバットだが、これがホーミングバットね。
 私はバッターボックスの土を踏みしめ、敵ピッチャーの投げる球に狙いを定め、振ろうとした瞬間。
 バットが勝手に動きボールの元へと向かい、軽い当たりでまたもやホームラン。
 ああ、これは少し病み付きになるかもしれない。ホーミングバット。

 塁を一周し、敵チームに心の中で謝りながらホームベースへと戻れば、私はハルヒや妹ちゃんにもみくちゃにされた。

「葵! あんたに、こんな隠された才能があったなんて知らなかったわ」

 私もこの不思議なバットの存在を知らなかったら、自分でもそう思っていただろう。
 私は走る際に投げ出した、ホーミングバットを拾い上げ、それで自分の肩を叩き、ずれた白ヘルを脱いだ。
 まあ、ともかくこれで9ー3だ。あと八点。

 キョンは、ベンチで頭を抱えていた。
 ホームラン攻勢は依然として続行中、スコアはついに9ー7。一イング七連続ホームラン。おそらく大会史上に残る本塁打記録になるだろう。
 大飛球を飛ばして、戻ってきた谷口くんの表情は晴れやかだ。

「俺、野球部に入ることにしたぜ。この俺のバッティングセンスがあれば甲子園も夢じゃねえ。なんたって、バットが勝手に球に当たるような気すらするんだせ!」
「いやぁ、ほんとだねぇ」

 国木田は、その横で能天気に言い。
 和やかなムードが辺りを包み、鶴屋さんは妙に緊張しているみくるちゃんの肩を叩きながら大笑いする。明るい人だ。

「真っ向勝負よ!」

 ハルヒはホーミングバットをかざして言うが、それは本来ピッチャーが言うセリフなんじゃ?
 そんな私の悩みも他所に、コキンとまた金属音が鳴り、球はバックスクリーンにぶつかって跳ね返った。
 9ー8、この時までにピッチャーは三人代わっている。いくら代わっても、ホーミングバットはボールを追いかけるからな。意味がないといいたい、もどかしい。
 打者一巡し、みくるちゃん、有希、キョンと連続して本塁打を打ちまくり、ついに逆転9ー11。
 これは素直に喜んでいいのか。微妙な心境だ。
 しかし、さすがにそろそろどうにかしないとヤバいような気がし始めた。敵チームの視線が私たち選手ではなく、ホーミングバットに向けられるようになった気がしてきたからだ。
 何かインチキしてるのではないかと疑う眼差しが痛い。いや、実際インチキをしているのだが、これは世界を救うためなんだ許してくれ、上ヶ原パイレーツ。
 キョンもどうやら、そう感じたのか、次打者の妹ちゃんにバットを渡す前に、ベンチの端で本を読んでいる有希を連れ出し。


 キョンと二言ほど会話を交したのち、有希はホーミングバットに指を当て、口の中で何か小さく唱えた。そして唱え終えれば、そのままベンチの定位置につき、また本を広げ始める。
 これで、ホーミングモードも終りだ。


 シンデレラの魔法が十二時にとけるように。私たちのホーミングドリームも一瞬にして、とけた。
 妹ちゃん、古泉くん、国木田と続く三人は、今までの打撃が嘘みたいにバットを沈黙させて三者連続三振に終わった。
 当たり前と言えばそうなのだが、突然ダメになったことに相手チームはもう何が何なのかと参った表情をしている。
 世の中は不思議だらけなんですよ。
 さて、前に言ったがこの試合は制限時間付きだ。
 一回戦は九十分で打ち切りなのである。ちなみに時間は結構押してきており、次の回はなくこの四回裏を押さえれば勝ちとなる。

「いいのか? 勝っちまって」
「勝たなくてはならないでしょう」

 私はホーミングがなくなったバットを持ち、少しだけ後片付けを始める。と、言っても荷物らしい荷物はあまりないけどね。
 キョンと古泉くんはそれぞれに、グローブと防具を持ちベンチから立ち上がり。

「仲間からの連絡によりますと、おかげさまで閉鎖空間の拡大は停止の傾向にあるようです。停止しても『神人』はあのままですから、どうやったって処理しなくてはならないのですけどね。それでも増え続けなくて、こちらとしては助かります」
「しかし、ここで逆転されたらサヨナラ負けを喫するぞ」
「そこで提案です」

 ふと片付けから顔を上げれば、古泉くんと目が合い、とっさに反らせば今度は振り返ったキョンと目があった。
 いいから話続けて。私は手を振り促せば、古泉くんは歯を見せながら笑い、キョンに何事かを囁く。

「本気か?」
「えらく本気です。この回を最少失点で切り抜けるには、それしか手は残されていません」

 キョンはそれを聞くと頭をかき、やれやれとため息をついた。
 そして審判の元へと行けば、二言ほど言い審判が頷けば。今度は古泉くんが有希に、何事か告げ。その足取りでハルヒの元へと行った。

「涼宮さん、少しよろしいでしょうか?」
「なに? 古泉くん」
「ピッチャーの方を交代して頂きたいのですが」

 古泉くんはニコニコ顔を絶えずし、ハルヒは眉を寄せ腕を組んだ。


「なによ、あたしのピッチャーに不満があるわけ?」
「いえ、そのようなことは無いのですが」
「ハルヒ、代わってあげてよ」

 私は見てられなくなり、古泉くんとハルヒの話に割り込めば。古泉くんは分かりにくいが、少しばかり胸を撫で下ろした。

「なによ、葵まで不満があるわけ?」
「んーん、不満は無い。ただ、ハルヒ疲れてそうだから、ここで抑えなきゃ逆転される可能性もあるし」

 最もな理論攻めでハルヒを攻めるが、ハルヒは煮えきれない様子だ。

「ちなみに、交代するのはキョンだよ」

 ハルヒは、それを聞けば手のひらを返したように複雑な顔をしつつも頷き。

「……まあ、いいわ。でも打たれたら全員に昼飯奢りだからね!」

 そうキョンに言い渡しながら、セカンドに後退した。
 これでいいのだろうか、と古泉くんを見上げれば。古泉くんは変わらぬ笑顔で会釈した。
 ふとキャッチャーを司ることになった有希を見れば、有希は立ったままひたすらぼーっとしているだけだった、いやいやミットとか付けようよ。
 キョンと古泉くんはすぐさま有希の元へと行けば、プロテクタやらフェイスマスクやらを付けてやり。
 付け終えればとことこと有希はホームベースの後ろまで歩いて、ペタンと座りこんだ。

 試合再開、時間がおしているため投球練習も割愛され、キョンはぶっつけ本番のピッチャーとなった。
 一球目投げる。
 ぱすん。
 頼りないキャッチボールみたいな球が、有希のミットに収まりボール。

「まじめにやれーっ!」

 その頼りない球に、ハルヒは叫び喝を入れるが。二投目も、キョンは変わらぬへなちょこ球を投げ、バッターは猛然とバットを振るが。
 ぶうん。と空を切る音が鳴り。

「ストライク!」

 審判は高らかにストライク宣言をした。空振りをしたのだからストライクにもなる。
 だが、そのストライクにバッターは信じられないというような顔で、有希の手元を見ている。
 そりゃそうだろう、軟弱ボールがバットにぶったたかれる寸前に、軌道を変えて降下したのだから。

「……」

 座りこんだまま、有希は手首のスナップだけで球をかえす。
 ふわふわと飛んで行く気の抜けたボールを受け取り、キョンは投球モーションに入る。何回投げてもハーフストレートにしかならないその球は、魔球だ。


 三球目もキョンは、力抜ける球を投げるが、その球はとんでもない大暴投のすっぽ抜けでボール確定だった、はずが数メートルとんで針路修正。
 ありえないとはこのことを言うんだな。軌道修正と共に、ボールは加速までしてミット目指し。
 バスン。
 いい音がして有希の小柄な身体が揺らいだ。バッターは目を剥き、審判はしばらく声を出さなかったが、ややあって。

「……ストライク、ツー」

 自信がなさそうにコールする。その気持ち、よくわかる。
 キョンはもう適当に投げ始めるが、バッターが見送ればストライクコース、打とうと振っても変化し、ストライク。
 その種明かしは、キョンが投げるたびに何かをブツブツ呟いている有希にある。また、魔法を使ってるのだろうか。
 あっという間にツーアウト。バッターも真っ青、キョンは渾身でもなんでもない普通の球を投じた。
 このままスリーアウトを簡単に取り、試合も終了だろうと力を抜いた時だった。
 いつものように軌道修正、ストライクゾーンへ、打者が思いっきりバットを振れば、再軌道修正外角低めへ、バットは残像残し一回転し、三振スリーアウトになるはずが。

「!」

 ボールが転々とバックネット方面へ転がり、どうやら曲げすぎたようだ。有希のミットをかすめホップしてからフォークのように落ちるボールは、ホームプレートの角にワンバンして、あらぬ方向へと転がっている。
 バッター振り逃げ。最後のチャンスと走り出し。一塁へと向かうが、有希はミットをそのままの姿勢で固定し、フェイスマスクをかぶった状態で黙々と座りこんでいるだけだ。

「有希! 早く後ろ、ボール!」
「長門! 球を拾って投げろ!」

 私はベンチから立ち上がり、転がるボールを指差しながら叫び。有希は指示するキョンを無感動に見上げて、ゆらゆら立ち上がり、転がり逃げるボールを追いかける。振り逃げしたバッターは一塁を蹴り、二塁を陥れようとしている。

「早くーっ!」

 ハルヒは迫るバッターに、セカンドベースの上でグラブを振り回している。
 やっとこさ、ボールに追いついた有希は拾い上げた軟式ボールをじっと見て、それからキョンを見た。

「セカンド!」

 キョンは自分の真後ろを指差せば、ハルヒが大声を上げている。
 有希はそれにミリ単位のうなずきをし。
 ピュン。と風を切る音がし。
 キョンの側頭部を白いレーザービームがかすめた。


 手の動きだけで放った送球とは思えない球の速さ。
 その球はハルヒの手首からグラブを吹っ飛ばし、グラブにはまり込んだままセンターまでボールはすっ飛んで行った。
 ハルヒは、自分がさっきまではめていたグラブが消え失せたことに目を見はり、ランナーのほうはセカンド手前で仰天のあまりコケていた。
 それはベンチにいた敵チームの皆さんも同じで、仰天のあまり応援していたままの体勢で固まっていた。
 センターの古泉くんはグラブを拾い上げてボールを取り出し、誰に対しても同じニコニコ顔で歩いて行き、うつ伏せ状態の打者走者にタッチして謝った。

「どうもすみません。我々、少しばかり非常識な存在なんですよ」

 それには、キョンも含まれているのだろうか、非常に興味深い。私は当たり前に入ってるに決まっている。

「ア、アウト!」

 審判の遅れたコールと共に、私はポンポンを上に投げ出し。グラウンドへと駆けた。
 試合終了。ゲームセットだ。

 ランナーは、その場から立ち上がれば。温かく迎え入れてくれる、チームメイトに涙を流し。それにつられて一人、また一人と涙を流し、ついには皆が男泣きを始め。インチキをしたこちらにとっては、心が痛む。
 ハルヒはそんなことお構いなしに、はしゃいで喜びそれはそれは嬉しそうに満面の笑顔を浮かべた。

「このまま優勝して、それから夏の甲子園に乗り込みましょう! 全国制覇も夢ではないわ!」

 真面目に叫ぶハルヒに、乗るのは谷口くんぐらいであり。キョンは勘弁してくれ、と情けない面で頭を抱えた。ドントマインド、キョン。

「ごくろうさまです」

 古泉くんがキョンの隣に行きながら言えば。キョンは疲れきった顔を古泉くんに向ける。

「ところでこれからどうします? 二回戦もやりますか?」

 微笑みを浮かべながら古泉くんが尋ねれば、キョンは首を振る。

「ようするに負けたらハルヒはご機嫌斜めになるわけだろ? てことは勝ち続けなきゃならん。さらに、てことはまた長門のインチキマジックの世話になる必要がある。どう考えたって、これ以上、物理法則を無視していたらマズいだろうよ。棄権しよう」
「それがいいでしょう。実は僕もそろそろ仲間の手伝いに行かなくてはならないんですよ。閉鎖空間を消すためにね。『神人』退治の人手が足りないようでして」


 古泉くん行っちゃうのですか。あ、ジャージ、どうしよ。洗って返すべきだよな。

「よろしく言っといてくれ。あの青い奴にも」
「伝えましょう。それにしても今回のことで解りましたが、涼宮さんをあまりヒマにさせておいてはダメのようですね。今後の課題として、検討の余地があります」

 それでは後はよろしく、と言い古泉くんは二回戦進出辞退を告げに運営本部テントに向かい歩き出し。私は慌ててその後を追いかけ、古泉くんの手を掴み引き止める。

「こ、古泉くんあの、その、」
「葵さん、落ち着いてください」

 古泉くんは、上がる私の息を落ち着かせるため私の背中を擦りながらクスクスと笑い。私は深呼吸をすれば「あの」と話を切り出す。

「ジャージありがとう。洗って返すから」

 私は着ている古泉くんのジャージを握りしめ、古泉くんを見上げれば。古泉くんは目を一度見開き、そして細めれば、それはそれは慈愛に満ちた笑顔を浮かべた。
 その笑みに、私の胸が高鳴ったのは言うまでもない。
 その後、古泉くんと少し話をし、グラウンドへと戻れば。
 グラウンドの外にハルヒとキョンが立っており、私はなんだろうと思いグラウンドに居る皆を見たのち声をかけようと近づけば。

「充分楽しんだだろ? 俺はお釣りを誰かにやりたいくらいだ。後は飯でも食いながらバカ話でもしているほうがいい。実はもう足とか腕とかはガタガタのボロボロなんだ」

 確かにへとへとだと、見受けられる。一番頑張ったのはキョンだろうしな。
 ハルヒは得意の表情、すねたような表情でキョンを上目で黙って見続ける。

「あんたは、それでいいの?」
「いいともさ。朝比奈さんも古泉も、おそらく長門もそう思っていることだろう。妹はさっきから素振りの練習をしているが、あいつは飴玉一個でバットを投げ出すさ」
「ふうん」

 ハルヒは、キョンとグラウンドを交互に見ながらしばらく考え、あるいは考えるふりをして、私を見る。

「葵もそれでいいの?」
「ハルヒの望むままに」

 ハルヒは腕を組み私を見つめ、キョンは私がいることに今気づいたのか振り返れば。ハルヒはニヤリと笑った。

「ま、いいわ。お腹空いたし。昼ご飯に行きましょ。あたし思うんだけど、野球ってすごい簡単なスポーツだったのね。こんなにあっさり勝てるなんて思ってもなかったわ」
「そうかい」


 キョンは肩をすくめれば、敵チームへ二回戦進出の権利を譲渡することを言いに、今だ男泣きを続ける中へと向かっていった。

「さあ、葵。そうと決まったら皆に言うわよ」
「はいはーい」

 私は手を引かれ、キョンとは逆のほうへ行けば。ハルヒは皆を集めて、これから食事をすることを伝えれば。キョンも帰ってきて、みくるちゃんとハルヒは先ほどと同じようにベンチ裏へと行き、ジャージへと着替えた。
 ちなみに私は、ハルヒの命令により。上は古泉くんのジャージ下はチアガールのスカートのまま行くことになった。
 なんでも、ブカブカな服を着る姿が可愛いらしい。確かにみくるちゃんで当てはめると可愛らしい。

「ところでキョンや」
「なんだ?」

 ファミレスへと向かうため、先頭を歩くハルヒに続き、妹ちゃん、みくるちゃん、鶴屋さん。そして国木田、谷口くん。有希はその後ろを無表情で歩いており、私たちはその後ろに並んでいる。

「キョンのズボン、やけに大きく膨らみましたね」

 財布が入っていると思わしき、ジャージのポケットを叩けば、キョンはニヤリと笑い。私もそれに笑いかえす。

「今日もキョンのおごりかな?」
「臨時収入が無くともハルヒの中では決定事項さ」

 キョンのその言葉通り、ハルヒはファミレスへと着けば。声高らかに、

「今日はキョンの奢りよ、ジャンジャン頼みなさい!」

 両手を上げてそう宣言した。
 皆は奢りだとわかれば、頼みすぎなくらい頼みテーブルは一気に賑やかなものへと変わっていった。
 というわけで、ファミレスの一角を占拠しご飯を食べているわけだが。本当にキョン大丈夫か?
 いくら臨時収入があるからと言って、限りはある。
 私がグラタンを口に運びながら、奥の席に座るキョンを見れば。キョンはオムライスを口に運ぶ所で私が見ているのに気づけば。オムライスと私を交互に見れば「食べるか?」と尋ねてきた。
 いや、大丈夫ならいいよ別に。
 私はグラタンを口の中で味わっていれば、ハルヒとみくるちゃんの間に楽しそうに座るに妹ちゃんがフォークにハンバーグを刺し。私へと突きつけ。

「はい、葵ちゃんあーん」
「へ、あ、あーん」


 それに乗り、ハンバーグを食べれば。妹ちゃんは満足そうに笑い、またハンバーグを食べはじめ。私はただ、頭にハテナを浮かべるだけだった。
 妹ちゃん、どうして突然?
 その後もみくるちゃん、ハルヒが続けざまに自分のご飯を私の口へと運び。三人とも運び終えれば、満足そうに笑ってたのが印象的だった。
 結局何が目的だったのかは、わからず仕舞いのままその場はお開きとなった。

 数日後の放課後、私は洗濯したはいいものの。毎回渡すのを忘れてしまっていた古泉くんのジャージを、今度こそ返そうと胸に抱き部室棟の一室、文芸部室へと行けば。
 既にほとんど揃っており、メイド服を身にまとうみくるちゃんは玄米茶いれ。キョンたちへと配っていき。それを飲みながらキョンと古泉くんはオセロをしており。
 その横には、図書室で借りてきたのであろうか。凶器にもなりそうな分厚い本を読む有希の姿がある。
 みくるちゃんは配り終えればお盆を抱えて、キョンたちの対戦を目を細めて観戦していた。

「こんにちは」
「あ、葵ちゃんこんにちは」

 後ろ手でドアを閉めれば、みくるスマイルが迎え。私はそれに会釈を返す。
 それは、変わりない日々、そして風景であり。
 それを壊すのは、毎度ハルヒであった。

「遅れてごっめーん!」

 謝りながらハルヒが、先ほど私が閉めたドアを思いっきり開け、飛び込むその顔面は満面の笑顔。また何かいいものでも見つけたのか。
 私は入り口前にまだ立っており、その開いたドアに頭を打ち。痛みに、頭を押さえうずくまれば。ハルヒはドアを閉めながら「何してるのよ」と不信な眼差しで私を見下ろし、私はただ頭を横に振るだけだった。頭、痛い。

「それでどうしたの?」

 頭を擦りながら、立ち上がりハルヒを見れば。

「どっちがいい?」

 キョンがオセロの黒石パチリと置き、古泉くんの白石を二枚挟みひっくり返す。

「どっちとは?」
「これ」

 ハルヒはどこから出したのか、二枚の紙切れを差し出し。不承不承キョンはそれを受け取り、チラシをみくらべる。
 私もそれを横から見れば、一枚には草サッカー大会、もう一枚には草アメリカンフットボール大会。

「ホントはね、野球じゃなくてこの二つのどちらかにしようと思ってたのよ。でも野球のほうが日程が早かったからね。で、キョン、どっちがいい?」

 私はサッカーがいいな。
 キョンは、部室に視線をさまよわせており。古泉くんは微苦笑浮かべ、オセロの石を指で弾いており。みくるちゃんは泣きそうな顔でふるふると首を横に振り、有希はただ黙々と指を動かし本を読んでいる。

「でさ、サッカーとアメフトって何人でやるスポーツ? この前の連中だけで足りる?」

 ハルヒの明るい笑顔を眺め、キョンは考える素振りを見せため息をついた。
 とにかく、私は古泉くんにジャージを返すのを忘れないようにしなくては。胸に抱いたままのジャージと、古泉くんの顔を交互に見て笑えば。古泉くんも笑みを深くし、笑い。
 夏はもう、すぐそこまで来ていた。

END ベースボールプレイ!

野球大会、男子しか出来ないものだったため、私も憧れてました。

野球楽しいよね。

次回は七夕ですが。
願いごとは、願ってるばかりではなく。努力をしなくては叶わないと言われたものです。

誤字脱字がございましたら、申し付けください。


2007 07/22
桜条なゆ

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