15

授業も宿題も終え、委員会もなく手持ち無沙汰になってしまった尾浜は特に目的があるわけでもなくぶらりと長屋を歩いていた。バタバタと走り抜ける次屋と神崎を横目に流し見ていると少し間を開けて富松が追いかけていた。飽きもせず同じことを二年もやってるなと思う。真夏の日差しの元では減りがちであったが、少し涼しくなりだしたこの頃、外で鍛錬する生徒も見え始め、尾浜も軽く身体を動かそうかと校庭へと向かった。するとそこに見慣れた顔を見つけ、近寄って行く。

「よ、八左ヱ門に満則じゃないか。二人して鍛錬?」

組手をしていた、竹谷と園田は尾浜に気がつくとその手を緩めて居住まいを正した。二人とも砂埃に塗れている。竹谷は無傷そのものであったが、園田はというとあちこち擦りむいて赤くなっていた。

「ああ、こいつあまりに体術がヘッポコだからこの頃は毎日俺が付き合ってやってんの。」
「おかげさまで生傷が絶えないよ。」

やれやれとでもいうように竹谷は首を振るが、毎日相手をしてやるくらいには面倒見が良いと言える。園田も熱心な勉強家であるからか、竹谷の教えを素直に聞いているようだった。園田の体術がからきしだと言うのは四年の間でも有名な話である。真面目で勤勉な男であるが、どうにも報われない。頭は良くもないが悪くもない、体術はてんで駄目で、そして運だけは驚くほどいいのである。(本人曰くそれは日頃の行いが良いからであると言う。)

「俺もちょっと満則の相手をさせておくれよ。」
「かまわないけれど、手加減はしてくれよ。私は俊敏ではないよ。」
「ああ、もちろん。…構えろよ。」

にこりという表現が似合いそうな顔で尾浜が笑うと、その微笑みを携えたままに、園田に向かって足を蹴り上げた。園田もそれをどうにか凪いで躱す。尾浜は素早さも力もズバ抜けているわけでもなかったが、体幹が殊更に良かった。その絶妙なバランス感覚から繰り出される高い位置から巻くように回される足に園田は悪戦苦闘を強いられていた。竹谷は関心して見せるかのように口笛を吹く。そうして、楽しそうに眺めては、たまに園田にむかってやれ右だそれ左だと助言をするが、園田はその攻撃を防ぐので一杯一杯で、竹谷の助言を聞く暇などない。園田を尻目に、少しずつ身体が温まってきたからかさらに尾浜の足は加速して行く。その動きに時折はったりも交えてくるところが竹谷との違いだろう。竹谷は力や速さと言う単純とも言える動きで押して来るが、尾浜は良く言えば考えられた、悪く言えば意地の悪い戦い方で攻めてきた。地面が砂場であることも想定しているのだろう、砂を巻き上げて迫って来るので、視界が悪く高い位置から降る足が見えない。慌ててよけることも出来ないので園田は只管に防ぐことしかできずにいた。恐らく手首は赤く腫れているだろうなあと園田はどこかぼうっとした頭で考えていると、顔面目がけて足が飛んできたので、そのまま後ろに仰け反り、手を着いて後ろに跳ねた。

「なんだ、満則、身体は柔らかいじゃあないか。」
「唯一の私の褒めどころだろうね。」

園田は苦笑しながら身体についた砂埃を叩いた。

「うーん、やっぱり反応が遅いよ。」
「でもそんなもの、どうしようもないだろう。」
「じゃあ八左ヱ門はどうすればいいと思うんだ?」
「筋肉をつけて少しくらいの打撃は弾けばいいさ。」
「お前それを刃物相手でもいうのか?」
「うーん…。」

尾浜と竹谷の二人は何故か当事者の園田を抜きにしてああでもないこうでもないと言い合っている。親切なのはありがたいが、当の本人が居ないことには始まらないのではないかと疑問に思う。けれども、これ以上面倒にはしたくなかったので、園田は黙ってそれを見つめるだけである。

「おい、尾浜はいるか。」

やいのやいのとしている所に現れたのは五年は組の食満留三郎であった。どこぞで行水でもして来たのか、全身水浸しである。食満自身は気にして居ないのか、不自然な立ち振る舞いは無い。

「あ、はい。ここにおります!」
「おう、そこにいたか。じゃあ学園長先生からの伝言だ。尾浜に忍務が来ている。俺とだ。明日の夜に発つ。今夜詳しくお話をされるようだから、夜更けに庵に集まれ。わかったか?わかったなら、復唱しろ。」
「学園長先生からの忍務が私と食満先輩に。今夜夜更けに庵に集まって打ち合わせ後、明日発ちます。」

上級生ともなると個人忍務や上級生と組んでの忍務が与えられることは分かっていたが、それが尾浜に最初に回ってくるとは思わず、竹谷はそわそわと尾浜を見つめる。尾浜自身もあまり落ち着かないのか、いつもより手を強く握った。

「よし。遅れるなよ!」
「わかりました。…ところで食満先輩どうして濡れ鼠に?」
「あー、いつものアレだ…伊作だよ伊作。」

なるほどと思わされてしまうのだからあの不運委員会委員長の名前は不名誉な形で有名である。三人が一様に同情するような目を向けていることから、周知の事実だ。おおよそ、池にでも引き込まれたのだろう。そして、食満はそれじゃあと踵を返し、風呂の方へと去っていった。

「いやーまさか勘右衛門に先越されるとはな。」
「融通が効きそうだからじゃないか?先輩の命に逆らったりしないし。そういう意味では八左ヱ門もそのうちすると思うよ。」
「そうか?三郎と兵助は?優秀だろあいつら。」
「三郎はこないだヘマしたからなあ。才能あっても活かせなきゃあ意味ないんだよ。兵助は真面目だけど、融通が効かないから実戦にはすぐに参加できないと思う。これら含めてなんだけれど、俺の予想は、俺、八左ヱ門、兵助、雷蔵、三郎、満則。かな。」

尾浜がどうだと言わんばかりに二人に笑いかけると、二人とも感心したように拍手をした。尾浜は人のなりや性質を見抜くことが得意だ。敵を作らない朗らかさもここからきているように思われる。そして、その後、三人は泥だらけになるまで鍛錬に励んだ。


カサカサと木の葉が風にそよぐ声だけが聞こえる夜更けに尾浜は長屋を抜けて学園長が待つ庵へと向かった。庵の手前で既に食満が尾浜を待ち受けている。視線を交えて頷き合って、障子を開けると、学園長と数名の教師が待ち構えていた。鋭い視線が幾つも尾浜の身を射抜いていき、その視線の鋭さが一層といつもとは異なる任務を与えられているのだと自覚する。恐らくは殺し、またはそれに準ずる危険な行為だ。なぜなら空気が重く淀んでいる。皆が一様に、穏やかな昼間の顔とは異なる見たこともないような夜の顔、つまりは忍者の顔をしていた。

「さて、この場にお前たちを呼びつけたのは他でもない、ある忍務に向かってもらいたい。」
「と、おっしゃられますと…」
「抜け忍の始末じゃ。」

物騒な響きに食満と尾浜は顔を見合わせた。忍衆などは機密を漏らさぬように里を逃げた忍は処分品する。大体はその里で始末をつけてしまうが、それを外部に依頼するということはそれなりに厄介な相手であることが多い。したがって、忍たまの食満と尾浜には手に負えない可能性は多いに高い。一体どういうことだというような表情で見つめると、学園長は続けて話し出した。

「抜け忍といっても、もうその忍衆はないんじゃがな。そして当時三つほどの子供じゃ。現在十四、五でお前たちと変わらんだろう。忍者としての教育は受けておらんただの男じゃ。お前たちでも十分処理できる忍務じゃろうて。」
「抜け忍は忍衆自身が始末するのが定石。しかし忍衆がないならばなぜそのような依頼が?」
「故郷のない抜け忍など困る者は居ないと思いがちだが、元は城使えの者。代々同じ城に使えていたようでな、城の機密事項を知りながらも里を抜けているということで処分してほしいと依頼がきておる。」
「なるほど…その城の名は何と?」
「アカツキ城じゃ。」

ここ最近町中でよく耳にする城の名であった。どうから十年ほど前に頭首が変わってから急成長しているらしく、どんどんと領土を広げている城である。以前は保守的で小さな城であったが、近頃は好戦的で近隣との小競り合いが絶えない。ここ忍術学園のある土地や、友好的な城へはまだ戦を仕掛けている様子はないので、敵対することもないが友好的ともいえない関係であった。こちら側としてもアカツキ城の情報は欲しい、あちら側としてもどうにかして探したいということで利害が合致したようである。

「そこでお前たち二人に改めて命を下す。忍務は二つ。抜け忍の始末、そしてアカツキ城の周辺、内部の地図製作。わかったなら、散!」
「仕りました。」

食満と尾浜は素早く庵から去り、明晩に忍務へと発ったのであった。




「食満先輩」
「…なんだ」

夜道の中、星の光も見えないような林の暗闇で尾浜は呟くように尋ねる。

「これって殺しですよね。」
「…通らなければならない道だ。次期に慣れる。」

食満は尾浜の目は見なかった。尾浜の瞳が恐れを抱き揺れているのをなんとなしに気がついていた。誰だって初めはそうだ。己の手を汚すことに恐れを抱く。食満だって初めて人を手にかけたときは恐れおののいた。何よりも人を殺せてしまう自らに。しかし割り切らなければならない、どこかで区切りをしなければならない、己の心に線引きをしなければならない。それが出来ない者はこの学園では生きては行けないのだ。そうやって退学していった心根の優しい臆病な同輩を幾度となく見てきた。皆、不出来ではなかった。自分よりもうんと優秀なものは多々いたが、この踏ん切りがつかぬ者は忍者には向いていないのだ。そうやってここまで様々な者達の心の揺らめきを見てきた食満には尾浜の動揺は当たり前のことであったし、非難すべきことではないと考えていた。しかし、この忍務ができるかできないか、それが今後の尾浜がこの学園で生きていけるかの命運は分けるであろうということは感じていた。

「多分、俺はお前は大丈夫だろうと考えている。」
「…どうしてです。」
「お前は心の整理が上手い。そして自分を客観的に見れるやつは、強い。」
「そういうものなのでしょうか。」
「そういうものだ。」

尾浜は食満の顔を横目で伺い見た。真っ直ぐに暗闇の先を見つめる目はどこか自分と違う。ああ、恐らくはこれが死の淵を知る瞳か、朱色を知る瞳か。おそらくこの忍務が明けたなら己もこの瞳を鏡で見ることになろう。尾浜はただ道の先、アカツキ城のある北を見つめた。

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