小説 | ナノ


わたしの愛した夢 結  


[しおりを挟む]




 名刺には会社の住所が書かれていたので郵送しても良かったが、なんだかとても癪だったのでわざわざ届けてあげることにした。
 午後3時半、わたしの職場とは二駅ほどでさほど離れていない。光を反射するガラス張りの大きなビルの、いくつかのフロアをテナントとして借りているようで、わたしは受付のある階にエレベータを止めた。
 仕事帰りの、オフィスカジュアルを着たわたしを気に留める人はいない。レセプションと書かれたテーブルの前で、置かれている卓上型の無人受付機を操作する。アポのない執行役の呼び出しは流石にできなかったので、総合受付に回して待った。受付と電話で少し話し、応接室に案内される。
 ほどなくしてドアが開く。現れた尾形さんは少しだけ驚いた顔をした。

「あんたのほうから訪ねてくるとはね」
「……落とし物を持ってきただけです」
「そりゃどうも。確かに俺のだ」

 わたしはあくまで冷静に、尾形さんの顔を見る。

「この間の話ですけど」

 尾形さんの表情が消えた。やや思案して、顎でドアをしゃくった。

「会社でする話じゃねえな。外に行こう」


 オフィス街の公園は人気が少なく、噴水が声をかき消してくれるようだった。木陰になったベンチに座り、わたしは安堵する。肌が白いのを、土方さんに褒められたことがある。紫外線に晒されるのは好きじゃない。

「悪いな。会社の中には俺を蹴落としたい奴なんかいくらでもいるんだ」

 尾形さんはどう見ても三十代前半というところだ。若くして役員にまでなった彼には敵が多いのだろう。

「それで?」

 さわさわと心地よい風が木々を揺らす。わたしはこれが彼にとって刃物であるかもしれないと思いながら、切り出した。

「あなたの中で自分の生い立ちやお母さんのことが消化不良なのを、わたしに八つ当たりしないでもらえませんか」

 尾形さんにとっては核心だったはずだ。その証拠に彼の顔はとても剣呑だ。

「世の中不幸を背負った人間なんていくらでもいるでしょう。自分の不幸を癒やすために、わたしと土方さんの思い出を使わないで。わたしは確かに愛されていたと思います。それを汚すことで、あなたは自分が満たされなかった傷を治そうとしている」
「……探偵になれるぜ、あんた」

 尾形さんはかすれた声で笑った。公園の反対側で、近所の幼稚園の子供達が遊んでいる。わたしは目を細める。

「あんたは憶えてないようだが」
「……?」

 尾形さんが髪を撫で付けた。あの日と同じ香水が香る。

「俺は一度あんたに会ってる」
「え、……」
「4年前だったかな。俺達の前を走ってた車が事故を起こして」

 どきりとする。4年前……土方さんと出会った頃。

「救護してた女があんただ。俺は車を降りた途端あんたに命令されて救急車を呼ばされた。思い出したか? あのときの車にジジイも一緒に乗ってた。そのあとでジジイとあんたが再会したのは偶然じゃない」
「まさか……」
「えげつない事故だったよな。被害者は助かったらしいが新聞にも載った。消防から表彰されたか?」

 事故に立ち会ったことなどすっかり忘れていた。わたしは、お気に入りのスーツが汚れてだめになってしまったのを思い出した。そして、確かにその辺にいた男性に、きつい口調で通報させたことも。

「あのときの……」
「ああ」

 尾形さんは噴水の向こうを眺めながら続ける。

「あんたの名刺が落ちてたから、拾った。あんたはさっさといなくなってたが」

 心臓がぎゅっとした。名刺……そういえばその頃は営業部にいて、慣れない仕事で毎日胃が痛かった。名刺入れが落ちて何枚か散らばった。全部拾ったつもりだった。

「何の気なしにジジイに渡したんだが……、まさかあいつまであんたを気に入るとはね」

 尾形さんがわたしの名刺を土方さんに渡したから、土方さんはわたしと出会ったというのか。薄暗いバーで、たまたま知り合ったわけじゃなかった。もっと前から、彼はわたしを知っていた。

「え? 『まで』?」
「……」

 尾形さんが目を逸らす。今、「あいつまで」って言った?

「悪いかよ」
「え、いや、その」
「養父に横から掻っ攫われるとか恰好悪いだろうが」

 つまり、この人、最初から。
 どうにもいたたまれない気持ちで、わたしは額に手を当てる。

「だがしょうがねえ。あんたがジジイのことをまだ好いてると言うなら、どうしようもない。俺にはどうにもできん。これでもあいつには恩と敬意がある」

 意外にも、尾形さんは引き下がった。あの日にすぐにわたしを離して帰ったのも、わたしが泣いてしまったからだろう。

「……もっとひどい人だと思ってました」
「おいおい。そうまで言われると俺でも傷付くぜ」
「……」

 胡散臭い言い方をする人だ。

「お邪魔じゃなければ四十九日、行きますので」
「ああ。義姉さんは嫌がるだろうが、言わせときゃいい。あの人はただ不安なだけだ。自分が受けた愛情を、確かめるすべを知らない」

 尾形さんは他人事のように言う。自分のことも、どこか距離を置いて見ているようだ。自身の度量の中で最善を尽くせる土方さんとは違う。寂しい気持ちを、どこかに持っている。

「土方さんの思惑とは違ってしまっても、わたしは、ずっとあの人のことを好きでいたい。わたしを一番肯定してくれたのは、彼との時間だったと思うから」
「……」
「お墓参りには毎年ちゃんと行きます。少しずつ思い出せなくなって、そのかわりのものがわたしを満たしていったら、そのときは」
「そのときは?」
「……、彼の願いを叶えようと思います」

 高い空を見上げる。傾きかけた陽が木漏れ日になって差し込む。
 土方さんと散歩した河原の夕暮れを思い出す。いくつもの思い出が、いつまでもわたしを離さないでいてくれることを願いながら、わたしは歩き出した。








19:39 2018/09/29

[ prev | index | next ]

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -