「今からちょっと行ってもいい?」

そろそろお風呂に入ろうかと思っていたときに鳴ったケータイを耳に当てると、開口一番そう言われた。及川からの電話は珍しい。いいよと返せば、15分くらいで着くと思うからまた連絡する、そう言って電話は切れた。
ベッドから立ち上がって無駄にうろうろ歩いて、髪を手ぐしで整えて。さっきの電話からまだ5分くらいしか経っていないけれど、パーカーを羽織って家の外に出た。今夜は少し風が強くて、暗い空に浮かんだ雲はどんどん流されている。隠れたり現れたりを繰り返す、半分欠けた月。
ジャリジャリと地面を踏む音がして振り向くと、暗闇の中から及川が現れた。私の姿を見つけて不満そうな顔をする。

「いると思った。着いたら連絡するって言ったじゃん」
「ごめん」
「もう暗いんだからさー」

ぶつぶつと言いながら私のすぐそばまで歩いてきた。不満そうな表情は目が合うとすぐにほどけて、申し訳なさそうに眉を下げる。

「突然ごめん」
「大丈夫だよ。何かあったのかなってちょっと心配したけど」
「何もないんだけどね」

急に会いたくなっちゃって。
私を抱き寄せた彼の声が、頭の上で響く。いつももどかしいくらいに優しい腕の力が今日はやけに強い気がする。及川のことを好きになってから、寂しい夜が増えた。及川もそうなのかもしれない。大きな背中に手を回して、力を込める。

「私も」
「ん?」
「会いたかったから、会えて嬉しい」
「…あれ、珍しい」
「からかわないでよ」
「からかってないってば」
「ニヤニヤしてる」
「そりゃするよ。あーどうしよう帰りたくないんだけど、俺」
「もうしばらくこのままでいようよ」
「そうする」

この夜のせいなのかもしれない。いつもより素直になってしまうのも、及川が私の名前を呼ぶ声がひどく甘いのも、すべて。
一際強い風が吹く。雲が晴れて、月が輝く。夜の囁きに背中を押されて、見せたことのない自分が顔を出してしまいそうだ。


2015.04.18

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