「先輩」


放課後、部活へ行こうと廊下を歩いていたら突然声をかけられた。この声は。振り返るとそこにいたのは予想通り、部活の後輩である総悟くんだった。


「あれ、総悟くんも今から部活?」
「今日休みらしいですぜ」
「え、本当?」
「本当でさァ。顧問が急に出張になったとかで」
「…本当に本当?」
「俺が嘘なんかつくと思いやすか」
「思う」
「ひでェや」


無邪気に笑うその姿は可愛いけど、簡単に信用してはいけない。今までの経験から学んだのだ、私は。


「で、本当はどっちなの?」
「休みなのは本当に本当でさァ」
「信用するからね」
「どーぞ」


なんだ、部活ないのか。放課後の予定が突然なくなってしまった。なんだか拍子抜けだ。
せっかく久しぶりに部活が休みなのに、このまま真っ直ぐ帰るのももったいない気がする。どうしようかなあ、と考えている私の顔を総悟くんが覗きこんだ。


「先輩、この後暇ですかィ」
「うん」
「んじゃ一緒に寄り道して帰りやしょう」


にっこり笑う総悟くん。返事の代わりに、私もにっこり笑った。
一緒に学校を出た私たちは電柱があるたびにジャンケンして、負けたほうが荷物持ちして、ってしながら学校の近くの河川敷にたどり着いた。並んで座って、太陽の光を浴びてキラキラと輝く川を特に目的もなく眺める。


「部活休みって嬉しいね」
「かなり」
「でもちょっと寂しいよね」
「…まァ、なかったらなかったで暇なのは確かですね」


総悟くんはゴロンと草の上に寝転んだ。生温い風が彼の柔らかい髪を揺らす。太陽がちょうど正面から照っていて、少し眩しい。


「あ、そういえば」
「ん」
「総悟くん、もうすぐ修学旅行じゃない?」
「あー、まあ」
「いいなー羨ましい」
「全然よくねェですよ」


つまらなさそうな顔をする総悟くんの横で、去年のことを思い出す。出発前日、「四日も部活に来ねェなんて」と不満げな総悟くんを近藤くんと一緒に宥めたっけ。もうあれから一年経つのか。


「土産買ってきまさァ」
「やったね!」
「去年先輩が買ってきた土産は変な見た目のわりには美味かったなー」
「えー、そんなに変だったかな。可愛いと思ったんだけど」
「どこが?」
「うるさいな。まあとにかく楽しんでおいでよ」
「…先輩は修学旅行、楽しかったんですかィ」


寝転んでいた総悟くんは、体を起こして私を見た。肩についている葉っぱを取ってあげながら記憶を詳しく探る。


「うん、すごい楽しかったよ。トシや近藤くんとも同じ班だったし」
「…ふーん」
「夜に三人でホテル抜け出して散歩に行こうとしたら先生に見つかっちゃって、正座させられたな、そういえば」
「……」
「あ、そうだ!オススメのお店があるから教え…」


言葉の途中で、総悟くんの手が私の口を塞いだ。突然のことに驚く私の目に、総悟くんが映る。


「もう、いいです」


ゆっくりと手が離れる。でも声は出せなかった。何だか今私は、喋ってはいけないような気がして。
私の口を塞いでいた手をぐっと握りしめて、それでも総悟くんの目は、私を見たまま動かない。


「…知ってました?」
「え…」
「近藤さんや土方さんが教室での先輩の話をするたびに、先輩があの二人の話をするたびに、思い知らされるんでさァ」
「…総悟くん?」
「俺は後輩なんだって」


いつもと違う様子の総悟くんに、心臓の音がだんだん速くなる。目が逸らせない。


「どうしたって追いつけねェ」


身を乗り出して総悟くんが私に近づく。すぐ傍に彼の真剣な目があって、私は金縛りにあったかのように体を動かすことができない。ただ、目の前の彼を見つめることしか。


「年下の男は嫌ですかィ。先輩」


どこか切なさを孕んだ彼の声に、胸が苦しくなった。総悟くん、私のことが好きなの。野暮だとは思いながらも尋ねてみる。彼はそれには答えず、その代わりに私を強く抱きしめた。
彼の背中が見た目よりもずっと広いことを、私はこのとき初めて知ることになる。


6.20

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