「花火大会行かない?」

突然隣からそんな声が聞こえた。まさか私に言ってるとは思わず無視していたら、また同じ言葉が繰り返される。
声の方向に顔を向ければ、隣の席の及川くんがしっかりと私を見ながらいつもの笑顔を浮かべていた。

「え?花火大会?」
「うん。花火大会」
「……えええ?」
「来週の土曜日」
「それは知ってるけど」
「行こうよ」
「…何か企んでる?」
「失礼な!見てこの真っ直ぐ純粋な目」
「本当に真っ直ぐ純粋な人は自分でそんなこと言わない」
「その日暇?暇だよね」
「ちょっと何で暇って決めてかかるの」
「違うの?」
「…違わないです」
「やったね、決まり!」

待ち合わせ場所と時間を勝手に決めて、じゃあ俺部活だから!と呼び止める暇もなく去っていった及川くんを見送ったのが先週、終業式の日。それ以来何の連絡もなく一週間。
あれは夢だったんじゃないかとすら思ってきた。何せ相手はあの及川くんだ。花火大会という夏の重大イベント、校内の女子達が彼を放っておくわけがない。一緒に行く子なら余るほどいるはずだ。

及川くんがどういうつもりなのかわからない。この一週間、やたら頭をちらつくのはあの時の彼の笑顔。



「あっつ…」

夏休みの校内、額にじんわりと汗が浮かぶのを感じながら息をひとつ吐く。
委員会の当番があって、今日は朝から学校に来ていた。お昼前に自分の役目は終わったからすぐにでも家に帰ろうと思ったけど、あまりに暑いからその前に何か飲みたくて、自販機に向かう。
校内には意外と人が多い。夏休みとはいえ大抵の部活は毎日活動があるし、文化祭の準備に取りかかっているクラスもある。すれ違う人の格好はジャージだったり制服だったり、様々だ。
校舎の外に出ると、中でいた時よりもさらに暑くて一瞬怯んだ。風が吹いていればたぶん少しはマシなのに。陰を選びながら歩く。この角を曲がれば目的地、自販機だ。

「妙に機嫌いいじゃねぇか」

角を曲がった先から聞こえてきた声に、思わず足を止めた。
自販機はすぐそこだけど、どうやら先客がいるらしい。誰だろう、と思うよりも早く「あ、わかる?」と声が続く。この声は、及川くんだ。ということは最初の声は岩泉くんだろうか。
何だかそのまま出ていって顔を合わせるのが躊躇われて、とりあえず壁の陰から覗いてみる。自販機の前には予想通りの二人がいた。

「機嫌がいい理由知りたい?ねえ知りたい?」
「いや全然」
「しょーがないなぁ、岩ちゃんにだけは特別に教えてあげるよ!」
「人の話聞けクソ及川」
「花火大会行くんだよね。ミョウジさんと」

突然飛び出した自分の名前に息を飲み込んだ。何度も頭の中で再生した先週の出来事が、また一瞬で蘇る。

「ああそういや明日か、花火」
「羨ましかろう!女の子と花火大会なんて岩ちゃんには縁がないもんね!」
「潰すぞ」
「勇気出して誘ってよかったなぁほんと」
「でもどーせお前、他にもあちこちから誘われてホイホイいい顔してんだろ」
「全部断ったよ」
「は?」
「いろんな子に誘われたけど丁重にお断りした」
「…マジかよ」
「マジだよ。それよりさーどうしよう岩ちゃん。すでに超緊張してるんだけど俺!」
「あっそ」
「楽しみすぎて爆発しそう」
「浮かれんなウゼェ」
「僻みはみっともないぞ岩ちゃん!」

テンポ良く交わされる会話に、頭がついていかなかった。楽しみで爆発しそうって。女の子からの誘いを全部断ったって。
私と適当に屋台を回った後、他の子のところに行くんだろうな。そんなちょっと失礼な想像していた私は、驚きのあまり無駄にキョロキョロと頭を動かしてしまう。まさか及川くんがそんなことしてるなんて。そんなこと言うなんて。
二人の会話はまだ続いていたけど、これ以上聞くと罪悪感がとんでもないことになりそうだから足早にその場を立ち去った。盗み聞きするつもりなんてなかったんです、ごめんなさい。

飲み物を買うという目的は、頭の中からすっかり消えていた。一旦教室に戻り、置きっぱなしにしていた鞄を肩にかける。なんかよくわかんないけど、帰ろうとりあえず。
下駄箱に向かうと、Tシャツ姿の及川くんと出くわした。ギャアッとあげてしまいそうになった叫び声を寸でのところで引っ込める。なにこのタイミング。
ドキドキとうるさく鳴り始める心臓の音が恥ずかしい。さっきの会話を聞いてしまったせいだろうか。自分がこんなにも、ゲンキンで単純な人間だったとは。

「ミョウジさん!」

にこやかに手を振る及川くんに、私も笑い返す。
何でいるの?委員会?夏休みに大変だね!俺?俺は今から部活。あ、よかったら今度試合見に来てよ!
やけによく喋る及川くんの勢いに圧倒される。なんか今日、すごい元気だ。

「花火大会、明日だよ。ちゃんと覚えてる?」

念押しするように訊ねる及川くんの顔からは、ワクワクが滲み出ているようだった。もちろん、と頷くと、本当に嬉しそうに笑うから困る。
楽しみだ楽しみだと小さな子どもみたいに繰り返す及川くんが、すごくかわいい。そんな考えが岩泉くんに知れたら凄い顔されそう。は?暑さで頭やられたか?みたいな。だけど残念ながら私の頭は正常だ。

「私、浴衣着ようかな」
「エッほんとに!?」
「うん」
「…自慢して回っていい?浴衣のミョウジさんと花火デートするって」
「絶対やめて」

楽しみで楽しみで仕方ないのは、私のほうかもしれないよ。


2014.8.3

- ナノ -