野球部の掛け声を遠くに聞きながら、私はグラウンドの隅でホースを持っていた。空は青く、足元に伸びる影は濃い。花壇の緑は鮮やかだけど、暑さで元気がないようにも見える。たまに吹く生温い風が肌にまとわりついてため息が出た。
花壇の水やり当番というものが高校になってまで存在するとは思わなかった。せっかく夏休み中に学校まで出てきたんだから、このあと図書室にでも寄って帰ろうか。水やりだけで帰るのは何だかもったいないし。一応、数学の宿題一式を持ってきている。でも予想以上に汗まみれになった制服を、さっさと帰って着替えたい気もする。

「暑い…」

誰も聞いていない独り言は、蝉の声にかき消された。どうするか決まらないまま、ホースの水を止めて下を向く。目につくのは濡れて色が変わった土のあちこちから伸びている雑草。気まぐれで抜いてみた。やり始めると何だかちょっと楽しくて、しゃがみ込み、無心で草を抜き続ける。
どのくらい経った頃だろうか。草抜きに熱中する私をジリジリと焼いていた太陽の光が遮られて、誰かの影が落ちた。

「何やってんだ、ミョウジ」

顔を上げると目が合った。同じクラスの影山だ。席が近いから、男子の中でも割とよく喋る存在。

「水やりと草抜き。当番だから」
「帽子くらい被れよ」
「忘れちゃって」
「これ使え。無いよりマシだろ」

頭の上に、雑に何かを被せられた。青いタオルだ。影山の物だろうか。無言で固まる私を見て何か勘違いしたのか、「まだ使ってねえからな」と焦りながら訴えかけてくる。タオルを貸してくれたのが意外でビックリしてただけなんだけどな。遅ればせながらお礼を言うと、照れたように目を逸らされた。その珍しい表情にこっちまで照れてしまう。

「影山は部活?」
「おう」
「なのにこんなとこで何やってんの?」
「休憩中に散歩してたらたまたま通りかかっただけだ」
「ふーん」
「熱中症になりそうな奴を素通りすんのもな」
「う…ごめん」
「これもやる。水分取れよ」

ズイッと目の前に差し出されたのは、汗をかいたアクエリのペットボトル。受け取るとひんやり冷たい。早く飲めと視線で急かされた。なんだかすごく心配してくれている気がする。

「影山って意外と面倒見いいんだね」
「そうか?」
「そうだよ。ありがとう」

思いがけず新しい一面を知ってしまった。グラウンドの隅、太陽の下には私と影山だけ。こんなチャンスはなかなか無い。もっといろいろ話してみたい。そう思ったとき、第二体育館の入口から大きな声が飛んできた。

「影山ー!休憩終わるぞ!」

そう言って両手をあげるオレンジ頭の彼は、1組の日向くんだろう。行かないと。目で語りかけると、それを汲み取った影山が小さく頷く。

「じゃあな」
「うん。タオルとアクエリありがとう。タオルは洗って返すね」
「おう」

大きな歩幅で遠ざかっていく背中を見つめる。もっと話したかったけど仕方ない。渡されたタオルとアクエリに視線を落とすと、さっきまでの、影山がいた空気感が蘇る。蘇ると、落ち着かなくなる。
男子バレー部が練習をしている第二体育館はそこそこ近く、この花壇からも見える位置にある。二人の言い合いをする声がここまで届いてきた。

「影山早くしろー!」
「わかってる!」
「何やってんだよ〜外ばっか見てたと思ったら休憩になった途端アクエリ掴んで飛び出して」
「余計なこと言ってんじゃねえ日向ボゲェ!」

うるさく鳴り始める心臓。さっきまであんなに響いていたはずの蝉の声が聞こえない。加速するドキドキを、もう止めることはできないみたいだ。


2015.7.31
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主催企画「ひと夏」に提出。

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