今日の部活のあと部室に残っててください。
家を出る前に受け取った、その1通のメールを見た瞬間から、私はずっと落ち着かない。

練習後、部室に呼び出された私と谷地ちゃんは、それぞれ可愛らしくラッピングされた箱を男子から受け取った。今日はホワイトデー。うちの部は昔からの伝統なのか、律儀に毎年お返しをくれる。去年、潔子先輩と一緒に焼き菓子の詰め合わせをもらったことを思い出す。

「これ駅前のケーキ屋さん?」
「その通り」
「味わって食えよ!いいやつだからなそれ!」
「うん、ありがとう」

田中や西谷を始めみんなにお礼を言いながら、横目で1年のほうを盗み見てみる。不意に影山と目が合って、ほぼ同時に逸らした。あのメールのせいなのか、いつも以上に意識してしまってる気がする、私。振り切るように日誌と筆箱を取り出すと、縁下に声をかけられた。

「ミョウジまだ残んの?」
「うん。日誌書いてから帰る」
「じゃあ鍵頼むな。ここ置いとくから」
「わかった」

ぞろぞろとみんなが部室を出て行って、私と私の荷物だけがその場に残る。そう、私だけ。影山は日向と言い合いをしながらみんなと一緒に出ていってしまった。さっきまでの騒がしさが嘘のように、静まり返る部室の中。
…あれ?首を傾げながらとっくに書き終わっていた日誌を閉じる。部室に残るようにって影山からメールが来ていた気がするんだけど、あれ夢だったんだろうか。だとすればずっとソワソワしながら過ごしていた私は何だったのか。確認しようとケータイを手に取ったその時、部室のドアが開いた。そこにいるのが影山だとわかった瞬間、心臓は騒ぎだしてしまうのだ。悔しいことに。

「すみません、ミョウジ先輩。置いてけぼりにして」
「ほんとだよ。帰っちゃったのかと思った」
「誤魔化して抜けてきました」
「どうやって?」
「忘れ物したって言って」

それちゃんと誤魔化せてるのかなぁ。ヘタクソな嘘をついてUターンする影山を想像したら少し笑ってしまった。まあ何でもいいや。とりあえず、あのメールが夢じゃなくてよかった。
背中に何かを隠しながら、影山が私の隣に腰を下ろす。少しかしこまった様子の彼に、思わず背筋が伸びた。

「あの。ホワイトデーのことなんすけど」
「うん」
「やっぱり何あげたらいいかわからなくて、いろいろ調べたりして」

決意を固めた顔で、背中に隠していたものを私の目の前に差し出した。シンプルに包まれたピンクのバラが1本。予想外の出来事に、一瞬声が出なかった。

「どうぞ」
「…ありがとう」
「イイエ」
「影山が花って意外すぎる」
「今すげえ恥ずかしいです」
「嬉しいよ。ありがとう」

受け取って鼻を近づけてみる。いいにおい。綺麗な色。花屋に行ってバラを買う影山って想像できないけど、なんか可愛いし、嬉しい。恥ずかしそうに目を逸らしていた影山は、花に見とれている私に視線を戻した。

「ミョウジ先輩、これも」
「え、他にもあるの?」
「一応」

可愛い瓶に入ったキャンディーや、私の好きなチョコレートを、カバンから取り出して並べた。次々と出てくるプレゼントに、ひたすら驚くことしかできない。

「どれが一番喜んでもらえるかわかんなかったんで、とりあえず全部やってみました」

唸りながら頭を抱える影山の姿が目に浮かぶ。きっと悩んだんだろうな。私のこといっぱい考えてくれたんだろうな。そう思うと何だかもうたまらなくなって、思いきり抱きしめた。畳についた両膝が少しだけ痛い。目の前で揺れる真っ黒な髪からは、微かにシャンプーのにおい。

「全部すっごく嬉しい。影山、ありがとう」

頭を撫でてから離れると、今さら恥ずかしくなってきて、赤い顔がバレないように勢いよく立ち上がった。帰ろっか、と声を掛ければ影山も素直に立ち上がる。さっきから顔を見れなくて、そのせいで表情もわからない。靴を履き、部室の鍵を持ってドアノブを握る。
薄く開けたドアはまたすぐに閉められた。背後から伸びてきた手のせいだ。何やってんの、と振り向こうとしたけど、それは叶わない。背中にくっつくくらいの距離に影山が立っていて、私は彼とドアの間に閉じ込められてしまった。

「な、なに?」
「いや…なんつーか」
「狭いよ」
「すみません」

すみませんと言いながら、退いてくれるつもりはないらしい。距離はそのままに体の向きを変えられて向かい合う。あ、来るかもしれない。目を見て思った。鋭い目元をやわらかく細めながら、だんだんと近づいてくる。彼の頭が蛍光灯の光を遮る。触れた唇が熱い。間近にあった気配が去っていくのを合図に、目を開けた。

「…どうしたの?」
「なんか、したくなって」
「バレンタインのときもそんなこと言ってた」
「そうでしたっけ」

そう言いながらまた触れる。本当に珍しい。

「いっつもそーいうこと考えてるわけじゃないっすよ」
「わかったわかった」
「でも、割とよく考えてるかもしれないです」

それは結局どっちなの。疑問に思ったけど、「好きです、ミョウジ先輩」なんて言いながらまた触れるから、頭がうまく働かない。
甘くて苦い魔法にかけられて、溺れてしまっているみたいだ。ずっと解けなくていい。解かないでいて。すがるように彼の手を握ると、やさしく握り返してくれた。


2015.3.14

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